日本比較法研究所

2009年度 講演会・スタッフセミナー 概要

テーマ:過失の共同正犯の可能性(Walter Gropp)

刑法における「過失の共同正犯」は成り立つか。この問題についてドイツの理論状況が報告され、これについて、講演者であるGROPP教授の見解が示された。


テーマ:承諾無能力者・限定承諾能力者の承諾の有効性(Walter Gropp, Henning Rosenau)

ドイツ・アウグスブルク大学法学部のロゼナウ教授と同・ギーセン大学のグロップ教授を招いて行われた。本ワークショップのテーマである「同意の有効性」の問題は、医療現場等において行われる侵襲行為について同意能力のない患者、被検者等から得られる同意の効力の有無をどのように考えるかの問題であり、昨今最も関心を集めている計法的議題のひとつであり、会場には、広く学生から研究者までの参加者を得て、充実した議論が交わされた。


テーマ:仮定的承諾(Henning Rosenau)

本講演のテーマである「仮定的承諾」の問題は、医療現場等で行われる侵襲行為について患者、被検者等から得られる同意の効力の有無をどのように考えるかの問題であり、昨今最も関心を集めている計法的議題のひとつであり、会場には、広く学生から研究者までの参加者を得て、充実した議論が交わされた。


テーマ:近時のEU抵触法改革について(Ralf Michaels)

近時のEUにおける牴触法改革の動向を丹念にフォローし、各国における事例(労働問題、会社設立、二重国籍等)を紹介しながら、国内法の問題である国際私法から、EU統一立法への意義を論じた。これは20世紀初頭にアメリカが経験した牴触法革命とは歴史的背景が異なるものの、法統一へ向けての努力について傾聴すべき点が多々あり、日本とEUも参考にしながら、法のグローバルな展開について、今後も協力して比較法研究を継続することの意義を強調された。


テーマ:アメリカ憲法における司法権の優位: 立法権に関する通説的見解に対する挑戦(Alex Glashausser)

アメリカ連邦裁判所の上訴管轄権をめぐる憲法上の問題について、いわゆる軍事法廷には連邦最高裁判所の管轄権が及ばないとする見解が、立法権による連邦裁判所管轄権の制限を認める通説的見解から根拠づけられる、との学説に対し、憲法起草過程の文言の変更を丹念にフォローし、その文言解釈の内容を明確にするという作業を通じて、右見解の妥当性に疑問を提示した。これらの作業は、法律の文言解釈をめぐる争いとして、わが国の法の法解釈とも共通性を有し、参加者に比較法的関心をもたらした。


テーマ:(Re)introducing the Hawaii Judicial System


テーマ:中国における不法行為法


テーマ:The Nature of Universal Jurisdiction(Adeno Addis)

国際法上、自国との関連性を前提に立法管轄権の域外適用が認められてきた。(効果理論など)他方、管轄権の対象となる人や行為がある国家との明確な関連性を持たない場合でも、管轄権の行使が主張される場合がある。それが普遍的管轄権である。普遍的管轄権については、概念上の争いもあるが、国際法違反を処罰するために機能するという点では論者の見解は一致しているようである。私は、普遍的管轄権について、もう一つの機能を示したい。それは、constitutiveな機能である。この機能は、普遍的管轄権を通じて、国際共同体の正体が明らかにされることを意味する。次に、国際共同体の性質について、多様性と跪弱性という観点から議論したい。まず、多様な共同体についてである。ハンナ・アレントによれば、多様性は人間の重要な存在条件の一つとされる。普遍的管轄権を通じて想像される国際共同体の一側面は、共同体が多様な人々から構成され、多様な存在の在り方が認められることにある。ゆえに、多様性を認める共同体への攻撃は、生存の多様な在り方を奪うことであり、多様な共同体の在り方を否定することである。多様性を奪う犯罪としては、ジェノサイド、奴隷制度がある。多様性の剥奪は、国際共同体にとって、深刻な脅威であり、すべての人にとっての関心事項であり、普遍的管轄権の対象となる。もうひとつの国際共同体の側面は、脆弱性である。現在、国際共同体の構成である国家は、破壊的な脅威に等しく晒されている。例えば、現在のテロ行為は広範囲な地域に重大は結果をもたらしうる。ゆえに、国際共同体の構成員に等しく共通の脅威をあたえることがテロのような犯罪を普遍的管轄権の対象とする根拠となる。しかし、テロ行為について合意がないため、テロを普遍的管轄権の対象とすることには懐疑的な立場もある。


テーマ:Torture as a Counterterrorism Strategy(Adeno Addis)

テロリスト集団アルカイダのリーダーと目されるオサマ・ビン・ラディンが捕らえられたとしよう。アルカイダについての情報を聞き出すために、彼を拷問することは違法である(そして道徳的にも非難されるべき行為である)。しかし、もしビン・ラディンが、捕らえられたのではなくアメリカのミサイルによって殺されたとしたらどうだろう。人々は大喜びし、おそらく法的な問題も道徳的問題も生じないだろう。新聞には(少なくともアメリカにおいては)、勝ち誇ったように、「オサマ・ビン・ラディン殺害!」という見出しが躍るだろう。
テロリストを殺害することには道徳的・法的問題が生じないのに、なぜ拷問することはいけないのか。誰かの命を絶ってしまうことよりも、拷問することの方が私たちを不快にさせるのは何故だろうか?

  1. 講演ではまず、拷問が行われる様々な目的について説明する(情報を得るための拷問、告白のための拷問、懲罰的拷問、強迫的拷問がある)。この講演においては、テロや犯罪行為の計画を阻止するために、情報を得ることを目的とした拷問に焦点をあてる。
  2. 「情報を得るための拷問」は、拷問を全面的に禁止したいと思う人にとっては、ネックになるものである。もし、多くの人の命を救うことにつながるのなら、短い時間、障害を残すほどではない程度の拷問を行うことに、反対できるだろうか?そして、いかなる場合においても、道徳的にも法的にも制約なくテロリストの生命を奪うことが出来る場合に、拷問についてあれこれ悩むのは論理的にナンセンスではないか。
  3. 次に、拷問が例外なく完全に禁止されるべきかについて、経験的・道徳的・論理的な側面から検討する。
  4. もし拷問が禁止されるのであれば、拷問を行った者はどのような処置をうけるべきだろうか。最後のセクションでは、3つの帰結について検討する。

資料:拷問禁止条約


テーマ:The Fate of Deliberative Democracy in Multilingual States(Adeno Addis)

ほとんどの国家が多民族、多言語であることは疑いのない事実である。近代国家の境界は、文化や言語の境界ときれいに重なるものではない。世界には193の国が存在するが、言語は、一説によれば、8000も存在する。一例としてエチオピアを挙げるならば、その国境内では80もの言語が話されている。ほとんどの国に2つ、あるいはそれ以上の言語が存在する。単一言語主義よりも多言語主義の方が大多数の国の特徴をよく表している。
このような事実を踏まえると次のような疑問がしばしば出てくる:国家は、その境界内における言語の多元的共存にいかにして応えるべきなのか。民主主義は、市民がそれを通じて互いに通じ合う共通言語が存在するときにのみ可能であると主張する者がいる。このような学者は公の多言語主義という考えには懐疑的である。公の多言語主義が民主主義の発達に負の衝撃を与えるであろうと考えるのに加え、共通言語が存在しなければ国家の結束が著しく阻害されると彼(女)らは主張する。
一方、公の多言語主義の支持者は次のように主張する:ある人の言語はその人の言語はその人のアイデンティティの重要な一側面であり、言語が公式には(学校教育の媒体として、裁判所で、他の国家機関で)使用されなくなれば、その言語は衰退し、消滅さえし得る。ある人が使用する言語の消滅は、その人のアイデンティティを規定する重要な要素の消滅である。さらに、言語はそれを通じて人々が彼(女)らの歴史を垣間見る窓でもあるという点では、その消滅は彼(女)らの過去への窓の消滅である。このことはまさに真実であるが、しかし、公の多言語主義の支持者は、批判者から提起される問題―公の多言語主義は民主主義の繁栄と国民の結束の出現を阻害する―に正面から取り組んでいない。これは重大な責任であり、回答を必要とする。
多言語主義が(討議的)民主主義と両立し得るかどうか、いかにして両立し得るか、また、国民の結束が多言語主義の文脈において、いかにして高められ得たか、どのような特定の状況下で、多言語主義と討議的民主主義が共存し得たのか。
多言語主義は、様々な言語集団が量的にも質的にも討議の過程に関わることを可能にし、真の討議を容易にするという点で、討議的民主主義を促進する。量的とは、言語連邦のようなものによって、言語的少数者のより多くが討議の過程に参加できるようになるということである。質的とは、言語的少数者が自己の言語を使用するので、彼(女)らの歴史や文化に十分に関わることが可能になり、そのことによって、討議の過程に全面的に参加できるようになるということである。全面的な参加は、討議の過程に関わる人々が、彼(女)らの全てを討議の場に持ち込めることを意味する。言語的少数者にとって、このことが意味するのは、彼(女)らの言語が討議の過程の一部になるということである。
言語連邦を受け入れることは、必ずしも政治的結束やその国の形態による討議の重要性を放棄することではない。むしろ、多くの国家が多数の言語集団から成っていることを認め、そのような状況の下で、いつ討議的政治と社会的結束が達成可能なものとなり得るか、私達の想像を広げることであろう。
討議的民主主義と言語的相違の容認が私達の選択肢ではない。私達の選択肢は、完全な、真の討議が存在するか否かである。意思疎通ができる集団を含まない参加者で構成される集団は存在し得ない。しかし、そのことから単一言語主義だけが討議民主主義と両立する選択肢であるという結論は導かれない。意思疎通ができる集団は、私が検討したように、言語的多様性を認めてこそ構成され得る。


テーマ:法と文化-文化多様性条約の射程


テーマ:ドイツ民事訴訟法における情報収集と文書提出義務(Hanns Prütting)

ドイツ民事訴訟法は、2001年に上訴制度など大幅な改正を受けたが、その際、142条として、新たに、裁判所が、当事者ないしは第三者に対してその所持する文書の提出を命じられるとする規定を設けた。もっとも、一方では、部署提出義務を規定上は個別義務とする従前の規律はそのまま置かれ、他方で、142条の位置は、法典上釈明処分に関する規定群に紛れている。 
一見すると、一般的な文書提出義務を規定したかにも映るこの規定の意味については、不明な点が多い。その一因は、ドイツにおける立法が誇る事前の周到な準備が、本条の制定に関してはなかったことである。詳細は、本講演に置いて通訳の労をとってくださった、明治大学法科大学院教授「中山幸二」氏の翻訳を『比較法雑誌』に掲載する予定であるので、それを参照されたい。 
講演に引き続いて行われた意見交換ないしは討論において、文書提出に関する日独の差が縮まったことが指摘されることで、ドイツにおける提出義務の範囲は、個別義務列挙の下でもかなり広いことが示されるなどし、大いに意見交換の実を挙げた。


テーマ:中国における信託法適用をめぐる最近の状況

中国の信託法の情報を得ることが出来た。


テーマ:契約結合法における「多角的な(相互)債務関係」


テーマ:国際法の動態(Charlotte Ku)

国際関係論と国際方を総合的にとらえる視点から、近時の国際法理論の進展について、学生にもわかりやすく説明していただいた。とくに、国際法のベースとなる原理・原則をパソコンのOSになぞらえ、国際条約によって取り入れられた概念をアプリケーションソフトに例えることにより、その相互のダイナミックな作用をより深く理解することが可能となる、との論証には聴衆の多くの共感と質問を誘発した。グローバル化が進展する法の世界のみちしるべとして、今後の研究交流の基礎とすることが期待できる。


テーマ:グルジアにおける宗教と法(Gocha Giorgidze)

グルジアにおける多民族・多宗教の現状を概観した後、グルジア正教の成り立ち、少数派宗教に対する寛容政策、各時代における施政者と宗教の関係、現行法における宗教の地位を紹介・分析し、寛容政策がグルジアの発展に寄与するものと結論づける。かような問題は、わが国において取り上げられたことがなく、広く東欧法および比較法研究に寄与するものと考えられる。


テーマ:中国における監査委員会と社外取締役(Say H Goo)

1月14日(木)のアジア・ビジネス法の授業において、中国会社法の概要を示し、とくにコーポレート・ガバナンスの問題について、比較文化論のしてんも取り入れながら、その問題を分析し、放火大学院学生の関心を惹起した。 また、1月16日(土)のスタッフセミナーにおいては、中国における大規模公開会社の実態(国営企業の民営化・上場化の現状など)を紹介し、とくにコーポレート・ガバナンスの問題に焦点をあてて、会社法上の門点と監督規制に関する仮題を詳細に検討した。アングロ・アメリカン型の社外取締役と大陸法型の監査役会(社外監査役)の設置を法律上強制的に併存させていることによって、かえってモニタリングが機能しないように思われることや、国有資産管理委員会が事実上、大規模公開会社の監督規制の最終権限をゆうしていることが資本市場における資金調達機能を歪めているおそれがあることなどを指摘されていた。講演後、日本におけるコーポレート・ガバナンス問題、資本市場規制の問題との比較に関連して、活発名質疑が行われ、現在進行中の香港会社法改正問題が中国会社法運用に及ぼす影響等について、将来の課題して相互に研究交流を発展させていくこととなった。


テーマ:中国人留学生黄遠生(李 道剛)

黄遠生は、科挙に合格後、任官を拒否し日本に留学して中央大学に学んだ人物である。彼が中大で学んだのは、1904年から1909年にかけてであり、卒業後、中国に帰り、ジャーナリストとして活躍した。彼の行動は、中国におけるジャーナリズムの出発点をためすものであり、この活動を支える彼の思想は、留学中に形成されたものである。
李先生の講演は、この黄遠生の政治・法思想に焦点をあてて論じるものであった。今回の講演については、日本での調査も加味した上で、近日中に著作としてまとめる予定である。その邦語訳を今後、日本で公表することも検討することになった。


テーマ:韓国における取り調べの録音・録画について(金 甫炫)

韓国で,現在実施されている被疑者、参考人取り調べの録音、録画制度について、制度導入の背景、関係諸規定の概要、制度の実施状況について報告があった。その後、質疑応答に移り、被疑者の自白調書が証拠に採用差レムに当たって、これを規律する法原則が、日韓でどのように違うのか、取り調べの録画制度を導入する契機となった韓国再考裁判所の判例の意義をどのように理解すべきか等を巡って議論が行われた。
取り調べの録音、録画に関しては、現在我が国でも制度導入の是非を巡り大いに関心を集め議論の対象となっており、今回のスタッフセミナーもとても充実したものだった。


テーマ:韓国の産業技術の流出防止政策と課題(金 敏培)

韓国でも日本と同様に、産業(特に製造業)の国外進出が盛んに行われており、また国境を越えた研究交流や、資本投資なども盛んであるが、こうしたことに伴う技術流出が問題となっている。とりわけ韓国では、国家予算が新規産業技術に投入されることも多く、技術流出はその観点からも国益を損なうものとして、問題視されている。
そこで韓国では、従来からの「不正競争防止及び営業秘密の保護に関する法律」「対外貿易法」に加え、2006年に「産業技術の防止及び保護に関する法律」を制定し、2007年4月から指向している。この法律では、「国家核心技術」を指定してそれを流出させる行為を厳しく掲示罰をもって規制すると共に、産業技術保護のための支援体制を整備するものである。
もとよりこうした法律は、憲法上の経済的自由権を侵害する可能性をはらみつつも、かなりの実効性を有しているとされている。
今回の報告者であるKIM Minbae教授は、この法律の起案者の一人でもあり、また国家核心技術の指定に関する会議体の構成員でもあることから、運用面を含めた法制度全体について詳細なお話をいただけた。日本でも不正競争防止法の改正などによる産業技術保護強化がなされているが、隣国韓国の国歌安全保障という観点までいれた立法は、今後、日本でも参考になるものとおもわれる。


テーマ:韓国の法学専門大学院の現状と課題(金 敏培)

韓国では、2009年3月(韓国の学年暦は3月1日が初日)から、アメリカ合衆国及び日本をモデルとしたロースクール制度を導入した。Kim Minbae教授は、仁荷大学(前)法学部長として、25の新ロースクールの一つである同大学校Law Schoolの設置を担当した経験を踏まえて、制度発足後1年を迎えようとしている韓国ロースクール制度の現状と課題を報告された。
韓国の新しい法曹養成システムは、日本のものよりも相当程度に合衆国のものに近いが、完全に同一という訳でもなく、いわば折衷的要素を含んでる。たとえば、学部法学教育についてみると、これがない合衆国とこれとロースクールが併存する日本が対置されるが、韓国ではロースクールを設置した25大学(すなわち従来の法学教育で一定の評価がある大学)では、法学部を廃止する必要があり、他のだいがくでは法学部が存置されることとなった。(58大学)。JDコースは完全に3年生(2年コース)である。ロースクール設置数と入学定員をかなりに低く抑えたために、弁護士試験(bar exam)の合格率は、相当程度高いものとなることが予想されている。このため、ロースクールのカリキュラムには非司法試験科目や外国語(主として英語)による授業が含まれるなど、相当程度に法曹資格を得た後を意識したものとなっている。
報告では、上のような制度設計をもってはじまった韓国のロースクールが、開設後1年を経過しようとする現時点で、どのように運用されており、どのような問題が顕在化しているかが紹介された。ろんてんは多岐にわたった。そのうち何点かを示すと、旧司法試験合格やいわゆる学部各付け上位大学に設置されているロースクール再受験による定員割がいくつかのロースクールで発生しており、編入学制度の導入による解決が検討されていること、司法試験科目と非司法試験科目との間で学生・教員双方に負担差が生じていること、弁護士試験が終了後に実施されることが予定されているために修了生対応が問題となっていること、弁護士資格と隣接法律職資格の統合が問題となっていること(弁護士会は反対、隣接法律職能団体は賛成)、現在予定されていない大も多いことから、質疑応答も活発になされた。
法律サービスがグローバル化する中、隣接が大きな制度改革を行っていることは日本の法曹養成教育に対しても少なくないインパクトを伴うものであり、今後とも共同研究等が必要であろう。