社会科学研究所

公開研究会「近代ロシアの言論とナショナリズム『帝国・<陰謀>・ナショナリズム』について」開催報告(社会科学研究所)

2017年02月06日

2017年1月21日(土)、多摩キャンパス2号館4階研究所会議室にて、下記の公開研究会を開催しました。

【テーマ】 近代ロシアの言論とナショナリズム:著書『帝国・<陰謀>・ナショナリズム』について

【報告者】 山本 健三(島根県立大学北東アジア地域研究センター研究員)

【討論者】 大矢  温(札幌大学地域創生学群教授)

【日 時】 2017年1月21日(土)15:00~17:30

【場 所】 中央大学多摩キャンパス 2号館4階 研究所会議室1

【主 催】 第27回中央大学学術シンポジウム「理論研究チーム」

 

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【報告要旨】

 ロシア社会においてナショナリズムが意識されるようになるのは1860年代以降である。ロシア系ジャーナリズムとバルト・ドイツ系ジャーナリズムとが対峙する「出版戦争」は、1864年から70年にかけて繰り広げられた。分析の主たる対象は、内務官僚にしてスラブ派ナショナリストのユーリー・サマーリンの著作であり、また、サマーリンに影響を与えたカトコーフの「ポーランド人の陰謀」論やサマーリンに激しく反論したバルト・ドイツ人カール・シレンの『サマーリン氏へのリフラントの返答』(1869)である。
 サマーリンが問題視するのは、オストゼイ(バルト・ドイツ人)問題である。早くも1848年の『リガからの手紙』によってバルト・ドイツ人の特権と彼らの支配に苦しむ農奴たちの実態が炙り出された。そこにおいて帝国の原理とロシア・ナショナリズムとが対立している。『リガからの手紙』はロシア社会に衝撃を与えたものの、サマーリンの逮捕によって、その影響はいったん終息する。
 第二幕はアレクサンドル二世の農奴解放や第二次ポーランド反乱後の1864年から70年にかけての『モスクワ報知』、『モスクワ』、『リガ新聞』等を舞台にした出版戦争である。サマーリンの『ロシアの辺境』第一分冊の出版(1868)がその中心にあった。サマーリンはバルト・ドイツ人によってロシアの国家意思が反故にされ、ドイツ民族が拡大する〈陰謀〉が存在すると主張する。バルト・ドイツ人をロシアの敵とする言論の激化は、バルト・ドイツ人の論客カール・シレンの「危険な」対抗言説を生む。
 ロシア政府はサマーリン、シレン双方のナショナリズムをいずれも危険視して、当時の段階での「対決」はロシアを不安定化するものと判断して、この問題の「隠蔽」をはかり、問題を先送りした。

 

【討論者解説・コメントの概略】

 Ⅰ理論的前提、Ⅱロシアにおける西欧派とスラブ派の対抗、Ⅲソ連史学がスラブ派をどう捉えていたか、Ⅳ山本氏の研究の新しさ、の4点に問題を整理して解説とコメントを加えた。当日は、学内の研究員や学外のロシア研究の大木昭男氏や地方自治研究の宮崎伸光氏の参加があり、経済学部の学生も出席したことを考慮して、専門家のみならず初めてこの問題に接する学生にも配慮した明快な解説・コメントがなされた。

 

【質疑応答・その他】

 オストゼイ問題とリトアニアの関係、研究で得られた知見から現代のナショナリズム、ポピュリズム問題をどう捉えるか、言論の空間・対象(誰に対して論じているのか)、ロシア政府の対応は「隠蔽」と言えるのか、バルト・ドイツ人の位置(ロシア帝国内の自治)、「忠実なコスモポリタン的臣民」のコスモポリタン性とは何かなど、さまざまな論点が出され、意見交換が続いた。

 

*報告時間は70分、討論者の解説・コメントは約25分であった。短い休憩後、質疑応答に移った。
*報告者の16ページにわたる詳細なレジュメおよび討論者のレジュメと資料(ロマノフ朝系図)を参加者全員に配布した。
*研究会後、多摩センター(「写楽」)にて懇親会も行った。

(主催チーム 記)