経済研究所

2019年6月2日開催 公開研究会開催報告 (経済研究所 「思想史研究会」 ・社会科学研究所「国際関係の理論と実際」)

2019年06月02日

2019年6月2日(日) 公開研究会を開催しました。

【日   時】 2019年6 月2日(日)14:00~17:00

【場   所】 中央大学駿河台記念館 620号室  

【テーマ】女性差別の思想的根拠―西欧と日本

【報告者】中村 敏子 氏北海学園大学名誉教授)

【コメンテーター】原 千砂子 氏桐蔭横浜大学法学部教授

【共 催】社会科学研究所「国際関係の理論と実際」

【要 旨】

 

 人間の自由・平等を標榜する近代国家において女性差別が存在する思想的根拠を西欧と日本とを比較することを通して考える、報告者中村敏子氏の長年の研究成果を踏まえた、射程の長い、かつ広範な知見を縦横に駆使した90分に及ぶ報告であった。中村氏は最初に、フェミニズムの成果である「ジェンダー」概念への疑問を示す。つまり男女は生物として違っており、その違いをありのままに評価することを考える必要があるとの指摘である。氏のスタンスはキャロル・ぺイトマンの提示した「性契約」概念の影響を受け、その問題意識を共有するものだが、①異なる肉体を持った男女の関係の不平等と②公私の領域の分離の思想的根拠が問題となる。

 まず、西欧における女性差別の思想的根拠を神・契約・法に分けて整理してゆく。神を根拠とするものとしては、男性を本質であり、何かをできる能力を持つ「形相」、女性を無能力な存在、発育不全の男性である「質料」とするアリストテレスの議論があり、次いでキリスト教圏のアウグスティヌスの「原罪」解釈に基づく現世での男性による女性支配の肯定、男女を太陽と月の関係になぞらえるルターの女性差別観が西欧社会の大きな枠組みの基底にあることが説明される。契約を根拠とするものとしては、(古典的家父長制に分類される)フィルマーの父権論を否定し男性の自由な社会関係を構築するために、家族と国家とを分離し、家族を神の領域に留める戦略をとったロックの「性契約The Sexual Contract」、近代的家父長制の論理がその代表格とされる。法を根拠とするものとしては「カヴァチャーcoverture:庇護された女性」という法理の存在が大きく、妻の無権利の説明には変遷があるものの、20世紀までイングランドの妻たちの法的権利は奪われたままだったこと、19世紀の女性運動はこれと闘ったが、覆すには至らず1970年代のフェミニズムが必要だったことが強調される。

 次いで、日本の検討に移る。中村氏は西欧における神・契約・法は、日本において、それぞれ儒教・「家」・明治民法「家制度」に置き換えられるとする。氏は、儒教は統治者である武士のもので一般庶民への影響力は小さく、家父長制イデオロギーとして機能したとはいえないとする。また、「家」は夫婦ペアだけのものではなく、子ども、使用人も含む企業体であり、「家」の夫婦関係では男性が権力行使する家父長制は成立していないとみる。さらに明治国家は家父長制形成を試みるが、明治民法の「家制度」の内容は家父長制権力の弱さに特徴があり、戦時中は「天皇国体論」に引きずられ「家」が抑圧的な集団になっていくとはいえ、実態として家族における夫婦協業という構造は基本的に戦後まで続いたとみる。それゆえ、日本の女性差別の問題は思想的な根拠によるというより、生業が「家」の外で行われるようになる大正期からの社会的な変化により生じた、つまり「家」における分業から性別分業への変化が、男女の社会的対等性を崩していったと捉える。

 中村氏は、西欧では妻に対する抑圧が言説によって強く根拠づけられていたために、フェミニズムが激しい言説批判とならざるを得なかったとみる。他方、日本が直面するのは、現実的経緯によって成立した性別分業という問題であり、言説の闘いというより、むしろ行動により現実を変えてゆく必要があるのではないかとの見方を示され、報告を締め括られた。

 

 中村氏の報告後、原千砂子氏が、主に協業的伝統としての日本の「家」をめぐり四点に渡ってコメントされた。庶民層の「家」の歴史的起源はいつ頃からか、「家」はヴァナキュラー(土着的な男女の二分法)なジェンダーによる編成なのか、庶民の「家」は抑圧的ではなかったか、庶民の「家」と権力との関係はどうだったか、などである。

 

 その後の質疑応答では、例えば、朱子学以外の仏教、神道の影響はどうであったか、西欧と日本のフェミニズムの違いはどこにあるのか、日本の場合、行動で変えるべきとはどのようにか、ホッブズの母権論の含意とは、日本の「家」は本当に抑圧的ではなかったのか、明治以降つくられた伝統(国家神道)の受容と習俗の関係など、多岐にわたる質問が出され活発な議論が続いた