法学部

【活動レポート】山田 絵美 (1999年入学・法律学科)

活動データ

・法律学科 ドイツ・マールブルク 国際ボランティアへの参加

・2002年2月13日~3月11日(2月23日~3月9日 ワークキャンプに参加)

・ドイツ・マールブルク(Freizeitgelande Stadtwald Zum Runden Baum2,35037 Marburg)

活動の概要

現地NGO法人「PRO」の主催するワークキャンプに参加し世界中から集まる同世代の若者とともに現地の環境美化活動を手伝いながら、国際交流を深める。尚、キャンプ中の共通語は英語であるが、参加者の母国語は他言語である。

私が参加したワークキャンプはPROにより主催される第331回目のキャンプであり、フランクフルトから特急で1時間ほどの町であるマールブルクから更にローカルバスで1時間ほどの山のなかで行われた。マールブルクはグリム兄弟ゆかりの地であり、旧市街が今でも美しく保存されている学生の町である。キャンプ場はバスの終点であり、そこから更に徒歩で25分ほど歩いたところにあり、まさに大自然のなかでのキャンプであった。キャンプの参加者は8名。キャンプリーダーとして参加のロシア人の女の子Natalia(22歳)、韓国人の女の子Jaehee(21歳)、同じくRami(20歳)、韓国人の男の子Doyul(20歳)、トルコ人の男の子Mhina(26歳)、同じくMuhammad(28歳)、日本人の男の子Okito(21歳)、そして私。始めの一週間はトルコ人2人を除いた6人であった。

8人は一つの家で自炊しながら共同生活を行った。月曜から金曜の8時から13時まで仕事をし、午後と週末は各自自由に過ごした。週に一回留守番の日があり、自分の曜日には全員の食事の準備と家の掃除をすることに決めた。食材はPROオフィスの人がまとめて買い物をしてきたものなので、そのなかから工夫をこらして各自自分の国の料理を作るので、毎回珍しいものが食卓に並び、食事が楽しみであった。

仕事は外で行われるため、天候に左右され、日によって与えられる仕事は様々であった。ペンキ塗り、ベンチ作り、家作りなどを行ったが主な仕事は落ち葉集めでこれが最もハードであった。

以下具体的にキャンプ場での日々の生活を綴った日記である。

2月23日(土) 雨のち雪

ワークキャンプ初日。駅からバスと徒歩で1時間のキャンプ場まで自力で行かなくてはならず、不安があったが、運良く途中で韓国からの参加者Jaeheeに出会い、二人でキャンプ場へ向った。歩いても歩いても真っ直ぐに道は続き、おまけに雪がふぶきのように降っており、二人ともキャンプに着くころにはヘトヘトになってしまった。 キャンプハウスにはすでに4人来ており、すぐにみんなで打ち解けることが出来た。みんなでゲームをしながら自己紹介をしているうちに、あっという間に夜になった。夕食時には私達が一緒に仕事をすることになる地元の環境保護団体のドイツ人(Wolfgung,Yahn)と、PROのオフィスで働くAndreasが訪れ、キャンプ初めての夜を祝った。

2月24日(日) 雪時々晴れ

土日は私達に与えられた休日なので、みんなでマールブルクの街(ダウンタウン)を散策した。マールブルクはメルヘン街道の中心あたりにあり、現在は大学資料館とされているカッセルや、エリザベート教会が有名である。小さな街なので、ほんの2時間ほどあれば、街見所をまわることが出来た。夕方まだ明るいうちに帰ってきて、次の日からの説明をうけたり、一人一人の役割分担を決めた。役割分担というのは上記の留守番の日程である。

2月25日(月) 雪

いよいよ仕事が始まった。初日であり、天候が悪かったためこの日は9時からスタートした。納屋の掃除とベンチ作りをした。ベンチの材料となる丸太は大きく重たかっため、女性陣はほとんど役に立てず、ひたすら掃除をしていた。大雪でしかも外での作業だったので、ひたすら寒く、みんなで音楽をかけて踊りながら仕事をした。仕事後の食事はとてもおいしい。今日は日本人の男の子が留守番の日だったため、昼食のメニューはカレーライスだった。長い間日本を離れていた私にとっては久しぶりの日本食だったので、格別においしく感じた。午後は、雪が止んだので、みんなでダウンタウンに出かけた。Andreasが私達に街を案内しながらマールブルクの歴史や特徴を話てくれた。マールブルクの大学は障害者を多く受け入れており、町全体障害者が生活しやすい環境に整っていた。盲導犬が多いことも特徴である。私達だけで散策したときには気がつかなかった町を知ることが出来て非常に有意義な時間であった。地元の人とこのように交流出来るのもワークキャンプの醍醐味である。

2月26日(火) 雨のち晴れ

この日も雨だったので納屋のなかでの仕事だった。先日作ったベンチにヤスリをかけ、ペンキ塗りをした。ペンキ塗りは初めてだったので、仕事が終わるころにはすっかり服が茶色に染まってしまった。8時から13時までびっしり仕事。誰も文句一つ言わず真面目に働いていた。‘You’re so diligent!’とボスにも褒められた。お昼は韓国人のRamiが作ったチジミ(韓国風お好み焼き)を食べた。カレー味でとてもおいしかった。午後はやはりダウンタウンへ。昼食後に一休みしてダウンタウンに行くのが私達の日課になりつつあった。夜はそれぞれの国の教育について話した。特に韓国の入試制度は非常にユニークであった。全員英語は流暢に話せるわけではないが、お互いに理解しようと努力しながら話をするので、言葉の壁はそれほど感じることはなかった。

2月27日(水) 晴れ

2月23日(土) 雨のち雪

水曜日は私が留守番をする日である。日本から持参したしょうゆを使って肉じゃがを作り、みんなのリクエストであったにぎり寿司も作った。寿司を作るためには新鮮な生魚が必要である。私は昨日ダウンタウンで魚を購入しておき、生まれて初めて魚をさばいた。日本料理店でのアルバイトが非常に役だった瞬間である。この日は浴衣を来てみんなの帰りを待った。特にロシア人のNataliaには着物は珍しかったらしく、とても感動してくれた。寿司も初めてといいながら綺麗に食べてくれた。韓国と日本は米を主食とする点から、食文化が多少似ているが、ロシア人の彼女にとっては毎日試練の連続だったように思うが、いつも私達の文化を理解しようと新しい食べ物に挑戦してくれたことが私にとってなによりもうれしかった。今日の夜のトピックはソビエト連邦についてだった。生でソビエトとロシアの変化を感じてきたNataliaの話は非常に印象的だった。

2月28日(木) 晴れ時々雨

この日も一日中落ち葉集めだった。リーダーのNataliaが留守番の日で、彼女からリーダーを任せられ、少し不安だったが、いつもと変わらずみんな一生懸命働いた。韓国と日本は本当に似ている部分が多く、言語も同じ言葉があったりもした。落ち葉を集めるポリバケツがいっぱいになったので、日本語で「満タン」と言ったらそのまま通じて驚いた。次の日はオフなので、夜はみんなでディスコに行くことになった。ドイツのディスコに行くのはもちろん初めてで、ドイツの若者の文化に触れることができ、面白かった。途中から、Nataliaの友人のJulieがやってきて、3日間一緒に過ごした。

3月2日(土) 晴れ

昨日は夜遅かったため起床も遅かった。遅めの朝食をとって、この日はみんなでカッセルという町に遠足に行った。夜はJuliaの訪問を祝った。彼女は前回ここで行われたキャンプのリーダーでNataliaの親友である。彼女の上手なギターの演奏とともに、歌を歌ったり、自分の国の歌を紹介したりした。寒かったが、昨日のうちにみんなで集めた木材を燃やしてキャンプファイアーをした。大自然のなかならではである。

3月3日(日) 晴れ

Nataliaを除いた全員でハイデルベルクに遠足に出かけた。彼女は今日到着のトルコ人Mhinaを待つためにキャンプに残っていた。終バスぎりぎりの時間に駅に着くと、NataliaとMhinaがバス停で待っていてくれた。1週間も過ごしているとすっかりマールブルクがホームタウンになっており、少しほっとした。みんな同じように感じていたようだ。

3月4日(月)~8日(金)

主に落ち葉集めをする。5日にもう一人のトルコ人も加わった。8日の午後に韓国人のRamiとDoyulがキャンプを出ることになっていたので、7日の夜はみんなでお別れ会を行った。ケーキをみんなで作って、カード交換をした。大きな寄せ書きポスターを作ってキッチンに飾った。寂しいけれど、最高の夜だった。8日はみんなで小屋作りの土台を作った。次回のキャンパーの仕事はこの続きになる。私達が作った土台がどんな家になるのか、10年後に戻って来ることを約束しながら別れを惜しんだ。

3月9日(土) 曇り

キャンプハウスを大掃除して、午前中キャンプを後にする。あっという間の2週間であった。

活動の成果

(思わぬ経験)
キャンプでの生活は毎日楽しく、とてもいい思い出である。しかし、残念だったことが一つある。それは、キャンプ内でお金を盗まれてしまったことである。パスポートやユーロや航空券などの貴重品はすべて仕事中もいつでも肌身離さずもっていたが、日本で換金しなかった日本円54000円をキャンプ中に盗まれてしまった。いつも鍵のないロッカーに置きっぱなしにしておいた自分の不注意さが原因であるので、誰を責めることも出来ないがせっかく楽しかったキャンプに悪い思い出を作ってしまった。しかし、この事件で最も残念だったことはキャンプリーダーとPROのスタッフが私に全く手助けをしてくれないどころか、お金が盗まれたことを信じてもらえなかったことである。キャンプハウスの鍵はキャンプ内どこも同じもので、入り口の鍵さえ持っていれば誰でも家のなかに入れる状態であった。この後のキャンプ参加者のためにも、私はセキュリティーの見直しをオフィスに求めたが、聞き入れてもらえなかった。自分のものは自分でしっかり管理するべきだということだ。他のキャンプメンバーは親身になってくれたのに対して彼らの不誠実さが残念であった。他人のことには関らないという先天的な性質は文化の違いなのかもしれないとも感じた。警察には一人で行き、英語の話せる警察官が調書を作ってくれた。3時間もかけて、私の話を聞いて親身になって調書を作ってくれた親切な警察官と、温かい仲間の励ましで私はなんとか元気を取り戻すことが出来た。中でもダウンタウンまで一緒に来てくれ、私の大好きなチョコレートをプレゼントしてくれたRamiとJaehee、料理が苦手だといっていながら温かい韓国スープを作ってくれたDoyul、夜遅く山のなかを帰って来る私を心配してくれてバス停まで迎えに来てくれたOkitoには心から感謝している。失ったお金は大きかったが、みんなの友情と優しさを得ることが出来、今となってはいい思い出である。

活動についての感想

私にとってワークキャンプに参加するのは二度目であった。前回はメキシコのワークキャンプに参加した。そのときは参加者が20人もおり、参加国が多数だったこともあり、あまりまとまりのないキャンプになってしまった。本来ワークキャンプは国際交流の場なのに、そのキャンプでは西洋人と東洋人が意見の違いから、対立してしまうこともあった。個人的にはみんなとてもいい人達ばかりだったのに、人種と文化の違いでグループが出来、分かりあうことが出来なかったことがとても残念で、私は今回リベンジの気持ちも込めて改めてドイツのキャンプに参加した。
今回は非常にメンバーにも恵まれ、小人数という環境も手伝ってワークキャンプとしては大成功だったと思う。前半は韓国人3人、日本人2人というまさにアジアキャンプで、私はリーダーのナタ-シャが心配であったが、彼女は私達の文化に興味をもってくれた。食事に関しても、音楽などについても。彼女のおかげで私は「西洋人=苦手」という意識を忘れることが出来た。そして3人の韓国人。以前、韓国を訪れた私の印象では「近いけれど遠い国」という感情の壁を感じた。韓国と日本の歴史は過去のものではなく、つい最近のことであり、これは一生拭い去れないものだと感じていた。けれど、彼らは反日感情どころか、親日感情を示してくれた。日本が行ってきたことが忘れてはいけないことだが、韓国に追いつけ追い越せという思いでここまで経済発展を遂げることが出来たと彼らは考えていた。正直に気持ちをぶつけあい、お互いの話に耳を傾けることで、人種の違いはなくなり、一人一人の人間として付き合うことが出来た。彼らとは今でもメールをやりとりし、大切な友人である。夏には日本に来ることを約束してくれた。そして二人のトルコ人。二人とも国籍はトルコだが、出身はタンザニアとエジプトという経歴の持ち主であり、異文化を実に自然に受け入れ、理解する術を身につけていた。
毎晩遅くまでいろんなことを語り合った。将来の夢、今の自分、それぞれの国のこと。本のなかからは知ることの出来ないことをたくさん学んだ。外国に対する先入観がいかに多く、それが無駄な感情であること強く感じた。
日本に生まれ育った私はやはり、異文化交流は非常に難しいものに感じる。しかし、実際は異文化というものは人と付き合ううえであまり意味をなさないもののように感じた。大切なのは目の前の相手を理解して誠実に接することだと思う。
そして言葉。言葉はコミュニケーションの道具に過ぎないということも強く感じた2週間であった。キャンプ内では共通語は英語であったが、実際英語を母国語とするメンバーはおらず、始めはみんな四苦八苦していた。けれどそのうちに「キャンプ語」が生まれた。例えば‘detergent’は‘soap for washingmachine’。‘shovel’は‘big spoon for leaves’。分からない言葉があってもなんとなくフィーリングで通じ合うことが出来た。
2週間は本当にあっという間だった。このキャンプで出会った仲間と、思い出は一生の宝物である。

今回の活動をどのように生かしていくか

海外に行く度に私が感じることは日本は意外にに知られていないということ。ODA援助金が世界一位であるにも関らず日本文化を知る人は少ない。私は海外を知ると 同時にもっと多くの人に日本を知ってもらいたいと思う。そのために近い将来では、日本のワークキャンプに参加し、積極的に日本文化を伝えていきたいと思う。特に物価の高い日本では個人旅行をするよりも、ワークキャンプに参加すれば、安く日本に滞在出来るし、日本文化を知るいい絶好の機会だと思う。いまいち参加先として人気のない日本だが、もっと魅力的な企画をし、日本国内のワークキャンプを活性化させていきたい。
将来の仕事に関してはODAを希望している。このワークキャンプで培った異文化交流術を活かしていきたいと思う。

後輩達へのアドバイス

英語能力の向上のためにはやはり現地に行って生きた英語を学ぶのが一番であると思う。そのための手段としては語学学校や留学が一般的であるが、私は興味があればワークキャンプへの参加をお薦めする。魅力はまず滞在費の安さである。語学学校に比べ、10分の1くらいで済むだろう。そして自分と同世代の友人と本当に仲良くなれるということだ。2週間から3週間の間、共同生活することになるので、1日のうちほとんどを一緒に過ごすことになる。そしてなによりも現地滞在先の文化を体験出来るということがなによりの魅力である。今回のキャンプは特殊で、海外からの参加者がキャンプリーダ-を務めたが、ほとんどのキャンプでは現地の人がリーダーとなるため、現地情報を得たり、文化を学ぶことが出来るだろう。ドイツにいながら、ロシア、韓国、トルコの文化を知ることが出来た。このように、ワークキャンプはまさに一石二鳥以上の収穫がある場所である。
もしワークキャンプに参加する機会があったのなら、私は日本文化を紹介出来るものを持っていくことをお薦めする。現地で手に入れにくい食材や、折り紙、着物などである。私はあくまで「日本親善大使」になったつもりで参加している。

その他

ドイツ旅行術

私はワークキャンプに参加する前10日間ほどドイツ、チェコ、オランダを旅行した。特にドイツを旅行するうえで役に立った ものを紹介する。

<ジャーマンレイルパス>
5日用から用意されており、1ヶ月のフレックスタイプである。ユーレイルパスのドイツ版である。ユースパスは2等普通切符の約半額。現地でも購入可。

<ユーゲントエアベルゲ>
ドイツのユースホステル。ユースホステルの発祥はドイツである。そのプライドからか、ドイツのユースは世界中で最も設備がよく清潔である。ツインの部屋などがあるユースも多く、利用しやすい。もちろん価格も2000円前後と安い。ただし、ドイツでは修学旅行の滞在先として、学生の団体利用が多く、週末は家族での利用なども多いことから、旅行オフシーズンであっても事前に予約(または当日駅から電話一本するだけでも良い)してから行くのがいいだろう。ちなみに私は土日のユースも飛びこみで行き、空いていなかったため、その町に滞在しなかったり、高いホテルに宿泊することになってしまった失敗もある。また、ユースでは残念ながら、盗難が多いので貴重品の管理などには充分注意すること。

最後に

大学生活で出来る限り沢山の国を旅行し、自分の見聞を広める、これが私の大学生活の目標の一つでした。今回私が再び海外に行くことが出来たのはまさにこのやる気応援奨学金のおかげです。この活動は私の英語の能力の向上には役立ったのはもちろんのこと、かけがえのない体験をすることが出来ました。そして沢山の友人を作ることも出来ました。本当にありがとうございました。