法学部
【活動レポート】林 達郎 (法律学科3年)
「やる気応援奨学金」リポート(33) 英のオックスフォードに留学 英語を学び公共政策を考える
はじめに
私は今年の2月に1カ月間、法学部の「やる気応援奨学金」でイギリスのオックスフォードに語学留学する機会を頂いた。
私は公共政策のゼミに所属しており、将来は国家公務員として霞ヶ関で働くことを志している。ゼミを通して公共政策について学び、公共部門と民間部門の役割について考えるうちに、イギリスでは、政策分野において先進的な取り組みが行われているということを知り、機会があればぜひ知りたいと思っていた。
また、将来国家公務員として良い仕事をするためには、学生時代にさまざまな経験を積んで視野を広げ、人間としての幅を広げる必要があると感じていた。
そして、このような私の思いは自然と「やる気応援奨学金」への応募につながった。
留学までの道のり
私がこの「やる気応援奨学金」の存在を知ったのは、大学1年生の時であったが、当時は、奨学金にチャレンジするというところまで踏み込めなかった。
しかし時が過ぎ大学2年生になると、漠然とではあるが将来のことも考え始めるようになった。将来どんな職業に就くとしても、その活躍の場はもはや日本国内にとどまらない。国際化が進む現代では、当然のように海外とのかかわりが増え、海外勤務も当たり前のようになっている。そんな中で、「日本とは違うほかの国を見ることで自分の世界が広がるのではないか。海外留学という体験が出来るとすればそれは、時間がある学生時代ではないのか」という思いが強くなっていった。
また小学校4年の時から現在に至るまで勉強を続けてきた英語、特に英会話について、自分の英語力が果たしてどこまで通用するものなのか知りたいと考えるようになった。
このように、海外に語学留学したいという気持ちが固まった私は、説明会に参加した直後に奨学金に応募することを決意した。先生方の貴重なアドバイスの下、1カ月の準備期間を経て、奨学金に応募し、留学のチャンスを手にすることが出来た。
イギリスのオックスフォードへ
イギリスのイングランド中央部に位置する都市オックスフォードは、ケンブリッジと並び世界中から学生が集う学問の都として有名である。
今回の私の留学目的は主に2つであった。1つ目は語学学校での英語研修を通してこれまで伸ばしてきた自分の英語力がどこまで通用するかを知り、プレゼンテーション能力・コミュニケーション能力など多角的な英語力を養成することである。2つ目は行政調査であり、自らが関心を持つ政策分野について調べることであった。
前述のように私は公共政策のゼミに所属しており、ゼミを通してPFI(private finance initiative)という政策分野に興味を持つに至った。
PFIとは、道路、橋、病院、刑務所など公共施設の建設、維持管理、運営などを民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法であり、民間企業主体で公共事業の新しい在り方といえる。このPFIはイギリスのサッチャー政権下における民営化路線の流れを酌むもので、日本にも導入されている。
私は、PFIを切り口として現在日本でいわれている「小さな政府」「民営化」の源流であるイギリスの政策について知ることで、これからの日本社会の在り方、望ましい政策について自分なりに考えたいという思いを持った。
語学学校と街の様子
私はオックスフォードの市街地中心に程近い語学学校regent oxfordで英語を勉強した。
留学生活は毎日が楽しく、新たな発見と驚きの連続であった。英語という1つの言語で世界中から来た留学生たちと話が出来るというのは新鮮な驚きであり、英語の持つ力の大きさを実感した。またregent oxfordには韓国人留学生が多く、彼ら、彼女らは日本人である私に対して「同じアジアに住む日本人には親近感を感じる」「日本語と韓国語は文法的に近く兄弟言語だ」「日本と韓国は文化的にも親和性がある」というように、親しみを持って親切に接してくれた。日本で報道される韓国や韓国の人たちの様子とは全く異なる彼らの態度に、私は報道で作りあげられたイメージと現実のギャップを感じた。
また、中東の国々からの留学生は大部分が社会的に地位の高い人たちであり、「自分の父は本国で政府の役職に就いていて将来自分は後を継ぐからここに勉強しにきている」「自分の父は外交官で自分は将来後を継ぐために国際法を勉強している」など、彼らとの会話では驚くことが多かった
このように、国、バックグラウンドも違う人々と出会い、英語という1つのツールを通じて、たわいない話から政治の話に至るまでコミュニケーションが出来たのは私にとって良い経験であった。そして、自分の世界が広がり、財産ともいえる経験になったと思う。
語学学校での英語研修で学んだことは、自分の言いたいことを自分の言葉でしっかり表現し相手に伝えることの重要性である。私はこのことを語学学校での授業中に痛感した。ほかの留学生が社会のさまざまな問題について豊富なボキャブラリーを用いて自分の考えをしっかり伝えることが出来ているのに、自分は議論に参加するのに必要なボキャブラリーや表現を知らないばかりに、うまく考えを伝えられなかったことが何度かあった。
自分の考えを相手に伝わるように表現するというのは、何も英語に限ったことではなく日本語においても重要なことであると実感した。
オックスフォードの街の様子は、「落ち着いている」という一言に尽きると思う。学生が集う学問の街として有名というだけあって、市街地中心はいつも学生であふれていた。肌の色も言語も違う世界中から来た学生にあふれていながら、昔ながらのカレッジ、教会、街並みなどが古くからの歴史・伝統を感じさせる光景は不思議な調和を生み出していた。
伝統的な建物と近代的な高層建築が混在し、ごみごみした汚い街という印象が否めない東京とは異なり、オックスフォードは歴史的・伝統的な建物が保全されて昔ながらの街並み・景観が保たれている環境の下、人々が日常生活を送っていた。このような日本とイギリスの都市の在り方の違いは、後に私が都市計画に対して興味を抱くきっかけとなった。
イギリスでの生活
イギリス滞在中、私はホストファミリーのCowley夫妻の家にホームステイしていた。Cowley夫妻は、長きにわたりホストファミリーとして多くの留学生を受け入れてきたため、留学生への対応は慣れたものであり、私も安心して滞在することが出来た。このホームステイを通じてイギリス人の生活様式や考え方に触れる機会があったのは貴重な体験だったと思う。
イギリスでは健康志向が強く、オーガニック食品が人気を呼んでいる。Cowley夫妻も例に漏れず、健康志向からオーガニック食品を好み、毎日の食卓はオーガニック食材を用いたものばかりであった。なぜオーガニックなのかと尋ねると「確かに値段は高いが、健康には良い。こだわりを持って自分で良いと思うものを買えば、値段はそれほど重要ではない」という答えが返ってきた。
物の良さを、値段ではなく自分の価値観・こだわりで計るイギリス人の国民性が垣間見えた。
また、食事中の会話で、イギリス人のEUに対する考え方に触れる機会もあった。ホストファーザーとEUについて話した時に、彼は「EUといっても、それぞれの国には歴史・文化の独自性がある。特にイギリスは島国で、文化も考え方も大陸とは違うのだ。それに、EUに加盟したら、加盟国の中でも貧しい国の人々が移民としてイギリスにも流入するようになった。その結果、低賃金労働・単純労働は移民がするようになり、もともと住んでいた我々の仕事が減りつつある。都市部では移民が犯罪者に身を落とし、治安悪化の一因となっている。私は移民を差別しているわけではないが、現実はこれほどまでにひどい。彼らとは共存していくべきなのだろうが、イギリス人にも守っていかねばならない生活がある。EUに加盟しても我が国にメリットはなかった。イギリスは加盟すべきでなかった」と語っていた。
日本では地域共同体のモデルとしてもてはやされるEUも実際はさまざまな問題を内包している。EU加盟後もユーロではなく自国の通貨ポンドを使い続け、大陸のEU諸国とはどこか距離感・温度差を感じさせるイギリス。そんなイギリス人のEUに対する率直な考えに触れ、価値観の違う人々が共存することの難しさを感じた。
ロンドンの光景
語学学校での勉強は月曜日から金曜日で、土日は休みとなるため、週末は行政調査や資料収集のためにロンドンに行くことがあった。ロンドンではPFIのスキームによって作られた施設を訪れ、また政府刊行物を取り扱う書店でPFIについての政府刊行物を入手し、イギリスにおけるPFIの実態について知ることに努めた。
イギリスの首都ロンドンは、作家サミュエル・ジョンソンに「ロンドンに飽きた時、その人は人生に飽きたのだ」と言わしめたほど、エネルギッシュな都市である。市街にはさまざまな時代に建てられた歴史的な建築物が立ち並び、一方で近代的な高層建築も建てられ、伝統と現代が共存している。またロンドンには白人・黒人・アジア系など世界中の民族・人種があふれ違和感なく生活している様子が感じ取れる。そして、階級社会といわれるイギリスの実態を私が最も強く感じたのがロンドンであった。留学前のリソースセンターでのミーティングで先生から薦めていただいた「ハードワーク」という本がある。これはジャーナリストが身分を偽り、実際に低賃金労働者として働くことで、低賃金労働の実態と社会の現状を探るという内容のルポルタージュである。
イギリスに行く前にこの本を読んで、実際にロンドンの様子を見て感じ取ったことは、イギリスにおいては一度生じた経済的格差は縮まることなく定着してしまっているのではないかということである。
ロンドンの街を歩いていると、我々と同じように普通の服を着ている中流階級とおぼしき人々もいれば、黒塗りのタクシーから降りてくる、山高帽にスーツをまといステッキを手にした英国紳士のような上流階級とおぼしき人もいる。その一方で通りにはぼろぼろの衣服をまとったホームレスが雑誌を手にしながら「ビッグイシュー」と叫びながら、わずかなお金を手に入れようと必死になっている様子が目に付いた。そして人々はまるで彼らが空気と同じ透明な存在であるかのように平然と通り過ぎていく。
そんな光景を目の当たりにして、私は、イギリスは既に格差が定着してしまっているので人々はホームレスがいるのが当たり前の状況であると考えるようになってしまったのかと考えるようになった。ロンドンで見た光景は、一度経済的に下の階層に転落するとはい上がれない社会は果たして望ましい社会の在り方といえるのかどうかについて、考える契機となった。
行政調査
今回の留学の2つ目の目的である行政調査については、ロンドンでPFIのスキームによって作られた施設を訪れ、また政府刊行物を取り扱う書店でPFIについての政府刊行物を入手し、図書館でPFIに関する文献に当たることによって、PFIについてより深い理解が得られたと思う。
前述のように、PFIはイギリス生まれの行財政改革の手法であり、公共サービスをより少ない税金で提供することを目的とした新しい公共事業の手法である。現在イギリスでは労働党政権の下でPPP(public private partnership)という形で行われている。
従来の公共事業では、公共部門つまり政府が事業の計画立案から執行に至るまですべての活動を行ってきたが、PFIは計画立案と監視機能を公共部門が担い、民間部門つまり民間企業は設計から建設、維持管理、運営に至る一連のプロセスを、最も効率的・効果的に実施する方法を考え、実施していくものである。
これは、民間部門では当然とされている競争原理・顧客志向の原則を公共事業の分野にも適応しようという考えに基づいており、イギリスにおいては、医療・教育分野に始まってごみ処理、国民保険情報システム、鉄道・道路などの交通インフラなどさまざまな分野に導入され、より良質の公共サービスを提供しつつ全体のコスト削減が実現されている。
一方日本においても、イギリスを模範として市場化テストを始めとして、PFIの導入が進んできているが、現行制度が既存の公共事業の在り方を前提としていて、規制や補助金、自由競争の環境整備など見直すべき点が多々ある。そのような見直すべき点を改善した後にPFIの浸透を図っていかなければ、PFIの効果は必ずしも発揮されないだろう。
また、PFIを導入すれば、直ちに無駄な公共事業が削減され納税者の視点に立った公共サービスが提供されるとは限らない。PFIはあくまで手法の1つであり、万能薬ではないという限界を理解したうえで、PFIの導入を進めていくべきだろう。
留学を終えて
留学を終えて、私はこの留学で得たことが数え切れないほど多いと実感している。世界中の留学生との出会い、イギリスで見た厳しい社会の現実、文化の違い、意思疎通のための道具としての英語の重要性など数えれば本当に切りがない。このように達成感にあふれる気持ちになったのは、やはり自費での留学ではなく「やる気応援奨学金」を利用しての留学だったからだと思う。
奨学金を得るために、自分で活動内容や行き先の国・地域を設定し、語学学校との交渉や滞在先での決定に至るまで、すべて1から自分で行ったことの意義は非常に大きいと思う。活動内容の決定や語学学校との交渉に際しては英語に接する機会が確実に増加するため、既にこの段階で自分の英語力が高まったのではないかとさえ感じた。また、奨学金を得るためには、奨学金をもらうに値するような活動計画を立て自分で説明出来るようにしておかなければならないので、学修計画を立てるプロセスの中で情報収集能力や企画・構想能力が高められたのではないかと思う。
このように、奨学金を得るまでに、自分ですべての計画を立てるという苦労があったからこそ、今回の語学留学が実り多いものになったと思うし、終わった後の達成感も大きいのだろう。
イギリスに着いた時は、体1つと荷物だけ。団体で行くわけでもなければだれかが一緒に付いてきてくれるわけでもない。着いてから頼りに出来るのは自分だけである。当初は自分1人ということで不安もあったが、イギリス人に自分の英語が通じた時から、「自分はやれる」「やり遂げられる」という自信がわいてきた。「迷ったらとにかく飛び込んでみる」「後は自分で何とかする」という気持ちを持って、この奨学金に挑戦して良かったと本当に思う。
帰国後、私は自分の目標である国家公務員になることを目指して勉強を始めた。自分でなろうと決めたからには目標が達成出来るように最後まで頑張る決意である。将来自分の希望進路に進むことが出来た時に、この奨学金で得た経験を振り返ったならば、きっと得たことの大きさを再び実感するに違いない。
最後に、この「やる気応援奨学金」に挑戦するきっかけを与えてくださった三枝先生、武智先生、エントリーシートを何度も添削してくださったエレン先生、そして突然の留学宣言に驚きつつもサポートしてくれた両親、そのほか私を支えてくれた人々に対して感謝の念を表しつつ、この報告の結びとしたい。
草のみどり 207号掲載(2007年7月号)