法学部

【活動レポート】藤本 陽子 (政治学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(46) 多文化主義国カナダで学ぶ(下) 奉仕活動や学生会議にも挑戦

はじめに

法学部の「やる気応援奨学金長期海外研修部門」の御支援を受け、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)に2007年8月から2008年4月まで認定留学をしてきました。前期は授業科目に集中するあまり、なかなかそれ以外の活動を行うことが出来ませんでしたが、後期はボランティアや学生会議など、色々なことに挑戦しました。また、帰国前にはモントリオールへ移動し、1カ月間のフランス語研修を行ってきました。今回のリポートではこれらの課外活動を中心にお伝えしたいと思います。

アフリカに目を向ける

後期からは運良くキャンパス内にある寮に移ることが出来、同じフロアに住むセネガル人の学生と仲良くなりました。彼女は学内のアフリカ人学生会(Africa Awareness)の幹部を務めていて、知り合った時は、アフリカ問題啓発とアフリカ学科創設を呼び掛けるイベント準備に追われていました。もともと開発問題に関心があった私は、すぐにボランティアとして参加することに決め、3週間という短い間でしたが、アフリカ諸国から集まった学生と一緒にイベントの成功に向けて授業の合間や放課後に打ち合わせをしたり、学校中にポスターを張って回ったりという作業をしました。
今年のテーマは「HIV」。アフリカといえば、戦争や貧困、病気の蔓延といった負のイメージが定着していますが、「Hope(希望),Innovation(革新),Vision(展望)」という3部構成で、アフリカの影のみではなく光にも焦点を当

てて、講演会やカルチャーイベント、ビデオ上映会などを行いました。中でも、アフリカの郷土料理や民族衣装のファッションショー、ダンスなどが楽しめるイベントは立ち見が出るほどの大成功を収めた一方で、特別講演などの少し硬いテーマのイベントとなると、空席が目立ち、根強い無関心が露呈されたように感じました。そのような中で、もっと会議のテーマを絞り込み、例えば近年アフリカ諸国との関係を深めている中国との関係というテーマで、中国人学生会と共同で会議を開いてはどうか、などといった提言をしてくれる参加者もいました。今振り返ってみると、そのような方法でイベントを発展させる提案が出たことも、国際色豊かなあのキャンパスならではであったのだなと思います。
今年が4回目の開催だったので、まだまだ手探りの部分が多かったのですが、来年は参加者からのフィードバックを生かした更に実りあるイベントとなることを期待しています。短い期間でしたが、たくさんの人と出会い、あまりなじみのなかったアフリカについて多くのことを学んだ非常に濃密な1週間でした。

念願だった寮生活

先に後期から寮へ移ったことについて触れましたが、せっかくなので、ここで少し寮生活についてお話ししたいと思います。私が移った寮は、主に1年生と短期留学生が住んでいる寮で、シャワーとトイレ、簡易キッチンがフロアごとに共同利用となっていました。簡易キッチンには冷蔵庫と電子レンジ、流し台があるだけで、食事は基本的に寮内の違う建物にある食堂で取ります。キャンパス外に住んでいたころは朝食、夕食は家で食べることがほとんどであり、お昼休みの時間というものがないので、昼食も友達と食べることはまれでした。しかし、寮に入ってからは、いつ食べにいっ

ても同じ寮のだれかがテーブルにいるので、一気に友達が増えました。前回のリポートでお伝えしたように、カナダに留学しているにもかかわらず、日々の生活があまりにも忙しくて友達とゆっくりおしゃべりしたりする時間が持てなかったので、スピーキング力はむしろ下がったかと思うほどでしたが、友達との何気ない会話から言い回しなどを盗んで、少しずつ言いたいことを表現出来るようになりました。それでも、眠い時は英語でなかなか話すことが出来ず、無口になる度に「陽子はもう眠たいらしい」とよくからかわれました。
また、休日や金曜日の夜には寮対抗のサッカーリーグ、ミスター・コンテスト、バーベキュー大会などのイベントが毎週のように行われ、余裕がある時には友達と参加しました。特に、ミスター・コンテストは後期1番の大イベントで、ルックスは無関係にだれが最も会場を盛り上げることが出来るかを、ダンスやファッション、圧迫的な質問攻めをさらりとかわす機知などで競うのです。どたばたとリボン体操を必死でする姿や、細身なのにもかかわらず、あえて自慢げに筋肉を強調するポーズを取ったりする姿を見て、みんなでおなかが痛くなるまで笑いました。もちろんミスターに選ばれるのは1人だけですが、参加者全員に惜しみない拍手が送られました。
このように、後期になって初めて寮生活を経験することが出来、毎日が本当に楽しくなりましたが、前期にキャンパス外に住まざるをえなかったことも、今となっては良い経験だったと思います。というのも、寮に住んでしまえば、キャンパスの外に出ることはあまりなく、たまに友達とダウンタウンに行くと私の方が道やお店を知っていることがほとんどで、危険な地区をきちんと把握していたのも私だったからです。キャンパス外に住んでいたからこそUBCという大学だけではなく、バンクーバーという街や都市問題といったことについても知らず知らずのうちに学んでいたのだと分かりました。帰国してからはまた東京で一人暮らしを始めていますが、教室まで5分で行けてしまう寮の便利さが恋しいです。

開発問題と国際関係

さて、続いて御紹介するイベントは、3日間にわたる開発問題に関する学会(Upheaval Ahead)です。1日目は立食形式の開会式、2日目はパネル・ディスカッション、そして、最終日は世界銀行職員を指導員とした模擬開発会議というスケジュールで行われました。この企画は、UBC総合政策研究所と国際関係学科の学生連合の共催であったため、参加者も非常に豪華で、アフリカ開発問題の第一人者であるポール・コリアー・オックスフォード大学教授を始め、世銀職員、国際NGO職員など、さまざまなアプローチで開発問題に取り組まれている方々からそれぞれの専門分野に関する講演を聴くことが出来ました。誌面の都合上、残念ながらその内容ついて御紹介することが出来ませんが、本稿では最も印象に残った最終日の模擬開発会議についてお話ししたいと思います。
最終日の会議は、諸事情により通常授業が最も多く行われている時間帯と重なっていました。私も例外ではなく、歴史学と中国政治論の授業と重なっていたのでどちらを取るか非常に悩みましたが、めったにない機会だと思い参加を決めました。議題は、「架空の東欧国家(コロブフスキー共和国)における鉱山開発援助」ということで、最初にくじ引きで12人の参加者の役割を決め、続いて参加者全員に今回の会議の詳細についての資料が配られました。それらの資料には、議題としての開発計画の詳細のみではなく、より現実に近付けるために、自分とほかの参加者の人間関係や、自分の会議での公の目標に加えて個人的な野心といった事細かな設定がしてありました。私の役割は、学生環境NGOという最も弱い立場であったうえに、「短気で怒りやすい性格」という非常にやりにくい設定でした。初めのうちは、チャンスがあれば「環境、環境」と熱く主張していましたが、ほかの参加者からは「環境は重要だがしかし……」という言い回しでなかなか聞き入れてもらえませんでした。途中で見かねた指導員から、「自分の立場に比較的近い人と協力することで議論を進めやすくなる」など効果的な発言をするためのアドバイスを頂き、何とかそれを生かそうとしましたが、結局苦戦は最後まで続きました。
会議の終わりには率直な感想を話し合う場が設けられ、それぞれの立場の難しさや一定の合意が可能な結論を導き出すことの難しさなどについて議論しました。また、世銀の方からは、今回の会議はあくまでも簡略化したものであって、実際にはもっと多くの参加者や利害、前提条件があるということや、どんな周到なプランにも負の影響は付き物であり、それを承知で開発援助をしていくことの難しさなど、現場での状況についてより詳しい話をしていただきました。
この経験から、ゼミでお世話になっている滝田賢治先生の「国際関係は人間関係」という言葉が分かったような気がします。このようなシミュレーション形式の学習は、今回のテーマに限らず、異なる立場の人を理解するには非常に有効な方法だと感じました。

モントリオールでの仏語研修

ひょんなことから最終試験の日程が繰り上げられ、4月の前半にUBCでのプログラムが終了することになったので、5月末にシアトルで開催される日本人学生のための就活フェアに参加するまでの間、カナダ東部に位置するモントリオールでフランス語を学ぶことにしました。カナダに行く前に日本で計画を立てていたころは、最終試験が終わったら一刻も早く帰国して本格的に就職活動を始めるつもりでいたのですが、「せっかくフランス語を公用語とする国に来たのだから、もっと実用的なフランス語を身につけたい」という気持ちと、「アジア系が強いバンクーバーとは異なるカナダの文化に触れてみたい」という好奇心からモントリオールへ行く決心をしました。以前、イギリスに英語研修へ行った時には、メールの対応が親切で、インターネットでの評価も高い語学学校を選んだにもかかわらず、学校のシステムと姿勢に多くの不満を持つ結果となってしまいました。そのため、今回はその経験を生かして、関心を持った学校にメールだけではなく、電話でも問い合わせをして、学校のポリシーやクラスの振り分け方など細かい点についてもあえてしつこく質問しました。また、滞在場所の確保の条件としても、フランス語しか話さない家庭で、しかもただ部屋を貸してくれるだけの「ルームシェア」ではなく、一緒に過ごす時間を大切にしてくれる「ホームステイ」が出来る家庭を探してくれるように要求しました。このように、多少煙たがられるかと思うほど、しつこく質問や要求を始めからしておく作戦は大成功で、生徒の語学力の向上に重きを置いている学校を見付け出すことが出来ました。

学校はセントローレンス川近くの旧市街に位置し、教室は築300年ほどたつ石造りの趣のある建物の4階にありました。クラスの最大人数は7人とのことでしたが、初めの週は私を含めて3人しかおらず、授業というよりは、質疑応答の連続と会話の実践で、放課後までには1日のエネルギーを使いきってしまうほど集中して学びました。学校の生徒のほとんどは、私のような長期留学生ではなく、モントリオールで働いている人だったので、放課後は一人で気ままに観光をしたり、家に帰ってホストファミリーと時間を過ごしたりしました。幸運にも、その家族にとって私はまだ3人目の留学生だったので、変に留学生慣れをしていなくて、どんな話も好奇心を持って聞いてくれ、また、発音の矯正も根気よく手伝ってくれました。とりわけ、3歳と7歳の子供たちとのなぞなぞ遊びは、ちょっとした単語を覚えるのにとても効果的でした。
バンクーバーとモントリオールの違いは、言葉や建築だけではなく、生活のリズムや食生活、車の運転の仕方など色々な点から感じました。具体的には、モントリオールの人の方がスローな人生を好み、余暇を大事にしているという印象や、古い町であるだけに近所の人とのかかわりが強く、子供たちもみんなに育てられているという印象を受けました。その一方で、車の運転に関してはラテンの血が騒ぐらしく、もう少しで大事故という瞬間を何度も見ただけではなく、自分自身も危うくはねられそうになりました。もし、これからモントリオールに行かれる方がいらっしゃれば、特に車には御注意ください。一口に「北米」あるいは「カナダ」と言っても、本当に多様であることを改めて実感しました。

終わりに

留学前の面接で、自分の計画を発表した時に「学問として何を追究したいのか、今1つはっきりしない」という御指摘を受け、留学中もそのことについて考え続けていました。実際に「国際協力」をテーマに10カ月にわたる留学を終えた今、果たしてどれほど国際協力に関する知識が高まったかということは分かりませんが、「1クラスにいるカナダ人の割合が全体の半分程度」というほど、多文化・多民族の環境に身を置いて学生生活を送ったことで、他人を理解する姿勢が必要なことは言うまでもなく、自分自身や、自分を通して日本を知ってもらうために言葉で伝えることの大切さ、難しさを学びました。「国際協力には相互理解の促進が欠かせない」というような言葉は、随分前からよく聞いていたし、理解していたつもりでしたが、その「相互理解」そのものがいかに困難であるのかということは、今回の長期留学を通して初めて分かった気がします。
卒業後は民間企業への就職が決まっていますが、社会人になっても世界の問題から目をそらさずに、個人でも出来ることは微力であってもしていきたいと思います。ささいなことですが、近ごろは駅で迷っている外国人の方によく道案内をします。留学前にはこういう人が視界に入っても見落としていたのに、今ではちゃんと気付くようになったということも留学の経験から得た自分の成長と言えるのかも知れません。
最後になりましたが、留学を全力でサポートしてくださった三枝幸雄先生、滝田賢治先生、スティーブン・ヘッセ先生と、「やる気応援奨学金」にかかわるすべての人に感謝して筆をおくこととします。

草のみどり 220号掲載(2008年11月号)