法学部
【活動レポート】江口 真美 (法律学科2年)
「やる気応援奨学金」リポート(20) アメリカと日本の懸け橋築く 米日系人博物館でインターン
はじめに
私は法学部アカデミック・インターンシップの「国際-外交と国際業務」の一環として、8月6日(土)から8月15日(月)の10日間、アメリカのロサンゼルスにある全米日系人博物館でインターンシップを行ってきました。
全米日系人博物館は、日系アメリカ人の歴史と体験を、アメリカ史の大事な一部として人々に伝えていくことによって、アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることを活動の目的としています。
また、更に全米日系人博物館は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館です。日系アメリカ人に関する遺物や写真、フィルム、文書の広範囲にわたるコレクション、さまざまな展示や教育プログラム、ビデオ、出版物を通して、日系アメリカ人の歴史を、全米、全世界に伝えています。
そしてこの博物館は、3つの懸け橋を築いていきたいと願っています。1つ目の懸け橋は、日系人とほかのアメリカ人の間、2つ目の懸け橋は日系人と日本人の間、そしてこれら2つの懸け橋を基にした、日米両国の人々の心に懸かる第3の懸け橋です。
今回の私の活動目的は、全米日系人博物館の展示物、活動などについて現場で説明を受け、第2次世界大戦前及び戦争中における日系移住者の苦難の歴史を学び、更に、戦後から現代に至る時期における日系人の米国での活躍についても勉強することです。
そして、以上のことにより博物館の展示物などについて基礎的な知識を得た後、博物館への来訪者の案内などを通じて、博物館の運営について実習を行い、このような活動を通じて米国社会の一端を体験し、日米関係の歴史と未来について考察していきます。
また、8月上旬から中旬にかけての時期には、日系人フェスティバルが開催されて、日系人関係の種々の行事が行われるので、このような活動の一部にも参加して米国社会を体験してきました。
インターンシップに当たって
私がこの国際インターンシップを選んだ理由は、大学生活の早いうちから、世界のさまざまな問題を取り扱い、その解決に向けて活動している機関で、実際行っている仕事をじかに体験し、自らもその機関の一員として協力したいと考えたからです。
私は今回のインターンシップの前に、国連大学で国際講座の秘書の1人としてインターンシップを行ってきました。この国際講座では、アフリカ、南米、アジアなど世界各国の発展途上国の人が集まり、human rightsやarmed conflictなど世界の問題について学んでいました。
この講座の中で私は、主に3人の上司の補佐をし、仕事がスムーズに進むように資料作成や会議や授業の準備などをしました。このような裏方の仕事があって初めて、この講座は無事に進行・終了するのだということを学びました。
日本でのインターンシップと、アメリカでのインターンシップの間には、考え方の違い、文化や習慣の違いなど、さまざまな違いを国際的な視点から比較したいと考えました。
今回、日本を離れて、母国語以外の言葉で仕事をすることを経験しましたが、英語がたんのうではないので、英語で仕事をすることに不安がありました。しかし、それは自分への挑戦だということをいつも念頭に置き、常に良い緊張を持って取り組みたいと考え、このインターンシップを選びました。
今回私は中央大学法学部の「やる気応援奨学金」のインターンシップ部門に申し込み、その奨学金を使って、このインターンシップに参加してきました。
「やる気応援奨学金」を頂くために、申請者は活動に当たって使用する言語で活動計画書を作成し、そして仕上げたリポートによる審査を受けます。英語でインターンシップの目的やインターンシップがどのように将来へつながるのかなどを書いていきます。英語が優れているわけではない私にとって、それは時間と労力を要するものでした。これを通じて、英語で文章を作成する難しさなど、多くのことを勉強することが出来ました。
私たちのやる気を評価してくれるこのような制度にはとても感謝しています。また、奨学金を頂いたことにより、更に良い経験をし、恩返しをしたいという気持ちを胸に抱きながらインターンシップを行うことが出来ました。
日系人とのかかわり
現地で行ったことは主に3つあります。日系史及びLittle Tokyoの歴史の勉強と、博物館の仕事の手伝い、それに今後の日系コミュニティーについて考えることです。
博物館にはボランティアの方々がたくさん働いています。その人たちの中には強制収容を経験した日系2世、3世の方々がいます。これらボランティアの方々は、ある人は自分が実際に経験したことをそのまま後世に残したいという思いで働いていたり、ある人は日系人の友達がある日突然、強制収容に連れていかれてしまったのを同じアメリカ人として疑問に思い働いていたり、と人それぞれです。
私はその人たちから実際に強制収容の体験談や日系コミュニティーに対する思いを聞いたり、博物館に展示されている、Common Ground(Common Groundとは博物館で行われているメーンの展示です。そこには実際に使われていた強制収容の小屋があったり、強制収容中の日系コミュニティーの姿を写真に収め展示してあったりと、日系人の歴史が濃縮されて展示されています)を案内していただいたりもしました。
あるスタッフの方が「アメリカには憲法があるし、市民には権利があるのに、日系人にはアメリカに住んでいるにもかかわらず市民権すら認められなかった。私たちは帰化不能外国人というように位置付けられていた」と言いました。
なぜ同じアメリカ人なのに差別されるのか、日系アメリカ人がアメリカという国に危害を及ぼすと考えられる根拠はどこにもないのに、なぜ強制収容が行われたのか、彼らは昔のことを思い出すと今でも自分のアイデンティティーや位置付けを疑問に思うと言うのです。いったいアメリカ人とは何なのかと。
しかし彼らは、昔あったことを常に胸に抱き、今後の日系コミュニティーのつながりのためにどのように役立てるかというように日々考えているということが感じられました。
私は博物館のボランティアとして、インターン期間中に行われた、court yard kidsのイベントの手伝いや、毎年この期間に行われている日系ウイークパレードに参加しました。
court yard kidsは博物館で行われているお祭りの1つで、博物館が無料で開放され、多くの日系家族が博物館に招かれ、その子供たちがでんでん太鼓や折り鶴など、日本の伝統的なおもちゃを作ったり、博物館を案内したりするイベントです。私はその前日に飾り付けを手伝い、当日にはボランティアのお孫さんたちと少し遊んだりしました。
日系ウイークパレードというのは、Little Tokyoを日系コミュニティーの活動に貢献している人たちが練り歩くというもので、おみこしを担いでいる団体や、空手の型を披露しながら歩いている団体もいました。沿道にはたくさんの人たちが集まっていて、日系人の歴史に関心を持つ人たちが多いことに感動しました。私は博物館の団体に入り、博物館の看板を持ってみんなと一緒にLittle Tokyoを歩きました。
また、私は何日かにわたってボランティアの方にLittle Tokyoを案内してもらいました。Buddhist Temple,Ancestor/Senzo Tower,Yagura Tower,City Hallなどを見学し、地面には、さまざまなメッセージが刻まれているのを知りました。それらは普通に歩いていただけでは気付かなかったでしょう。
その中にアップルパイの絵があり、それは「アメリカ人はすべてといって良いほどアップルパイが好きである。そして日系アメリカ人もまたアップルパイが好きである。つまり、日系アメリカ人も同様にアメリカ人なのである」ということを意味しているそうです。
また博物館裏のGo For Broke Monumentも見にいきました。Go For Brokeとは、当たって砕けろという意味で、戦争中に第442連隊がアメリカに忠誠を示すために戦った時の合言葉です。この時に亡くなった方々の名前がこのMonumentに刻み込まれます。私がここを訪れた時、元第442連隊の2世の方、元第100歩兵大隊の方にお会いすることが出来、彼らはこのMonumentの前で訪れてくる人たちの案内をしていました。
Little Tokyoは歴史保存地区に指定されていて、町全体に歴史が刻み込まれており、人々の心にいつまでも残していこうという思いが感じられました。フェスティバル期間中はもちろんですが、それ以外の日にも多くのアメリカ人がこの町を訪れ写真を撮ったり、歴史的建造物を見て回ったりしていました。数日間しかいない私だけれども、このことをとてもうれしく思いました。
そのほかに興味を持ったこととして、今年は日系ウイークと同じ時期に重なったTofu Festivalというものがあります。その名のとおり、日本の豆腐に関する料理を大学の学園祭のように色々な団体が出展して売るというものです。規模が小さいのであまり人が集まるようなお祭りではないと思っていましたが、私の考えとは全く違ってたくさんの人たちがこのお祭りに参加していました。
ここでの豆腐料理はどこかアメリカ風にアレンジされていて、これも日系カルチャーの1つだと思いました。
また、法学部国際インターンシップを担当される柳井教授と博物館館長のIreneさんのおかげにより、連邦上院議員のDaniel Inoueさん、全米日系人博物館の名誉教授であり法律家でもあるHenry Otaさん、ユニオン・バンク・オブ・カリフォルニア(三菱東京UFJグループ)の取締役会長の志村哲男さん、Tomas Iinoさん、それに、もう1人のインターン生の伊藤公一さんと8人で夕食をする機会を得ることが出来ました。
Daniel Inoue上院議員は終戦2週間前に右腕を負傷して切断したため、医者になる夢を捨ててロースクールに進み、政治家になった方です。
Inoue議員が下院議員として、首都ワシントンに初登院した日のこと、列席した議員たちは日系人初の議員の宣誓を、息を潜めて見ていたといわれています。彼によって日系人に対するほかのアメリカ人の見方が変わっていきました。彼のいた日系部隊はアメリカ戦史上1部隊として最も多くの犠牲者を出し、最も多くの勲章に輝いたそうです。このように現地では日本では絶対に出来ない貴重な経験もさせていただきました。
インターンシップを終えて
今回のインターンシップを経験して、私は日系史を学んだのはもちろんのこと、博物館に対するイメージ、そして考え方が変わりました。今まで、博物館というと、「堅い」「つまらない」という感じでしたが、全米日系人博物館は違いました。ただ壁に展示されている文章や作品を見て回るのではなく、実際に戦争を経験した人、両親が戦争を経験してきた人から直接話を聞くことによって、その人の心を身近に感じることが出来、興味を抱くことが出来ました。
3日目のCommon Groundの日本語ツアーはとても面白かったです。私も事前に少し勉強していたので、話に参加してツアーを行うことが出来ました。ボランティアの方々から体験したことを直接聞いていたので、表情や口調によって彼女らの感情がそのまま伝わってきました。この博物館は、展示物を見学しただけでは終わらず、自ら調べたくなるような博物館でした。
また、私はさまざまな日系カルチャーを学ぶことが出来ました。日系仏教寺では、日本とは違うキリスト教の教会に似た体験をすることが出来ました。東本願寺に行った時、まず長いすが置いてあることに驚きました。そしてみんなで賛美歌のような読経をするなど、最初は奇妙に思えましたが、なぜだか日本のお寺よりも親しみやすかったです。
そのほかにもLittle Tokyoでは多くのアメリカ的な日本を感じることが出来、彼らから見た日本は少し違う部分もあって、そのようなことを発見出来たことも面白かったです。
今回のインターンシップを行うまで、私はアメリカ人というといわゆる色が白くて、背が高くて、鼻が高くてという「白人」のイメージを持っていました。しかし今回、日系人の方と接することが出来て、大きくイメージが変わりました。
最初は同じ日本人の顔をしているのに英語を流ちょうに話しているということを不思議に感じ、戸惑いもありました。きっと、これまでの私だったら、日本にいて日本語で話し掛け、その人が日本語を理解出来なかったら、その人は障害者なのかなと思っていたでしょう。また日本人の顔付きをしている人たちが英語で会話をしていたら、どうして英語で話しているのだろうと奇妙に思っていたでしょう。
しかし、このインターンシップを終えた今、そのような人を見たら、日系人なのかも知れない、アメリカ人なのかも知れないと考えることが出来ます。私が勝手に抱いていたアメリカ人像を今回のインターンシップで取り払うことが出来ました。
日系人に起きた戦争や歴史上の差別は、周りの人による偏見や思い込みから起こったことだといえると思います。日系人に起きた悲惨な歴史は、ほかのアメリカ人が、日系人を危険でアメリカを乗っ取るかも知れないと思い込んだことから始まりました。そして帰化不能外国人とし、同じアメリカ人なのにアメリカ人と認めませんでした。今でこそそのような差別は少なくなりましたが、日系人に限らず相変わらず差別が存在していることは事実です。
私は今回学んだ歴史を周りの人に伝え、日系人について知ってもらおうと思います。より多くの人に私と同じように感じてもらえることが出来たら、それが1番の成果であり、博物館の皆さんへのお礼になると思います。
終わりに
今回の活動で、人に何かを伝える大切さということを強く感じました。博物館のボランティアやスタッフの方たちは、後世に日系人の歴史や自分たちの存在を伝えようという熱い思いを持っていました。どうやったら、より多くの人に興味を持ってもらえるか、どうやったら人々の心に印象を残すことが出来るかということにも真剣に取り組んでいました。
私は、将来の夢について漠然と、自分の言葉で何かを伝える仕事がしたいと考えていましたが、今回のインターンシップで実際そのような仕事をしている人を目の当たりにして、その思いがより強くなりました。彼らを見て、何かを伝えるためにどのように取り組んでいくか、どのように表現していくかということを具体的に学ぶことが出来たし、伝えるために必要なことも学びました。
人々の心に自分の思いを響かせるということは、大変なことだけれども、とても大切なことです。インターンシップで得たこと、学んだことをこのまま終わりにしないでより膨らまし、もっと具体的に将来につなげたいと思います。
最後に、このインターンシップを担当してくださった柳井教授、そして私たちインターン生を快く受け入れてくださった博物館館長のIreneさんに感謝したいと思います。このような貴重な体験をさせていただいて、本当にありがとうございました。
草のみどり 194号掲載(2006年3月号)