法学部

【活動レポート】星野 公哉 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(24) ボストン大学で哲学を学ぶ(下) 授業以外に広範な国際感覚も

はじめに

留学体験記の前編を書かせていただいた時はちょうど2月の初め、ボストン大学での生活のリズムが定着し、またそれを改善していくことが出来るようになった時期でした。ボストンは1年で最も寒い時期を迎えていたのですが、それとは対照的に私の留学生活は更に充実し始めました。
この充実感は、哲学を学ぶことによって法律を学んでいくための土台を磨くという留学当初の目的との関連だけでなく、ボストンで出会った友人、生活の拠点となった街、参加した行事、これら私のボストンでのすべての経験があったからこそ感じることの出来るものでした。
今回は、こうした私のさまざまな経験を、帰国からしばらくして留学について冷静に見詰め直すことが幾分か可能になった自分自身の視点から解釈し、皆さんにお伝えしたいと思います。

後期の授業内容

帰国してから約1カ月、今1度留学中のスケジュール帳を眺めていると、後期の授業がどのようなものであったのかが鮮明に思い出されます。“Due”“Due”“Due”、リポートの期限を示すこの単語が至る所に書かれており、学期初めにそれらを書く時に感じた、「これからやるぞ!」というやる気と、「本当にやっていけるのか……」という不安が入り交じった思いがよみがえってきます。
前期に哲学を学ぶことによって得ることの出来る力が法律学へ応用することが出来ることを確認し、またそういった現実的な有用性に加え哲学に対して学問的な興味を抱くようになったことから、後期には受講可能な4教科すべて哲学の授業を選びました。
授業の選び方について友人たちと話している時に私が哲学の授業のみ受講することを伝えると、専門科目を2つから3つにして、あとは自分の専門とはあまり関係のない選択科目を選ぶことが一般的であるためか、反応はすべてため息交じりの「グッド・ラック」。この友人たちの反応が、私のやる気をより一層強いものにすると同時に不安の源ともなりました。
後期に受講した科目は「環境倫理」「古代哲学史」「倫理史」「記号論理学」です。テキスト・資料を含めこの4教科を通して扱った哲学者たちは、紀元前500年以上も前から21世紀に至るまで数十人に上ります。
理論と実践で構成される体系的な学問の「記号論理学」を除いたすべての授業で共通していたのが、さまざまな哲学者たちの思想・理論のエッセンスのみがまとめられているテキスト的な本ではなく、実際に哲学者たちが書いた本を課題として読まされたことです。もちろんギリシャ語やドイツ語といった原文で読めというわけではありませんが、直接英語に訳されたもののみが授業で指定されます。
この共通点以外においては、それぞれの授業でそのスタイルは異なりました。例えば、「倫理史」では、1頁の小論文が毎週課されました。内容は基本的に、ある哲学者の主張の要約とそれに対する批判で構成されます。要約が適切に出来なければそれに対する批判もまた的外れになる。

まず本を何度も読み、哲学者たちの理論をたどり、論理の流れを追い、それを効果的にまとめあげる作業をします。ここまでがとにかく大変です。1頁の要約と批判ですから量は大したことはありません。しかし、要約に充てる半分から3分の2を完成させるのに、丸1日掛かることもありました。
この小論文を中心に授業は進みます。教授がテキストの解釈などに関しての一般論や難解な点について解説し、参加者は扱う範囲に関するあらゆる質問や意見を述べます。
読み、書き、授業でフィードバックする。学期中はとにかく大変でした。課題が出るのはこのクラスだけではないので、時間を掛け過ぎるわけにもいきませんでしたが、時にはコンピュータールームにこもって、翌日の早朝までかけて小論文を仕上げることもありました。常に忙しくまた大変ではありましたが、この一連の作業を何度も繰り返したことが、私の読み書きの力を引き上げ、またそれらに対する自信を与えてくれました。
「倫理史」と同じくほぼ毎週課題が出されたのが「記号論理学」の授業でした。哲学科や数学科、コンピューター科学科の学生が多く受講していることからも分かるように、「記号論理学」の授業は、論理ルールの理論的説明とこれを使いこなせるようにするために用意された問題を解くという作業から構成されていました。実社会と学問との関連性を特に重視していたのが「環境倫理」のクラスでした。毎回授業の最初の10分程度を利用して、数人の参加者が環境問題に関連する記事の要約を発表することで、最新の情報を基に考え、議論をする機会が与えられました。
また、時には実務家を講師として授業に招いたり、ボストン大学が主催する講演会への参加を促すこともありました。
最も興味深かったのが、自動車大手GMの研究機関からドクターを招いて行った講演会でした。この講演会の主要なテーマは環境問題に直接影響があるとされる車の排気ガスなど自動車のごく1部分だけでなく、自動車の原材料を調達する段階から自動車のリサイクルまでにかかわるすべての活動における環境への負荷を軽減するための「ライフ・サイクル・アナリシス」という新しい環境指標についてです。
アメリカの自動車メーカーが、環境問題への対応に掛かるコストとの絶え間ないかっとうの中で、どのような環境指標を自らに課し、企業活動を行っているのかを知るとても貴重な機会となりました。

哲学科の友達

課題が多い授業では友人が出来やすいという感じがします。共通の話題が多く、また課題を協力して行うことが多いためです。
「倫理史」で知り合った友人とは、授業後の帰り道に、その日のクラスで教授が扱った例を基にジョークを交えたディスカッションをしました。くだらないジョークばかりになることもありましたが、ジョークを言ったりそれぞれのジョークを理解するためにはそのジョークの基になっている思想を理解しなければなりません。これは哲学者の理論を理解するための大きな助けとなりました。
また、深夜コンピュータールームで行き詰まり悩んでいる時に連絡を取り合うこともよくありました。お互いの解釈を伝え合い良いところ、悪いところを言い合うことで、論文の質が上がります。また、自分以外にも頑張っている友人がいると思うと不思議と力がわき、書き続けることが出来ました。

ボストンでの貴重な体験

4月の初めに、在ボストン日本総領事館で総領事や地元日系企業の方々と現地学生との交流会が行われました。主催者であるボストン大学の日本人学生会(Japanese Student Association)の会長と知り合いだったので、私もこの貴重な会合に参加することが出来ました。
交流会には総領事を始め、領事、領事館関係者、ボストンを含めたニューイングランド地方に進出している日系企業の組合の代表、ボストン日本人会会長、そして現地の大学院生といった方々が集まり、食事を交えた懇談の場となり、またとないソーシャルネットワーキングの機会となりました。
色々な方々とお会いすることが出来ましたが、とりわけ印象深かったのは、中央大学出身の領事とお会いしたことでした。領事の御経験など貴重なお話を聞いているうちに、出身大学の話になり、領事が自分の先輩にあたるということが分かったのです。数々の激励のお言葉を頂き、一層自分の目標に向かって頑張ろうという気持ちにさせられました。また、世界で活躍されている先輩がいると思うと、とても心強く感じられました。

「日本人」とは

ボストン大学には総学生数の20-30%もの国外留学生が在籍しています。特に中国人・インド人を始めとするアジア系の留学生が多く、キャンパスを歩けば必ず見掛けます。もちろん日本人留学生も例外ではありません。
短期の「やる気応援奨学金」を頂いてボストンの語学学校に通っていたころは、「日本人」をなるべく避けるようにしていました。「アメリカに英語を勉強しにきているのに、なぜ日本人と日本語をしゃべる必要があるのか」と思っていたからです。この考え方は恐らく語学留学をしたいという学生には共通するものだと思います。また、「日本人」留学生の特徴として、日本人同士でグループを作り日本人同士で行動する、という話も語学留学の経験者の多くが抱くイメージではないかと思います。私の抱いていたこうした「日本人」観は、ボストン大学での日本人留学生との交流を経て大きく変わりました。
日本人留学生との交流が始まったのは、留学がスタートした9月ころからでした。同じ地区の寮に住む学生のミーティングに参加した時に、隣の席に座っていた学生がたまたま日本人だったためです。
彼女は当時ボストン大学日本人学生会の役員をしており、先に御紹介した総領事館訪問や就職活動に関する情報会など、日本人留学生を対象としたさまざまな活動の企画・運営をしていたので、彼女から情報をもらいそういった企画に参加するにしたがって日本人の友人が増えました。

そうした日本人の友人たちと会話をしていてまず驚いたのが、日本語より英語の方が得意な人が多いということです。たまに日本語はほとんどしゃべれない、という日本人もいました。また、会話の途中に英語のセンテンスが交ざることも非常に多く、日本語での会話から話が弾んでくると英語になっている、といった光景をよく目にしました。
こうした驚きと共に、「この友人たちは日本人なのか」という疑問を常に抱きました。この背景には私の抱いていた「日本人」観がありました。
私は、「日本人」といった時に、基本的に日本で、日本人の両親から生まれ、そして日本で育つ人のみが日本人であるといったイメージを持っていました。そしてこのイメージから導き出されるのが、「英語をしゃべるのが苦手」という「日本人」の特徴です。
彼らの多くは、この私の抱いていた「日本人」の要件に合致しませんでした。しかし、彼らは自己紹介の時には必ず「日本人です」と言います。
実際に、日本の国籍法が定めている要件は、基本的に「出生のときに父又は母が日本国民であるとき」にとどまります。したがって、自分自身を日本人ということの出来る要件は、私の持っていたイメージよりもかなり緩いといえます。私は、「日本人」という勝手なイメージを「国籍」の要件にそのまま当てはめていたのです。
また、海外での生活が長くなればなるほど、自分の日本人としてのアイデンティティーに対して疑問を抱くようになるようです。日本の文化を知らない、日本の事情を知らない、海外生活が長かったためか日本人の友人よりも海外の友人の方が多い、そういった思いが彼らの日本への帰属意識を深めているようでした。
また、ボストンがいくら国際的であるとはいっても、やはりアメリカ、アジア人や日本人は、外見(人種)で判断するならばマイノリティーとなります。他者に自分自身を対比させる機会の多い環境では、マイノリティーたる自分の帰属先を少なからず意識させられます。1年弱しか海外生活をしていない私でも、そういった意識を持つことはありました。何年も海外生活を続けてきた友人たちは、恐らくそうした場面を多く経験してきたことと思います。

ボストン大学の日本人会に限らず、恐らく全米のどの大学の日本人会の学生も、自分たちが日ごろ知らない、しかし自分の属す集団たる日本人とのつながりを持ちたいという思いを少なからず持っているのではないかと思います。
ボストンでこそ学べると思っていた「国際感覚」。留学の終わりには、私の当初考えていたそれよりも更に広範な国際感覚を学ぶことが出来たと思っています。
ある国に生まれ、その国で育ち、日常生活で自国の文化や歴史に慣れ親しみ、それらが体に染み付いている人々同士の関係だけでなく、彼らとは全く異なった環境に置かれながらも自分自身の帰属先をある国に求め、そこにある文化や歴史を学びたいという意思を持つ人々との関係をも含んだ国際感覚を学ぶことが出来たのではないかと、今では思っています。

今後に向けて

私は将来、アメリカの法科大学院を卒業して弁護士資格を取りたいと考えています。ボストンやニューヨークでさまざまな法科大学院に関連するさまざまなイベントに参加し、自分なりに情報収集したことで、自分の目標と、それを達成するために必要なものがよりはっきりしてきました。留学中もそうでしたが、今後も、目標及びそれに必要なものからやるべきことを導き出し、実行していくことを繰り返していきたいと思います。
最後になりましたが、短期留学の際から多大な御協力を頂き、また常に私を励ましてくださった三枝先生、バーフィールド先生、ヘッセ先生、留学を快く承諾し祝ってくださった専門演習の小島先生、ゼミや金融インターンシップを通して法律を学び社会で活用していくためのエッセンスを教えてくださった山内先生、留学手続きに関するアドバイスをしていただいた法学部事務室及びリソースセンターや国際交流センターなどの方々、そして今回の留学を可能にしてくださった「やる気応援奨学金」に関するすべての方々に感謝いたします。貴重な機会を頂き本当にありがとうございました。

草のみどり 198号掲載(2006年8月号)