法学部

【活動レポート】宮本 悠 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(23) アメリカ留学で自分変える(上) 秋セメスターとメキシコ旅行

はじめに

私は昨秋から、法学部の「やる気応援奨学金長期海外研修部門」の援助を受け、認定留学でアメリカのメリーランド州にあるUniversity of Maryland Baltimore Countyで、留学生活を送っている。このたび留学生活について紹介する機会を得たので、現在春セメスター真っ最中であるが、今回は前編として秋セメスターまでの経験を報告したいと思う。

留学を決めた動機

私が留学しようと決めたのは、自分を変えたいと思ったからだ。これからこの報告書を読んでいただければ分かると思うが、私は非常にマイナス思考で、自分に自信がない。そんな自分が嫌でたまらなかったにもかかわらず、私は自分を変える努力をしてこなかった。だが、大学2年生の時に、リソースセンターでアドバイザーの先生とお話しさせていただいてから、少しずつ考えを変えることが出来るようになった。

先生とお話しさせていただき、それまで「やる気」のかけらもなかった私だが、「やる気応援奨学金短期海外研修部門」に応募することを決めた。そして奨学金の援助を得て、夏休みの間ニューヨークに1ヵ月半滞在し、2週間語学学校へ通い、4週間インターンシップを行った。

短期留学中に経験したことで、私に最も影響を及ぼしたことが、語学学校で行ったインターンシップの面接の練習だった。私は、面接で自分の何をアピールすれば良いのか、何も思い付くことが出来なかったのだ。

その時に、今まで自分が自信をつけられるようなことをしてこなかったことに気付いた。そして、ただ自分に自信がないと落ち込んでいるだけでは何も変わらないということ、もっと色々なことに挑戦して自分に自信が持てるよう行動を起こさなければならないということに、気付くことが出来た。それからは、自分の世界を広げていこうと、自分が行ったことのないものへ挑戦するようになった。長期留学を決めたのも、自分を変えるチャンスだと思ったからだ。

苦闘続きの授業

私の専攻は、Political Scienceだ。中東とアメリカ外交について勉強したいと考えていたため、授業はそれらの内容のものを中心に履修しようと思っていた。しかし、日本にいたころにシラバスを見て、元々私が履修しようと考えていた授業は、春セメスターにあるものが多かったので、比較政治や国際関係の授業なども履修することにした。

秋セメスターに履修した授業は、以下の5つ、①Comparative Foreign Policy ②Comparative Middle Eastern and North African Politics ③Contemporary American Foreign Policy: the Role of the Federal Bureaucracy Policies ④Comparative Politics ⑤International Relationsである。

Comparative Foreign Policyでは、ドイツ、フランス、イギリス、バルト3国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)、コーカサスにある国々(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン)、北朝鮮についての、主に、第2次世界大戦以降の外交政策を学んだ。

Comparative Middle Eastern and North African Politicsでは、イスラエル、エジプト、スーダン、リビア、チュニジア、モロッコにおける政治について勉強した。教授が元々エジプト出身の方だったので、エジプトの歌を授業中に歌ってくださったことがあった。学生は乗りが良いので、「ヒュー!」と盛り上げ、教授が歌い終わった後には、必ず皆で拍手をした。

Contemporary American Foreign Policy: the Role of the Federal Bureaucracy Policiesでは、アメリカの国務省、商務省、エネルギー省、財務省について、それぞれの果たす役割や、外交政策へのかかわりについて学んだ。

これら3つの授業は、すべて同じ教授が担当しており、この教授の採点方式はペーパーとmultiple choice examだったが、ペーパーを書くには、なかなか苦労した。最初のペーパーを提出した時、教授に「文法の間違いが多過ぎる」と言われ、「ほかの教授だったら、君は落とされているぞ!」と、怒られてしまった。大学にライティング・センターという所があり、そこに行けば、ペーパーを添削してくれるからと教授に言われ、私は、次のペーパー提出の前に、ライティング・センターへ行ってみた。

しかし、ライティング・センターの人は、全く助けにならなかった。学生がアルバイトでしているだけなので、まじめに添削などしてはくれないのだ。きちんと添削してくれる人もいるらしいのだが、私は運悪く、そのような相手に巡り合えなかったようで、ライティング・センターに行ったことは、はっきり言って時間の無駄だった。そのため、クラスの友達にお願いして、添削してもらうようにした。それ以降は、いつも友達に添削してもらった。

人に頼らずに、ペーパーを書けるようになりたいので、ライティングの本を買い勉強を始めたが、正直言ってペーパーの質は、どうすれば良くなるのか分からない。ある時、教授が、クラスで1番出来の良かったペーパーを全員に配ってくれたのだが、自分のペーパーとはあまりにも違い過ぎて落ち込んだ。その学生のペーパーと比べると、私のペーパーは小学生の作文レベルだと思った。

どうにか良いペーパーが書けるようになりたいが、友達も皆、「慣れだよ」と言うので、量をこなしていくしかないのではないかという結論にたどり着き、今は教授に何か言われても、あまり気にしなくなった。「そんな投げやりでいいのか!?」と思われそうだが、私の場合、投げやりなのではなく、ポジティブに、マイペースで頑張ろうと思えるようになったことは、良い兆しなのだ。

Comparative Politicsでは、政治理論や概念を学んだ後、イギリス、フランス、ドイツ、日本、ロシア、中国、メキシコ、ブラジル、ナイジェリア、南アフリカ共和国の政治について勉強した。

この授業の教授は、面白いことを言う教授であると同時に、批判的精神が非常に旺盛で、特にアメリカ政府の批判をよく口にしていた。教授は話し出すと興奮し、話し方が激しくなるため、私にとっては、英語が聞き取りにくく、ノートを取るのが大変だった。慣れないころは特に、授業を理解出来ないことでパニックに陥り、試験の時どうすれば良いのだろう……とものすごく不安になった。

この授業は、夜の時間帯だったため、授業が終わって帰るころには、外はもう暗くなっている。「今日もあまり理解出来なかった」という悔しさや、自分の情けなさを、暗い帰り道が、余計悲しくさせて、よく泣いていた。が、授業を理解出来た時は、興味深いことを聞くことが出来た。ここまで自分の国の政府を批判する教授は、今までいなかったがこれからも会うことはないと思う。そのような教授が普通はいないからこそ、批判的な考え方を聞けて面白かった。この授業で最も困ったことは、勉強してもそれが全く試験の結果に結び付かなかったことだった。

私は、まじめに課題をこなしていたし、ほかのクラスメートより勉強していたという自信がある。なぜかと言うと、クラスメートの大半は、ほとんど教科書など読んでいないからだ。もちろん全員がそうではないが、読んだとしても、試験の直前という学生も多く、「アメリカの大学では、勉強をしなければ授業に付いていけない」というイメージを抱いていたが、あまりそのような印象は受けなかった。

私は勉強したつもりでも試験で良い成績が取れなかったため、教授に相談しにいった。すると、「クラスを落とすことを考えたらどうだ?」と言われてしまった。(セメスターの途中で、単位を取ることが出来なさそうな授業を、成績証明書には載せずに落とすことが出来る。)その教授は、私をどうサポートすれば良いのか、分からなかったのかも知れない。しかし、頑張りたいから相談しにいっているのに、なんて非協力的な教授なのだろう、とがっかりした。

中大で良い教授に恵まれ過ぎていた私は、「アメリカの教授は、冷たいなぁ」と思った。教授は当てにならないと分かり、今度は友達に聞いてみた。それで、友達が試験前に一緒に勉強してくれることになった。しかし、いざ図書館に集まってみると、友達はまだ、試験の範囲内の教科書を読み始めたばかりで、「悠の方が勉強しているから、教えることがない」と言われ、結局ドラえもんの話などで盛り上がっただけで、勉強会は終わってしまった。

その授業の試験で、良い結果を出せたことはなかった。しかし、最終的な成績は良かったので、結果良ければオーライだと、今は思っている。

なぜ成績は良かったのかというと、私は成績に追加される点数をもらえるアクティビティーに、たくさん参加したからだ。この教授は、大使館訪問をさせたり、学内で開催されている講演会に出席させたりして、学生の点数を追加する、という方針を採っていた。大使館訪問や、講演会に出席して、終わった後簡単な報告書を書けば、試験の結果が悪くてもそれでカバー出来るのだ。私は、この点数が追加されるアクティビティーのおかげで、非常に助かった。

この授業では、プレゼンテーションも行った。プレゼンの内容は、同じ民族であるにもかかわらず、2国に分かれている韓国と北朝鮮や、数カ国に散らばっているクルド人など、分かれてしまった国や民族を、自分たちならどのように統合し、その統合された国の政府をどのように機能させるか、ということをグループで考え、発表するものだ。

私は、スーダンのグループに入り、北部のアラブ人イスラム教徒と、南部の黒人キリスト教徒を、どのようにうまく統合し、政権を成立させるか、というプレゼンを行った。私は経済政策を担当し、石油輸出への依存を抑えること、石油輸出による収入を平等に配分すること、NGOへの依存も抑え、empowermentを推進すること、などを政策として発表した。

私が、秋セメスターで最も好きだった授業が、International Relationsだ。この授業でも、まず政治における概念や理論を学び、その後冷戦の歴史、現代における出来事や問題について勉強した。この授業の教授の講義は、学生に分かりやすいよう、説明の順序がよく整えられており、講義を聞き取ることが難しい私でも理解しやすかった(と言っても、やはり全部は分からないのだが)。

この教授は、厳しいと言われている教授の1人であり、1番頑張った割に、いい成績が取れなくて残念だったが、厳しいだけに授業の内容も非常に面白く、とてもためになった。この教授の授業を、春セメスターも受講しようと思っていたのだが、今期はほかの大学で教鞭を執られるそうで、私の大学では秋からまた教えるらしい。春セメスター後には、日本に帰らなければならない私としては、とても残念だ。

うまく行かない寮生活

私は、キャンパス内にある寮に住んでいるのだが、私の寮は新しいので、とても奇麗だ。私の部屋は1人部屋で、洗面所を2人で、シャワーとトイレを4人でシェアしている。

秋セメスターは、洗面所をシェアしていた子のことで大変だった。授業よりも何よりも、このことが1番の問題だったような気がする。

こちらに着く前、私はアメリカでの生活をあれこれ想像し、わくわくしていた。そして、まず同じ寮の人と仲良くなろう、と決めていた。しかし、その夢はあっけなく破れてしまう。私と洗面所をシェアしていたその子は、寮の部屋で彼氏と同せい状態で、いつも彼氏といるため、私との交流はほとんどなかった。私がシャワーから出てきたら、彼氏がその場にいたり、勉強中にもうるさくされたり、とだんだん問題が発生してきて、私はいらいらが募っていった。

そのほかにも、掃除の分担も全く約束を守ってくれなかったり、2人共同で使うスペースに、食べかけのピザを何日も置きっぱなしにしていたりと、色々と問題は絶えなかった。私は、「どうして、こんなにだらしないの!?」と信じられなくて、彼女との共同生活に、ほとほと嫌気がさしていた。

しかし、この問題は春セメスターになって、解決されることになる。なぜかと言うと、新しい子が来たからだ。その子は、非常に良い子で、奇麗好きで、今のところ問題も何も起こっていない。そんなわけで、春セメスターは平和に過ごしている。

ねたにされる学校での食生活

さて、食生活に関しては、私の部屋にはキッチンはなく、車も持っていないので、友達と一緒に外に食べにいく時以外は、学校の食堂で食べることになる。学校の食事には、私だけでなく、皆、不満を持っているようだ。私は日本にいるころ、マクドナルドやピザ・ハットが大好きだったので、アメリカでハンバーガーやピザ主体の生活になることなど、ちっとも気にしていなかった。

しかし、学校のハンバーガーやピザは、本当においしくないのだ。どうやら、ピザは余ったピザを何度も焼いて出しているようなのだ。そりゃ、おいしくないのも当たり前である。だが、学校の食事がまずいことは、学生の間ではねたのようなものなので、さほどの問題ではない。

ただ、白飯が食べられない毎日は、御飯好きの私にはつらいものだ。日本食を食べにいくと、友達に“You look so happy”と、よく言われる。私があまりにもうれしそうなので、自分までうれしくなると言われたことさえある。

メキシコ旅行で新たな気持ちに

このような暮らしを、秋セメスターの間、送っていたわけだが、実を言うと、ここには書き表せないほど、毎日落ち込んでいた。この状態を打開出来た最初の出来事が、冬休み中のメキシコ旅行だった。

メキシコというと、危ない国だというイメージがあるが、私はそのような印象は全く受けなかった。もちろん、数カ所にしか行っていないし、すべてを見たわけではないが、危険な目にも全く遭わなかったし、私が出会ったメキシコの人たちは、皆とてもフレンドリーで、良い人ばかりだった。メキシコは、のんびりしていて温かくて、焦ってばかりいた私の心を少しリラックスさせてくれた。

私が1番好きだった場所は、オアハカのソカロ(広場)だ。家族連れがたくさんいて、太っていて若いとはいえないお父さん、お母さんもラブラブで、至る所で子供が遊んでいて、何だかとても平和だった。

アメリカもそうだが、メキシコの人ものんびりしていて、日本のように時間にきっちりしていない代わりに、常に忙しい日本人より、大切な時間をたくさん過ごしているのではないかと感じた。頑張ることは良いことだけれど、ほかのもっと大事なことも見落としてはいけないと思う。何が1番大切なことかは、一概には決められないのだ。

また、オアハカでは、大統領候補が来るイベントにも遭遇した。PRD(民主革命党)と書いてある旗を持っている人たちが行進していて、カテドラル(教会)の前に人が集まっていたので、私も行ってみた。最初は、これから何が起ころうとしているのか分からず、「旗に書いてあることから、恐らく政治関係のイベントなのだろうけど、いったい何なのだろう」と思っていた。

そうして待っているうちに、同じようにイベントが始まるのを待っていた、隣に座っていた男の子3人と友達になった。3人とも大学生で英語が少し話せるため、スペイン語が出来ない私でも仲良くなることが出来たのだ。「ビセンテ・フォックス・ケサーダ(PAN=国民行動党)のことは、どう思う」と聞いたら、「彼は、良い大統領だよ」と言っていたが、3人はPRDを支持しているようで、そのイベントに来る候補者のことを正直者なのだと言っていた。

イベントはなかなか始まらず、結局おなかがすいて、皆で一緒に御飯を食べにいった。オアハカはチーズケーキが名物らしく、チーズケーキをおごってくれた。私が1人で旅をしていて、メキシコ・シティにも1人で行ったことを言ったら、「危ないよ」と心配してくれて、その後行く予定だったインターネット・カフェにも、わざわざ送ってくれて、本当に親切にしてもらった。3人に会って、オアハカは良い街だと、ますます思った。

私は、旅の1番のだいご味は、人との出会いだと思っている。さまざまな人に出会うことで、異なる考え方を知り、たくさんの刺激を受ける。

私にとって、メキシコ旅行での1番の出会いは、テオティワカンで会った日本人旅行者の女性との出会いだった。その人は、病気やけがなどで死にかけたこともあるらしく、色々と苦労があったようだが、それでもすごくポジティブな人だった。その人は、死に直面した経験があるため、「今、生きていること自体、すごいことで、だからやりたいことは、今やる」というようなことを言っていた。すごく格好良いと思った。

私が、すぐ他人と比べて「自分は駄目な人間だ」と思ってしまうことを話したら、「人と比べて自分を評価していると、自分がレベルアップしていても、ほかの人が自分より上にいると感じるから、自分の成長に気付けない。前の自分と比べて、自分がどうなったかで、自分を判断すれば良い」と言ってくれた。

終わりに

私はアメリカに来てから、ますます自分を他人と比べるようになって、自分のペースを忘れていた。理想に全然近付けなくて、変われていない自分が大嫌いでたまらなかった。自分を変えることばかり考えていて、変わるために、留学中に何かすごいことをしなければいけない気がしていた。

しかし、何かすごいことをしたら、大きく変われるということはなくて、小さいことの積み重ねで、気付かないうちに少しだけ変われているものなのかも知れない、と思った。理想には程遠いが、自分を変えようと努力してきたつもりだし、そのために行動を起こしてきたし、私も悪いところばかりじゃないよ、と自分に言ってあげることが出来た。

そして、春セメスターは、他人のことばかり気にせず、今の自分の状況を真っすぐ見て、自分が今出来ることに全力を注ごうと思った。

また、メキシコ人、ほかの国から来たバックパッカー、日本人旅行者、などさまざまな人に出会ったことで、自分の知らない世界がまだまだたくさんあることを感じ、自分ももっと世界を広げていかなければいけないと、改めて感じた。メキシコ旅行を通じて学んだことを忘れずに、残りの留学生活をポジティブに過ごし、新しいことに更に挑戦していこうと思った。

草のみどり 197号掲載(2006年7月号)