法学部

【活動レポート】佐藤 陣 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(84)
 ドイツへ語学短期留学をして 独語と少年法学び法曹目指す

留学を決意

このような場を借りて留学体験記を書かせていただけることになるとは夢にも思っていなかった。特に、入学してすぐの新入生オリエンテーションで「やる気応援奨学金」制度を知った時に、まさか自分がそれを利用して留学するとは思っていなかった。一度は留学してみたいと思っていたものの、入学当初第二外国語としてドイツ語を選択したのも言うなれば「法学部ならやっぱりドイツ語!」といううたい文句に踊らされたからであるし、一年次は語学よりも法律学を優先して勉強していた。留学するにしてもまだそこまで語学力がついていないとためらっていたこともある。そのような自分が留学を決意したきっかけは、同じく「やる気応援奨学金」制度を利用して半期前にドイツに留学した友人の存在が大きい。同じ教室で同じ授業を受けていた彼が留学をしたことで、留学を身近に感じ、前向きに考えるようになったのである。きっかけは案外ささいなことであったが、結果として素晴らしい体験が出来た。一月三〇日から三月四日までの一カ月ほどの短い期間ではあるものの、このドイツ留学は自分の糧になったと思う。

語学学校

私は今回、ドイツ北西部にあるOsnabrück(オスナブリュック)という町の語学学校に通うことにした。理由は簡単で、自身の研究テーマの取材先がハノーファーにあり、その学校がそこに一番近かったからである。海外旅行者の強い味方、「地球の歩き方」にも載っていない町なので知らない方も多いだろうが、三〇年戦争の講和条約であるウェストファリア条約の締結地であり、「平和」の町である。

 学校は朝九時から昼の一時一五分まで授業を受け、その後は学校が用意してくれた企画に自由参加というスタイルで、美術館やアイススケートに行ったり、新聞社や食品会社を訪問したり、ドイツ映画やオペラを見たり、バレーボールをしたりなどした。毎週末には近くの観光地に小旅行が企画され、ミュンスター、ブレーメン、ベルリン、オランダのアムステルダムなどに行き、二月二〇日には授業の代わりに皆でケルンのカーニバルに参加した。カーニバルは町を挙げてのお祭り騒ぎで、パレードはもちろんのこと参加者の仮装も見ていて楽しかった。仮装していない自分の方が周りから浮いていたので、友人たちがさまざまなものをかぶせてきたり、身につけさせてくれたのも良い思い出である。

 クラスは全部で四クラスあり、初日の筆記テストで振り分けられた。テストの結果、自己評価よりも上のクラスに入ることになり、付いていけるのかと不安になったものの、初日の文法の授業を受けて、やっていけると胸をなで下ろした。

 しかし、翌日の授業で私は大きな壁にぶつかったのである。

語学の壁

次の日は会話の授業で、自己紹介は難なく終えた。しかし、そこからが問題だった。日本から来たことを告げると、先生が何かを質問してきた。しかし、あまりにも話す速度が早過ぎたので、授業の流れを切ってしまったことに焦りながらも何度も聞き直した。その時の相手の質問は東日本大震災についてで、当時の政府の対応はどうだったか、それについて感じたことは何だったか、今の日本国民は原発についてどう考えているかなどで、自分にとってはあまりにも語い、内容、速度、すべてが付いていけないものだった。この後の先生の質問もほとんど理解出来ず、留学中でこの時ほど自分の語学力のなさを痛感したことはなかった。特に聞き取りの力が足りなかった。先生と相談した結果、自分の能力を一番効率良く伸ばすために、意地を張らず一つ下のクラスに移動した。そして、その日から何とかしてリスニング力を鍛えようと、授業外でもドイツ語を使い続けることを決心した。

しかし、同じ寮の人がドイツ語初心者ばかりだったので、いきなり練習相手探しに困ってしまった(しかしながら、彼らのおかげで英語は会話に困らない程度に上達した。ドイツへ行ってドイツ語よりも英語が上達したことは素直に喜んで良いのか悩みどころである)。そこで、買い物に出掛けた時に地図で目的地が分かっていながらも、時間がありそうな方を探して道を尋ねたり、カフェで隣に座っていた子供連れの家族に折り紙の鶴をあげて、それをきっかけに話し掛けたりした。バーでおじさんと短時間で意気投合することもしばしばあった。自分でもどうかと思った方法ではあったが、結果、今まで意味をなさない音の集まりのように感じていたネイティブのドイツ語を、一カ月の間にある程度の文章になるまで聞き取ることが出来るようになった。加えて、見知らぬ人に声を掛けるスキルと度胸が身についた。これが、語学学校終了後の後々の一人旅の際に役立つことになるのである。列車の相席やユースホステルの同室の旅行者に話し掛け、ガイドブックには載っていない生きた情報を交換出来たのはとても有益であったし、帰りの飛行機では乗務員や隣の席の子と仲良くなれたのはこの経験のおかげである。

語学学校を終えて

語学学校での四週間、さまざまなことがあった。もちろんつらいこともあった。最もつらかったのは、風邪を引いた時である。熱とせきで苦しみながら、ドイツ語で薬局のおじいさんに症状を説明した時のつらさは忘れることが出来ない。しかし、楽しいことの方がはるかに多かった。授業の最終日、お別れパーティーの際に先生にお礼をと各クラスで出し物をしたのだが、私のクラスはほかのクラスと共同で合唱ありの劇をした。劇中で誘拐されたり、花束を恋人にプレゼントしたり、色々と気恥ずかしい思いもしたがとても楽しく、みんなと一つのものを作るという経験がみんなとより仲良くなるきっかけになった。今でもこの時のビデオを見て笑ったりしている。この学校では本当に良い友人に恵まれたと思う。

 今回の短期留学で一番「来て良かった」と感じる瞬間はいつだったか。私は語学学校の友人との別れの時だった。別れの時、本当に寂しく感じ、「心に穴が開く」という感覚を初めて実感した。そんなふうに感じることの出来る友人がこの留学で出来たのだと別れの瞬間に感じ、「来て良かった」と思ったのである。彼らは日本の友人のように会おうと思えばすぐに会いに行けるような所にもちろん住んでいない。だから、会いたいと思った時に会うことは出来ない。しかし、今の時代スカイプやフェイスブックなどの便利なツールがあり、連絡を取ることは出来る。せっかく会った縁を大切に、彼らとの交流は続けていきたいと思う。

DVJJ訪問

今回の留学の目的として、語学研修以外に私はもう一つ持っていた。それはDVJJ(Deutsche Vereinigung für Jugendgerichte und Jugendgerichtshilfe, ドイツ少年裁判所・少年審判補助者連合)を訪問することである。その理由としては、昔から少年犯罪に興味があり、一年生のゼミ論文は少年犯罪をテーマに書いたこと、自身が法曹志望であること、また、DVJJが発行した「ドイツ少年刑法改革のための諸提案」(以下、「諸提案」)を読んで、ドイツの少年刑法や少年更正のための彼らの活動に興味を持ったことが挙げられる。出国前にアポイントメントを取り、「学術的な知見と実務的な経験の顧慮の下で、少年犯罪に関係する問題を検討し、その解決を促進する」ことを組織の活動内容とする彼らにインタビューすることとなった。

DVJJでDr.Balsと

訪問当日、私が緊張しながら事務所に向かうと、メールをやりとりしていたDr.Bals本人が出迎えてくれた。彼女は非常に親切な方で、一緒に昼食を取っている間も私の緊張をほぐすためか、さまざまな話をしてくれた。おかげで昼食後のインタビューを落ち着いてすることが出来た。

 私はインタビューの際、以下の二つの主な質問をしようと考えていた。
①Wie denken Sie über harte Bestrafung von Jugendlichen?(少年法の厳罰化についてはどう思うか)
②Was tut man in Deutchland, um erneute Straffällingkeit zu verhinden?(ドイツでは少年の再犯防止にどんなことをしているか)

 ①に関して次のように説明を受けた。ドイツも日本と同じく民衆に、少年法は刑が軽過ぎる、と考えられている。しかしながら、Jugendarrest(少年拘禁、一週間-四週間)に処された者の七〇%が再犯者になり、Jugendstrafe(少年刑、六カ月-一〇年)に処された者の七四%が同じく再犯者となる一方でWeisungen(最も軽い刑、社会奉仕や保護観察、職業訓練などが行われる)に処された者の再犯率はかなり低い。重い罰を受けるようなことをした者は容易に更生しにくいという意見を踏まえても、刑の重さが大きく異なっているにもかかわらず、JugendarrestとJugendstrafeの再犯率が同様に高いという点に着目すれば、この事実から少年法の厳罰化を否定すべきということが分かる。つまり、厳しい扱いをすれば更生を手助けするわけではなく、むしろWeisungenのような対応を重点的に行うべきということである。また、少年法は決して軽くなく、むしろ成年向けの刑法よりも重いと言える。なぜなら、刑法は、PrisonとFine/Penaltyという二つの選択肢があるが、Fine/Penaltyとなることが多いからである。Prison rate(収監率)も少年法の方が高く、世間の人は少年法を誤解している、とのことであった。

 少年法の方が一般刑法よりも厳しい取り扱いをしているということはそこで初めて知り、また、前述の「諸提案」に載っていなかった少年法の刑の種類について詳しく聞けたのも成果であると思う。

 ②に関しては、前に述べたJugendarrest, Jugendstrafe, Weisungenの詳しい説明と再犯防止にはWeisungenをこれから重視していくことが良いとの説明を受けた。加えて、一八-二一歳の青年の再犯防止のための対応について話してもらったが、これは興味深かった。次のように説明を受けた。Heranwachsende(青年、一八-二一歳)への対応にはさまざまな問題がある。なぜなら、彼らは少年法(六三%)か一般刑法(三七%)のどちらかで裁かれるのであるが、前述のとおり刑の重さに偏りがあるからである。また、発達心理学の視点からは、若年者が社会的な行動様式を習得するには、二〇歳代まで時間が掛かる。彼らにも、もっと少年法を重点的に適用することが再犯防止の手助けになるはずである。加えて、少年法か一般刑法、どちらを適用するかの基準が漠然としており、実務上さまざまに解釈されている。結果、地域によって少年法の適用割合が大きく異なっている(少年法の適用割合はハンブルクでの九二%からブランデンブルクでの三〇%までの開きがある)。よって、青年も少年法の適用範囲に含めてはどうかと考えている、とのことであった。

授業風景

これは今まで考えたことのなかった問題だったので、今後日本の少年法に関しても調べていきたいと考えている。

 また、地域によって少年法が適用されず、Diversion(犯罪事件について通常の刑事手続にのせて処理することを回避し、ほかの非刑罰的方法を採ること)されることも多く(特にブレーメンにおいて)、彼らにも少年法を適用すべきであるとの意見もあった。

 こうしてインタビューは終了し、忙しい中、二時間近くもインタビューに付き合ってくれたDr.Balsに心から感謝して、私は事務所を後にした。「やる気応援奨学金」を利用して留学した先輩方の中には、取材に関して何らかのトラブルがあった方も少なからずいたと聞いていたので、日本出発前から私は取材に関して不安を感じていた。しかし、Dr.Balsの積極的な協力のおかげで、無事取材を終えることが出来た。DVJJ訪問を経て、ほんの少しではあるが、少年法、少年事件についてのアプローチを学び、「諸提案」を読んだ以上に、ドイツ少年法、そして少年が更生するのに必要なことは何なのかをより理解することが出来た。この経験を生かして、これからはその理解したことを日本の少年法学習に役立てていくつもりである。

最後に

法曹人口の増加に伴い、法律以外の特色を持った法律家が要求される中で、ドイツ語を使うことが出来、少年更生に携わる法律家を目指すという目標は、短期留学を終えた今も変わらない。私は留学でドイツ語、少年法、どちらに関しても得るものがあった。そして、多くの友人も得た。帰国後も連絡を取り合い、近況を報告したりたわいもないことを話したりしている。彼らとの交流を経て、私はほかの国々について興味を持った。もっと言えば、自分以外の外の世界、人々にこれまで以上に興味がわくようになった。実を言うと、留学の成果として、これが最も自分の将来に生きてくるのではないかとも考えている。

 紛争解決のために仕事をする弁護士は、法律を事案に当てはめていくだけではなく、さまざまな人と接触し話をして、彼らのことを理解する必要があると思う。ある時、弁護士の方に、法曹として大切なことは何かと尋ねたところ、「人」を知ることだと思うと答えられた。その時は言葉の意味として納得はしていたが、今回の経験でよりそのことの大切さを感じた。言葉も完全に通じるわけではなく、細やかな心情を伝えきることは出来ないような状況でも、相手の言うことを理解しようとし、相手が望んでいることを心から知りたいと奮闘したこの一カ月は、きっと私の将来に生きてくると思う。

 最後に、ドイツで出会ったすべての友人と、私を支えてくれた家族、留学を決心するきっかけとなった友人である後藤究君、そして何より真田先生を始め、私を応援してくださった奨学金にかかわるすべての方々に感謝します。