法学部

【活動レポート】佐藤 壮 (法律学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(79)
途上国カンボジアで奉仕活動 孤児院で英語教え現状を見る

 私は、二〇一一年八月下旬から九月下旬にかけて約一カ月間、「やる気応援奨学金」を利用しカンボジアに滞在した。その際、貧しい国の現状を自分の目で見て確かめること・英語力の向上、という二つの目標を掲げて、孤児院で英語の授業の手伝いをするというボランティア活動に取り組んだ。カンボジアで学んだこと、印象的だったことなどをお伝えしたい。

カンボジアとは

 カンボジアは人口約一四〇〇万人、東南アジアのインドシナ半島に位置する。一人当たりのGDPが東南アジアの中でも最低ランクの発展途上国である。一九七〇年代の内戦の際に都市に住んでいた市民がポルポト政権によって農村部へ追いやられたために、今でも農業従事者は八〇%を超える(ちなみに日本は二〇〇〇年時点で第一次産業従事者の割合は五%ほど)。更に旧政権関係者、都市の富裕層や知識層、留学生、クメール・ルージュ内の親ベトナム派など数百万人の人々が虐殺され、学校教育も廃止された。一九九〇年、内戦は終結し学校教育は復活した。しかしながら、現在もカンボジアでは子供の数に対して学校・教師の数が絶対的に不足しており、農村部では今も学校に通えない子供はたくさんいる。更に通学している子供も、多くの学校が二部・三部制を採っているので一日中学校で学ぶことは出来ず、午前中だけ、あるいは午後だけ学校に通って学んでいるのが現状である。

 カンボジアに学校を建てようと活動する団体が日本に多いのはこのためである。(「行列のできる法律相談所」におけるカンボジア学校建設プロジェクトや、映画「僕たちは世界を変えることができない。」の原作者葉田甲太氏が結成した団体はその一例である。)

私が滞在した孤児院

 活動の拠点は、カンボジアの首都プノンペンからトゥクトゥク(カンボジア、タイやラオスにある料金交渉制の三輪タクシー)で二〇分ほどの距離にある孤児院である。幼児から大学生まで一八人の子供を引き取って育てており、生活費・食費そして彼らが公立の学校に通う費用もすべて孤児院が負担している。彼らは必ずしも全員が孤児ではないが、その多くが内戦により片方の親を亡くし、親の下では経済的余裕がなく学校へ通うことの出来なかった子供たちである。

 SCAO(Save Poor Children In Asia Organazation)の運営者であるSamithさんは彼自身が裕福ではない環境の中で育ったこともあり、貧しい境遇の中で生きる子供たちに教育の機会を与えたいと考え、SCAOを設立。それと同時に、SCAOのセンター(SCAOの子供たちが生活をする家)から五〇㍍ほどの距離の場所に学校を建て(二つの小さな屋根付きの教室がある)、そこで外国人ボランティアの力を借りて近隣の子供たちに対して無償で英語の授業を提供している。二〇一一年七月には首都プノンペンからトゥクトゥクで四〇分ほどの場所に新しい学校(以下、新設校)が出来、更に多くの子供たちが英語教育を受けられるようになった。現在センターの近くの学校には総勢で三〇〇人ほどの子供が通学しており、一方新設校では四〇〇人を超える子供が英語を学んでいる。

活動の内容

 私の主な活動は、毎日朝昼夕三回学校で行われる授業の中で、ほかのボランティアのアシスタントまたは授業をするというもの。朝は八時-一〇時、昼は一四時-一六時、夕方は一七時三〇分-一八時三〇分と一九時-二〇時三〇分のクラスに分かれている。どの時間帯も三つのクラスに分かれている。

授業の様子

 朝昼はabcのクラス、主に五-一〇歳くらいの子供たちでアルファベット・数字・曜日や月などのつづりを学ぶ。日常英会話を学ぶクラス、"How are you? How old are you? What time is it now?"などの基本会話を学ぶ。それに発展的なクラスがある。

 夕方は動物などの単語を学ぶ小さな子供たちのクラスと、市販の教材を使って学習する中級レベルのクラスと、市販の教材を使いながら出来るだけ現地の第一言語であるクメール語は使わずに英語で質疑応答がなされる上級のクラスとに分かれている。

 私は午前中と午後はabcのクラスを担当していた。主に以下のようなことをした。まずKarolin というドイツ人のボランティアと共にホワイトボードにMonday, Tuesday, Wednesday, Thursday……などと書いていく。一通り書き終わったら"Please copy!"あるいは「 ソーセイ、ソーセイ(クメール語でコピーの意)」と言ってノートに書き写させる。終わった子供には、well done, very good, excellentなど評価を書いてあげるようにしていた。あるいは、子供たちに"What is the spelling of 12?"などと質問してホワイトボードに書かせたり、hangmanという単語当てゲームをやったりした。

 特に午後の授業の子供たちは元気いっぱいで、正直大変だったが、とてもやりがいがあるクラスだった。教える側は二人、一方で勝手に遊び始めたり、ほかの子にちょっかいを出すような子供たちが三〇人ほどもいる。彼らは自分が書き写す作業が終わったら、いち早く終わったことを伝えて、チェックが欲しいようで次から次に私たちに自分のノートを差し出してきた。(こういう時、自分が小学生くらいの時に、先生から「よく出来ました」という意味の花丸やスタンプをもらうために懸命に課題をこなしていたのをよく思い出した。)その様子はとても無邪気で可愛らしかったし、勉強に対して意欲を感じた。

 空き時間は、授業の準備や子供たちとサッカーやバドミントン、バレーボールなどのスポーツ、あるいは私が日本から持ってきた折り紙を一緒にして過ごしていた。

 ボランティアのKarolinやニュージーランド出身のVannesaらと一緒にプノンペン市中心街へトゥクトゥクで出掛けることもあった。そんな時は、大抵セントラルマーケット(主にバッグや財布、時計など高級ブランド品の偽物やDVDの海賊版や日常雑貨、食料がそろうマーケット。ちなみにカンボジアの商人やタクシードライバーは西洋人には現地人価格の二倍、日本人には現地人価格の三倍の値段を吹っ掛けてくる。だからマーケットでは値引き交渉が可能であり、私は買い物の際、日本では出来ない値段の交渉を楽しんでいた)へ行き、近くのレストランでランチを取り昼の授業のために帰る、という日課だった。

カンボジアの生活

 カンボジアの人は早寝早起きである。大人も平均的に二二時くらいには寝て朝五時三〇分とか六時くらいには起きている人が多い。お昼の時間はゆっくり休憩をする習慣があるようで、働きに出ている人もいったん家に帰って昼御飯を食べ、そして仮眠をするといったことも普通である。カンボジアは多くの家にハンモックがありSCAOにも置いてあったので私はよく寝転がって仮眠を取っていた。

 シャワーは常温の水を体に掛けるというスタイルが一般的であり、トイレは水洗トイレがほとんどでトイレットペーパーは使わず水を利用する。

 御飯は、日本米よりもぱさぱさしたタイ米の白御飯に、野菜をたっぷり使ったいため物、そしてスープという組み合わせが多い。スープにはトムヤンクンなどにも使われている香辛料、パクチーがよく入っており独特の味がした。

 スポーツはサッカーと、ダーカウ(日本のけまりのようなスポーツでまりの代わりにバドミントンの羽のようなものを数人でけり合う遊び)、そしてバレーボールが大変人気があった。

貧しい国の現状を確かめる

学校周辺の風景

 日本と比べて決して豊かとはいえない、カンボジアの孤児院で子供たちと約四週間生活した。トイレはくみ置き式で自動の排水システムはないので、水をくんで流すしかない。トイレットペーパーはないことがほとんどで、現地の人は紙ではなく水と手で、お尻をふいている。(だから私は常にポケットティッシュを携帯していた。)衛生環境があまり良くないので日中はいつもはえが飛んでいるし、御飯を食べる時はなおさらである。部屋に置いておいたリュックの中にあめを入れていたことがあって、一個ずつ包装してあるから大丈夫だろうと思っていたら次の日リュックはありだらけだった。洗濯機はあったが、それは一八人いる子供たちの服をまとめて洗濯するためのものなので、私たちボランティアは洗濯する際、必然的に手洗いになる。孤児院で暮らしている子供たちはカンボジアの最貧困層ではなかったが、彼らと一緒に生活して自分が日本でいかに快適な暮らしをしているかを、身をもって知ったことは良い経験になったと思う。それと同時に、自分でも意外だったが、カンボジアの生活でも何とかやっていけるのだという実感もあった。発展途上国の生活がどのようなものか体験して、第一の目標はある程度達成出来たかと思う。しかし反省もあるのでそれは後で述べる。

英語力の向上

 これに関しては、正直何ともいえない。確かにSCAO自体が英語の授業をやっていて日本人は一人もいないため、人と話す時は必ず英語を話していた。ほかのボランティアは皆英語が大変流ちょうだったので、気兼ねをしてあまり話せないこともあったが、英語を話す機会がある時はなるべく積極的に話すようにしたし、毎日洋書を読むことも心掛けた。ちなみに子供たちは小さいころからボランティアとしてSCAOに滞在する英語圏のネイティブスピーカーの英語に触れて育っているので、うまい子は本当にバイリンガルのように英語を操る。だから子供たちとしゃべることも良いトレーニングになった。

教室を増設中

 自分の英語力がどれだけ向上したかは分からないが、英語学習に対しての良い刺激を受けることが出来たと思う。というのは、まずリスニング力がないことが原因で、得られるはずの情報の多くを逃してしまうことは大変もったいないと思ったからだ。海外では外国人との共通語はもちろん英語になる。もし会話の相手がどんなに面白い話、自分にとってためになる話をしてくれても聞く耳がなければその話を理解することは出来ない。私とほかのボランティアが一対一で話す時、彼らは私のためにゆっくり話してくれたが、ほかのボランティア同士で話をする時はもちろん通常のスピードで会話をする。話の概要は大体つかめるのだが、細部は全く分からない。私は彼らから得られたはずの情報の半分ほどしか聞き取れなかったように思える。またシェムリアップ(世界遺産のアンコールワットがある都市)で、たまたまカンボジアの日本語を学ぶ大学生と一緒にアンコールワットを回る機会があった。彼らは一年ほどしか日本語を勉強していないと言っていた。しかし、学生のほとんどは、こちらがゆっくり日本語で話せば会話が出来るほどに日本語に習熟していた。意思さえあれば短期間でも語学を習得出来るのだということを実感した。

反省すべき点

 私はカンボジアの子供たちと一緒に生活はしたが、彼らはカンボジアでいわば中間層の人々だった。私の目標は貧しい発展途上国の現状を自分の目で見て確かめることであったのだから、最貧困の人々と会うことが出来れば、もっと今回の活動を有意義なものに出来たのではないか。

 「僕たちは世界を変えることができない。」の作者、葉田甲太さんは本の中でカンボジアのゴミ山に行ったと述べていた。そこには、一日一㌦以下で生活する人々がたくさん住んでいて、トラックがゴミを捨てにくると、その度に彼らはその捨てられるゴミに群がるのだという。ゴミの中に金目の物がないか探しているそうだ。大勢の人が悪臭の漂うゴミに群がる。ものすごい光景だと思う。葉田さんのようにゴミ山のような本当に貧しい人々がいる所にも行くべきであったと思う。私がその本を読んだのはカンボジアから帰ってきた後であり、事前にしっかりと情報収集が出来ていなかったことは大きな反省点である。

幸せ=豊かさ(?)

 センターに住む子供たち、英語の授業に来る子供たちは決して裕福とはいえない環境にある。鉛筆を一本しか持ってない子、ぼろぼろのノートを使い続ける子、パジャマを着たまま学校に来る子、帰りに駄菓子を買うために授業中、ペンで単語を書き取る時も五〇〇リエル札を握り締めている子(リエルは現地通貨。五〇〇リエルは大体一〇円ほどの価値)、二〇分ほどで着くプノンペンの街に一度も行ったことがない子、さまざまな子供たちがいた。もしかすると、外国の貧しい子供たち、というと世をはかなみ、「なぜ自分がこんな苦しい生活を強いられなければいけないのか、なぜ誰も助けてくれないのか」といったような悲しく暗い目線をこちらに向けている子たちを想像する人もいるかも知れない。しかし、彼らはそうではない。いつも笑顔でいっぱいである。勉強している時も遊んでいる時もとっても楽しそう。知らない子であっても「ハロー」と言うと笑顔で返事をしてくれる。遠くから手を振ったら元気に手を振り返してくれる。そのことが私には大変印象的で、必ずしも幸せ=豊かさではない、ということを実感した。

現地に行かなくても力になれる

カンボジアの子供たち

 私はカンボジアに行く前は、貧困撲滅や平和構築を目的とし、問題が起きている現地で活動するNGO・NPOに将来所属したいと思っていた。だが、少し考えが変わった。都市部や農村部さまざまな所で人々が生活しているのを見て、暮らし・経済はカンボジアの人々の手で回っているのだと思った。カンボジアは今でもさまざまな問題があるけれども、安易な気持ちで団体や組織がカンボジアに入るとカンボジア内で既に出来ている経済や生活の流れを壊してしまう可能性もあると思う。それくらいならむしろ現地に入ることなく、学校を建てるため、あるいはひもじい思いをしている子供たちが御飯を食べるため、そしてほかの目的のためにも必要不可欠な、「お金」を寄付することの方がより彼らのためになるのではないかと考えるようになった。つまり将来、専門的な職業についてお金を稼ぎ、それを寄付する。そして国際協力のボランティアは休暇などの時間がある時にサブの活動として行うといった選択肢も大いに考えられると思ったのである。

 SCAOにあった一人一人の子供たちの紹介文の結びには、彼らが来年、再来年と学校に通い続けるためのスポンサーを募集しています、という旨の文章が必ずあった。しかるべきNGOかNPOにお金を寄付することで彼らのような学校に行くことが出来なかった子供が学校に行けるようになる。しかもカンボジアの物価は安いので大学生の一年間の学費でさえ六万円ほどである。幼児から大学生まで一八人のすべての子供たちが一年間暮らすための生活費・学費その他諸費は一五〇万円掛からない。日本で一人の大学生が一年間暮らすための費用の方が、カンボジアの子供たち一八人よりも高いのである。それほど物価の違いがあるのだから少額の寄付でもたくさんのカンボジアの人のためになるはずだ。

活動を終えて

 私は今まで寄付という行為にあまり良いイメージを抱いていなかった。ほかの人が寄付をするのは素晴らしいことだと思う。しかしいざ自分の番になると、寄付はただお金を渡して、はい終わり、というような一過性で気持ちのない行為だ、と思ってしまう部分がどうしてもあったのである。実際、東日本大震災の際も私はほとんど寄付をせず、ボランティア団体と共に現地に行ってボランティア活動を行った。前述したように、今回の活動を通じてしかるべきところに対して行った寄付は自分が支援したいと思う人たちのためになる、ということを感じ、寄付に対する良くないイメージを払拭出来たように思える。

 それと同時に、外国の貧しい人々のために何か行動したい、と思ったらNGO・NPOに必ずしも所属する必要はなく、ほかにも寄付を始めとしたさまざまな手段があるのだという当たり前のことを改めて確認出来た。今後自分がしたいことをやるためにはどういう手段が考えられて、そのうちどれが自分に適しているのだろうかということを、偏った見方ではなく、幅の広い柔軟な考えを持って、考え続けていきたい。

 最後に、今回活動をサポートしてくださった方、「やる気応援奨学金」にかかわる先生方、OB・OGの方に感謝の意を述べたいと思います。このような有意義な活動をさせていただいて、ありがとうございました。

草のみどり 253号掲載(2012年2月号)