法学部

【活動レポート】牧野 美穂 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(78)
韓国で歴史認識の違いを学ぶ 知的財産の保護には低い認識

はじめに

 私は二〇一一年三月五日から三月二六日までの約三週間、「やる気応援奨学金」をいただいて韓国へ短期留学しました。今回留学するに当たり、ただ語学学校に通うだけではなく、「韓国への留学を通して日本と韓国の領土問題や植民地問題などの歴史認識と知的財産における認識を学ぶ」というテーマを掲げ、活動に取り組んできました。

歴史認識と知的財産への認識

 私が活動テーマに「歴史認識」と「知的財産における認識」の二つを掲げたのには理由があります。近年では日本と韓国の間で音楽やテレビなどさまざまな文化交流が行われ、以前に比べより親交が深まったように思われる半面、日韓の領土問題や植民地問題などの歴史問題が話題に上ると、韓国は強い反日感情をあらわにし、日本でもその問題が起きる度に韓国批判が起こるなど、文化交流とは異なった姿勢を見せるように感じていました。しかし私が目にするその光景はメディアなどの公の場で起こっていることであり、公の場で発言する機会のない一般人が日本また韓国の歴史をどのように学んできて、どのような認識を持っているかまでは知りえません。そこで私は、日本と韓国の人々が日韓の歴史についてどのような教育を受けて、互いにどのような認識を持っているのかを知るために「歴史認識を学ぶ」という活動テーマを掲げました。「歴史認識を学ぶ」といっても、ただ受動的に意見を聞くだけではなく、互いの意見を知ったうえで自分なりの意見を持ち、自分の見識を広げることがこのテーマで活動するうえで必要であると考えていました。

 また、私は将来知的財産にかかわる仕事に就きたいと思っており、韓国における知的財産の考え方を知ることが将来その仕事に就くうえで役に立つと考え、自分の就きたい職業に生かせるような知識を蓄えるためにも「知的財産における認識」というテーマを掲げ留学に臨みました。

留学への不安

 このような経緯で活動テーマを決めて留学に臨みましたが、出発前の不安は並大抵のものではありませんでした。

 中学時代に韓国人の友人が出来たことがきっかけで韓国に興味を持ち、高校時代から独学で韓国語を勉強してきましたが、自分の韓国語が通用するのか、三週間無事に過ごせるのかという語学面での不安はとても大きかったです。

 しかし、今回の留学で最も不安だったことは、活動テーマにも掲げている「歴史認識」についてしっかり調査出来るのかということでした。日本と韓国の歴史認識に関して調べるために留学していると言ったら、それだけで毛嫌いされて話もしてもらえないのではないかと思いました。韓国人の中にはさまざまな歴史認識を持っている人がいるとはいえ、私の中で韓国人は(あくまでも歴史認識という問題に対する韓国人の姿勢や態度をメディアを通して見たことしかなかった私の中のイメージではありますが)、歴史問題では日本に否定的な態度を取るというイメージがあり、日韓の歴史について率直に意見を交わし、お互いの理解を深めるには至らないのではという不安が消えませんでした。

語学学校での三週間

 私が通った語学学校は明洞や景福宮などの観光地から少し離れた所にあり、日本語や英語はほとんど全くといって良いほど通じませんでした。日本で韓国語を勉強していたとはいえ、実際に韓国人の話す韓国語を聞き取るほど耳が韓国語に慣れておらず、初めのうちは周りの人が何を言っているのか理解出来ないのがとても悔しかったのを覚えています。しかし授業はもちろん韓国語で行われ、テレビを付けても韓国語しか流れない、そんな韓国語尽くしの三週間を過ごしたことで徐々に韓国語に耳が慣れ、聞き取ることが出来るようになりました。

 また、今回の研修で一番実感したのが、韓国語を話す能力が格段に上がったことです。初めのうちは自分の思っていることを伝えられるほどの語彙力がなく、韓国の学生と話すにも英語を使ったり辞書を使わなければ会話が成り立ちませんでした。しかし、日本語や英語がほとんど通じず韓国語を話さなければ生活出来ないような環境だったこと、また滞在していた学生寮には日本・香港・台湾・上海・タイ・ドイツなどさまざまな国からの留学生がおり、彼らと会話するためには韓国語が共通語であったことが、より実践的に韓国語を話せるようになることにつながったと思います。

歴史認識

 この調査を行ううえで、日本と韓国の歴史がどのようなものであったかを知ることは重要ですが、それだけにとどまらず、日本と韓国の人々が今互いにどのような感情を持っているのかも歴史認識の一つとして知りたいと思っていました。しかし、日本と韓国の歴史を知ろうとすればするほど、そもそもあまりにも日本人が歴史を知らな過ぎるのではないかと思うようになりました。日本と韓国の歴史を調べると今まで自分が学んだことのない事件や事実が多く、教科書などでさらっと書き流されている部分が韓国側から見るととても深い事件だったりすることもあったのです。

西大門刑務所歴史館

 今回、日本と韓国の歴史を学ぶためにまず西大門刑務所歴史館を訪れました。ここは、日本帝国主義時代に自国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かった独立運動家や、解放後の独裁政権時代に民主化を成し遂げようとして独裁政権に立ち向かった民主化運動家が捕らえられ、監獄生活を余儀なくされた場所です。この場所を訪れた時に受付の人に言われたのが、「日本人が来るのは本当に珍しい」ということでした。また、入り口でパンフレットを配っていたボランティアの学生にも「一人でここに来る日本人には初めて会った」と言われました。この言葉で、彼らにとって日本人が韓国に赴きわざわざ日本と韓国の歴史を学ぼうとすることがいかに珍しいことなのかを察しました。

 実際に歴史館を見た時、私は言葉が出ませんでした。日本ではほんの数頁で語られる出来事が、そこでは展示館や実際に使われた死刑場・獄舎など膨大な敷地を使って語られていたのです。歴史館では、日本に侵略され、併合された事実や日本が独立運動家たちに何をしたかはとても細かく記述されていましたが、韓国併合の時代背景を述べている部分は少なく、日本が自国にどのようなことを行い、どれだけの被害者が出て、どれだけ苦しい思いをしたのかを強く主張している、という印象を受けました。一方、日本では韓国を侵略し併合した背景ばかりが語られ、実際韓国でどのようなことが行われたのか具体的なことはほとんど教えていないように感じました。事前準備のために日本で多くの本を読み、歴史の勉強をしてきたつもりではありましたが、私が学んできたのは日本がどういう経緯で韓国を侵略し併合したのかという時代背景だけで、実際現地で何が行われていたかということについてはまだまだ自分が知識不足であったことをその時実感しました。

 そして今回一般の韓国人の歴史認識を調べるため、学校の先生・学校の友人・寮の管理人・よく行く飲食店のおばさんたちに「歴史や現在の文化交流を踏まえて日本をどう思うか」という質問をしました。実際に彼らに話を聞いてみて思ったのは、みんなあまり歴史については話したがらない、ということでした。ほとんどの人が日本人が韓国との歴史について関心を持っていることに驚きはするものの歴史について深いところまで語らず、話を流されることがほとんどでした。また、日本の歌手や俳優が好きだという韓国人に何人も会い、日本が好きで日本への留学経験もある韓国人と話す機会もありましたが、みんな日本と韓国の歴史についてはほとんど口にせず、お互いの歴史にふたをしているようにさえ感じました。中には質問に答えてくれた学生もいましたが、「韓国で学ぶ歴史が正しいわけではないし、日本で学ぶ歴史が正しいわけでもない。歴史に対する認識は国で違うから、過去にこだわらないで新しい関係を築く方が良い」と、日韓の歴史認識を問題視しない意見もありました。

 今回日本と韓国の歴史認識について学んで思ったのは、やはり日本と韓国には「近いけど遠い国」と言われる何か距離感があるということでした。文化交流は以前より盛んになり、お互いの国を行き来することも多くはなったけれど、やはり越えられない壁があり、「日本が嫌いだ」という人はいなくても、日本との歴史を考えると単純に親日にはなれないのだろうとも思いました。また、日本との歴史を踏まえて、それでも日本と新しい関係を築いているのではなく、日本との歴史に関してはふたをして、そのうえで日本と新たな関係を作っているように感じました。

知的財産における認識

 韓国のスーパーでは、日本で見たことのある商品と似たような物が、日本とは異なるメーカーから販売されていました。見た目が日本で売っている物とよく似ているため安心感はありましたが、知的財産の保護という観点から見ればこれは問題ではないかと感じました。

 私は日本での事前準備で、韓国でよく似た商品が売られているといわれている菓子を調べ、その中から厳選して「かっぱえびせん、ポッキー、きのこの山、おっとっと、ハイチュウ」を日本から持参しました。それを実際に韓国人に食べてもらい感想を聞きましたが、私が最も驚いたのは、韓国人に「模倣する」ということに抵抗がないことでした。ただ製品の中身が似ているだけではなくパッケージや商品の名前が似ていることを指摘しても、「似てるねー」程度の反応で、そもそも模倣することが問題であるとは考えていないようでした。

 今回のこの調査で、韓国では模倣することに抵抗がなく罪悪感が希薄であること、模倣であると指摘されてもそれが問題であるとは思っていないということ、そして既存のものを模倣し販売するには一定のルールがあり、それを守ることで知的財産は保護されているのだが、それを侵害することへの問題意識が低いのではないかということを感じました。

 商品を作り上げ、一つのブランドを構築するためには、多くの時間や開発・宣伝などのコストが掛かっており、一定のルールにのっとらずに勝手にそれを使用することは許されるべきではありません。私はこの活動で、現在日本でも認知度を上げてブランド力を構築した企業が多数存在する韓国が、一方でこのような現状であることに問題意識を持ち、そして新たに、韓国のこのような状況に日本の企業などがどのように対策を講じているのかという自分なりの勉強のテーマを持つことが出来ました。

おわりに

 今回の活動では、現地で語学を学んだり、歴史認識と知的財産における認識を学べたことも大きな成果ですが、三月一一日の東日本大震災を韓国で経験したことで、日本では学べないことを現地で体験出来ました。歴史的な面で見れば韓国が経験した不幸な歴史に日本はとても関係しているし、悪い意味で日本の存在は大きいと思います。しかし、メディアの大々的な震災報道や街頭での学生団体による日本への募金の呼び掛け、日本でも有名な韓国の芸能人の寄付があり、同じアジアであり身近な国である日本と韓国にはやはり何かしらの強い関係があると感じました。もちろん今回の問題が地震・津波という大きな災害であったからこそ、歴史などの過去は取っ払って、純粋な人間的感情から日本を助けようという考えがあったともいえるでしょうが、それでも韓国の日本への姿勢を現地で身をもって体験出来たことはとても良い経験であったし、私にとって大きな収穫でした。

 韓国滞在中、すべてが予想どおりだったわけではないし、うまく行かずに心が折れそうになることもあったけれど、この三週間を乗り越えて得たものはとても多かったです。

 「やる気応援奨学金」はその活動の多くが語学研修や国際インターンシップですが、私の活動は、語学学校に通いながら韓国での歴史認識と知的財産における認識を調査することを目的としていました。海外語学研修部門には韓国語を学べる枠がなく、一般部門での応募しか道はありませんでしたが、ただ語学留学に行くだけでは一般部門の趣旨に合わず、韓国語を学びたいだけならば給付は難しいと何度も言われてきました。しかし一般部門への応募準備を進めるうちに自分の中で「歴史認識」と「知的財産における認識」を知りたいという二つの目的が明確になり、それを達成するために何が何でも奨学金をもらって「やる気応援奨学金」制度初の韓国への留学を成し遂げようという強い気持ちに変わりました。一般部門はほかの部門のように給付対象のテーマが決まっていないため一見難しいように感じますが、私は自分の関心のある分野での活動を行う可能性を最も広げてくれるものだと活動を終えて感じていますし、申請条件が厳しかったからこそ本当に自分の関心があることを突き詰めることが出来、自分の「やる気」を最大限に発揮して臨める留学になったのだと思います。

 留学期間は三週間と短い期間でしたが、この留学を成し遂げるまでの準備期間など「やる気応援奨学金」に費やした時間で、自分の関心ある分野を更に突き詰めることが出来たと共に、自分の将来の勉強のテーマや将来の具体的なビジョンも見えるようになりました。この制度が私の活動を後押ししてくれたように、何か自分の関心のあることをやり遂げたいと思っている人がいるならばこの制度にぜひ挑戦して何かを得てほしいと思います。

 そして最後になりますが、今回このような形で私の活動を後押ししてくれたこの制度や、この活動を行うために多くのアドバイスをくれた先生方、私の活動にかかわったすべての人々に心から感謝したいと思います。

草のみどり 252号掲載(2012年1月号)