法学部

【活動レポート】杉山 沙織(国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(72) フィリピンで法務インターン 英語、人権、アジアがかぎに

はじめに

私は「やる気応援奨学金(海外語学研修部門、英語分野)」の御支援を頂いて、2010年8月から9月の約1カ月間(大学3年次)、フィリピンに滞在しました。滞在の主な目的は「現地の法律事務所でインターンシップをすること」でした。もともとイギリスの弁護士になることを目指して勉強していた私は、ロースクール受験のために本格的に渡英する前に、再度「外国で弁護士として働くとはどういうことなのか」「どのような現実が待っているのか」、それら根本的な問いに対する答えを明確化・具体化する必要があると感じたのです。そのために最も有効な方法は、むろん、実際に海外の法律事務所で働いてみることだと思いました。しかし、いざイギリスの法律事務所(私は人権に興味があったので人権分野に力を入れている事務所を多くあたりました)に連絡を取ってみると、人脈がないことが原因で、受け入れていただける事務所は残念ながら見付かりませんでした。そこで、「英語」を使用して法律実務を行っていて、「人権」について学ぶことが出来る国、というキーワードに着目し、より広い視野で考えてみたところ、「フィリピン」という国が思い当たりました。皆さんご存じのとおり、フィリピンは貧富の差が激しい開発途上国で、わいろ、極端な低賃金労働、ストリートチルドレンや孤児、貧困地域出身の若い女性の売春行為など、日本を含めた先進諸国にはないさまざまな問題を抱えています。そこでは人権侵害が存在し、フィリピンに赴くことは、本当の意味で人権というテーマと向き合えることではないかと思いました。また、フィリピンは英語を公用語としているため、裁判や裁判所に提出する書類などの使用言語はすべて英語で、私の「英語を使って法律実務を学ぶことが出来る」という条件に合致した舞台であると分かりました。更に、日本人の私が、遠くヨーロッパに行くよりも、日本と同じアジアの国に目を向けて、アジアをもっと知ることは非常に大切なことだという理解に至り、滞在国が決定したのです。そして、幸いなことに私の受け入れを快く引き受けてくださる事務所と出会うことが出来、私はフィリピンのパンパンガ州(首都マニラから車で1時間半)にある、Reyes Irisari-Reyes Attorneys and Counselors at Law(法律事務所)でお世話になることになったのです。

法律事務所の様子

私がお世話になった事務所は、弁護士2人、弁護士秘書1人、アシスタント1人の計4人から構成される、いわゆる「町弁」(まちべん。町医者的な弁護士のこと)と呼ばれる個人事務所です。取り扱い業務は民事・刑事など問わず多岐にわたりますが、私の研修中には、土地購入問題(田舎の弁護士はよく携わる案件だそうです)、ビザ取得問題(一般的に、フィリピン人はアメリカに移住することを夢見ていて、そこでいつもビザの問題が浮上します)、労使関係問題(賃金未払い期間が継続し、怒りを覚えた従業員らが人身売買であるとして刑事事件に発展したケースです)、企業の新規事業立ち上げに関する相談など、さまざまな案件でクライアントが来所していました。私の担当弁護士のダーウィン氏(30代前半。奥様もお父様も弁護士です)は、地元でトップの実績を持つ、最も優秀な弁護士として知られていて、地元弁護士会の「次期会長」と言われる方でした。実際、裁判に同行させていただいた際にはいつも、裁判所内で擦れ違う弁護士、検察官、裁判官の方が皆さん口をそろえて「彼の下で研修が出来るなんて、あなたはとてもラッキーな人です」「彼はこの市で最も優秀な弁護士です」とおっしゃっていました。そのように言われる度に、「この人からたくさん学ぼう。吸収しよう。インターンシップ期間の一瞬も無駄にしたくない」と思っておりました。ある時、事務所に初めて来所したクライアントがいました。なぜこの事務所を選んだのかと尋ねたところ、「裁判所に行ったらここのダーウィン弁護士を薦められて」とのことでした。フィリピンの法律事務所では(日本でもそうだと思いますが)、インターン生の受け入れは、基本的にロースクール生か既に弁護士資格を有する者に限られます。私もこの事務所とコンタクトを取り始めたころに、「訴状は書けますか」「校正の経験は」などと具体的な実務経験を聞かれ、ことごとく「出来ない」「経験もない」ということを伝えなければならず、何も出来ない自分に心が沈んでいました。しかし、それでも、単なる一法学部生の私をインターン生として快く受け入れてくださったのです。このことはいくら感謝してもしきれません。

フィリピンの司法事情

あまり知られていない事実ですが、フィリピンは訴訟社会です。そのため、一般的に弁護士は毎日出廷します。同じアジアの国なので、控えめで争いを好まず、きっと訴訟ざたを避けようとする性質があるだろうと予想していた私には驚きでした。例えばダーウィン弁護士は、午前も午後も裁判、という日が少なくありませんでした。問題が発生するとすぐに訴訟になるフィリピンにおいて、弁護士が社会的に果たす役割は極めて大きいと分かりました。昨今、日本企業のアジア諸国への進出が急加速で進んでいますが、フィリピンにも多くの日本企業があります。私の出会ったある弁護士(同じ市内に事務所を構えた方でした)は、日本人のクライアントを持っており、企業法務の案件に携わっていると教えてくださいました。恐らく、日本企業にとっての海外展開の大きな壁が、この「現地の法文化を正しく理解し向き合うこと」でしょう。次に、フィリピン特有の司法事情を御紹介します。まず、法曹の出廷の際の決まり事についてです。法曹三者(男性の場合)は、出廷の際にはバロン・タガログ(Barong Tagalog)と呼ばれる、フィリピンの男性の正装を着なければなりません。これは白色以外に、桃色、緑色など色にバリエーションがあり、デザインも少しずつ違うので、個人の好みで自分に合った1着を選ぶことが出来ます。フィリピンの暑い気候にぴったりの、風通しの良い薄い生地で作られた洋服です。余談ですが、私は研修中、当日のスケジュールに裁判同行があるかどうかは、ダーウィン弁護士が私服を着ているかバロンを着ているかという点で、毎朝一瞬で見極めていました。さて、皆さんにも想像してみてほしいのですが、日本の裁判所内で法曹が着物を着ていたらどうでしょうか。私はフィリピンで何度となくその光景を想像しては、一人で面白がっていました。フィリピンの、「自国の正装で法廷に臨む」ことは、国の伝統を重んじ、法曹の誇りを表し、裁判所の権威を確かなものとすることだと思います。次に、フィリピンタイム(指定の時間に遅れること、時間を守らないこと)と裁判の関係についてお話しします。フィリピン人は時間を守ることに関して悪名高いと言われますが、裁判も例外ではありませんでした。事実、定刻になっても相手方と相手方弁護士ともども現れず、事前連絡もなく、その場で「それでは本日の裁判はキャンセルです」ということが何度もありました。また、開廷時刻になってもまだ書類が片付かない場合、「裁判官を待たせておけばいい!」という言葉が事務所内で聞かれ、驚きの連続でした。このように、お国柄と密接にかかわり合った裁判は考えさせられることも多く、非常に勉強になりました。それから、フィリピンでは法律事務所に赴くことが弁護士とつながる唯一の方法ではありません。追加で上乗せ料金を支払うことによって、弁護士に自宅に来てもらい、自宅にて法律相談を受けることが出来ます。医者の往診業務と似ているでしょうか。むろんこれは金銭的余裕のある人々だけが享受出来るサービスかも知れませんが、それでも、収拾がつかない事態に陥った際やプライバシーの保護が特に危惧される場合において、クライアントの助けになることだと思います。私もインターンシップ中に一度、在宅法律相談に同行させていただく機会がありました。家のリビングルームで、混乱と不安と憤りの感情が渦巻く当事者全員が集まっていて、皆好き勝手なことを言い合っているだけの状況で、文字どおり「収拾がつかない」状態でした。そこに突如1人の弁護士が入っていき、論理立てて争点を整理し、当事者1人1人の不満や意見を巧みに聞き出し、ひとまず安心させ、そのうえで、皆が納得出来るように解決の方向に導いていく姿は、非常に美しいものでした。人の心に寄り添う弁護士業務を垣間見られたような気がしました。弁護士という職業は恐らく、厳しい試験のために長い間勉強に苦しむだけの価値のある立派な仕事であるということを、今回のフィリピン滞在で再確認しました。

ビジネススクールのMBA講義

既に述べたように、今回の旅の目的は法律事務所でのインターンシップでした。しかし、図らずも、その枠を超えて活動をする機会に恵まれました。まず、大学院(ビジネススクール。Pampanga Agricultural College, Graduate Studies)のMBAの授業にゲストスピーカーとして呼んでいただき、日本の雇用状況や外国人労働者問題などについて30分程度プレゼンテーションをさせていただいた後、学生の皆さんと共に実際の講義に参加し、討論に交ぜていただきました。印象的だったのは、教授は学生に次々と問いを投げ掛けるのですが、その問いの一つ一つが慎重に吟味されたもので、唯一の正しい答えなどもともと存在しない、「フィリピンの将来」について考えさせられるものであったことです。ですので、実質的にはビジネスを勉強しているのですが、フィリピンという国のはるか向こうを眺めながら、理想を描き、しかし同時に目の前にある現実を見て、国の抱える欠点と改善方法について真剣に向き合う場、という感じを受けました。学生の皆さんからは、大学院で学ぶ者としての社会的な責任のようなものを感じました。白熱した議論は紆余曲折を経て、「我々フィリピン人の得意分野は……」「この国の経済の問題点は……」など、「それでは結局この国をどうしていくのか」というテーマに必ず戻ってきていたことには感動を覚えました。教室内では教授は、もはや教授ではなく、学生と一緒になってただ必死に解決策を考えるフィリピン人の1人にすぎないのです。ちなみに、学生の皆さんは、既に実務家として働いている方、研究者、学部卒業後すぐに大学院に進んだ若い方など、さまざまなバックグラウンドをお持ちでした。彼らが将来のフィリピンを担っていく知識人であることは間違いないでしょう。講義終了後、今までに味わったことのない充実感がありました。

銀行の新支店オープン

Rural Bank of Poracという銀行の新支店がオープンするということで、私もお邪魔させていただきました。カトリック国のフィリピンでは、新規に店舗が開く際や新しくビジネスを始める際に、会社に神父さんをお呼びし、役員とその家族、職員一同が集まり、まず初めに礼拝をささげます。その方法は、ろうそくが一人一人に配られ、火をともし、神父さんが「このビジネスが成功するように」と神に祈り、聖書の言葉を引用し短く説教をして、最後にまた会衆全員で祈る(キャンドルサービス)というものです。日本でいうところの地鎮祭やおはらいでしょうか。こうしたところでも、フィリピンとカトリックの密接な関係が見て取れます。さて、そうして礼拝をささげた後は銀行の中に入り、これでもかというほどの豪華なごちそうが大量に振る舞われ、楽しく歓談の時を持ちます。私は銀行の新旧支店長や役員の皆さんに御紹介していただき、貴重なお話を聞くことが出来ました。やはり役員ともなると皆さんいわゆる富裕層で、頻繁に海外旅行に行かれる方が多くいらっしゃいました。ブランド物のバッグや洋服を持っていることも普通のようでした。以前三菱商事と事業を行っていたというある男性の方は、本当に親日家でいらして、御自身が日本を訪れた際の出来事について楽しそうに語ってくださり、私もうれしい気持ちでした。これは帰国後に知ったことですが、この銀行(アンへレス・シティー/Angeles Cityにあります)のすぐ近くには、戦時中、日本軍による従軍慰安婦の「慰安施設」があったようです。フィリピン人は親しみやすく、明るく、外国人に興味を持っている人も多いので、日本人が旅行などでフィリピンに行く時にはきっと温かく迎えてくれるでしょう。しかし、日本がかつて犯した罪を学ばないことは良くないし、無知でいることが人を傷つけることもあると思いました。海外に出掛ける時には、「学校で教えてくれなかった歴史」を自ら調べてから行くことも大切ではないでしょうか。

市役所の一日インターン

私のホームステイ先はマガラン(Magalang)という街にあったのですが、そこの市役所で一日インターンシップをさせていただきました。私の中で、「公務員はきっとお給料がいいだろう」という勝手なイメージがありましたが、どうもそうではないようでした。フィリピンでは、公務員の収入はポジションの高さで決まります。つまり、自分の属する課で、ポジションが高く責任のある業務に携わっている人ならばお給料も高い、という仕組みになっているのです。ポジションが低い人はというと、むしろ低賃金で苦しい生活を送っている(そのような人たちは日々、よりお給料の高い就職先を探しています)か、契約社員(しかもいつ契約が切れるのか明確にされていない)であるかのどちらかです。日本で公務員というと、難関試験を突破したエリート集団で、安定し、社会的にも地位があって尊敬される、といった認識がありますが、国が違うとすべて状況が異なることがよく分かりました。

おわりに

今回の経験を通して、日本はやはりアジアの国であると実感しました。アジア諸国には敬語や年上の方を敬う気持ちなど、文化的にさまざまな共通点があります。アジアの若者同士がお互いのことを理解する機会が今後増えるべきであると思いました。最後に、この場をお借りして、奨学金ドナーの皆様、先生方、リソースセンターの職員の方々、法学部事務室の方々に心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

草のみどり 246号掲載(2011年6月号)