法学部

【活動レポート】守屋 美雪 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(67) スウェーデンで平和を学ぶ(下) 授業と課外活動などについて

私は、2009年8月から2010年6月までの約11カ月、「やる気応援奨学金(長期海外研修部門)」の御支援を頂き、スウェーデンのストックホルム大学で、交換留学生として留学生活を送りました。1年弱の留学生活があっという間に終わってしまい、日本に帰国した今、長い夢から覚めてしまったような気持ちです。今回はリポートの後編として、前編では御紹介することが出来なかった、こちらでの授業や課外活動などについてお伝えしたいと思います。

授業について

リポートの前編でも触れましたが、スウェーデンには主に「平和構築」について学ぶ目的で留学しました。平和構築とは簡単にいうと、人々が傷つき建物が壊され、国内の秩序が乱れている紛争後の社会を、また紛争の起こることのないようにどう再建していくか、ということです。具体的には、紛争当事者間の和解、統治機構の構築、民主化、選挙支援、難民帰還支援、経済復興支援など幅広い活動が含まれます。ストックホルム大学では、「平和とは何か」「正義とは何か」などについて学ぶ政治理論から、民主主義、経済開発、国際政治や国際刑事法まで多角的な視点から学びました。ここではその中でも印象に残った授業について御紹介します。The Study of Democracyという授業では、民主主義とは何か、民主主義はどのような点でほかの政治体制と比べて優れているのか、また劣っているのか、民主主義と経済発展・政治的平和との関係、民主化の程度をどのように測るのか、誰に参政権を付与するべきか、意思決定における女性と少数民族の参加の問題などについて学びました。セミナーでは市民的権利と政治的権利の保障、自由で公平な選挙の実施など多くの側面から60以上の項目について点数を付け、自分の国の民主主義について評価し、お互いに発表する時間がありました。スウェーデンのような、市民権はなくとも一定の期間居住している外国人にも参政権を付与し、議員間の手紙の内容まで公開している情報公開の透明性の高い国もあれば、フランスのように外国人の参政権を認めていない国、ミャンマーのように、政治についての情報を入手することが出来ず、選択の自由のないまま選挙を行う国までさまざまあり、民主主義の様式は決まった1つのものではないということを改めて感じました。
また、一国内の民主主義だけではなく、カンボジアや東ティモールなど紛争後や発展途上の国家に対して、日本を含む多くの国や国連が行っている民主化支援についても学びました。第2次世界大戦後に発生した世界の紛争のおよそ半分が、紛争終結から5年以内に、再び悲惨な紛争状態に逆戻りしているといいます。民族同士の争いによって分裂し、互いに不信感を抱いているような社会においては、民主的な選挙の実施と、統治機構の再構築が平和な社会を作る鍵となります。なぜならそれらが、選挙に参加するすべての人々の意見が考慮されるという点で、国家に正統性を付与し、国民の国家に対する信頼を高め、不平不満を抑制し、その後の持続可能な復興・開発の基盤を作ることを可能にするからです。普段私たちは、選挙の結果や首相の交代、政策など、不満を持つことはあれど受け入れています。しかしながらそれは、選挙が自由・公平に行われていることや、法律が国会の審議によって決められていることなどを私たちが知っているからであり、紛争後や発展途上の国では、そうはいきません。日本にいて普通だと思っていたことが、世界のほかの国では違うということ、そしてそれが平和な社会を作る鍵となることを学べたことは、スウェーデン留学での収穫でした。
留学中は、うれしい収穫ばかりではなく、予想外のハプニングや苦労したこともたくさんありました。履修しようと思っていた科目が、スウェーデン語のみの開講に変更になってしまったり、日本の大学の成績開示が間に合わなくて履修を許してもらえなかったり、International Criminal Lawの授業を取る予定が、手違いで履修登録が出来なくなってしまったため、何回もメールを送ってコーディネーターやティーチング・アシスタント、教授を訪問し、ようやく出席させてもらえることになったり……。一番大変だったInternational Relationsの授業は、週に1回、3時間のセミナーのみで、ほかの授業に比べると授業数が少なく、簡単そうだと最初は甘く見ていました。しかし始まってみると、週に

1-2冊の本と多数の資料をすべて読み込まなければいけないし、読んだものについて疑問に思ったところや理解出来ないところを書き出してReflection Paperを提出し、最低でも週1回はグループのメンバーと発表やディスカッションの準備のためにミーティングをしたりと、毎日図書館が開く午前9時から閉館まで、文字どおり朝から晩までこもって勉強しなければなりませんでした。クラスでは私1人がアジア人で目立ったのか毎回先生にあてられるし、みんながすごい勢いで話すディスカッションにもうまく入れず、授業が終わった時に自分の出来なさに落ち込むことが何回もありました。それでも、「私だって出来る」と自分に言い聞かせ、クラスの友達と飲む勉強の合間のコーヒーとおしゃべりに励まされて、何とか乗り越えることが出来ました。最後に書いたエッセーの返却で、コメントに「内容の理解や分析はちゃんと出来ているのだから、もっと自信を持って!」とあったことは、後に続く授業で発言する自信と「もっと頑張ろう」というやる気につながりました。

課外活動について

スウェーデンの大学には、日本と違ってサークルや部活動はほとんどありません。ELSA(European Law Students Association)やAmnesty International、AISECのストックホルム支部はありましたが、私はこれらには参加しませんでした。そんな中、クラスの友達がDam Laget(Ladies Association)というグループを立ち上げたいと話しているのを聞き、その設立に加わることになりました。Dam Lagetという名のとおり、女性のみが参加出来る、女性のためのグループで、社会において男性と平等とはいえない位置に置かれている女性のリーダーシップと人格の成長・発展を団体の趣旨として、異なる経験や能力を持つ若い女性がお互いを助け合えるようなネットワークを作ることと、会員が自分たちの意見を共有するためのフォーラムを作ることを活動の方向性としていくことに決めました。クラスの友人数人と、ポスターを刷って、寮や学校の壁に張り、学校でびらを配り、説明会を開き、サークルの考えや方向性に賛同してくれる会員は何とか15人ほど集まりました。その後、うれしいことに春学期には更に増えて40人ほどになりました。私のような短期滞在の交換留学生から、他国から移住してきて働きながら学んでいる学生、スウェーデン人まで、さまざまな背景を持つメンバーで、お茶をしながらディスカッションをしたり、女性企業家を招いてセミナーを行ったり、社会学専攻の博士課程にいる学生に講義をしてもらったりして、「女性が社会に出ていくためには何が必要か」「リーダーシップに必要な素質とは何か」「なぜ女性の管理職が少ないのか」といったことについて、議論しました。そのほかにもお泊まり会や夕食会を開いたり、みんなでガールズトークに花を咲かせたこともありました。
スウェーデンは人口が約930万人と少ない方なので、国の発展のため、労働力を効率良く確保するために、「男性も女性も全員で働こう。そのために国は精いっぱい支援をしよう」という姿勢が見られます。スウェーデンの女性の社会進出は、世界でも有名ですが、人口が少ないが故の労働力確保のための策なのです。日本でも、女性が育児をしながらでも働ける環境が最近になってようやく少しずつ整ってきましたが、男性の育児休暇の制度が普及していないことや、保育所の不足などによって、今でも女性は社会進出におけるハンディキャップを背負っているといわざるを得ません。また、女性の社会参画は、私の研究テーマである平和構築の場面においても重要視されています。イスラム圏や極度の貧困地域における紛争の後、社会を再建するには、それまで見過ごされていた女性の声を聞き、それらの要望を実現していくことが、人々の不満を少なくし、バランスの取れた社会を作っていく礎となります。

日本にいると、自分が女性である、ということを強く意識せざるを得ません。そして「女だからしようがない」とあきらめなければいけないことが多くあるように感じます。私は、スウェーデン留学を通じ、女性であるということが生かせる社会を垣間見て、日本でも、そして紛争後や発展途上の国でも、女性が仕事をばりばりこなし、家に帰れば家族みんなが笑顔で出迎える、そんな社会が実現出来るのではないかと思いました。
このように授業以外の場で、さまざまな人々に出会えたこと、そして「女性として、今後どのように生きていきたいか」ということを改めて考える機会を得られたことは、とても貴重な経験だったと思います。留学中はそのほかにも、ストックホルム大学アジア太平洋研究所の教授や日本人の外交官が参加する勉強会にお邪魔させていただいたり、無料のサルサダンスの講習会に参加したり、日本語を教えたりと、大学の授業以外でもさまざまなことに取り組み、多くの人に出会うことが出来ました。

変わりつつあるスウェーデン

スウェーデンは、人権保護や人道の観点から、多くの移民・難民を受け入れています。私の友人にも、移民・難民の2世が多くいました。特に、1番仲の良かった女の子はミャンマーからの難民でした。父親が民主化運動をしているために家族が命を狙われ、自分も危うくタイで捕まりそうになり、難民としてスウェーデンに逃れてきたといいます。授業の後コーヒーを飲んだり、休日一緒に出掛けたりしましたが、そんな私にとっては普通の生活が、ミャンマーにいる人々にとっては想像も出来ない生活だと彼女は言っていました。彼女からは、ミャンマーでは表現の自由・学問の自由はなく、政治について学ぶ機会や見聞きする機会は全くないということ、村で民主化運動をするグループを作った大学生が、警察に連行され2度と戻ってこなかったことなどさまざまなことを聞きました。彼女はスウェーデンに逃れてきて3年ほどたつようでしたが、言葉の壁や、目に見えぬ差別、帰りたくても帰れないやりきれなさ、親しい家族が近くにいないことなどが原因で、気分が沈んでいるようなこともしばしばありました。

スウェーデンは、移民・難民に対してとても寛容な国であり、それまで受けてきた教育のレベルに合わせた無料のスウェーデン語講座、小中学校における母国語の授業、参政権付与、医療保険や年金など、スウェーデン人と差別なくきちんと生活出来るように配慮されています。日本では10月にミャンマーからの難民の第三国定住受け入れのパイロット事業が始まりましたが、移民・難民政策に関して日本が見習うべき点は多々あるかと思います。
一方、今年9月にスウェーデンでは総選挙があり、その結果、ネオナチ・反イスラム・移民排斥・白人至上主義を主張するスウェーデン民主党が、5.7%の国民の支持を得て、国会に20議席を獲得しました。2008年の経済危機から続く不景気やギリシャの財政危機の影響で、スウェーデンでも景気は後退し、失業率は高まり、特に低所得層の人々の不満の矛先が移民・難民へと向きつつあります。民主主義・平等というものに価値を置き、移民・難民の受け入れに関して寛容であったスウェーデンがこれからどのように変わっていくのでしょうか。

フルマラソン完走

日本に帰る前に、何か特別思い出に残ることをしたいと思っていた私は、スウェーデン留学最後の締めくくりとして、

6月上旬に行われるストックホルムマラソンに参加することを決めました。留学中、食べたいと思った時に好きなだけ、好きな物を食べられる1人暮らしの生活を送ってきたためか、留学前に比べ何キロも太ってしまい、「高校時代、毎日テニスで汗を流していたころのスリムな私はいったいどこへ?」という状態でした。そんな体にむちを打ち、大会まで半年を切った1月ごろからジムに通い、雪が解けてからは放課後寮の周辺をランニングする毎日でした。大会当日は天候に恵まれ、最高のマラソン日和。約10カ月間の滞在で見慣れた街並みを見ながら、新緑の中気持ち良く走ることが出来、42.195キロを無事4時間30分で完走しました。走り終わった時は「とうとう留学も終わりかぁ」と感無量でした。

おわりに

夏に別れを告げるざりがにパーティーに始まり、クリスマス、イースター、夏至祭など、スウェーデンのさまざまな季節の行事を楽しんだり、友達とウオツカを飲みながら北欧の長い夜を過ごしたり、図書館に丸1日こもって勉強したり……。あっという間に過ぎ去ってしまった11カ月を懐かしく思い出しながら、リポートを書いています。今回のスウェーデン留学は、多くの人々に支えられ、そして「やる気応援奨学金」を頂けたからこそ実現したことでした。三枝先生、ヘッセ先生、山本先生、そして法学部事務室の方々には奨学金応募の際に大変お世話になりました。リソースセンターの方々、国際交流センターの職員の方々、いつも私の相談に乗ってくれた大学の友人たち、そして娘のわがままを許してくれた両親、すべての方々にこの場を借りて心から感謝申し上げます。

草のみどり 241号掲載(2010年12月号)