法学部

【活動レポート】熊倉 由子 (2003年度法学部政治学科卒)

「やる気応援奨学金」リポート(2) リゾートではない「南の島」への招待-フィジー、トンガ

一般に、私たちは「南の島」と聞いて、どのようなイメージを持つだろうか。南の島が持つ、真っ白な砂浜、青い海、陽気な音楽、これらの要素は、世界中の観光客を魅了してやまない。
しかし、ここで少し立ち止まってみたい。確かに観光は人を楽しませ、また、観光の場を提供する国に膨大な収入をもたらし、人々の雇用を創出する。その一方で、観光開発の結果、環境破壊、現地の人々のライフスタイルの変化など負の側面を生み出していることも見逃してはならない。
私はもともと旅行が趣味で色々な地に行くうちに、旅行の魅力の裏には何があるのか、観光開発と国際協力は両立しうるのか、大いに興味を抱くようになった。そこで、2003年夏の法学部の「やる気応援奨学金」を利用し、リゾートとして名高い、フィジー諸島共和国、そしてトンガ王国に実際に赴き、リゾートではない「南の島」を探しにいくことにした。

フィジーへ

成田からフィジーの玄関口ナンディへ。多民族の国柄、ココナツ、びゃくだん、コリアンダー、潮風、さまざまな香りがすることに気付く。空港は、「オネイサン、ココイチバンヤスイノトコロ」など日本語を駆使し、ホテル、タクシーなどの客引きをする人々でごった返していた。
バスで首都のスヴァに行くつもりだったが、タクシーのおじさんの“I’m helping you”という言葉に負けて、お世話になることに。道中は、大きな木に生えているチューリップや、野良牛など、珍しい光景にただただ感動するばかり。途中露店でタクシーの運転手さんにココナツジュースを御ちそうになり、3時間くらいでスヴァに到着。

村でのホームステイ

まだ明るかったため、付近を散策。近くのアルバート公園で、ラグビーのゲームを見ながら休憩。そばに座っていたAtelinaという女性に話し掛ける。かなり盛り上がり、意気投合。Atelinaが親切にも「うちに来なさいよ」とホームステイを受け入れてくれた。
Atelinaは夫と離婚し、女手一つで3歳の娘、高校生の弟、そして、Bellaという25歳の女性を養う。Atelinaは現在交通量調査のアルバイトで生計を立てつつ、フィジー技術大学でスクーリングをしており、終了後は定職に就き、家に電気を入れたいと言っていた。現在は収入も安定せず、電気やほかのインフラもない、掘っ立て小屋のような所に住んでおり、いわゆる貧乏な状態ではあるが、常に笑いが絶えないとても温かい愛のある家庭だった。
村では、ココナツ料理を習ったり、現地の人しか知らない所に案内してもらったり、ランプを囲んでギターの弾き語りをしたり、と普通の観光では絶対に味わうことが出来ない、ラフでアットホームな出来事ばかりだった。コミュニティー全体が家族のようで、とても心地良く感じた。
幸運なことに、ホームステイ中に誕生日を迎えることとなった。Lamiの家に帰るとAtelinaがロボ(土の中に川で拾ってきた石を敷き詰め、ココナツ、芋類、キャベツ、魚などを入れて蒸す祝い事用の料理)の用意をしていてくれた。夜も更け、いよいよパーティーがスタート。ロボに、近所の人たちが持ってきてくれたチキン、と御ちそうがいっぱい。ランプの明かりとゴスペル調のHappy Birthday Songが似合い過ぎて、涙が止まらなかった。
Atelinaはケーキを買えないことをわびていた。しかし、そんな物はいらない。こんなにも私の存在を祝福してくれる人がいるということ、そして、給料日前なのに、無理をして御ちそうを作ってくれたそのホスピタリティーに対する感謝の気持ちでいっぱいだった。

フィジーの教育NGOで

Save the Children Fund代表のIrshad Ali氏にお話を伺った。現在はフィジー国内の子供を取り巻く問題に関して調査を行い、プロジェクトを作成・実施している。しかし、NGOの活動は常に資金源の調達に悩まされており、政府もNGOに対する支援はあまり行えていないのが現状であるため、ほかの援助機関などとの協力は必要不可欠だそうだ。
そのために入念な調査を基にしたプロジェクト案をほかの援助機関に提出しているが、実際はその多くははねのけられてしまっているのが現状である。しかも悲しいことに、自分たちが出したプロポーザルがほかの援助機関オリジナルとして利用されてしまうこともよくあるそうだ。
国際協力機構(JICA)がこのような行為をしていたかは言及されていなかったが、現地NGOへのコンサルテーションの欠如、橋・道路など目に見える物に偏重しやすい援助形態、現地人材訓練の不徹底などについて批判をされていた。現在、援助機関との協力がほとんどなされていない状態で、今後はコンサルタント会社との協力を模索していきたいとのこと。
観光開発によって、フィジーでも少しずつではあるが、児童ポルノや児童労働など、子供に多くの悪影響が出てきているのは、本当に心が痛む。

フィジーの民族問題

フィジー人、インド人、中国人、そのほかの民族がサラダボウル状に存在していることに興味を覚え、多民族省にお話を伺いにいった。
現在フィジー系住民に関する問題はフィジー系問題省が担当しており、多民族省はインド系住民やほかのマイノリティーの住民に関する問題を担当し、政策としては貧困状態にあるマイノリティーの子供を対象とした奨学金事業を重点的に行っている。土地所有権の問題などでインド系住民が貧困に陥りやすくはあるが、実際はすべての民族・人種の住民がマイノリティーになりうるという。

現在フィジーは、政治はフィジー人、経済はインド人・中国人が実権を握る。インド人はフィジーで生まれ育ったにもかかわらず、土地所有権を持たないなど、さまざまな面で権利が認められていない。このような厳しい現状から、近年ニュージーランドやオーストラリアに移住するインド人も多く、代わりに中国人が次のマジョリティーとなる日も近いそうだ。
印象的だったのは、大臣が「各人種間には貧困以外の問題はなく、互いにCooperateしている」ということを非常に強調していたことだ。しかし、実際には庶民レベルでは、各人種間での偏見・差別は根深く、コミュニケーションが取れているようには感じなかったため、少し違和感を覚えた。同省の政策実施は現在資金面のやり繰りに頭を悩ませており、この点で国際協力機構への協力要請を模索しているそうだ。

フィジーのバリアフリー事情

養護分野の青年海外協力隊員の活動現場を視察させていただいた。
発達遅滞児早期訓練所は、知的障害、視覚障害、ダウン症、身体障害などを抱える子供たちが通所し、身体、精神、コミュニケーション、社会生活適応のトレーニングを行っている。NGOが運営をしているため、常に資金不足に悩まされており、スクールバスや水道の配備など基本的なことが十分に行われていない。
とはいうものの、学ぶべき点も多く存在した。ここでは、障害別にクラスを分けるのではなく、ミックスさせているため、子供たち同士、障害を越えてソーシャライズ出来る環境がある。特に、知的障害の子が、聴覚障害の子と手話で会話していた光景がとても印象的だった。障害の種類、有無を分けずに仲間として付き合う、いわば「意識の面でのバリアフリー」は日本などよりも進んでいると感じた。
障害者職業訓練所では、知能、聴覚、視覚などの障害を持つ人が手芸、工芸、木工などを学んでいる。訪問時には、卵パックから紙を作り、はがきにする工程を見せていただいた。完成作品は施設のイベントやフリーマーケットなどで販売している。手先を使って作業をすることでリハビリ効果があることはもちろんのこと、物を作り、その販売ルートを作ることで障害を持つ人々の生活を支えることにとても意義があると感じた。
更に、ここでは訓練の一環として、大学関係書籍の製本、アイスクリームのふたのシール張りなど事業の請負も行っており、施設と社会が共に助け合っている、という印象を受けた。障害者を特異視するのではなく、サポートしていこう、という意識が強く、施設も地域に開かれていた。ただし、実際出所しても失業率の高さから職を得ることが容易ではないため、最近は職業訓練所というよりも、福祉作業所的な性格が強くなってきているそうだ。

トンガへ

フィジー、ナウソリ空港から飛行機で、約1時間半。第二の目的地、トンガ王国に到着する。以前トンガの教員養成学

校で音楽を教えていた方の紹介で、お友達の家庭にホームステイさせていただいた。いとこ、めい、子供3人、叔母さんで暮らしているようだが、常に近所や親戚が出入りし、実際の家族の構成員は不明。トンガでも裕福な家庭であるが、労働者は1人しかおらず、ほとんど親戚の出稼ぎ送金によってその生活を維持しているようだ。
トンガの人はとにかく世話好きで、親切である。時にはこれが重荷に感じてしまうこともあるが、家族のように接してくれるので、とても居心地良く感じた。

トンガの産業について

トンガ労働観光通商大臣アドバイザーの永田豊照氏を訪問、トンガの産業についてお話を伺う。トンガの現在の主な輸出産品はかぼちゃであるが、日本の国産品の少産期に出荷する、透き間産業であること、農業の手法の問題(化学肥料あるいは有機農業)、船賃(輸送コストが掛かる)、農場労働者の賃金などの問題から、安定しているとはいい難い。
これに代わるものとしてバニラビーンズ(バニラコーク)、ウコン、モズク(日本、アメリカでの健康食ブームから――サプリメントなど)などが近年注目されている。永田さん自身、対外輸出を念頭に置いて、伝統的農法を認証出来るような機関を作ることが重要との認識を持たれていた。
元トンガ協力隊で、現在Southern Cross Liquor Co.,Ltdで焼酎工場を経営する追立孝弘さんを訪問した。キャッサバ、かぼちゃ、カヴァ、ミントなどトンガの産品と鹿児島の芋焼酎の技術がうまくコラボレートしていた。今後トンガが生き残っていくためには一次産品を加工した物を作っていく必要があるのではないか、とのこと。
トンガは21歳以下の人口が全体の40%を占める若い国。産業育成は雇用確保からも切実な問題だ。元農産物を加工して輸出するキャッサバ焼酎は産業復興のモデルとなりうるのではないか。
トンガは日本人の観光客はあまりいないが、近隣のニュージーランド、オーストラリア、そして経済的結び付きが強いアメリカからの観光客が目立った。同国はフィジーとは対照的に、リゾート開発ではなく、エコツーリズムなど持続可能な観光に最近はシフトしてきているようだ。

トンガでそろばん?

初代青年海外協力隊珠算隊員で、トンガ在住の浅黄さんと珠算隊員の飛田さんの小学校巡回指導に同行した。日本びいきの国王の影響で、そろばんは小学校で義務教育となっている。道具を使うことで、より効果的に数の概念を身につけさせることが可能とか。日本の文化がこんな所で注目されているとは、何だかうれしい。子供たちは日本から供与されたそろばんで熱心に勉強しており、目を輝かせていたのが印象的だった。
隊員の方々が巡回指導をする小学校は年々増加してはいるが、まだ全校は回れていないため、今後はそろばん隊員を増やしたり、そろばんを教えられるよう教師をトレーニングしたりすることが求められている。

対外依存のトンガ

ニュージーランド大使館大使代理のJonathan Curr氏に同国の援助政策、主に出稼ぎの問題における対トンガ関係、ほかの援助機関とのすみ分け・協力などについてお話を伺った。
出稼ぎ問題はニュージーランド・トンガ関係において、大きなウエートを占めているようだ。出稼ぎに行ったトンガ人はトンガにはほとんど帰らず、そのままニュージーランドに居座ることが多いことから、政府としては悩みの種となっている。しかし、ニュージーランドの経済はトンガ人の労働によって成り立っている、ということもあり、難しい問題のよう。
対トンガ援助に関して、ニュージーランドは太平洋諸国でイニシアチブを取っていくべきであるが、実際にはそれが困難であるため、ほかとの連携が必要不可欠である。今までは、各島、各地域ですみ分けが行われていたが、今後は同じ地域で協力していくことがますます重要になるそうで、国際協力機構とのパートナーシップも模索中とか。現在、ニュージーランドとオーストラリアの開発コンサルタントがババウ諸島でエコツーリズムのプロジェクトを始めたそうだ。

調査を終えて

今回の実地調査では、離島行きのボートが漂流したり、トンガ出国の際に偽造旅券所持容疑で取り調べを受けたり、高熱を伴なった風邪を引いたりとハプニング続きだった。
しかし、悪いハプニングだけではない。公園で知り合ったフィジー人の家にホームステイしたり、仲良くなったトンガ人とナイトクラブに行ったり、アポイントメントを取っていない機関に突撃してお話を伺ったり、と次第に、そのハプニングを自分から楽しんでいこうとベクトルの向きを変えた。
南太平洋地域はその美しい海岸からリゾート地として名高いが、実際、リゾートツアーでは見えない部分が多い。そこで暮らす庶民の生活はその裏にある。
現地に住んでいる人たちがどんな生活をし、観光開発によってどんな影響を受けてきたのか、そして、現在どのような展望が開けているのか、また、日本あるいは現地でなぜ安く物が買えるのか、いわば、「リゾートと現実とのギャップ」について考える機会は普段の生活ではあまりないであろうし、日本では途上国の現状はあまりにも知られていないのが実情である。
リゾートでそれらの国に旅行しても、極端な話、一般の人たちにとって「あんまり知らない国」は「どーでもいい国」なわけで、ただ単に「奇麗」「楽しかった」でその旅行を終えてしまうだろう。しかし、「無知は共犯者と一緒」であり、それは消極的方法ながらも、途上国の人々を取り巻く厳しい現状、つまりリゾートと現実とのギャップを肯定し、助長していることと同義なのである。
また、途上国は確かに経済的・社会的インフラが整っているとはいいづらい。しかし、だからといって、途上国は貧しく、つらく、かわいそうな存在か、というとそうではないのである。現地の事情を知り、地元の人々と触れ合うにつれ、同時に日本人も途上国の人々から学ぶこと、物的なものではない部分でアシスタンスをもらうことが非常に多いことに気付く。
したがって施す方と施される方という、上と下の関係ではなく、両者はお互いの国を盛り上げていくようなパートナーとなりうるし、そうなるべきであると強く思う。国際交流・国際協力はお互いがハッピーにならなければ意味がない。
このように、良いことも悪いことも引っくるめてその国及びそこに住んでいる人たちのことを「知る」ということがどれだけ重要か。私はこのことを訴え掛けていきたいと強く思っている。特に、途上国の現状や国際協力の現場についてあまりなじみがない一般の人々に「気付き、考え、行動する」ヒント・切っ掛けを提供する、いわば、国際理解、他者理解の種をまくことが非常に重要で、今後の私の大きな課題であると感じている。

草のみどり 176号掲載(2004年6月号)