法学部

【活動レポート】島崎 かおり (国際企業関係法学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(68) 豪州の小学校で日本語教える 人に教えることで自分も学ぶ

はじめに

私はこの度「やる気応援奨学金」に応募し、オーストラリアを一人で訪れました。「やる気応援奨学金」に応募したということは一人で旅をするのは当たり前のことですが、今までの私には一人旅は考えられないことでした。私が訪れた町は南オーストラリアのモーガンといい、そこの小学校で日本語や日本の文化を教えるインストラクターとして1カ月半過ごしました。この留学の目的は、主に3つでした。それは1つ目に以前から視野にあった教員という仕事は私に適しているのか、私が本当にやりたいことなのか実際に考えること、2つ目に授業を実際に担当することで生徒と触れ合い、相手の反応を見ながらその場をまとめる能力を高めたいということ、そして3つ目に英語力を向上させたいというものでした。オーストラリアでは現在日本語学習への人気が高まっており、学習環境が良いということから、日本語・日本文化を伝えながら自分自身を振り返る場としてオーストラリアへの留学を決意しました。

活動地域と学校

モーガンは南オーストラリアに位置する都市アデレードから車で2時間程度離れた所にあり、とてもゆったりとした平坦な地域です。学校までの道のりではカンガルーやウサギなどの野生動物を見掛けることもありました。ある日の帰り道、運転をしている校長先生の顔付きが変わったので何事かと前方を見ると、突然カンガルーが車の前を横断するというハプニングがあるような自然に囲まれた地域です。
そんな地域での私の活動場所は、生徒約50人のモーガン小学校がメーンでしたが、ほかの小学校からの招待も受けて、生徒が26人いるカデ-ル小学校や24人のブランチタウン小学校、幼稚園、高校なども訪問しました。さまざまな学校や施設を訪問したことで、オーストラリアの子供たちが集う場所の雰囲気を感じながら多くの子供たちと触れ合うことが出来ました。授業は、基本的にモーガン小学校で1、2、3年生のクラスと、4、5、6年生のクラスに分けてJapanese Classとして担当し、そのほかの時間には英語や算数、美術などの授業に参加させてもらいました。授業に参加した時は、生徒から教わることもあれば、逆に算数などを教えることもあり、生徒と共に授業の時間を楽しみました。これらの活動の中で私が特に力を入れていたものの1つは、授業準備でした。授業の進行に慣れていない私にはどれだけ準備しどれだけビジュアル的に訴えるかどうかが重要なポイントでした。実際に教師になってから毎回生徒の反応に一喜一憂することは良くないと思いますが、準備に時間を掛けていただけに、授業がうまく進んだ場合や面白いと楽しんでいる生徒たちの姿を見た時にはとてもうれしい気持ちになりました。

私がモーガンを訪れてからしばらくすると、私が日本から来ていることが地域新聞やモーガン小学校の校長先生を通して広まったため、先に述べたようにほかの小学校や幼稚園からも呼ばれるようになりました。学校によって規模や先生・生徒の日本語学習が異なっていたため、それに合わせて内容に変更を加えなければいけなかったことや、Japanese Classがないところでは職員の方にも頼れずに責任を持って授業を進めなければならなかったことなどが大変でした。しかし責任を持って授業を受け持つということは、オーストラリアに来た目的を果たすという点で重要な経験となりました。

学校のスタイル

私が訪れた3つの小学校では1人が1つの席を持っています。しかし日本と違うところは、自分たちの席とは別にクラスの生徒が全員集まって床に座り、話を集中して聴く時や、同じ作業を一緒にする時に使えるスペースがあることです。このスペースはクラスをまとめ、生徒同士や先生との距離を近付けるためにとても良い空間だと感じました。
また、小学校でも高校でも異なった学年を交ぜて授業や行事を行っています。このスタイルのデメリットは、例えば小学校の算数などでは、学年という意味でも習熟度という意味でも色々な段階の生徒がクラスの中にいるため、1人の先生が一度にクラス全体を見ることが出来ないところです。そこでクラスを3-4グループに分け、段階に応じて課題を解いていました。このスタイルでは丁寧に教えてもらうことは不可能だと思います。しかし一方でメリットもあります。それは、特に高学年が下の学年をサポートするなど、生徒同士が教え合う形が当たり前のようになっていることです。学力を高めることはもちろん大切です。しかし助け合いや異なる年齢の人とかかわって生活出来るようなスタイルは学校生活の中で重要なポイントであると思いました。

学び鍛えられたこと

実際に生徒たちの前に立って気付いたことは、生徒は先生の状況を敏感に察知しているということです。生徒の前に一度立ったら、恥ずかしがる・人に頼る・まとめるのが苦手などとは言っていられません。そういう意味で先生が堂々としていることは大事です。しかしそれと同時に生徒の意見や反応に目を向け、生徒たちからも学ぼうという姿勢や授業を生徒と共に作ろうという姿勢は更に大切なことだと思います。
例えばそれは、授業を通して折り紙で鶴を作ろうという時でした。鶴は折り方が難しく1人1人進む進度が違うため、クラス全員で一緒に作ることはとても難しいです。出来る生徒には次のステップを教える、またはほかの生徒に教えるよう頼むことでクラス全員が鶴作りに熱中するよう気を配りました。この時も生徒が鶴を完成させた段階で好きなことを始めてしまっていたら、授業は成り立っていませんでした。また、校長先生の突然の提案で鶴を1000羽作ろう!となった時には、いつも元気な生徒は「わお!無理だー」と言い、私も驚きました。しかし、ある男子生徒が折り鶴にとても興味を持ち、1人で何百羽も作って学校に持ってきてくれたことが、私も生徒も先生方も驚かせ、もっと作ろうというみんなのやる気にもなりました。彼のおかげで鶴作りに対する生徒の関心が高まったように思います。当たり前のことではあるけれど、授業でのさまざまな活動を通して人それぞれ興味を持つものは本当に異なるのだと改めて感じました。しかしどのような内容であっても、生徒1人1人が私に協力的に動いてくれたことで、授業を全体的に楽しく進めることが出来たので、生徒たちにとても感謝しています。今まで生徒の立場では気付きませんでしたが、授業は生徒と教員の助け合いで成り立つのだと実感しました。

もう1つ私がこの経験を通して変わったところは、人とのかかわり方です。今までの生活の中では私は年上の人に囲まれていたため、人に支えてもらうことが多かったことに加え、教育の分野に興味を持ちながらも年下の人とどのようにかかわれば良いのか分からず不安に思う自分がいました。しかし今回の経験において、年齢に関係なくさまざまな場面で支えられる中で、子供たちと授業を共に作っている時が一番面白いと思い、また私は子供たちから多くの元気をもらい、支えられているということに気付きました。そのように気付いてから、何か特別に私がするだけではなく、けじめを付けながらもその場を一緒に楽しむことが子供たちとかかわるうえで大切なことだと思い、年が下であってもちゅうちょせずにかかわるようになりました。
また、帰りの飛行機の中ではオーストラリアに長期滞在していた高校生に出会い、彼女の受験の悩みや大学についての話をしました。私との話を通して彼女の不安が和らいだようで、「ありがとうございます」と笑顔で言ってもらい、私も明るい気持ちになりました。今の私はオーストラリアでこの経験をする前の私とは少し違い、人に支えられるだけではなく、ほんの少しであったとしても相手を支えることが出来る人に一歩近付いたのではないかと感じています。今後教師などの教育分野に携わったとしても、教えるということにとらわれ過ぎず、今心に抱いているように人を〝支えたい〟という気持ちを大切にしていきたいです。

Japanese Class

Japanese Classの授業では、習字、うちわ作り、ソーラン節のマスター、お香袋作り、日本語学習などさまざまな活動をしました。Japanese Classがある日には、毎朝ラジオ体操をすることが習慣となり、初めはリズムに付いてくることが難しかった1、2年生も日に日に上手になっていくのがよく分かりました。ほかにも福笑いを使って日本語の単語を覚える活動などもしましたが、特に思い入れが深いのはおすし作りです。おすしを作るためには、人数に応じて材料の準備をするだけではなく衛生面、予算、生徒の嗜好なども考えて作る必要があります。また炊き立ての御飯とチキン、野菜などを使えるように下ごしらえを授業前にする必要があり、時間との格闘でもありました。授業中は、のりやお酢のにおいを「変なにおいだ」といって嫌がりながらもおすしの試食に挑戦してくれた生徒が多く、3校どこでもとても好評で、紹介したかいがありました。
もう1つおすし作りに思い入れが深い理由があります。それは、ほとんどの生徒と家族は私の訪問をすぐに受け入れてくれましたが、ある家庭の母親だけは少し違いました。双子の姉妹の生徒はとても積極的に私に声を掛けてくれる一方で、その母親は初め、簡単に会釈するだけで、私に好感を持っているとは思えませんでした。後に聞いた話では、口数が少ない女性であるとのことでしたが、私はどのようにすればほかの保護者の方と同じように話すことが出来るのだろうかと悩みました。そんな中私の悩みを一掃したのがこのおすしでした。私のクラスを通してその双子の生徒はおすしがとても好きになり、「ママにもあげたい」「もっと食べたい」と言って母親を教員室にまで連れてきたのです。初めは私も母親もお互い身構えていました。しかしそこでやっとその母親とお話が出来、そして最後のお別れ会では彼女たちの母親だけでなく父親にも「本当にありがとう。娘たちが悲しいと言って泣いていた」という言葉をもらいました。最初にうまく溶け込めなかった家族であったためにとてもうれしく思いました。実際になかなかうまく付き合えない人と出会った場合には、お互いのことを理解することは難しいことかも知れませんが、自分に出来ることを精いっぱい行い、相手のことも知りながら私自身のことや行おうと思っていることを伝えていくことはとても重要であると強く思った出来事でした。

影響し合うということ

今回の体験で最も大切にしたいと思う出会いは、ホームステイ先で出会った2人の姉妹との出会いです。ホームステイ先として、校長先生の家を含め4つの家庭で受け入れてもらいましたが、彼女たちとその家族と過ごした日々は特別なものとなりました。12歳の次女は小学生のころモーガン小学校で校長先生から日本語の授業を受けたことをきっかけに、日本語にとても興味を持ち、もっと日本語を勉強したいととても熱心でした。一方長女は日本語を学んだことは全くありませんでしたが、次女と私に刺激され、日本語で1から10までの数を覚えて披露するなど、私を驚かせてくれました。彼女たちとは勉強だけではなく、多くの時間を共に過ごしました。現在も日本語と英語の両方を使って連絡を取り合い、彼女たちの活発さや熱心さにいつもやる気をもらっています。また、モーガン小学校ではJapanese Classのための校舎を新しく建て、私が帰国した後にも使えるようにと私が準備した日本語学習の資料や日本のアニメの紹介、短い英語の本を日本語に私が訳したものを使って現在も学習を続けているそうです。今まで私は先生方や友達などから多くの影響を受けてきましたが、自分自身が人に影響を与えているということは考えたことがありませんでした。しかし今回の旅で、自分自身の経験のために計画した活動や私の存在が、出会った人たちにとってもプラスになっていると知った時には、この活動に挑戦出来たことに感謝しました。外国に行く時には私の行動が「日本」「日本人」のイメージに結び付き、教壇に立った時には「大人」として生徒に見られます。自分自身の行動によって人に影響を与えられるということはうれしいことであると同時に大きな責任があるということを今とても強く感じています。

おわりに

今回の活動をするに当たり、「やる気応援奨学金」に関係する方々、両親、先輩、友達、オーストラリアの方々など、多くの方に支えていただきました。実際に授業を受け持ったことや子供から年配の方まで多くの人とのかかわりを持ったことで、自分自身のことや人とのかかわり方について考え直す切っ掛けになり、また英語力の向上にもつながったと思います。限られた時間・資料・手段の中で、自分が出来ることを最大限に引き出してみんなに楽しんでもらえるよう努力した1カ月半はもちろんのこと、出発前の準備から、日本で改めて自分の経験について振り返るまでのすべてが学びの時間となりました。オーストラリアで経験が出来たこと、この活動を通して出会った人を大切にしながら、今後も経験を積み重ねると共に、留学などに挑戦しようとしている人たちの力になれれば良いと思います。

草のみどり 242号掲載(2011年1月号)