法学部

【活動レポート】山田 わか菜 (政治学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(68) アメリカで語学学び目的達成 更に視野を広げて再び海外へ

はじめに

私は、2009年度後期海外研修部門英語分野の「やる気応援奨学金」を頂き、2010年2月7日から3月7日までの1カ月間、アメリカ・インディアナ州の州都インディアナポリスで語学留学を経験しました。

私が本奨学金に応募した理由は、短期留学を通じて、在学中に計画していた長期留学の準備をしたいと考えたからです。そのため、今回の短期留学の目的は、1つ目に、異国の地で暮らす自信をつけること。2つ目に、実践的な英語を身につけること。3つ目に、アメリカの大学の雰囲気を肌で感じ、現地の大学の情報を集めること。4つ目にアメリカの社会に触れることでした。

以下には、それらの目的達成のために行った活動を報告すると共に、今回の経験を通して考えたこと・感じたことについて記したいと思います。

海外での生活に慣れる

私は将来、公務員となって行政に携わりたいと考えています。当時、日本の食育という政策に興味を持っていたので、最大貿易相手国の1つであるアメリカの、食に関する行政を学びたいと考えました。加えて、私は中学生のころから英語を使うことが好きであり、公務員を志すと同時に、他国と日本の間の調整役となるような仕事がしたいとも考えていたので、より高度な英語能力を習得すべく、大学在学中に1年間程度の長期留学を計画していました。

しかしながら、私は3泊程度のアジア旅行をしたことがあるのみであり、海外生活の経験不足は、長期留学における大きな不安要素となりました。そこで、長期留学の際には寮で暮らすことを想定し、今回の短期留学においても、語学学校の寮を選択しました。

寮ではトルコ人、スペイン人、中国人の留学生と私の4人でルームシェアをしました。異なる文化背景を持ち、生活習慣や年齢の違う人々と同じ空間で過ごすことだけでさえも大変なうえに、4人それぞれ英語能力に差があり、ほとんどコミュニケーションが取れず、始めは戸惑ってしまいました。しかし、私は持ち前の前向きな性格で、「『相手が』分かってくれないから仕方ない、ではなく、『私が』伝える努力をしよう」と気持ちを入れ替えました。すると、自然と肩の力が抜け、ありのままの自分で積極的に話し掛けることが出来、ルームメートも次第に心を開いてくれるようになりました。

ルームメートとはその後、一緒に通学したり、母国の写真を見せ合いながら話をしたりと多くの時間を共にし、いつか絶対にお互いの国を訪ね合おう、と約束するほどの仲になりました。このルームシェアの経験は、良い思い出となっただけではなく、共同生活のストレスとうまく付き合いながら、自主自立の生活をする練習となりました。これは1つ目の目的に対する大きな成果であったと感じます。

ボランティアの経験

主に4つ目の目的を達成するための活動として、第1週目の週末には、インディアナ日本語学校にて、現地の成人の方々と大学生を対象に日本語を教えるボランティアに参加しました。生徒さん方が日本語を学ぶようになった切っ掛けや目的は、日本のポップカルチャーが好きだからという方、お姉さんが日本に住んでいるからという理由の方、国際弁護士として活躍されており、仕事のためにも日本人とコミュニケーションが取れるようになりたいという方まで、さまざまでした。しかし、目的の違いはあるものの、日本語を習得しようというやる気は皆同じでした。その姿勢がまさに、その時の自分の姿に重なり、会得したい対象は正反対だけれども、同じ熱意を持っていることに共感を覚えました。彼らとの共通点を感じたことで私自身も学習に対して更に意欲がわきました。

この時出会った生徒さん方の中には、今でも頻繁に連絡を取り合っている友人もいます。彼女たちは、現地の大学のシステムや学部について教えてくれるので、滞在中はもちろん現在も大変参考になっています。こうして、ボランティアの経験によって思い掛けず3つ目の目的も達成することが出来ました。

語学学校での学習

2つ目及び3つ目の目的に対する活動であり、私の中で最も印象に残っているのが語学学校での生活です。

私は語学学校を選ぶ際に、より大学の雰囲気を身近に感じることが出来たり、現地の大学生と交流出来たりする環境に身を置きたいと考えました。長期留学のための交換留学制度について調べるうちに、中央大学の提携校であり、キャンパスの敷地内に語学学校を併設している大学があると知り、語学学校ELSインディアナポリス校を見付けました。この学校はインディアナ大学・パデュー大学の付属校で、学校に通う生徒は大学の図書館などの施設を自由に利用することが出来ました。

学校ではインテンシブコースというコースを選びました。このコースは月曜日から木曜日の8時30分から15時50分まで(昼休みは12時30分から13時30分)と、金曜日の8時30分から12時30分まで授業のあるコースで、リーディング、ライティング、ディベート、映画を題材としたディスカッションの授業がありました。クラスは全部でレベル1から12まであり、12まで終了すると修了証と共にミシガンテストという共通テストの受験資格が与えられます。ミシガンテストの合格とELSの修了証はアメリカの大学に進学する際の能力証明になるそうです。

到着の翌日から早速授業が始まりました。初日はテストによるクラス分けでした。私はテストの結果が良かったのでレベル10からのスタートでした。クラスメートの大半は既に半年ほど学校に通っており、学校卒業後はそのままアメリカの大学への進学を希望している人がほとんどでした。母国で大学の修士課程を修了しているクラスメートも多くいて、皆、一社会人としての教養があり、知的関心が高く、私は毎日彼らから良い刺激をもらいました。

授業内容は総じてアメリカの時事に関連するものが多く、先生たちからはワシントンポストやニューヨークタイムズのウェブサイトで毎日ニュースを読むよう言われました。宿題の中にはニューヨークタイムズの要約もあったため、毎日時事英語に触れました。クラスメートは時事問題によく精通していて、世界のさまざまな出来事について自分の意見をしっかりと持っていました。自らの意見を流暢な英語で主張することが出来るクラスメートのプレゼンテーションを聞き、彼らと議論をすることは興味深いものでした。

クラスメートの中で英語力、特に会話力に欠ける私にとって、クラスの授業に付いていくことは困難でした。プレゼンテーションや作文は、ほかのクラスメートよりも随分時間が掛かりました。しかし、私が時間を掛けた分だけ先生方がきちんと評価をしてくださったので、頑張り続けることが出来ました。

クラスメートとは授業以外においてもとても良い関係を築くことが出来ました。授業の合間にはみんなで母国の言葉を教え合ったり、会話をしたり、お昼御飯を一緒に食べたりと、楽しい時間を過ごしました。

授業日も残りわずかとなったある日にクラスメートから、「私は、この間のあなたの作文を読んで(作文の宿題を先生に提出する前にクラスメートでチェックし合う作業があった)、まだ19歳なのに、ちゃんと自分の意見を持って、これほど素晴らしい作文を書けるなんて、うらやましいというか、ちょっとしっとしたのよ」と言われて驚きました。私はクラスメートの中でも最年少で、教養や人生経験の面で明らかに彼らに及ばない部分があり、無意識のうちに劣等感を感じていたことに気が付きました。

私の滞在期間は1カ月と短かったので、その分、「意地でも充実したものにさせたい」という気持ちが強く、焦りがありました。先生の話している内容がよく聞き取れず落ち込んだり、クラスメートたちの堂々とした姿に引け目を感じたり、時には発音を褒められて自信をつけたり……自分の英語力に対して自信をなくした時期と、逆に自信を得た時期が波のように交互にありました。優秀で活発なクラスメートを前に適当にその場をやり過ごしたいような気持ちになった時もありました。

そうであったからこそ、そのような声を掛けてもらった時に、私が彼らを慕っていただけではなく、彼らも私を同じクラスメートとして認めてくれていたのだと感じ、はっとさせられました。クラスに付いていこうと一心に頑張っている私を見てくれていたのだと感じ、本当にうれしかったです。

そうして、最終日の昇級テストでレベル10のクラスを修了することが出来ました。先生が成績表を手渡してくださり、詳しいアドバイスを受けました。卒校式では無欠席とレベル修了の両方を表彰してもらい、すべての先生方と生徒たちから拍手を受けました。こうして、目に見える形としても英語の上達を感じることが出来ました。

英語漬けの日々

私は滞在中本当によく勉強をしました。フルタイムでの授業に加えて、朝5時、6時に起きて1時間ほど自主学習をしてから学校に行くのが日課になっていました。放課後はネイティブの大学生が集まるカフェや図書館を狙って、席を取り勉強をしました。夜もインターネットで時事英語に触れたり、宿題をしたりして過ごすことが多かったです。まさに英語漬けといった感じでした。

私は高校まで絵はがきサイズのノートを単語帳にして、分からない単語を自分なりにまとめていたのですが、大学に入ってからはほとんどそのノートに手を付けることがなくなっていました。滞在中はそのノートを再び活用し、分からない単語をひたすら書いて、調べて、覚えるという作業を繰り返しました。授業中も先生の話した単語で分からなかった単語を書き留めていました。日本に帰国する時には48枚、表裏合わせて96頁のその新品だったノートが、残りわずかとなっていたのが私の自慢です。

共通して感じたこと

私はこれらの活動を通じて、言葉を話す重大さを学びました。他方、言葉が話せなくても、精いっぱいの伝えたいという気持ちがあれば、きちんと会話をすることが出来るということも学びました。

母国語が共通でない者同士にとって、簡単なあいさつとは違い、お互いの考えや時事問題など、文化背景に影響を受けるような話題は、非常にデリケートでした。けれども、学校の授業でも普段の会話でも、私たちは議論し合うことをやめず、むしろ積極的に意見を言い合いました。

英語の発音は母国語の影響を受けるので、互いに聞き取りづらいこともありましたが、その分話し手は本気になって伝えようとし、聞き手は最大限に想像力を働かせるので、自然と相手の言いたいことが理解出来ました。

当たり前かも知れませんが、共通の母国語を話す者同士が、「全力で」会話をすることはなかなかありません。それ故、本気で伝えようとする気持ちが、いかに相手に伝わるか、いかに大切かということを、私は改めて感じました。

反対に、同じ母国語を話すということについても考えました。私は滞在中、初対面の現地の人々から、中国人や韓国人に間違えられることが多くありました。私自身、アジア圏の人々の出身国を見た目だけで見分けることは難しいことでした。肌の色、宗教、ファッションや文化など、似ている点がこれほどあるのに、海を隔てて別の国であるというだけで、相手の話す言葉が1つも分からないというのは、不思議なことだなぁと心から思いました。

その思いを実生活にどうつなげる、ということではないのですが、私たちが家族や友達と共通の言葉を交わし合っていることは、当然のことではなく、とても素晴らしいことであり、大切に思わなくてはいけないと感じました。

奨学金応募を通じて学んだこと

冒頭で掲げた本来の目的にはかなっていませんが、最も大きな成果となったのは、本奨学金の応募に取り組んだ経験そのものであったと私は感じています。

本奨学金の選考過程では、エントリーシート及び面接において、計画内容から将来設計に至るまで、さまざまな観点から質問が与えられます。私はフィードバックが不得意で、思い切って行動しても、やりっぱなしのような状態になることがしばしばありました。しかし、本奨学金の応募準備を通して、選考の性格故に、目的と成果を照らし合わせる作業を幾度となく行い、それらを次の活動につなげるための材料とすることを学びました。初めは、あくまでも選考の対策として、必然的に行っていた作業でしたが、次第に同じ方式で今までの人生や、将来についても深く考えるようになりました。

留学を終え、もうすぐ1年がたとうとしていますが、結局のところ、現在、長期留学を検討していません。長期留学計画について考え直そうと決めたのもまた、応募準備の過程で迷い、悩み、考えたことが始まりです。更に帰国後、目的・成果のフィードバックをした結果、自分がやりたいことの優先順位が変わってきたのです。

私が現在最も意義を見いだせるのは、大学での授業で法律の専門知識を得ることや、公務員になるための勉強、それに伴うインターンシップなど日本国内でのより一層の経験です。国内でのさまざまな経験を通じて更に視野を広げ、一回り人として豊かになり、再び海外で新たな価値観を見いだすことが次なる目標となりました。

おわりに

帰国後の報告会の歓談の場で、三枝先生が私に「今回の経験を今後に生かすことは必要だけれども、この経験をあっという間に忘れてしまうくらい、大きく成長していかなくてはいけないよ」とおっしゃったことが強く頭の中に残っています。

私は本奨学金を支えてくださっているOB・OGの方々、応募に際して私を応援してくださった先生方・家族・友人すべてに感謝しています。貴重な経験をさせていただいた、その感謝の意を表すためにも、私は今回の経験が一生とどめておくべき思い出ではなく、更なる挑戦へのステップであることを忘れずに、これからも前へ、前へ、進んでいきたいです。

草のみどり 242号掲載(2011年1月号)