法学部

【活動レポート】小室 温香/脇元 伸也/庄野 暢

「やる気応援奨学金」リポート(59) インドでインターンシップ(上) 外交と草の根NGO活動学ぶ

はじめに

「やる気応援奨学金」の支援により「国際インターンシップ(外交と国際業務)」から、今回、私たち八人の学生がインドで2週間のインターンシップを体験してきました。チェンナイ(かってのマドラス)にある幾つかの現地NGO訪問を中心に、2回にわたってリレー式に私たちの経験を報告させていただきます。

SISTWAでボランティア
法学部国際企業関係法学科3年 小室 温香

初めてのチェンナイ

ムッとするような湿気と、砂ぼこり、異国のにおい。信号も車線もない道路、かっ歩するやぎ、鳴りやまないクラクション。日本の整然と整備された街並みを見慣れていた私にとって、チェンナイの喧騒はとても新鮮で、インターンシップから数カ月たった今でも鮮明に思い出すことが出来るほどです。

NGOに赴いて

私はインドでの一週目にSouth India Scheduled Tribes Welfare Association(SISTWA)というNGOでボランティア活動を行いました。このNGOは、北インド起源の移動型民族である、ジプシーの子供たちのための孤児院を運営しており、チェンナイの施設には一般の児童も通う小学校が併設されています。私の主な活動内容は、小学校の授業見学や子供たちと折り紙やダンスを通しての交流で、Society for the Educational and Economic Development(SEED)というNGOにも訪問させていただきました。
SISTWAの施設の周辺にはスラム街があり、小学校に通う子供たちも決して裕福な家庭の出身とは言えません。教室には机やいすはなく、黒板があるのみで、子供たちは敷物の上に座り、ノートを地べたに置いて勉強しています。この学校では、授業内でマインドマップを活用していて、子供たちのノートにはあらゆる科目にマインドマップが書かれていました。マインドマップとは、中心となるキーワードやイメージをノートの中央に書き、そこから放射状にキーワードやイメージをつなげて図式化していくことで、発想を伸ばしていく表現方法で、この方法を用いると、ノートを読み返した時に、記述した内容を理解する時間がかなり少なくて済み、また、指導する時に子供の思考過程が分かって指導に役立つそうです。先生の書いた板書を写して要点を暗記する日本の学習方法との違いを感じました。教室設備や筆記用具も十分ではないのに、色鉛筆を使ってカラフルにノートを書くなど工夫していて、勉強を楽しんでいる様子で、授業見学のため教室に入ると、子供たちは大喜びで歓迎してくれて、先生に指名された児童が元気に日頃の授業の成果を披露してくれた姿が大変印象に残っています。
3日目に訪問したSEEDは、親が罪を犯し刑務所にいて、生活を共にすることの出来ない子供たちのための孤児院と、それと併設して幼稚園や小学校を運営しているNGOです。こちらのNGOとSISTWAは、チェンナイ市内で孤児院を運営するNGOとして、連携関係にあるそうです。企業からの寄付により、図書館やコンピューター室、理科実験室などの設備が充実していて、寄付金によってNGOが成り立っているのだということを実感しました。

NGOを運営する上での困難とは

SISTWAの代表の方とお話しする機会を頂いたので、私が関心を持っていた資金面について伺いました。

SISTWAは政府から資金援助を受けているそうですが、大部分は個人や企業からの寄付金で賄っているそうです。施設の子供たちの中には、個人的にスポンサーがいる子供もいるということでした。「資金は常に足りていない。資金調達がNGOを運営する上で一番の困難」だと言います。そして、「もし私たちを助けたいと思うのなら、日本に帰ってから、日本の企業に、インドにSISTWAというNGOがあるから寄付をしてほしいということを伝えてほしい。あなたたち学生が寄付出来るお金は少額だから、こういう働き掛けをして助けてほしい」という言葉を頂き、日本にいてもSISTWAを助けるための働き掛けが出来るのだということに気付きました。
NGOにとって資金調達は死活問題です。世界的不況により、企業からの寄付金は減ってしまったのに、施設に預けられる子供たちの数は増える一方だそうです。もしNGOの運営が立ち行かなくなってしまったら、子供たちは教育の機会や生活の場を奪われてしまいます。NGOの果たす役割は大きく、子供たちにとって不可欠な存在であることを痛感させられる経験となりました。

DBAIでの活動
法学部国際企業関係法学科2年 脇元 伸也

Don Bosco Anbu Illam(DBAI)は主にストリートチルドレンや親に何らかの問題を抱えている子供たちを保護しています。その名称は創始者であるキリスト教の宣教師ドン・ボスコに由来し、Anbu Illamは英語でhome of love を意味します。現在、日本を含む世界各地に支部を有するNGOです。

スラムを訪れて

初日の午前中にセントラル駅付近のスラムを訪れました。そこにはDBAIのスタッフが教師として授業をするために毎日数時間、訪問しています。そこで見掛けたある子供は親にもらった貨幣を口に入れてまで、他人に取られないようにしており、貧困の中で子供が精いっぱい自分を守ろうとしていることを体感しました。最初、私は未体験がゆえの偏見から子供たちと触れ合うのも怖く、病気になるのではないかと少し戸惑っていましたが、そうした懸念は杞憂に終わりました。最初、子供たちは私たちをただ珍しそうに見ていましたが、一緒に英語やタミル語で「幸せなら手をたたこう」を歌った時の子供たちの態度はとても意欲的で、英語を学ぼうという意識が感じられました。
2日目は郊外にあるスラムを訪問しました。初日と比べコンクリートの建物など教育の場という形式が整い、教育レベルも英語のポスターがあったり理科の実験が行われているなどの差が見られました。スラムの中にも格差はあり、実際にNGOの活動を体験してよりそのことを明確にイメージ出来るようになりました。

施設を訪れて

Fathers homeは駅で生活している孤児たちを10人程度保護しています。インドの各地から来た子供たちを保護しているのでどうやら共通語がない様子でした。この施設には、発話障害のある子供や、慢性的な病気の子供もいました。グラウンドは整地が不十分で穴だらけ、板状の屋根があるものの壁は一部しかなく吹きさらしでした。こうした貧困地域では娯楽が少ないので、私たちは、日本の文化でもある折り紙で遊ぶことにしました。子供たちの中にリーダーがいて英語とタミル語やその他の言語への通訳や作業の進行を助けてくれ、同伴していたNGOのスタッフや子供たちみんなと一緒に楽しむことが出来ました。特にインドではガネーシャとして親しみのある象の折り紙が人気でした。また、タミル語で動物の名前を覚えていたのが大いに役立ちました。

Boys homeは約300人の子供がいる大きな施設の1つで、ストリートチルドレン(親がいる場合もある)や家庭内暴力の被害を受けた子供を保護しています。そこでは私にとって3つのことが印象的でした。まず衛生面で、食事の最中もはえがずっと皿にたかり、その皿も水洗いしかされていません。実際には体調不良になることはありませんでしたが、食事の度に腹痛になるのではないかと絶えず不安でした。2つ目は子供たちの行動パターンです。彼らはまず私たちの名前を聞きます。そして、すぐにいつまでいるのかと滞在期間を聞きます。帰り際は別れに慣れていたかのように非常にあっさりしていました。また、折り紙で何かを作っても感謝の言葉がないことです。これは親の不在のせいか、援助慣れなのかと考えさせられました。最後は教師です。先生たち自身もストレスで暴力的になっているという事実で、先生が言うことを聞かない子供をむちでたたく光景を見ました。

NGOの課題

施設における問題の1つに、月に何人かは子供たちが施設を退去する、定着困難という問題があるとのこと。NGOの代表者の話では、施設の子供たちが施設を出ていく理由は、施設の規則に耐えられなかったり、施設内のいじめや、親が恋しくて家に戻ろうとしてしまうことなどのようです。彼はまた、資金不足でスタッフの人数の確保が難しいことから、彼らのストレスのケアまで気遣えないという問題まで率直に話してくれ、実際に施設を訪れてこそ聞ける、NGOの現場の生の課題を痛感出来ました。また、スタッフの話では、政府から資金面の援助がほとんどないということを聞き、政府とNGOの関係が希薄であることも今後改善しなければいけない課題だと思いました。

異なるNGOでの活動
法学部国際企業関係法学科2年 庄野 暢

教育の重要性

私は2つのNGOを訪問しました。2つの異なるNGOで活動することで、その間の大きな格差を感じ、そこから教育の重要性を実感出来たと思います。具体的に説明しますと、最初に訪問したNGOはThe Children’s Garden School Societyという政府の援助などで成り立っている小学校です。ここは児童各自の筆記用具はもちろんパソコンまで備え付けられていました。日本の小学校と何も変わらないと言っても過言ではありませんでした。先生に質問したところ「裕福な家庭の子もそうでない家庭の子もいる。裕福な家庭の子が1人授業料を納めれば、そうでない子供が2人ただで学校に来られる」とおっしゃっていました。要は裕福な子が3人分払っている計算になるということです。
しかし2つ目に訪問したDon Bosco Anbu Illam のBoys homeという施設の状況は全く対照的でした。まず勉強道具、先生の数などすべて不足していました。授業は先生が黒板の前で何かの教科を教えるといったものではなく、先生はただ座っているだけで、子供たちは勉強している子もいれば、けんかして泣いている子、寝ている子などさまざまでした。とても学校とは言えるような状態ではありませんでした。それでも1日3食の食事と屋根があるだけこの施設はましな方だと聞きました。子供たちの態度も両者で異なっていました。前者では、子供たちが折り紙をもらう時に、必ず一言「もらって良いですか」と聞く、その礼儀正しさにはびっくりさせられました。これに対して後者の施設の子供たちは折り紙をむやみに使い、興味本位で私の肌、髪の毛を触り、私は不快感を覚えました。折り紙を教える時も順番を守ろうとせず、けんかが絶えませんでした。授業時間には着席するなどの基本的ルールを守ることもしません。以上のように両者を比べると教育の質上の格差がそれを受ける子供たちの学習能力の差のみならず、他人に対する態度やマナーといった人間的な面までにも格差を生じさせるのだと感じました。

人と人との関係

最後に人と人との関係という観点から感じたことを述べたいと思います。それは引率してくださったヘッセ先生のコミュニケーション能力のすごさに驚かされたということです。ヘッセ先生は現地で出会うインド人に対して、自ら積極的に話し掛けていきコミュニケーションを図っていました。そして必ずと言って良いほどその中にユーモアを織り交ぜ相手を笑顔にし、短時間の間に心の距離を縮めることが出来ていたのです。例えば運転手に対して「日本ではインドよりも皆もっとゆっくり運転するからインドでこんなに上手に運転出来る君は日本に行けばもっと稼げるよ」というよう

なものです。仮に言語が日本語であったとしても私にそれが出来るかと言えばはっきりイエスとは言い切れません。もちろん1人1人のキャラクターの違いはありますが、このようなコミュニケーション能力があれば海外に出掛けた時に自分の身を助けることが出来、また社会においては学問的能力だけでなくそのような能力が必須だと実感しました。残りの大学生活でも、年齢の近い先輩や後輩のみならず、年齢、国籍などの違う人たちとも心の距離を縮める能力を養う機会を積極的に作っていきたいと思いました。

草のみどり 233号掲載(2010年2月号)