法学部
【活動レポート】河野 陽 (政治学科3年)
「やる気応援奨学金」リポート(49) 「北京へ行ってきました」
飛行機の中で思ったこと
「2007年2月15日午後2時。見事な冬晴れである。機内は最後の搭乗客が着席し、船乗りのような白い制服を着た男性客室乗務員が出発の最後の確認のために客席を回っている。機内には、何語で歌われているのかわからないが、エスニックかつ陽気な雰囲気を感じさせる歌が流れている。ウルドゥー語だと思われるアナウンスに続く訛りのきつい英語で、出発の準備が整ったことが分かった。」
これは、私が留学中に付けていたノートの書き出しです。パキスタン航空PK0853便・成田発-北京経由-カラチ行きの機内の様子です。
みなさんはパキスタン航空の旅客機に乗ったことがあるでしょうか。乗ったことがない方は想像してみてください。辺りを見渡せば、中東系の顔立ちで、立派な髭を蓄えたおじさんや頭にスカーフを巻いた女性が半数を占める。パリッとした白い制服に包まれた背が高くがっちりした若い男性が客室乗務員として機内サービスを行っている。通路を挟んだ隣の人が手づかみで機内食を食べている。
成田から北京までの約3時間、私はイスラムの空気を経験することになりました。北京へ到着するまでのちょっとした寄り道でした。
やる気応援奨学金を利用しての留学は、先生方のアドバイスを参考にさせていただきながら、全て自分の好きなように準備させてもらえます。テーマの設定、現地で何をやるのか、入学手続きはもちろんビザの申請や寮の手配などなど。そして、とにかく安さで選んだ北京までの航空チケット。これが、パキスタン航空との偶然の出会いでした。
この体験のおかげで、私は2点のことを学びました。それは、自分で計画することの面白さと、自分が選んだからこそ味わえる感動があることです。もし旅行会社のパッケージの留学やツアーで、パキスタン航空に乗る機会があっても、こんなに深く心に残る体験とはならなかったでしょう。
行きの飛行機の中でこのような経験をしたおかげで、1ヶ月半という限られた期間の中でも、自分次第でたくさんのことが学ぶことができるのではないかと思うようになりました。自分次第でどうにでもアレンジできる留学。1ヶ月半後に帰国するときに、自分がどれだけ成長できているのか。それはすべて自分自身の行動次第であると…。
留学前に決めていたこと
今回の留学の目的は、語学力の向上と中国で発行されている日本人向けフリーペーパーの調査です。フリーペーパーを調査することに決めた理由は2つあります。それは、中国で働く日本人の姿に触れたかったのと、特別な行事などではない草の根の中国人と日本人の交流を体験したかったからです。
また、今回の留学を計画するにあたり、1年間北京に交換留学に行かれていた中大の先輩からたくさんのアドバイスを頂きました。その中でも印象に残っているのは、留学に行く前の学習と留学で達成したい目標設定の重要性です。特に、私の場合は1ヶ月半という短い期間での留学ですので、如何に効率的で内容の濃い学習が出来るのかが鍵になると思いました。そこで私はHSK6級と中国語検定2級の合格という、当時の実力から見ればかなり高い目標を設定しました。もちろん検定試験合格のために留学へ行くのではありませんが、1つ具体的な目標を設定することで、学習へのモチベーションを高めることができたと思います。
北京の印象
北京の印象を一言で表すと「うるさい」です。それもそのはず、私が訪れた2月の中旬はちょうど元宵節という伝統的な祭日がある時期です。日が落ちると、至るとこから爆竹の爆発する音が聞こえてきます。慣れていれば季節を感じさせる音となるのでしょうが、夜道を歩いているときに近くで爆発があるとかなり驚きます。
また、北京では人の多さと活気にも圧倒されます。夏にオリンピックを控えているということで、北京の街は建設ラッシュです。よく日本のテレビなどでも取り上げられていましたが、出稼ぎ労働者風の人々が至る所にいるのが印象的でした。そして、北京といえば交通渋滞です。通勤時間にタクシーに乗ろうものなら、相当の出費を覚悟しなければなりません。一方、地下鉄はというと、込み具合は日本のラッシュアワーの比ではありません。駅のコンコースに人が溢れて危険なために、乗客は乗り換えの際に1回駅の外へ迂回しなければならないほどでした。
中国語学習について
大学の授業は、当然ですが、教師の説明も生徒の質問も中国語のみです。とは言うものの、教師は中国語教育のプロフェッショナルです。私達のクラスのレヴェルがどの程度で、どのくらいの語彙量があり、どのくらいのスピードについてこられるのか、文法のどこに躓きやすいのかを考慮した上で授業を進んでいきます。そのため、先生の話す中国語には慣れるのに時間はかからず、3週間も経つと不自由に感じることはほとんどなくなり自分の中国語能力に自信がついてきます。だからといって調子に乗って街の中国人に話しかけると、すぐに自信を喪失するはめになります。現地での中国語学習は、基本的にこの自信の浮き沈みの繰り返しであった気がします。
北京語言大学の掲示板には「生徒募集」や「友達募集」の張り紙が所せましと貼ってあります。この大学は中国語教育を中心に行う大学であるため世界各国から中国語を勉強したい生徒が集まって来ます。そのため他大学の生徒や元中国語教師が家庭教師の生徒や相互学習の相手を探しに集まってくるのです。
私は2人の家庭教師に教えてもらうことにしました。1人は元中国語教師のおばあちゃん先生、もう1人は日本語学科に通う大学3年生の女の子です。授業料はおばあちゃん先生が35元/1h、大学生が20元/1hでした。(1元=約16円/2007年2月のレート)
彼女達にはそれぞれ平日の午後、週に2回、2時間中国語を教わりました。午前中は学校の授業に出て、午後は週4回家庭教師と個人レッスン、そして空いた時間に予習と復習という生活です。まさに中国語漬けの生活となり、かなり充実した時間をすごせましたが、正直しんどかったです。
おばあちゃん先生との授業は、主に発音の練習でした。これは「まず、自分が正確に発音できないと、いつまで経ってもネイティブの中国語を正確に聞き取ることが出来ない。」という彼女の長年の経験からの教育方針です。日本人にとって中国語で1番難しいのは発音で、”n”と”ng”、”ch”と”zh”、”h”と”f”の発音は聞き取るのが非常に難しいです。また先行する子音による”u”の発音の変化などややこしいものはたくさんあります。それらの発音はノンネイティブにとって容易に聞き分けられるものではありません。おばあちゃん先生曰く、長い道のりの一歩として、まずは自分がネイティブの発音に近づくことからはじめなければならないそうです。
「あなたは、外国人なのだからゆっくり話しなさい。そうでなければ、みんなはあなたの言っていることが理解できないのよ。」これは、おばあちゃん先生に最初の授業で注意されたことです。話すのに無我夢中になってしまい、喋ることだけに意識を集中しすぎるために、相手のことを全く考える余裕がなく、それがコミュニケーションをうまく取れない原因になっているのだということです。おばあちゃん先生とのレッスンでは、中国語の発音を学べたのに加えて、言語はツールに過ぎないということを、改めて気づかされました。
フリーペーパーについて
北京、上海、大連など日本人の多い街では日本人向けのフリーペーパーが発行されています。このフリーペーパーは、日本人または、中国人によって現地で取材・編集・出版されています。私は、実際にフリーペーパーを集めたり、編集者の方にお話を伺いに行ったりしながら、フリーペーパーを通して見えてくる中国社会を調べていきました。
フリーペーパーとは、日本で言う「R25」のような雑誌をイメージして下さい。内容は、様々な記事と収入源である広告で占められています。中国で発行されているフリーペーパーも基本的には同じです。少し違うのが、中国でのフリーペーパーは「雑誌」ではなく「広告」として発行されています。
編集者の方に伺った話によると、「雑誌」として発行するより「広告」として発行したほうが、記事へのチェックがゆるいのだそうです。また、どのような記事の表現にチェックが入りやすいのかを質問したところ、政治的な内容、歴史的な内容、共産党幹部の名前が登場するなどの大きな問題から、「×日中関係」「○中日関係」など細かい表現まで気にしなければならず、大変だそうです。
北京で発行されているフリーペーパーにはいろいろ種類があり、ビジネスマン向け、主婦向け、学生向け、レジャー情報充実などの棲み分けがなされています。お店によって置いてあるフリーペーパーが違うこともあり、置いてあるフリーペーパーとその店に来る客層の関係を調べてみるのも面白いかもしれないと思いました
交流会に参加して
週末を利用して、民間の日本語学校が主催している交流会に参加しました。理由は、学生だけではなく働いている様々な年代の中国人の話を聞きたかったからです。この学校はビジネスマン相手の経営ということもあってオフィス街の立派なオフィスビルの最上階にあります。教室の窓からは、北京の街を一望でき、まだまだ建設ラッシュであり、街自体の成長の勢いを感じることができます。
初めてこの教室を訪れた際、30分ほど早く着いたので授業を見学させてもらうことにしました。見学をしてまず印象に残ったのが、生徒から教師への質問の多さです。「何でこの文法は使えないのか。」「こういう言い方はできるのか。」「私の発音はおかしくないか。」1人の先生に対して10人ほどの生徒が次から次へと質問をぶつけていきます。授業が進まないのではないかと心配してしまうほどです。授業の終盤30分足らずしか見学していないのですが、それでも生徒、教師の「日本語をうまくなってやろう。」「うまくしてやろう。」という熱意が伝わってきました。
授業が終わり、少しの休憩を挟んで交流会が始まりました。参加者は日本人のメンバーが4人で学生が私の他に1人おり、後は日本企業の駐在員とその奥さんという構成でした。一方、中国人の参加者は授業終わりの生徒10人ほどです。
授業後ということで、中国人生徒のほうは疲れているだろうと思いましたが、それは要らぬ心配だったようで、1度交流会が始まれば3,4人に囲まれて質問攻めにあい、すっかりペースを握られてしまいました。改めて、彼らの学習意欲の高さに驚くと同時に、自分も見習わなければならないと思いました。
交流会の途中、女性の中国人の生徒から中国のお茶やお菓子たくさん頂いたので、私も何かお返しをしなければならないと思ったのですが、あいにく日本らしいお土産は何1つ持参していませんでした。そこで、会話の中で東京の地下鉄網の複雑さについての話題が出たので、手帳についていた小さい地下鉄の路線図をあげたところ、彼女はとても喜んでくれました。
彼女はみんなも見ることができるようにと、その場で教室の壁に路線図を貼ってくれたが、果たして今も貼ってあるのでしょうか。私が社会人になって、もう1度あの教室に行ったとき、あの路線図がまだ貼ってあったら、きっと私はうれしいと思います。
また、この交流会を通して素晴らしい出会いがありました。張さん、関さんという2人の友人です。
張さんは日本語学習歴6ヶ月の25歳。4年間のアメリカ留学を終えて北京に帰ってきたばっかりで、現在は中国人のビジネスマン相手に英会話の教師をしています。日本語はまだ十分に話すことが出来ませんが、トリリンガルを目指して猛勉強中です。彼には、留学期間を通して、自家用車で地元北京っ子しか行かないショッピングモールに案内してもらったり、おいしい屋台街に連れて行ってもらったり、大学のグラウンドで一緒にバスケをしたりとよく遊びました。
関さんは日本語学習歴1年6ヶ月の24歳。日本で働くことが決まっているエンジニアであり、既に日常会話には事欠かないくらいの日本語を話すことが出来ました。彼にも、飲み連れて行ってもらうなどいろいろお世話になりました。そして現在、彼は船橋に来て働いており、お互いメールをしたり、遊びに行ったり、飲みに行ったりと日本でも仲良くさせてもらっています。
北京でノートを忘れる
大学での授業を無事に終え、寮の荷物をまとめているときに大変なことに気がつきました。ノートがないのです。それも、ただのノートではありません。留学中に肌身離さず持ち歩いていたノートで、日記、北京に来て覚えた単語や文法、フリーペーパーについて調べた内容、そして友達の連絡先などなど、北京に来てからのすべての情報を書き記したノートでした。
落ち着いて昨日の行動を思い返してみると、落とした可能性のある場所が2箇所浮上しました。昨日は、私のお別れ会ということで、張さんがお勧めの中華料理屋へ連れて行ってくれました。その後に、張さんの友達や関さんと合流して北京の若者が集まるクラブへ行ったのでした。
何とか中華料理屋の場所は思い出せたのですが、クラブの場所はわかりません。仕方がなく、つい数時間前に涙のお別れをしたばかりの張さんに電話をしました。電話に出た張さんの声はかなり眠そうでしたが、早速、クラブのほうには連絡を取ってくれることになりました。
張さんに頼んだものの、正直ノートが見つかる可能性はかなり低く感じました。なぜなら、私が落としたのはただの安っぽいノートです。そして、ここは中国。しかし、私にはどうしてもこのノートを見つけ出さなければならない理由がありました。このノートを無くしてしまったら、連絡の取れなくなってしまう友達がいるし、何にも増して「やる気応援奨学金事後レポート」が書けなくなってしまいます。
私が中華料理屋につく前に、張さんから電話がありました。ノートはクラブには無かったとのこと。9割方クラブで落としたと踏んでいたので、正直落ち込みました。中華料理屋に着き外から店内を見ると、お昼時ということもあり、かなり込み入っていました。忙しいところ悪いとは思いつつ、ゴミを出しにきた小柄な青年を呼び止めて、落し物があったか訪ねてみることにしました。
「ノート…」「昨日の夕方…」「黒い…」「これくらいの大きさの…」このような滅茶苦茶な文章でしたが、何とか伝わったようで、彼は「ちょっと待ってて」と言い残し、店の中に入っていきました。
しばらく待っていると、今度は若い女性の店員が出てきました。そして、彼女の手には私のノートが。そして「掃除しているときに見つけたのよ。」とはにかみながらノートを渡してくれました。こんなボロボロのノートをとっておいてくれたことに感動し、感謝の意を伝えたところ「捨てようかと思ったけど、中を見たら日本語が書いてあったから大事なものかもしれないと思って取っておいたの。」とのこと。彼女の気遣いには改めて感激しました。また、張さんにもいろいろ協力してもらったりと、このハプニングでは人の暖かさを感じることができ、良い思い出となりました。
帰国後
留学に行ってから、新聞やニュースで中国のことが取り上げられていると、自然に目が向いてしまうし、街中で聞こえてくる中国語の会話にも過敏に反応してしまう体質になりました。そのおかげで、帰ってからも順調に学習を続けられています。
最後に、準備期間から留学の事後サポートに至る今でも、中国語担当の先生方やリソースセンターの方々には大変お世話になりました。また、今回のきっかけをあたえてくれたやる気応援奨学金の制度にも感謝しています。更に中央大学が好きになりました。ありがとうございました。
草のみどり 223号掲載(2009年2月号)