法学部

【活動レポート】井上 由美 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(22) イギリス留学で法律を学ぶ(上) 法制度、契約法、国際法など

シェフィールド。聞いたことがない、という人が多いだろうが、イギリス、イングランドの北部に位置するシェフィールドという街に、中央大学の協定校、シェフィールド大学がある。去年の夏から交換留学生として私が勉強しているところだ。
この街は大学が2つあることから学生街であり、規模もあまり大きくないため、外を歩いているとイギリスに来なければ出会えなかったであろう友人にばったり会うこともしばしば。短い立ち話の後、ふと自分はイギリスにいるんだなぁ、と実感する。今回のリポートでは、私が留学するに至った経緯と、秋学期終了までの留学生活について紹介したい。

留学までのいきさつ

アメリカに行きたい。その思いを大学まで抑えることが出来ず、親に頼み、高校1年生の時に1年間の交換留学へと行かせてもらった。楽しいことしか考えていなかった渡航前とは裏腹に、その後厳しい現実を知る。英検3級程度の英語力しかなかった当時、孤独も味わったし、恥ずかしい思いもたくさんした。
初めて社会のマイノリティーという存在を経験し、しかしそんな中でも後光が差して見えるような親切な人々に出会うことが出来た。恩返しというわけではないが、私も日本にいる外国人の役に立ちたい、そう思うようになった。
そして大学で再び1年間の留学。それを決意するまでは、アメリカでのつらかった時のことを思い返し、憂うつになり、日本で勉強するほうが楽だな、と考えたりもした。しかし、大学の交換留学制度は私費留学より財政的負担は少ないし、単位交換もしてもらえる。それに英語で専門にしている法律が学べるなんて、法律の知識が増やせるし、語学力の向上も図れるから一挙両得。であるからして、このチャンスを逃す手はないと決心した。
自分が志望している協定校に交換留学するには、それなりの応募資格が必要となる。帰国子女に英語力ではかなわないと悟っていたため、留学先では英語プラス専門的なことを勉強したかった。よって、英語圏で法学部のある唯一の協定校だったイギリスのシェフィールド大学を第1志望とすることにした。その大学に留学を認めてもらうためには、中央大学での一定以上の成績とTOEFLが250点以上必要とされていた。
TOEFLは今まで受けたことがなかったので、その難しさは知らなかったが、やってみなくちゃ分からないと思い、参考書を買い込んで一生懸命勉強した。失敗した時もあったが、結果どうにか基準点をクリアすることが出来た。同じシェフィールド大学へ留学している文学部の松本君も、留学経験がないにもかかわらずその要件を満たし、彼の頑張りに私は感銘を受けた。
しかし、いくら私費留学より費用が掛からないといっても、外国で暮らすには寮費やそのほかもろもろお金が掛かる。高校の時に留学させてもらったこともあり、留学に伴う費用で親に負担を掛けたくなかった。
そんな時、法学部リソースセンターでアドバイザーの三枝先生から交換留学でも「やる気応援奨学金長期部門」に応募が出来るということを知った。「やる気応援奨学金」の応募書類は自分の意思がはっきりしていないと書けない。もし奨学金の選考に漏れても、留学の目的を文章化させておくことは、目標を見失った時、自分を奮い立たせる良い薬になるだろう、無駄にはならない。そう思って選考に挑戦してみようと決めた。

留学で何を学ぶか

大学入学前までは、法律は正義の味方だと思っていた。しかし大学の講義にあるドイツ文化や、戦後補償問題などの勉強を通して、ヒットラー政権中に制定された種々のユダヤ人差別立法や、戦後補償を台湾人元日本兵に対して適用除外とした援護法など、強制的、合法に人権を侵害する法律があることを知った。それからというもの、私は法律を懐疑的に見るようになった。
国家は他国家に干渉されないという国内管轄権を持つがゆえに、悪法を作り、人権を侵害する可能性をも持つ。人権は国境を持たない普遍的なものだから、国際的にそれを守る枠組みを作っていかなくてはいけない。将来外国人の人権を守っていくためには、発展途上の国内法より、その発展の指針となり、向上を促している国際法を勉強するべきだと思った。日本は国際人権条約を批准しているので、訴訟の場でそれらの条約を適用することが出来る。
留学の目的は具体的になった。イギリスで国際法と、国際的な人権保障機関の仕組みを勉強しよう。それら条約や機関の書類原本は、英語とフランス語で書かれているので、だれかの訳なしで自分の力で読むというのが大変な気もしたが、きらきら輝く貴重な経験になるとも思った。

語学研修

秋学期開始前の夏休み、シェフィールド大学が開講している語学研修を6週間にわたって受講した。以前アメリカに留学したといっても、ボキャブラリーの少なさと、英語を用いての学術的なディスカッションには不安があった。だからpre-sessional courseという、コース終了後に留学する生徒を対象にした留学準備コースを受けることにした。
初めにクラス分けのテストがあり、それを基に1クラス15人くらいに生徒が振り分けられた。私のクラスは日本人が3人、台湾人とタイ人が各1人、そしてほか中国人という構成だった。

内容は学術的な英語の読み、書き、会話そして2500字程度のエッセイ課題。読み書きの授業で新しく学んだことはほとんどなかったが、ペアワークが多かったので英語を話す機会にはなった。語学研修で1番役に立ったのが自分の専門とする分野の中からトピックを選び作成したエッセイの課題。学期が始まる前に図書館の使い方や、法律用語、参考書盗用の防ぎ方などを学ぶことが出来たのは、以後学部で出された課題に取り組む際、大いに役立った。

さて、語学研修中の宿泊先に、私はホームステイを選択した。イギリス人の生活をのぞいてみたいと思ったからだ。英語で日常会話くらいは出来るだろうと高をくくっていたが、大間違い。慣れていないイギリス英語とシェフィールドの方言とが相まって、ホストファミリーが何を言っているのか全然理解出来なかった。
バスをブスと発音するし、ディナーのことをティー、デザートをプッディングと言う。またイントネーションもアメリカ英語と違って上から下といった感じで、分からな過ぎて自分の英語に自信を失った。
しかし、イギリス人はジャガイモをよく食べることや、紅茶をよく飲むこと(自明?)を身をもって知ることが出来て良かったと思う。また、人を呼ぶのに“Love”と呼び掛けるのも習った。バスの運転手や、道を譲った見ず知らずの人々から“Thank you love!”と言われ、初めはびっくりしたが、とてもかわいい響きで気に入った。また、語学研修を通してたくさんの中国人の友達が出来た。今まで反日デモで日本に対する怒りをあらわにする中国人の映像ばかりテレビで見てきたが、実際シェフィールドで知り合った中国人は、助け合い精神にあふれ、とても人懐っこくて良い人たちばかりだ。イギリスに来てからというもの中国に対する好感度がグンと上がった。そんな中国人の友人たちが抱える不都合はたくさんある。例えば中国人は地元の警察署に身元を登録しなくてはいけないし、海外旅行をするにも、日本人ならビザなしでいける渡航先の国から、中国人はビザをもらわなければならない。国籍ゆえに、受ける待遇がこんなに違うものなのかと遺憾に思った。また、日本が築いてきた世界に対する信頼ゆえなのか、日本のパスポートの便利さにも気付かされた。
とにかく、語学研修の6週間の間に、シェフィールドの街や大学の環境に慣れることが出来たし、友達も出来た。また、イギリス英語に対する覚悟も出来たので色々な意味で語学研修を受けて良かったと思う。

寮生活

語学研修が終わり、1週間の留学生を対象としたオリエンテーションを終えた後、私はいよいよ1年間お世話になる寮、Stephenson Hall of Residenceに移った。寮には約400人ほどの学生がいて、私の部屋のある2階のフロアには、ほかに13人のイギリス人の女の子と間違えて配置されてしまったラッキーなようでかわいそうなフランス人の男の子が1人暮らしている。その皆で2つのトイレ兼シャワールームと1つの簡易キッチンを共有している。
自炊寮ではないので、平日は朝食と夕飯が食堂で出され、休日には3食とも提供される。寮にはお酒を飲むバーも付いていて、時たま食堂にDJが現れ、普段は地味に隠れているミラーボールが輝き出し、ディスコが始まったりする。

新入生の多いこの寮では、皆自分の部屋のドアを開けっぴろげ、音楽を流し、終始おしゃべりに忙しい。そしてよく聞く言葉は“Are you going out tonight?”。まるで遊ばないことが罪かのように、学生たちは毎晩のように飲みに踊りに出掛けていく。どんなに外が寒くても、踊りに行く時の女の子は、ミニスカートにノースリーブのセクシーなトップス。それを初めて見た時はカルチャーショックを受けた。
前記のようなことから、寮が静かになることはめったにないが、イギリスの大学生活を経験するには打って付けの場所である。また、寮の住人はほぼイギリス人なので、寮に住んでいなかったら、これほど多くのイギリス人の友達は出来なかったと思う。寮内の留学生同士も仲が良い。

大学生活

私が秋学期に取った授業は以下の3つである。Introduction to English Legal system and Law(イギリスの法と法制度入門),Law of Contract(契約法)and International Law (国際法).
たった3教科!?と初めは思ったが、1週間にそれぞれの科目の講義が3コマと、セミナー(日本でいうゼミ)がそれぞれ1コマや、2コマずつある。少数科目集中型とでもいうのだろうか。実際講義が始まると、本読みで3科目だけでも手が回らなくなる。
ほとんどの講師がパワーポイントを使って講義を進めるので、講義の内容を聞き取れなくても、それをノートに書き写せば、大事なポイントはつかむことが出来る。法学部は大学1の大きな学部なので、履修者の多い授業の際は、体育館のような場所で、机の付いていないパイプいすに座りながら授業を受けたりする。また、全体的にどこへ行っても薄暗い。学習環境は中央大学の方が整っている印象を受けた。
さて、日本と法律制度が違うイギリスで法律を勉強してどうするの?といった質問をよく受ける。国際法は世界共通なのでさておき、契約法を勉強する意義とは。イギリスで契約法を勉強し始めるまではその答えは見付からなかった。
しかし、イギリスの契約法を知れば知るほど、自分の中にあった法律に対する見解の枠が広がっていくのを感じる。今まで当たり前だと思っていた契約上の信義誠実の原則をイギリス法は否定したり、またそれは契約の成立を主観的ではなく、客観的な要素から判断したりする。そしてそのような慣習に従う理由も、権威のある裁判官が丁寧に判決理由で説明する。その論理構成がとても説得的だからまた面白い。
また、ゼミで扱うケース問題も、すべての事実が具体的に書かれているわけではない。よって、学生たち自身で場合分けをしながら問題を解いていく。色々な可能性を探しながら判例を適用していく良い訓練だと思う。このような勉強を通して、物事をさまざまな視野から見られるようになってきた。私がイギリスで勉強している契約法は、直接司法試験には役立たないだろうけど、人間としての見識磨きには大いに影響しているように思う。
国際法の授業は1番大変だったがお気に入りだった。講義では、今までニュースで何気なく見てきたさまざまな国内紛争や独立問題、そして外交問題などの国際事情を国際法という視点から見ていった。国際法は国家間のルールを規律する法律だけに、規模が大きくて問題の解決策なんてイメージがつきにくい、と思っていたが、判例を読んでいくうちにある問題に対する具体的な対処方なり解決指針などが見えてきて、外交が身近なものに感じられるようになった。
英語で判例を読み、それを理解するということはものすごく大変で、膨大な時間と、ある程度の文法力を要する。私は文法が苦手で、whichの使い方などが今1つ分かっていないので、もっとしっかり勉強しておけば良かったと後悔した。
セミナーはいつも憂うつな時間だった。セミナー前に、平均8ケースほどの判例を読まなければ付いていけないこともあるのだが、ほかのセミナーメンバーの意見が聞き取れなかったり、発言したくても、ほかの人に先に言われてしまったりなど、準備はばっちりなのに、自分の語学力のせいでセミナーに参加出来ないのがもどかしかった。たまに何か言ってもお門違いな発言だったりで、今思い返すと笑えるが、その時はいっぱいいっぱいだった。
評価の付け方は、科目によって違うが、契約法と国際法は3時間中にエッセイを3、4つ書くという形式の試験だった。鉛筆で解答出来ると思っていたのだが、前日友達にエッセイはペンで書かなくてはいけないよと教えられ不安を覚えた。しかも、解答用紙は10枚つづりの冊子のようなもの。中央大学で使われていたA3の解答用紙裏表に慣れていたため、その解答用紙の量の多さに度肝を抜かれた。
大学では、講義のほかにアムネスティーインターナショナルという人権擁護活動を目的とするサークルに所属している。週に1度、人権侵害が問題になっている分野からスピーカーを招いての講義がある。1番衝撃を受けたのが、コンゴから難民としてイギリスにやってきた女性のスピーチだ。
イギリスで2004年に制定された難民・移民法第9条の下、難民認定の最終審査まで挑戦して、結果、承認が得られなかった難民の家族は、イギリスを出る合理的なステップを踏まない限り、内務省による財政と住居の支援を終了されてしまう。そして難民家族が貧窮に陥った場合には、子供たちだけが家族から引き離されて社会福祉の施設につれていかれてしまうそうだ。結果、難民の家族離散が引き起こされているらしい。
スピーチをしてくれた彼女の家族も、平和な暮らしを求めて逃げてきたイギリスという地で、家族離散の状態にあり、この条項を廃止するよう、涙ながらに訴えていた。初めて難民という地位にある人を目の当たりにして、何も出来ない自分を歯がゆく思った。

友達

幸運にも愉快な仲間たちに恵まれた。中央大学でも大教室で友達を1から作るのは至難の業であろう。イギリス人学生は、寮単位で仲良くなるようで、私も例外なく同じフロアのイギリス人と友達だし、一緒に出掛けたりする。

しかし、私が一緒にいて1番落ち着く友達はほとんど皆留学生である。彼女たちとはサークルや講義で知り合った。どうでもいいことを話しているうちに、育ってきた環境は違うが、同じことを考えて、同じことで笑うんだな、とお互いを理解してきたように思う。
中央大学法学部で英語を担当されている金子先生が、国は違っても対人関係を築き維持するには、honesty, confidence, franknessが大事だと教えてくれた。私も友人たちに対する感謝の気持ちを忘れることなく、信頼関係をこれからも築いていきたいと思う。

終わりに

秋学期はあっという間に過ぎていってしまった。特別なことはしていないが、仲の良い友達が出来たということが、この半年間、何かしら築いてきたものがあったのだな、と思わせてくれる。
英語はまだまだ上達した気はしない。しかし、私のnoの発音がシェフィールドなまりになっていると地元民に指摘された。気付かないうちに吸収していることはたくさんあるようだ。留学終了後には、大阪弁を話す外国人のように、自分がシェフィールド弁を話す日本人になるのかどうか、今から楽しみである。

草のみどり 196号掲載(2006年6月号)