法学部

【活動レポート】有路 恵 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(52) 「カーディフ大学留学を終えて EU関連の科目に注力し学ぶ」

私は2007年9月から2008年10月まで、法学部の「やる気応援奨学金」を頂いてイギリスのウェールズにあるカーディフ大学に交換留学に行きました。

留学まで-夢を目標に

私は幼いころから映画や洋楽が好きで、中学のころ初めて英語に触れてからその気持ちがますます強くなり、将来は英語を使って海外に行くような仕事がしたい、と考えるようになりました。やがて国連職員や外交官という職業に関心を持ち始め、将来それらの職に就きたいと夢見るようになり、同時に、いわゆる「国際的な仕事」をするには英語に加えた専門性が必要であるということに気が付きました。英語だけではなく「英語+α」の能力を身につけよう、そのために大学では言語・教養・文学(これらは国連職員採用基準の「専門性」にはあたらないため)以外の分野を専攻し、そして留学しようと心に決めていました。
しかし大学入学後、両親と私の価値観や考え方のギャップ、そして父の死による家庭環境の急変などによって、留学や国連職員といった夢を追い掛けることに罪悪感と無理が生じ、自分のやりたいこととやれること、将来に向けてすべきことを見失いかけていました。それでも、とにかく自分探しを続け、英語サークルで国際交流をしたり、ナミビアへNGO・国連スタディーツアーに行ったり、学生記者として記事を書いたり、FLPという学部の隔てのないゼミナールに所属して企業研究をしたりと、さまざまな経験を通じて視野を広げ、自分は社会とどうかかわっていきたいのか、実現可能性も踏まえて客観的・現実的に探求してきました。そういった中でも最後まであきらめきれなかったのが1年間の海外留学でした。大学入学前の時点で、「留学なんて行かせられない」とはっきり両親に言われており、しかも父の死によってますます実現が難しくなったのですが、この「やる気応援奨学金」を頂いて交換留学をすることに唯一の希望を見いだし、2年生の夏、「これで駄目ならあきらめよう」という思いでTOEFLの受験をしました。すると、幸運にも一度の受験で協定大学の一番高い基準を満たし、かつ奨学金に応募出来るスコアを取ることが出来、それからは母の理解を得て、先生方や友人に支えられ、イギリス留学を実現することが出来ました。「夢」だった留学が、いつしか利害やコストパフォーマンスを考慮した上で、もっと現実的な意味での「目標」になっていました。このプロセスが、今では自分の財産になっていると思います。

イギリスでの生活

さて、待ちわびていた留学生活。だからといって、1年生の2~3月の春季休業中に、「やる気応援奨学金」の短期部門を頂き、ロンドンに1カ月語学留学をしてイギリスの生活には多少慣れたつもりでいたため、それほど留学前に過剰な期待に胸を膨らませていたわけではなく、あまり理想と現実のギャップに悩んだことはありませんでした。しかし、それでも思った以上に苦戦したのが共同生活とイギリスのなまりです。
まず、イギリス人、スペイン人、ドイツ人、ベルギー人などと10人でフラットをシェアする共同生活には、かなり悪戦苦闘しました。皆ヨーロッパ人だったので、英語が上達するのでは、と喜び、初めは仲良く料理をシェアしたり、遊びに行ったりしていたのですが、1~2カ月もするとそれぞれが新しい生活に慣れ始め、「素」がちらほらと見え始めてきたのです。
靴を共有キッチンの調理台の上に平気で置き、ボールペンをマドラー代わりに使うイギリス人、ひどい時には週3回50人を超える友人を招いた大パーティーを開いていたヨーロッパ人、最後まで分からなかった冷蔵庫の食料品をかすめ取る不届き者の存在、掃除婦から「ここはどの家よりも汚い」と言われ罰金の警告までされたほどの共有スペースの汚さ……悩みの種は尽きませんでしたが、最終的には仲良くなれたフラットメートもいて、何度も助けられたことがあり、つらくも貴重な経験が出来たと思います。
次に、イギリスのなまりについてですが、これには非常に苦労しました。これは、ウェールズのなまりが強い、というわけではなく、むしろイングランドやウェールズ、そして中国、フランス、スペイン、東欧など各地から来た学生たちのアクセントが多様過ぎて、なかなかそれぞれのなまりに慣れなかったということです。もともと日本で大学まで勉強していたのはアメリカ英語で、ニュースや映画の英語もアメリカ英語に触れる機会が多かったと思います。しかし、BBCやTOEICのリスニング試験で流れるようなスタンダードなイギリス英語にもアメリカ英語に比べて不慣れだったかも知れないということを差し引いても、多様なアクセントには苦労しました。「日本ではみんな標準語が話せるのに、どうしてこの人たちはみんな同じアクセントで話せないのだろう」と思うほどに、いわゆる日本人がスタンダードと考えるような英語を話す人間は非常に少なく、恐らく私の出会った先生や友人の5%くらいだったと思います。同じイギリス人でも、出会う人すべてが違うアクセントで話すような感じなので、それぞれの発音に慣れるのは難しく、最後まで聞き取りにくいと感じる友人もいました。あるクラスのプレゼンテーションでは、聞き取りにくいと評価されたイギリス人もいる中で、私が発音や発声を評価されたほど、同じイギリス人でも聞き取りにくいアクセントというものが存在するようでした。
食事はとにかく自炊していました。カーディフは、ロンドンに比べ学生寮の家賃が約2分の1程度と、イギリスで最も物価が安い都市の1つと言われていますが、それでもやはり外食はイギリス人学生にとってもぜいたくなほど高額。マクドナルドやケバブなど、ファストフードでも1000円前後、まともな店でランチをしようものなら2000円はします。もちろん、値段相当の味は期待出来ないのがイギリスですから、日本食を中心に自炊していました。私以外のフラットメートは皆、ピザ・パスタ・サンドイッチ・ミックスベジタブル・ポテト・にんじん・チーズばかりを食べていて、それ以外にちゃんと「調理」したものを食べている人はいませんでした。イギリス人も、そのほかヨーロッパ人のフラットメートも、食事に時間もお金も掛けない様子でしたが、特にイギリス人の男の子は見掛ける度にピザもしくはトーストとポテト、ベイクトビーンズを食べており、何とも複雑な気分で毎回彼を見詰めてしまいました。日本人は比較的色々な種類の調味料・食材に慣れているのでどの国の食べ物でもおいしく頂けるのですが(ただし質や味にはうるさい)、ヨーロッパ人、特にイギリス人は塩こしょうとハーブ、チーズ、グレイビーソースなどのシンプルな味付けに慣れているせいか、なかなかほかの国の食べ物をおいしいと感じない人も意外に多かったのが、驚きでした。

娯楽

カーディフは、ウェールズの首都とは言え、やはり日本の都市からすれば田舎町、という印象が最後まで抜けませんでした。人口は約40万、学生の街のため、街は長期休暇に入ればがらんどう。カーディフでの娯楽と言えばパブ、クラブ、そしてラグビーを始めとしたスポーツ観戦のみ。約一年の生活で、日本の都市がいかに娯楽にあふれているかを実感しましたが、ピクニックや山登り、公園の散歩などでウェールズならではの自然を堪能することが出来ました。また、映画を日本に先駆けて、いち早く見ることが出来たのも良かったと思います。普段は友人とカフェやお互いの部屋で会ったり、近郊の町に日帰り旅行をしたりしました。パブはよく行きましたが、お酒の種類はビールがメーンで、カクテルはなく、ウォッカなどをコーラかレモネードで薄めるようなものしかなかったので、よくなしやりんごのサイダーを頼んでいました。日本のバーよりもかなりにぎやかで、店によっては会話もままならないため、たまに日本の居酒屋も恋しくなりましたが、イギリスのパブ独特の雰囲気やスポーツを観戦する時の客の一体感が、今ではとても懐かしく、ほほえましい思い出です。

大学生活

授業はEU政治・政策論、政治経済、現代日本社会論、EU法、移民法などを履修していました。
まずは、なぜ「現代日本社会論(MJS)」を履修したのか説明します。中央大学とカーディフ大学との協定は商学部にしかなかったため、私はビジネススクールに所属し、EUに関連した科目を横断的に勉強しました。ビジネススクールには日本語とビジネスを組み合わせたコースがあり、日本人交換留学生は皆その学生と共にMJSのクラスで勉強します。初めはなぜイギリスに来てまで日本の勉強をしなければならないのか、と考えていましたが、日本の政治・経済・文化など、本当にさまざまなジャンルを網羅しており、日本人の私でも知らないようなことがたくさんありました。また、外国人目線での関心事の研究が面白く、日本のことを英語で説明するという、今後外国人とかかわっていく上で必要なスキルを身につけることが出来たと思います。ちなみに、このクラスで日本について学んでいるイギリス人や中国人などは、次年度に日本に留学することが決まっており、Language Exchangeといって、一対一でカフェで日本語を教える機会があり、大抵がJapan Societyに所属し、ディナーやイベントの企画をしてくれたので個人的にも仲良くなることが出来ました。
EU政治・政策論を始め、EU関連の科目は留学の目的だったので力を入れました。中には予想に反して大人数の大教室で行われ、学生と教師との質疑応答のやりとりはほとんどない科目もありましたが、その分ゼミでは、学生の発言が求められ、バランスは取れていました。まずは一問一答のようなやりとりから始めていき、最終的にはある程度予習して自分なりに考察したことを言えるようになりました。
また、カーディフ大学ではEUに関する講演会を頻繁に行っていたので、よく聴講しにいっていました。まだ「学問」と言える段階ではない最新の情報などについて貴重な話を聞けたと思います。
最終的な感想としては、日本でEUについて多少勉強をしていた時に感じたある種の「行き詰まり感」が、EU加盟国のイギリスでも感じられたということです。政治学部にEU学科が設置されているほど本格的なEU研究が進んでいるカーディフ大学。しかしやはり、まだ発展途上のために、全体像をつかんだ分析的な総論よりは、個別具体的な知識問題を取り扱うことが多かったと思います。

これから留学を考えている人へ

差し出がましいかも知れませんが、少しだけアドバイスさせてください。留学を計画するに当たって、どうして自分が留学する「必要」があるのかを突き詰めて考えることをお勧めします。行きたい、と思うことは当然と言えば当然なので、どうして行きたいのか、行くことにどんなメリット・デメリット(例えば日本にいたら出来たであろうことが出来ない、など)があるか、考えることが重要だと思います。
正直、留学は留学したいという願望と資金と最低限の英語力だけで行けてしまう場合があります。勢いと願望だけで留学をしてしまうのはギャンブルに近いと思います。英語を上達させたい、外国人と友達になりたい、自分探しをしたい、自己成長を図りたい……私もそういう気持ちがあったことは否定しませんが、それらはすべて日本にいても出来ることです。留学という形で時間・費用を掛けていく価値があるか、それを判断するコスト感覚が恐らく留学前の段階で一番必要なことだと思います。また、類は友を呼ぶので、留学に関心のある人の周りには留学肯定派が多数いるので、どうしてもあなたを批判する目が甘くなりがちです。日本語でも良いので留学計画書を作り、英語や海外に関心がない人に厳しく批判してもらうことも、自分を甘やかさないためには良いかも知れません。
最後になりましたが、私の留学を最後まで温かく応援してくださった「やる気応援奨学金」関係者の方々を始め、事務の方々、先輩方、本当にありがとうございました。

草のみどり 226号掲載(2009年6月号)