法学部

星野 敬太郎 (政治学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(70) イギリスで国際政治を学ぶ(上) 街と大学、学生生活全般など

はじめに

私は「やる気応援奨学金(長期海外研修部門)」の御支援を頂き、2010年8月からイギリスのシェフィールド大学へ交換留学しています。リポート前編では、留学までの経緯、シェフィールドとシェフィールド大学、そして、学生生活に関しての3点について御報告出来ればと思います。

留学までの経緯

1年間の留学に興味を持った切っ掛けは「やる気応援奨学金(海外語学研修部門)」を頂き、3週間ケンブリッジの語学学校で学んだことが挙げられます。英語力そのものを伸ばすという意味では、ある程度の満足感を得ることが出来ました。しかし、英語を通じて、学部で専門として学ぶ国際政治学に関連する内容を掘り下げようとするとなかなか理解が進まない状況を、他国からのゲスト・スピーカーの先生方の講演などを通じて、痛切に感じていました。そして、国際的な競争がますます強まる現代において、万全とはいかなくとも、議論の出来る水準の英語力を身につけておかなければ、労働市場で生き残っていけないのではないかという自身の危機意識と、その考えを支持してくださった方々の協力によって実現したのがこの1年間の留学でした。ここでの議論の意味するところは話す力、書く力など総合的なものであり、その能力を育成するには大学での授業が最適の場所であるとの判断がありました。ゼミでの学習分野が国際政治学であることから、その学問の発祥地である欧州、とりわけ、イギリスで学ぶことを願っていました。

シェフィールドと大学

シェフィールドは約55万人が暮らすイギリス第5番目の都市で、産業革命以降、ナイフなどステンレス製品を中心に製造業で栄えました。第二次世界大戦後は、それらの需要の低下に伴って都市政策が変更され、高等教育の強化が図られ

てきました。また、街の緑地面積を増やした結果、現在では、イギリス一緑の多い街となり、産業革命の際の面影はほとんどなくなっています。人口の多くは、白人(約90%)ですが、約120カ国からの留学生が学んでいるとのデータもあるように、街を歩く人々の国籍はさまざまです。日本人留学生が多く、日本に興味を持っている人が多い土地ではありますが、近年では中国人が留学生の約25%を占めると言われています。また、イギリスでも最も物価が安い都市の一つ、かつ治安が良い都市とされ、学生が暮らしやすい環境が整っていると言えます。例えば、街を走るバスの多くは、学生証を提示すれば片道50ペンス(約70円)で乗ることが出来ます。
シェフィールド大学は、イギリスのアイビーリーグと呼ばれるラッセル・グループに属し、国際的にも高い評価を受けています。その中でも政治学と日本を中心とする東アジア研究の分野で定評があり、留学先を考える際にこの点も重視しました。図書館は3つあり、そのうち、24時間365日開館しているInformation Commons、日本に関する幅広い蔵書を集めたJapanese Collectionを有するWestern Bank Libraryを主に利用しています。Information Commonsにはエッセーの提出時期や試験前になると午前5時くらいまで勉強する学生が少なからず存在し、私も前期のエッセー提出前にはここで何度か徹夜をして書き終えました。

学生生活について

サマーコース

9月下旬からの授業開始前に英語力の強化を図っておきたい、日常生活に必要な情報を収集したいという2つの目的から、8月初旬から4週間のサマーコースに参加しました。授業は月曜日から金曜日の9時から15時までで、高校の授業に戻ったような規則正しい生活を送り、その後は、授業の復習・予習をしながらも生活に必要な情報を出来るだけ集めるため、同じ寮に住む日本人学生と協力しながら、街を歩き回りました。このコースに参加した意義は、英語での生活リズムに慣れ、生活に必要な情報の収集をほぼ終えたという2点にあります。

学生寮

住居に関しては、キャンパスから徒歩で20分ほどのThe Endcliffe Villageと呼ばれる学生寮に住んでいます。この学生寮の敷地内には、約3500人の新入生と留学生が生活し、共同の洗濯機やテニスコート、そしてバーも完備され、その様子から、まるで一つのVillageのようになっています。九月の授業が始まる前に、敷地内の異なる寮に移動しました。それぞれの寮の構造は、キッチンが6人から10人で共同利用、部屋のタイプは個人部屋で、机、ベッド、トイレとシャワーが備え付けられています。日常的な買い物に関しては、スーパーマーケットが徒歩10分程度の所にあります。フラットメートはイギリス人2人、ケニア人1人、マレーシア人1人、韓国人1人と私の計6人となっています。私の住んでいる所では、隔週で来てくださる掃除の方とは別に、毎週のキッチン掃除当番を決めて、キッチンを奇麗に保っていますが、これは珍しいことのようです。そのため、掃除担当の方には、「奇跡の男子寮」と言われています。日本人の感覚では、共同スペースを奇麗に保つことはそれほど珍しいことではないかも知れません。しかし、寮の掃除担当の方がいるのだから、その場所を奇麗に保つことにそれほど注意を払う必要はないとの判断が、特にイギリス人の新入生の間にあるのかも知れません。ほかのキッチンを見せてもらった際に、その状態に驚きました。

秋セメスター・学習面

秋セメスターでは、①International Relations Theory②Global Political Economy③Japanese Politics④Chinese Economic Developmentの4つを履修しました。①②は2年生対象、③④は1年生の科目です。各々、週1回、50分の講義とセミナー、計100分で構成され、前者は50人から100人程度で日本の講義とほぼ同じ形式、後者は一五人前後で学生主体の議論を先生がサポートしていくという方法で進められました。
①では、主流を成してきたリアリズム、リベラリズムから、コスモポリタニズムなどあまり聞き覚えのなかった理論まで幅広く扱いました。授業が始まる前に日本から持ってきた国際関係理論に関する書籍に目を通していましたが、それでも、授業が進むにつれ、理解が追い付かない概念が増えていきました。また、毎週約150頁程度のリーディングが課題とされていたこともあり、この科目に最も多くの時間を掛けて予習しました。このセミナーの先生の説明は分かりやすく、最も楽しみにしていました。しかし、このクラスには特に留学生が少なく、早口のイギリス人学生が集まったことも影響し、先生の説明のスピードがどんどん速くなっていきました。そのため、最初は疎外感に襲われましたが、出来るだけ読む量を増やし、分かったことをノートにしていくことを繰り返すことで、11月上旬ごろからある程度、その議論に付いていけるようになりました。また、成績評価の1つの基準として、12月初旬にエッセーの提出が課され、「リアリズムには不朽の知恵が存在するか」というテーマで、尖閣問題での中国の行動と日本の対応を事例として取り上げたところ、非常に興味深いと言っていただき、6項目ある評価基準のうち理解力(Independent Understanding)の部分でFirstをもらえたことは率直にうれしかったです。ただ、一方では、「ライティングの構成が不自然なので、事前に何度かライティングのチェックを受けた方が良かった。そうすれば、全体として、もっと良い評価を出すことが出来ただろう」とのアドバイスをもらい、大変悔しい思いをしました。これは後期への反省として生かしたいと考えています。
②は、国際政治経済学(IPE)の学際領域を一歩進めたものとして、現代の文脈での政治・経済の関係を、国際貿易、企業の国境を越える製造過程、金融危機への対応などを事例として、取り扱いました。
③は、日本に関して初めて学ぶ学生を対象に内容が組まれていました。とはいえ、課題のリーディングに目を通し、議論に参加すると、改めて感じることも少なくなく、日本の政治に独特な特徴などを改めて学ぶ良い機会でした。担当のProfessor Hugoには授業外でも貴重なお話を頂き大変お世話になりました。
④では、毛沢東や鄧小平が戦後に行った経済発展政策を中心に学びました。この授業のセミナーは講義形式に近く、若干距離感を感じると共に、少し物足りなさが残る授業でもありました。
秋季に履修した科目は四科目で、その数は日本にいた時より明らかに少なくなりました。それぞれの科目に多くの時間を掛けて理解を深める機会を得ることが出来たことは、前向きにとらえていますが、より深く入り込んだ議論に付いていけないことも多くありました。
そのため、議論を深めること自体に満足するのではなく、深めたことを理解し、生かしていくことを目標に春季に臨んでいきたいと考えています。

秋セメスター・課外活動面

大学2年生のころに日本赤十字社東京都支部青年学生赤十字奉仕団の幹事の1人としてボランティアにかかわっていたこともあり、国際協力を行う学生団体に参加したいと考えていました。幾つかの団体と連絡を取った後、ユニセフ・ソサエティーのメンバーに加えてもらうことに決めました。
ユニセフ・ソサエティーでは、毎週月曜日に1時間程度ミーティングを開き、その年の計画・内容に関して議論しました。その中でも、1年で最も大きな行事「プロジェクト24」に関するものが中心でした。「プロジェクト24」とは、毎年、ユニセフが援助にかかわる活動の中から、緊急性が高いテーマを1つ選び、ユニセフの役割や自分たちが出来ることをクイズや講習などを通じて、学び、広げていくことを目的としたイベントです。ここではまた、自分たちが出来ることの1つとして募金活動が行われ、集められるお金はユニセフの援助資金の一助となります。今年度のテーマは、7月に発生したパキスタンでの洪水でした。
ミーティングに継続的に出席していたのは、10人程度で、彼らの国籍は、ルーマニア、ケニア、ナイジェリア、アルジェリア、インド、イギリスで日本人はいませんでした。初めのころは国ごとの英語の発音の違いもさることながら、議論の内容がほとんど分からず、来る週も、来る週もその1時間、文字どおり「石」になって座っていました。
代表のVlad(ルーマニア人)が不思議なことに毎週「来てくれてありがとう」と言ってくれ、「議論に付いていけず、何も貢献出来なくてごめん」という返答をしたら、「みんな最初はそんなものだから、心配いらないよ」と励まされたので、出席し続けられたのだと思います。
プロジェクト24への議論を進めていく途中、「ロンドンでユニセフが主催する年に1度のトレーニング研修があるから良かったら来てみるか」と聞かれて、良い機会と思って即座に参加の返事をしました。当日は、ウィリアム王子の婚約で最近再び注目を集めるセント・アンドリュース大学やウォーリック大学、オックスフォード大学などさまざまな場所からそれぞれの代表が集まり、活動報告をした後、活発な議論が行われました。彼らは簡潔かつ、はっきりと発言し、それらの発言には行動に基づいた良い意味での自信が感じられ、この点に関して自分は同年代として不足していると率直に感じました。また、ユニセフの職員の方と話しているうちに、日本での募金活動のことを聞かれ、日本ではイギリスほど募金活動は活発ではなく、むしろ募金活動を行う学生に対して懐疑的な見方も少なくないとの見解を伝えたところ、日本は経済大国だし、ODAを多く供出しているから、若者の間でも積極的に行われているイメージがあったとの言葉を聞き、宗教や文化の違いであろうと考えながらも、複雑な気持ちになりました。
再びミーティングに参加していくうちに、少しずつ議論の内容が頭に入ってきて、「プロジェクト24」当日を迎えました。当日の参加者はそれほど多くなかったですが、彼らの何人かと良い議論が出来たことから、参加した意義があったと感じています。前期最後のミーティングが開かれました。敬太郎はどう思う?と最初に話を振られ、驚きました

が、広告が不足していたと感じると答えました。例えば、ポスターなどの宣伝が十分目立たなかったので、ポスターの種類や枚数を増やすべきである、もう少し前から、事前のキャンペーンのようなものをやって、認知度を上げることが必要だといったことを伝えると、ほかのメンバーからも賛成の声が出て、こうすれば良くなるのではないかという議論が1時間とどまることなく続きました。久しぶりにこれほど前向きで活発な議論が出来、そしてこのメンバーと前期を過ごすことが出来て良かったと感じられる最終日でした。春セメスターでは、もっと積極的に議論に参加していきたいと考えています。

おわりに

前期の途中まで、何も理解出来ない日々が続き、悩み、もがきました。そして、このリポートを書いている現在も、試験に向けての勉強を進めながら、より良い後期を過ごすために、何を改善していくべきなのかについても考えています。途中に悩んだ時期があったからこそ、これらのことを前に落ち着いて考えていこう、そう前向きにとらえることが出来ているのだと感じています。月日が流れるのは早いものです。後日また御報告出来ることを楽しみにしております。

草のみどり 244号掲載(2011年3月号)