法学部

【活動レポート】角元 健太 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(77)
 米ヒューストンで留学生活(下) 春学期の授業、休暇旅行など

はじめに

アメリカ・ヒューストンでの一年間の留学生活もあっという間に終わってしまいました。人生で最も早く感じた一年だったということは間違いないと思います。周りの方々のおかげで、本当に素晴らしい留学生活を送ることが出来ました。前回(二四五号)は留学生活の前半について書かせていただきましたので、今回はその後半について報告したいと思います。

後期の大学生活

後期は前期に比べ、心の余裕が少しずつ出てきました。相手とのコミュニケーションに関してもだいぶスムーズになり、「いつの間にかアメリカンな英語になってきている」と友人から言われるようにもなりました。すると次第に自分自身の英語力にも自信がついてきて、人前でのスピーチやプレゼンテーションも時折冗談も交えながら、少しずつですが余裕を持ってこなせるようになりました。この点に関しては、人前に立つと毎回上がってしまい、思うように話せなかった前期に比べ成長することが出来たのではないかと思います。

 一日のスケジュールとしては、後期の授業は午後からというものばかりでしたので、毎朝起きてから学校のジムで運動し、それから予習をして授業に向かい、それが終わり夕食を済ませた後は友人と学校のグラウンドでサッカーをし、帰ってきて授業の復習を済ませてから就寝するという感じでした。

 ほぼ毎週、何らかの授業の小テストや中間試験、またはリポートやグループ発表があったので、常に気の抜けない日々を送っていました。その当時は本当に大変でしたが、それがとても刺激的で充実感のあふれる毎日だったなと今になって懐かしく思えます。

ホストファミリー

クリスマスシーズンに二週間お世話になったホストファミリーとは、後期が始まってからも何度もお世話になりました。土日に訪ねては夕食をごちそうになり、そのまま泊まらせていただいたことも何度もありました。またホストファミリーの息子さんには魚釣りにも連れていっていただきました。息子さんが自分のクルーザーを持つほど魚釣りが好きということは前に伺っており、私も魚釣りが大好きなのでぜひとも連れていってほしいとお願いしたところ、せっかくだから沖に出て大きい魚を狙おうということで、わざわざ大きな乗合船での魚釣りツアーに連れていっていただけました。ヒューストンの南にはガルベストンという大きな港があり、そこから約二時間掛け、船で沖の方に向かいました。写真に写っているRed Snapperという大きなフエダイが入れ食いのように釣れ、中には大きなサワラを釣っている人もいました。メキシコ湾沖で魚釣りが出来るとは思ってもいなかったので、本当にうれしかったです。ホストファミリーの皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

大好評だった「UDON」

後期に三回ほど、寮の大きなキッチンを利用して友人に焼きうどんを作りました。みんな初めて食べた味だったらしく、想像以上に大好評でした。初めて作った時は五人くらいしか呼ばなかったのですが、それ以降その友人の中に「次にUDONを作るのはいつだ?」とわざわざメールをくれる人もいれば、会う度に「次にUDONを作る時はまた呼んでくれ」と言ってくれる人もいました。「ケンタのUDONはとてもおいしい」と友人が何人かに宣伝してくれたため、二回目は一二-一三人くらい集まってくれましたが、五人分しか用意していなかったために、取り合いになっていました。三回目は更に何人か増え、一応今度は一〇人分用意しましたが、やはり取り合いという事態になっていました。「SUSHIに代表されるように、日本食は最高だ」とみんなが言ってくれ、非常にうれしかったです。

後期(春学期)の授業

後期はBusiness Communication, Principles of Management, Natural Resources, History of the Common Lawの四つの授業を履修しました。

 中でも特に興味を持ったのは、Business Communicationでした。これはビジネス界における基礎的なスキルについて学ぶというもので、教科書の内容についてはさほど難しくはありませんでしたが、試験よりも重要な評価の対象となる課題に関しては非常に大変でした。その課題とは二つあり、一つ目は自分が興味を持っている分野で実際に働いている人にコンタクトを取り、その人にインタビューを行い、そしてその分野の企業に自分を雇ってもらうための履歴書やメールを作成し、最後にインタビューの内容を踏まえ、今まで学習したことを生かしどういう目標を達成したのかということについての論文を書くというものでした。

 これは、まず興味ある分野のOB・OG訪問をし、興味を持った会社にエントリーシートや履歴書を提出するという、日本の就職活動スタイルをアメリカで授業の一環としてやったという感じでした。しかしその中でも日本とアメリカではさまざまな違いがありました。例えば、アメリカでは履歴書に生年月日や扶養家族の有無などを書く必要がありません。教授の方が、面接などで自分の年齢や扶養家族の有無についての質問に対しては、「なぜそれを私に聞くのですか」と質問し返すのが良い、とおっしゃっていました。履歴書には生年月日や扶養家族を書く欄が必ずあるというのが私の中での常識だったので、その違いにとても驚きました。「その人の能力ですべて評価する」というアメリカらしさの表れなのかも知れません。

 二つ目の課題は、二人組になって、何か一つ身近な問題に着目し、それについてどう解決していけば良いか、ということを論文に加え、一〇分間のビデオにまとめるというものでした。私たちのグループは、ヒューストンにおける車の混雑をどのように緩和することが出来るか、という点に着目し、友人や道行く人などにインタビューを行うなどして、さまざまな意見を採り入れながらその問題解決に取り組んでいきました。身近な問題について考察し、論文にまとめるというのは過去にも取り組んだことはありましたが、ビデオを用いるというのは今まで経験してことがなく不安もありましたが、私のパートナーの彼にかなり助けられ、論文、ビデオ共にA評価を得ることが出来ました。

サッカーを通じ学んだアメリカ

三月下旬にセント・トーマス大学でサッカー大会が行われました。これは学校のサッカー部に所属している人も含めた学校の学生、大学付属の語学学校、そして大学のOBの人たちなどが自分らでチームを組み、その中で優勝を競い合うという大会です。私もそうでしたが、アメリカではあまりサッカーが盛んではないというイメージを持つ方もいるのではないかと思います。しかし、ヒューストンは中南米というサッカーが盛んな国々からの移民が非常に多いため、全米でもサッカーが特に盛んな地域です。

 私は普段から毎日のように一緒にサッカーをしている友人らとドイツ代表としてチームを作り、大会に出場しましたが、結果は予選敗退となってしまいました。前期からチームとして練習してきた分とても悔しかったですが、みんなで楽しくサッカーが出来、サッカーを通じて色々な人と仲良くなれました。

私はチームの中心的ポジションを任されていたので、最初は個性の強いアメリカ人をまとめるのに一苦労しましたが、次第にみんな自分の言うとおりに動いてくれるようになり、チームとしてもまとまるようになりました。しかし、フリーキックやPKとなれば別です。私の友人たちはよほど自己主張が強いのか、みんな自分が蹴りたいと主張します。もちろん私も蹴りたいので強く主張しますが、なかなか誰が蹴るのか決まりません。結局は最後まで強く主張した人になります。私も最初は蹴りたいと言いつつも結局は誰かに譲っていたのですが、次第に最後まで主張せず譲っている自分に情けなくなり、なかば強引でも自分が蹴るようにしました。そこまでして自分が蹴るからには、ちゃんと結果を残さなければなりません。そういう意味でプレッシャーは掛かりましたが、毎回強く主張し、そしてちゃんと結果も残すことが出来るようになると、私以外に蹴りたいと言う人もいなくなり、フリーキックやPKは常に私の担当となりました。

 「自分自分」と主張し過ぎるのは、日本においてはあまり好まれない傾向にあるかも知れませんが、アメリカではこういうのも大事なことであり、主張せずに待っていても何も始まらないということを学びました。非常に貴重な経験だったと思います。

一週間の春休み

三月にあった一週間の春休みは、ルームメートと隣の部屋に住んでいる友人とヒューストンから西海岸カリフォルニア州のサンディエゴとロサンゼルスに車で行きました。ヒューストンからサンディエゴまでの距離は、日本でいうなら青森県から鹿児島県ほどの距離があります。その距離を車で一週間で行って帰ってきました。そもそもこのような旅をしたいと言い出したのは私でした。去年にニューヨーク、そして今年の始めにはボストンに行き、アメリカ東海岸の古い街並みや大都市というものを見たので、今度は西海岸に加え、テキサス州からカリフォルニア州に行く途中にある砂漠地帯や、アリゾナ州の大自然も見たいということで、ヒューストンから西海岸まで車で行って帰る旅はどうか、とルームメートのグレッグ君に提案したところ、彼もすぐに乗り気になってくれました。

春休みのキャンプ生活

夜はテントを張り、キャンプ生活をしました。三月のアメリカ西海岸は日中こそ暖かいものの、夜になるとかなり冷え込みました。そのことを予測出来ず、地面の冷たさがじかに伝わってくるほど薄いテントの中で、布団やこれといった防寒具を持たず、枕しか持参しなかった私は、あまりの寒さに一日たりともまともに寝ることが出来ませんでした。しかし私とは対照的にほかの友人二人は、枕だけでとても心地良さそうに寝ていて心底うらやましかったです。日中は、行く途中に寄ったテキサス州の砂丘やアリゾナ州の大自然に触れ合い、そしてサンディエゴやロサンゼルスのにぎやかな街並みも観光しました。ヒューストンやアメリカ東海岸とはまた違うアメリカを見ることが出来ました。

 行きの運転はルームメートのグレッグ君がすべてしましたが、帰りもロサンゼルスからヒューストンまでを途中四回ガソリンスタンドに寄っただけで、二七時間ぶっ通しで彼は運転し続けました。彼ほどタフな人は見たことありません。運転していない私ともう一人の友人は、一人は寝て、もう一人は彼が眠くならないように常に彼と話すようにするということを決めていましたが、彼は最初の五-六時間くらいはちゃんと起きていたのですが、その後は疲れのあまりずっと寝てしまい、結局それからは私一人が付きっきりで運転手のルームメートに話し掛けていました。何としても彼が眠くならないように、必死で眠気をこらえて彼に話し掛け続けました。間違いなく途中で話しのねた切れが来ると思っていましたが、実際は次々に話のねたが思い浮かんできて、結局最後まで二人の会話は盛り上がりました。自分もやれば出来ると我ながら感心しました。二七時間の旅を終え、寮に着いた時の何ともいえない解放感と、そして自分の部屋のベッドで寝ることが出来る幸せは格別でした。アメリカ南西部、そして西海岸での大自然の中でのキャンプ生活は大変貴重な思い出となりました。

留学生活の終わり

日本への帰国前夜に、仲の良い友人たちが、毎週欠かさず行っていたメキシコレストランで、自分のお別れ会を開いてくれました。中には次の日に大事な期末試験を控えているのにもかかわらず、自分のためにわざわざ来てくれた人もいました。最後にみんなが寄せ書きしてくれたサッカーボールを私にプレゼントしてくれました。本当にうれしかったです。最高の仲間たちに巡り合うことが出来た自分は本当に幸せ者だなと思いました。

行きつけのメキシコレストラン

出発当日はルームメートのグレッグ君に空港まで送ってもらいました。その途中、出会ってから今まであったさまざまな出来事を笑いながら語り合いました。どんな人がルームメートになるのか不安で仕方なかった留学前がうそのように、本当に仲良く毎日を過ごすことが出来ました。最後はがっちりと互いにハグし合い、別れました。前日から涙を流さないように必死でこらえていましたが、この時ばかりはさすがにこらえきれませんでした。最高のルームメートでした。

 振り返れば、アメリカ人の輪の中に一人で入っていき、最初はどのように接していけば良いのか分からず思い悩むこともありましたが、素晴らしい友人たちのおかげで、一度もホームシックにかかることなく本当に楽しい毎日を過ごすことが出来ました。毎回の授業に付いていくために必死で勉強していた毎日は非常に大変でしたが、努力した分、課題や試験で高得点を取ることが出来ました。その時の達成感や、グループワークを通じて得た自信というものは、非常に刺激的で、日本ではなかなか出来ない経験をすることが出来たと思います。

 最後になりましたが、私が「やる気応援奨学金」をいただいて交換留学を実現することが出来たのは、これに携わっているすべての方々のおかげです。心より感謝しております。今後は、この留学で培ったことを生かして、自分の夢の実現に精いっぱい励み、そして社会に貢献していきたいと思います。本当にありがとうございました。

草のみどり 251号掲載(2011年12月号)