法学部
【活動レポート】渡辺 千尋 (政治学科4年)
「やる気応援奨学金」リポート(70) バングラデシュでインターン 子供に新たな世界プレゼント
はじめに
皆様の「バングラデシュ」という国の印象はどういったものでしょうか。「アジア最貧困国」「物ごい」「ストリートチルドレン」、こういったものでしょうか。もし、皆様がこのような想像をされているのでしたら、現実はそのとおりです。このような言葉が渦を巻き地上に存在しているかのような状態でした。しかし、希望の光がないということは全くありません。むしろキラキラと私には見えました。そして私自身大きな刺激を受けて帰国してきました。この希望のある国での滞在の報告をさせていただきます。
私が「やる気応援奨学金(一般部門)」で滞在させていただいたのは、バングラデシュの首都ダッカです。昨年8月3日から3カ月弱、ダッカにあるJAAGO Foundation(JAAGO, http://www.jaago.com.bd/)というNGOでインターンをしてきました。"Jaago"とは、ベンガル語で「目覚める」という意味です。子供の可能性を目覚めさせたい、そんな思いで設立されたJAAGOは、1日の収入が2ドル以下の家庭の子供に教育を提供している団体です。設立3年目であるにもかかわらず、現在生徒数は約300人になり、バングラデシュ初の英語での授業を無償で提供する学校として注目を浴びています。滞在目的は、①草の根の活動をするNGOの活動が今後のビジネスにつながる可能性を模索したかったため、また②自分の成長のためでした。
ジャパンフェスティバルの開催
出国前、8月に多くの日本人学生がバングラデシュに滞在することが耳に入りました。バングラデシュは昨年10月まで『地球の歩き方』が出版されていなかったように、観光地としては認知されていません。代わりにノーベル平和賞を受賞したグラミンバンクのムハマド・ユヌス氏や世界最大のNGOであるバングラデシュ農村向上委員会(BRAC)が存在し、ソーシャルビジネスの分野で注目を集めている国です。そこでスタディーツアーをする予定の団体と共にジャパンフェスティバルの企画を行いました。
インターンシップが開始してすぐボスに提案し実施が決定。私が作成した企画書を基に、スタッフとミーティングを繰り返し、準備を進めました。JAAGOに来てまだ1週間もたっていなかったため、授業の概要やタイムラインなど分からないことだらけでした。そしてぶつかったのが宗教の壁です。バングラデシュはイスラム教徒が8割を占める国です。8月13日から「ラマダーン」の期間に入ります。ラマダーンとは、ムスリムが約1カ月間、忍耐力を高めるため、また貧しい人の気持ちを理解するために、日が出ている間断食を行うことを言います。バングラデシュではこの時期、勤務時間が短くなり仕事の効率が悪くなると言われています。JAAGOでは皆午後4時には帰宅し始めるため、長時間スタッフを置いておく場合には食事を用意しないといけないだとか、色々面倒なのだと伝えられました。そのため、スタッフをどこまで拘束して良いものか理解するのに苦労しました。この企画は私が条件を少しでも間違って解釈してしまったら、予定の企画が成り立ちません。彼らが言っていることで理解が出来ないことがあれば、分かるまで何度も同じことについてやりとりすることもありました。インターン生として責任ある立場に立ったからこそ、スタッフとぶつかり合いながら得られる経験だったと思います。
当日は、朝から学校全体をうちわや折り鶴などで飾り付けをし、午前はアニメ、観光地、習字、IT、遊びの五つのブースに分けて日本文化紹介を行いました。人気のブースは、自分の名前を漢字で書いてもらう習字ブースでした。バングラデシュで人気の日本アニメのキャラクターのように日本語の名前をもらえたのがうれしかったようで、生徒皆で見せ合いっこをしていました。
午後のカメラプロジェクトでは、日本人とバングラデシュ人ボランティア、生徒たちでチームを編成し、"Favorite Thing"(お気に入りのもの)、"Hate Thing"(嫌いなもの)、"Happy People"(幸せそうな人)、"Sad People"(悲しそうな人)、などの6つのテーマに沿って外で撮影をしてきてもらいました。生徒は初めてカメラに触れますし、もちろん写真を撮るのも初めてです。撮影の前に、まずカメラの奪い合いでした。突然のスコールにも見舞われながら撮影を終え、最後に皆で集まり写真の見せ合いをしました。写真を見て驚きました。日本人が撮る写真と全く違うのです。バングラデシュでは普段、隣の人が知り合いであろうとなかろうと話しますし、笑い合うし、けんかもします。人と人の間に壁がないのです。彼らの写真はその日常を反映したもので、被写体とカメラの間には日本人が持つような「遠慮」という距離はなく撮影されているのです。生活環境が本当に違うのだなと改めて感じました。
ジャパンフェスティバルで使用したカメラは、日本にいる際に、使用していないカメラをツイッターやメーリスを用い
集めたものです。見ず知らずの自分たちに協力してくださった方に感謝しています。結果、日本大使館の方にも参加していただくことが出来、30人以上の日本人を迎えて実施した大イベントになりました。また、生徒が撮影した写真は、JAAGOに飾ったり、JICA職員が作成した雑誌に掲載されたり、また日本では早稲田祭に出品させてもらいました。今回ジャパンフェスティバルの企画を共に行った学生と、現在電子書籍作成の企画も行っています。この書籍は、日本の学生に行動する切っ掛けを与えたい、そんな思いで作成し、バングラデシュで活躍している人のインタビューを盛り込んでいます。こちらにも生徒が撮影した写真を掲載する予定です。
実は、企画開催前私には、「日本文化紹介なんてよくありがちな企画。日本人だから出来ることだけど、本当に生徒たちにとって意義があるのか」、そんな疑問がありました。開催側なのにお恥ずかしい話です。開催後、生徒たちやスタッフの人から「楽しかった!」「僕の名前また漢字で書いて!」という声を聞き、うれしそうなそして終わって寂しそうな姿を見て、やっと企画の意義を消化出来ました。スラムに住む生徒たちが見ている世界は想像よりもかなり狭いものです。行動範囲が狭いのはもちろん、インターネットを利用することは出来ないですし、読み書きが不自由な場合は新聞さえも読めず情報があまりにも少ないです。だからこそ、彼らにとって異文化を知ることは大きな財産なのです。この企画を経て私がインターンのテーマとして、改めて掲げたのが新たな世界をプレゼントすることです。私がここにいて日本人として出来ることは、生徒の将来に希望を持たせるために彼らがまだ知らない世界をプレゼントすることだと考えたからです。
JICA共同企画
JICAでは毎年JICA祭りを大阪で開催しており、その1つのコンテンツとしてJAAGOとの共同企画を実施しました。企画は、JICA祭りに参加する日本の子供とJAAGOの生徒をスカイプ上でつなげ、互いの文化を紹介し合うものでした。このための準備として、私は現地で参加させる生徒を選抜し、英語で文化紹介するための準備を行い、日本の生徒たちへのプレゼントを一緒に作成しました。そして日本に帰国して2日目の10月23日に大阪に駆け付けました。文化紹介
では、日本側は折り紙のかぶとの作り方を伝え、JAAGO側はジャパンフェスティバルで撮影した写真でバングラデシュを紹介しました。そして最後にはそれぞれの国の料理を、バングラデシュでははしを用いて御飯とみそ汁、出し巻き卵を、日本では手でカレーを食べてもらいました。この企画の中で日本の子供はJAAGOの生徒が同じ学年にもかかわらず、体が大きいことに気が付きました。JAAGOの生徒は小学1年生ですが、以前学校に通えていなかったため年齢は8歳から13歳です。環境の違いというものを、インターネットを利用したこの交流から学ぶことが出来たのです。実際にこの姿を見て、このように社会はつながっていくのかとしみじみ感じました。
JAAGOでは、寄付で学校全体に無線LANが導入され、パソコンからインターネットの使用が容易になりました。そして、学校の生徒たちにはEメールアドレスとスカイプIDが渡される予定で、今後、ITの授業が開始され、スカイプを通じて英語を学びながら文化紹介をし合う授業が開始される予定です。生徒たちに更に世界とのつながりを実感させ、将来に希望を持たせることが目的です。この企画を聞いた時には感動しました。それと同時に日本人としてショックを受けました。日本では、中学校からパソコンを学ぶ授業があり、授業では一人一台使用出来る恵まれた環境にいます。しかしながら、その環境は十分に生かされているのでしょうか。バングラデシュは確かに日本より貧しい国です。しかしこのように教育が変化しているのを見ていると、日本の学生よりバングラデシュのスラムの学生がグローバル社会にプレゼンスを発揮する日はそんなに遠い未来ではないのかも知れません。
突然の事故
9月2日、この日は新規プロジェクトを提案するためにJAAGOからダッカ日本人学校に向かうためリキシャに乗っていました。リキシャとは、日本の人力車のようなもので運転手は自転車に乗っています。突然、ガタン、ガッシャーン! 私は誰かの声で目覚めそのまま病院に連れていかれました。後から知ったのですが、リキシャの片方の車輪が突然外れリキシャごと地面に倒れ、私が一番下になり頭を打ったそうです。気付いた時には、右目付近が腫れ殴られたようになっていました。精神面で自信のあった私ですが、さすがに今回の事件では心細さや不安で泣きました。
このような事故には遭いたくはありませんが、今回の事故で途上国の医療現場が見られて勉強になりました。事件当日、応急処置とレントゲン、注射をそれぞれ終える度に診察室に戻り、医者が前の人と変わり、毎回状況を話し直す状態、レントゲン結果が3日後に分かる状態、そして断食後の料理で診察室は会食状態、どれも日本ではあり得ない状態です。また、日本では救急車が走れば車が避けます。しかし、バングラデシュの救急車は渋滞に巻き込まれて救急車の役割を果たしていません。私がリキシャに乗っている際、真後ろに救急車の音が近付いた時は焦燥感に駆られましたが、どうすることも出来ませんでした。車線があっても完全無視しているため、車がよけるスペースなどないのです。ルールなど通用しない国、これがバングラデシュです。
JAAGOの魅力
今回私は40人以上の方にJAAGOガイドを実施し、良い所で働いている、と皆に感動されました。実際にほかの教育を提供しているNGOを訪ね、公立の小学校の話も聞きましたが、多くが資金不足により暗く狭く閉鎖的な環境でした。
JAAGOは国内で注目され始め毎日のように来客があります。バングラデシュは貧富の格差の大きい国。このような団体を立ち上げるのは主に富裕層です。富裕層内でのネットワークを生かして寄付金を得られる道が多くあります。また、若者に対して社会を変えてくれるという期待が高まっており、25歳のボスを筆頭に若いスタッフが運営しているJAAGOは寄付金が手に入りやすいとのことです。その上、若さを武器に新たな取り組みを積極的に行っています。例
えば、おろそかにされやすいホームページを整える、若者に人気のSNS、フェイスブックを戦略として利用する、めったに行われない街頭イベントを実施することでメディアを振り向かせる、外国人の参加推奨などです。これが収入増加につながり好循環を起こしています。
このような先進的な取り組みをするJAAGO、また学校事業で強いBRACなどが教育分野におけるアクターとして強くなり、国の発展に良い影響を与えているように見えます。しかし、これにより政府が教育をNGOなどに任せ、何もアクションを取ろうとしなくなっています。これは非常に残念な事態です。
自分の成長
私は「自分の力を試す機会としての挑戦の場に身を置く」、つまり成長したいと奨学金審査で話していました。自分の夢は夢あふれる社会を作っていくことです。高校時代にバレリーナという夢をあきらめました。そこで悔しさと共に得たものは、夢や目標に向かって頑張ることは紆余曲折ありながらも人生をすてきにするものだということです。そしてまず、自分が「人の夢」になるために、自分自身は成長し続けなければならないと考えています。今回の滞在で私が得たものは等身大の自分を認めることです。大学生時代、自分の周りにはいつもブランドが付いていました。例えば、世界最大のNPOであるアイセックです。その中大委員長を務め、アイセック=すごいというブランドが付いていました。そのブランドと共に自分の変なプライドが邪魔をし、自分の弱い部分を認めることが苦手になっていたのです。だからこそ、誰も自分のことを知らない、そんな場所で自分を試してみたい、そう思い、バングラデシュでインターンシップを行うことを決意しました。そういった意味で今回のジャパンフェスティバル、JICA共同イベントやそのほかの活動で、今何が出来ていて何が出来ていないのか認めざるを得ない状況を日常的に経験し、そのような壁にぶつかり着々と等身大の自分を認められるようになってきたと思います。
大切な出会い
学年は小学1年で15歳の生徒Taniaは、もう既に主婦。彼女は13歳で父親を亡くし、自ら結婚を選び今に至っています。学校に行けば子供扱いだが、家に帰れば大人扱い、その実態が家庭訪問で分かりました。子供らしく皆と遊びたい、でも何か周りと違う、そのため学校でも1人で皆が遊んでいるのを見て、助けを求めているような目をしていました。Taniaには自分がまだ子供であることを認識してもらいたい、そう強く思い毎日の声掛けを行いました。その結果、先生の家に彼女と泊まった時に"Do you know? I love Chihiro miss."と言われましたが、うれしかったのはつか
の間でした。JAAGO最後の日、彼女が何とも言えないまなざしで私を見ていました。私はそのまなざしが寂しさと共に裏切りを訴えているように感じました。彼女たちはいつも「別れ」を「死」という形で感じています。私は、心を開こうとしていた彼女に、「出会いと帰国」という形の「別れ」を味わわせてしまいました。なぜ来たのか、なぜ来て別れという彼女らにとって一番悲しいものを与えてしまったのか。自分でも自分を責めました。多くの日本人は自分の「経験」を得るために途上国を訪れ帰国します。自分は経験を得、彼らと出会いそれで良いのかも知れません。でもそれが現地の人たちにどういう影響を与えるのか、もう一度考え直さなければいけないと感じました。
JAAGOで出会ったのは生徒だけではなく、25歳のボスを中心に若いそして優秀で温かいスタッフでした。初めにお話ししたようにバングラデシュには、確かに貧困という状況があります。それが故に苦しんでいる人もいます。しかし、その中で自ら母国を変えていこうと若者が立ち上がり、それを応援する存在がいます。話し合いの際に気付きましたが、スタッフの意思決定力、創造力は素晴らしかったですし、仕事を楽しんでいる姿は素直に格好良かったです。そして熱い思いを実際に形にしている彼らと共に3カ月過ごし、自分の役目について深く考える機会となりました。改めて思うのは、自分の母国は日本。日本にしっかり貢献する存在であるように、今後の人生を、覚悟を持って歩んでいきたいと思っています。
おわりに
私の4年間は「やる気応援奨学金」に大きく支えられてきました。1年生の夏、英語部門でのインド滞在から始まり今回のバングラデシュ滞在、それだけではありません。この奨学金制度で知り合った友人や先輩、リソースセンターでいつも支えてくださったスタッフの元木さん、木内さん、そして三枝先生、ヘッセ先生、山本先生との出会いは本当にこの4年間の掛け替えのないものです。私は中央大学に入学して正解でした。この正解を導き出せた大学生活はとても充実していたと思います。ありがとうございました。
草のみどり 244号掲載(2011年3月号)