法学部
【活動レポート】鈴木 ひかる (国際企業関係法学科3年)
「やる気応援奨学金」リポート(56) デンマークで長期留学経験(下) 多文化社会と移民問題を学ぶ
はじめに
私は去年の9月から今年の7月まで、法学部の「やる気応援奨学金長期海外研修部門」の御支援をいただき、デンマークのオデンセにある南デンマーク大学に留学をしました。オデンセで過ごした10カ月間は、本当にたくさんのことを学ぶことが出来、とても充実した一生の素晴らしい思い出となりました。前回の体験記では、デンマークについて、私が留学に至った経緯、学生生活全般の主に3つについて紹介させていただきました。今回は私のリサーチテーマである多文化社会と移民問題について、東ヨーロッパへの旅行、学生団体での活動について御紹介させていただきたいと思います。
デンマークでの移民問題
デンマークには、アラブ諸国のほか東ヨーロッパなどからの移民がたくさんいます。福祉・教育制度も整っているため、多くの戦争移民などの受け入れ先となってきました。街を歩くと、イスラム圏からの移民やアフリカ(ソマリア、ケニアなど)の移民を見ることも多いですが、日常生活での差別などはほとんど感じられません。その一方で、移民とデンマーク人の間で数字に表れる差は大きいものです。デンマークで、16-64歳の職を持っている純粋なデンマーク人は80%近くであるのに対して、職を持っている非・西側諸国出身の移民は50%にも満たないと言われています。デンマークは失業者には一定の生活を送れるだけのお金を援助したりと、外国人へのサポートも手厚いのですが、やはりこのような経済的格差は、デンマーク人の外国人移民への不信感を生じさせ、また逆に移民側のフラストレーションを高めています。私がデンマーク留学時に、ムハンマドの風刺画事件(デンマークの新聞社、ユランズ・ポステンがムハンマドの風刺画を掲載したことによりデンマークを始めとする西欧諸国がイスラム社会に批判され、暴動が起こった事件)以来の、大きな暴動が起こりました。その暴動は、日本ではあまり報道されていないようでしたが、ヨーロッパでは大きな波紋を広げました。事件が起こったのは3月のことでした。首都コペンハーゲンの中心にあるノアブロという地区のカフェやバーなどで、約1週間の間に2人が射殺され、そのほかにも10数人が暴行などを受けたのです。このノアブロという地区はコペンハーゲンでも移民が多い地域であり、数年前からデンマークの若者を中心としたギャンググループとアラブ系の移民を中心としたギャンググループの抗争が幾度かあったそうです。2つのギャンググループ間では暴行事件なども何回かあったようです。しかしこの暴動で犠牲になったのは一般市民でした。一般市民に被害が及ぶのは初めてのことでした。この射殺事件により、デンマークの移民問題が再び明るみに出たと言えます。なぜなら、この事件で射殺された2人はデンマーク人のギャンググループの一員に見えたからという理由で殺されており、いずれも移民を中心とするギャングの若者により被害を受けたからです。今回の射殺事件は、今までに行われてきたデンマーク人の若者を中心とするギャングのアラブ系に対する暴行事件への反撃とも言えるでしょう。この移民を中心とするギャングの中の多くは、デンマークで生まれ育ちデンマーク語を話す二世や三世の人です。大学であった二世や三世の人はデンマーク人やデンマーク社会に打ち解け、開放的な人がほとんどでした。しかし、郊外には住民の70%以上が移民であり貧しい地域もあり、デンマーク人の友達はほとんどいない移民の子供たちが多いことも現実だそうです。逆に私のデンマーク人の友達の中でも、そのような移民の人たちとはほとんど交流がない、また、特にかかわりたいとは思っていない人がとても多かったです。私がオデンセに着いた時に、私の世話をしてくれたデンマーク人の学生が、私に地図を見せ「この地区は移民ばかりで危険だから、間違っても行かないように」と警告していたことを鮮明に思い出しました。移民との間にある溝の背景には、国の政策も大きくかかわっています。
デンマークでここ数年支持率を高めているのは、右翼的な国民党(Dansk folkeparti)です。この党の党首の女性は、「ムスリムがヨーロッパに侵入し、ヨーロッパ人の民族浄化をたくらんでいる」などの発言をしたことで有名です。この国民党は現在デンマークの与党にかかわっているのですが、それ以来デンマークの移民政策は更に厳しくなっています。また、移民の受け入れのみならず国内にいる移民への統制も厳しくなっています。国民党は、ブルカ(イスラム教徒の女性が顔を覆うベール)をかぶった女性が公職に従事することに反対したり、「デンマークを返せ」(“Gi' mig Danmark tilbage”)というスローガンを掲げ、移民の撤廃を推進するようなポスターや宣伝などを発表しています。このような政策面での移民への厳しい風当たりに、デンマークにいる移民は憤りを感じています。移民の帰化や結婚に関しても大変厳しいルールが作られ、デンマークの現在の移民への方針は、EUからも改正が要求されています。
デンマークで10カ月間過ごして私が感じるのは、国家としての移民受け入れや対応の大切さです。デンマークも日本と同じく看護師や福祉従事者などが不足しており、外国から移民を受け入れないと労働力が不足してしまうのが現実です。外国からの移民受け入れは不可欠であるにもかかわらず、デンマーク政府の移民に対する対応はかなり配慮が欠如していると思います。福祉国家デンマーク、無料で医療サービスを受けられ、大学も無料……そんな素晴らしい社会制度を持っているデンマークだからこそ、移民を移民というカテゴリーに押し付けるのではなく、もっと彼らが社会に融合しやすいような政策を作るべきだと思います。そのようなことを考えると、ますます現在の移民に厳しいデンマークの方針が変わるべきだと強く感じます。デンマークの地で10カ月間過ごすことで、興味を持っていた移民政策について多くのことを学び、また考えさせられました。
東ヨーロッパへの旅行
私はイースター休みと夏休みを利用して、バルカン半島の国々に旅行しました。イースターには大学の友達と一緒に車で、ルーマニア、ハンガリー、チェコ、スロバキアに旅行し、夏休みにはデンマークで出会った友達を訪ねたりして1人でブルガリア、マケドニア、アルバニア、ギリシア、トルコを旅行しました。私はデンマークに行く前に、1度クロアチアに旅行したことがあります。その時からバルカン半島の歴史、旧ユーゴスラビアの民族浄化やジプシーの社会的地位などについて興味を持っていました。東ヨーロッパには、まだ発展していない国も多いのですが、独自の文化を持ち、人々もとても親切です。日本ではまだ知られていない国も多いですが、私が訪れた中でも特に印象に残った、ルーマニア、アルバニア、クロアチアについて、それぞれ私が感じた社会問題を含めて、御紹介させていただきたいと思います。
ルーマニア
ルーマニアは、東ヨーロッパにあり、ブルガリア、ハンガリー、モルドバ、ウクライナと国境を接しています。ルーマニアは、ほかの多くの東ヨーロッパの国々と同じく1990年代に入る前まで共産主義でした。西欧と比較すると経済的にも遅れていますが、2007年にEU加盟を果たしました。首都であるブカレストには、約250万人の人たちが住んでいて、かなり人や車で入り乱れているという印象を受けました。ブカレストはルーマニアの中でも人々の所得が高く、共産主義を代表する灰色のビル群のみならず、近代的な建物も多く見られました。ルーマニアは海や広い豊かな国土に恵まれ、これから観光業など、発展するのではないかと私は思っています。私がルーマニアで特に興味を持っていた問題は、ジプシーの問題です。ジプシーとはヨーロッパで生活する移動型民族のことです(ロマともいう)。彼らの多くは、教育を受けておらず物ごいなどで生計を立てている人がほとんどです。ヨーロッパ全土にわたって住んでいるのですが、ルーマニアは特にジプシーの人口が多くそのジプシーの地位などが問題となっています。また、ルーマニアにはジプシーのみならずストリートチルドレンも多いと聞いていました。私はルーマニア人の友達と一緒にルーマニアを訪れたのですが、到着してすぐにその数に驚かされました。それがマクドナルドであろうと少し高級なレストランであろうと、どこにいても子供たちが入ってきて「お金をください」といって付きまとってきました。親が2歳くらいの小さな男の子を抱いて、子供を使ってお金をせがんだりしているのも見ました。やせ細っている小さな子供たちが、大きな目を輝かせて近寄ってくるのを断るのは本当に胸が痛みました。しかし私はルーマニア滞在中ジプシーの子供たちには1度もお金を渡しませんでした。私のルーマニアの友達たちは「1人にお金をあげちゃうと、もっとたくさんの子供たちに囲まれるからあげちゃ駄目だよ」と言い、「あげたらあの人たちはもっと人に頼る生活をするから」と私にお金をあげないように注意しました。ジプシーの多くは、物ごいや盗みで生計を立てているので、もちろんルーマニア人たちは彼らのことを良く思っていません。おしゃれなカフェが並ぶブカレストの旧市街のビルの上などにはジプシーの家族が不法に住んでいて景観を汚している、また多くの盗みや物ごいがルーマニア全体のイメージを悪くしている、とルーマニア人たちは言います。
ジプシーの問題は大変難しいと思います。彼らは一定の居住地を持たないため、教育を受けることが難しく、また親のまたその親もそうした生活を送っているためその悪循環を断ち切るのは大変なことでしょう。教育を受けさせるように国が努力しても、子供たちの親がそれを拒否したり、ジプシーたちは定住者たちの生活になじめないことが多いようです。この問題について考えることで私は、教育の大切さを実感しました。
アルバニア
アルバニアといって、日本人が思い浮かべるものはあまりないと思います。私が行ったヨーロッパの20数カ国の中でもアルバニアはとても印象的でした。山に囲まれた国土には美しい景観が多く、またアルバニア人たちはまだ数少ない観光客である私に、とても親切でフレンドリーでした。アルバニアは東ヨーロッパの国の中でもかなりユニークな過去を持っています。第二次世界大戦後はほぼ鎖国状態となり、1970年後半から完全な鎖国状態となりました。経済は低調で、長年の間「ヨーロッパの最貧国=アルバニア」でした。国民はみんな平等に貧しかったそうです。現在は1990年代に市場経済が導入され、首都のティラナは大変活気がありました。多くの外資企業も進出していて、また10代や20代の若者は英語もうまかったことが記憶に残っています。私はアルバニアの旅行で、最初にティラナに行き、そのあとベラットやサランダというアルバニアの地方都市を訪れました。アルバニアはヨーロッパの人に聞くと、とても危険なイメージがあるようですが、私は全く危険な印象は受けませんでした。特にベラットやサランダでは、私のようなアジア人を見たことがないのか、何回も写真を撮ってと頼まれたり、道端で話し掛けられることがありました。アルバニアのビーチは周辺のギリシアやクロアチアと比べるとまだ観光化されていなくて、奇麗でした。
また、イスラム教のモスク、ギリシア正教の教会など多くの建物もあり、アルバニアの観光業はこれから注目出来るのではないかと思いました。アルバニアは現在EUに加盟していませんが、申請中です。
私がアルバニアを旅行して1つ感じた点は、ティラナ以外のアルバニアでは女性は裏で働いていたり、若い女の子は同じ年代の男の子と比べて英語が話せないなど、男性優位の社会だということです。アルバニアでは、レストランに入ると厨房で若い女の子(13-18歳)が働いているのをよく見掛けました。女性の社会進出がまだ良く思われていない、アルバニア。調べてみると、男性から女性に対するドメスティックバイオレンス(DV)も多く、国連開発計画東京事務所でもアルバニアの女性に対するDVを防止するための政策作成や法律の整備を行っているということが分かりました。アルバニアは、EU加盟に向けてもこれから女性の立場向上という点で努力が必要だと感じました。
クロアチア
クロアチアは、南西部はアドリア海に面しており、北はスロベニア、北東はハンガリー、東はセルビアとモンテネグロ、南東はボスニア・ヘルツェゴビナに国境を接しています。
美しいアドリア海を持ち、また旧ユーゴスラビアの国の中でも経済が発展している国です。ヨーロッパでも夏休みの旅行先として大変人気を集めています。また世界遺産に登録されているドブロブニクなどには、日本人の観光客も多く集まっています。そんな美しい都市ドブロブニクは1991年より、セルビア・モンテネグロによる継続的な激しい軍事攻撃を受けていました。クロアチアも、旧ユーゴスラビア諸国で起こった分離独立と民族紛争で大きく被害を受けた国の1つなのです。独立運動の際に、今まで一緒に住んできた民族同士で紛争が起こり、たくさんの人が犠牲になりました。クロアチア内に住んでいたセルビア人のほとんどはセルビアや他国に移りました。戦争前には10%以上を占めていたセルビア人も現在は5%以下に減っています。また、クロアチア国外に逃れたセルビア人難民の帰還に対して、クロアチアは積極的ではありません。クロアチア(特にドブロブニク)で戦争の跡を見たり民族浄化についての本を読むことで、民族問題の複雑さや残酷さを感じました。
学生団体(AIESEC)で活動
私はデンマーク滞在中に、AIESECという学生団体に所属して活動しました。AIESECは、学生にインターンシップの紹介などを通じて交流の機会を与えてくれる世界最大の学生団体です。私は、日本ではメンバーではなかったのです
が、デンマークの大学でドイツ人の友人に誘われて入会しました。私の大学のAIESECは約40人のメンバーがいて、デンマークを始めメキシコ、ボリビア、コロンビア、ポーランドなどさまざまな国籍のメンバーがいました。私はAIESECを通してインターンシップは行いませんでしたが、AIESECでの活動を通し大学や国籍や年齢などを超えて多くの人と出会うことが出来ました。また、デンマークのAIESECでは、会の運営や、ちょっとした談話までデンマーク語ではなくてすべて英語で行われていたので、外国人の学生でも気軽に参加することが出来ました。AIESECでは、国を超えてインターンシップをする機会を提供していて、私の大学には3人のインターン生が在籍していました。また、大学から海外へインターンシップに行く人もかなりいました。私がAIESECで行っていたのは、このようにインターンシップをしにくる学生や、これからインターンシップに行く学生たちのお世話をすることです。後期は私自身デンマークの生活に慣れてきたため、デンマークに来るインターン生のために、歓迎会を開いたり町を案内したりしました。私自身8月にデンマークに初めて来た時は、前からいる留学生やデンマーク人学生に随分手助けをしてもらいました。新しい国に来たばかりで分からないことだらけの心境は、留学生だからこそ分かるものです。
また、AIESECの活動の1つとして定期的に、合宿のような形でのミーティングも行われていました。ここではデンマーク全土からメンバーが集まり、各テーマについて話し合いました。また、デンマークでは合宿などを開く時には企業からのスポンサーを募って、場所や用具などを支給してもらっていました。企業側も学生団体の活動にとても協力的で、これはとても良いことだと思います。このような定期的なミーティングは、毎回200人以上が参加し、参加者の国籍も50カ国を超えていました。私は、このようなミーティングに参加することによって、ディスカッションやプレゼンテーションの力を伸ばすことが出来ました。大学の授業でもそうでしたが、ただ何かについて学ぶというだけではなく、それを人に発信していけるように学ぶ機会が多く、このことは自分のコミュニケーション能力を高めるのに大いに役に立ちました。
私は南デンマーク大学に留学中、AIESECのみならず多くの活動をしました。無料で行われている市のサルサレッスンに通ったり、日本語を教える手伝いをしたり、数えきれないほど多くの物事に挑戦しました。このことにより、多くの人と出会い、また自らの留学生活を何倍も充実させることが出来たと考えています。
最後に、留学生活では孤独感を感じたりすることもありましたが、この奨学金を得て留学させていただいたことや、留学に当たりお世話になった教授の言葉が大きな支えになりました。
また、多文化・多民族の社会で学習することにより、今まで見えていなかった多くの物事に気付くようになりました。今は普段の生活でも、色々な視野から物事を見られるようになりました。日本で外国人が迷っている時や、重い荷物を持っている人を見掛けた時は声を掛けるなど、当たり前のようですが今まで出来なかったことが、今では自信を持って出来るようになりました。多くの方の御支援のおかげで、私は人生で1番有意義な1年を送ることが出来、本当に感謝でいっぱいです。最後になりましたが、留学生活を全面的に支援してくれた両親に感謝の念をささげます。
草のみどり 230号掲載(2009年11月号)