法学部

【活動レポート】谷村 景子 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(60) アメリカ留学で人生の転機(上) 秋のセメスターと大学の生活

留学に至るまで

私の留学のきっかけとなったのは、2008年夏のエジプトの孤児院訪問ボランティアへの参加でした。この活動内容が決め手の1つとなったのはもちろんですが、それ以上にエジプトという発展途上国の生活環境それ自体にショックを受け、自分の知っている世界が少数派に属していることを再認識させられました。これが大きな決め手となって、帰国後に発展途上国についてUN Radioなどの機関から情報を集め、次第に日本のODAを受け持っているJICAに興味を持ち始めました。JICAの活動内容は私の思い描く将来にとても合致していたため、最終的にこの機関において仕事を得るための方法の1つとして留学を考え始めました。

したがって、私の留学に向けての活動は2008年の10月ごろに開始しました。交換留学の応募締め切りは12月であったため、時間は十分にはありませんでした。それに加え、ジムでのアルバイトも続けなければならず、白門祭でのストリートダンスのパフォーマンスに向けての練習も休むことは出来ませんでした。それでも時間を見付けては学校が閉まる午後11時まで法学部棟の自習室にこもって、TOEFLの勉強を続けていました。しかし自己採点によるTOEFLの点数は決して良いものではなく、なかなか伸びそうもありません。また、私の家族も当初は留学に賛成ではなく、何度も思いとどまるように説得を受けていました。この状況下において、私自身も何度も留学をあきらめようかと考えましたが、その度に初心やエジプトの孤児院で出会った子供たちのことを思い返していました。また、何よりもヘッセ先生は私の心の大きな支えとなってくださいました。ヘッセ先生は私に将来を悲観的に決め付けるのではなく、もっと自信を持って自分のやりたいこと、やるべきことに取り組むべきだと教えてくださいました。

結果的にTOEFLの点数は最初のテストで東テネシー州立大学(East Tennessee State University=ETSU)の合格ラインを獲得し、それから徐々に点数を上げていくことが出来ました。交換留学応募締め切りにも間に合い、この間のやりたいこともやるべきことも、どれもあきらめることなくすべてやりきりました。その結果、ETSUへの交換留学の資格を得たことは、決してゴールではなく、私の人生において1つの大きなターニングポイントとなっています。

履修科目と勉強

私が2009年のFall Semesterに履修した科目はWorld Politics,International Studies,American Government,English as a Second LanguageそしてEnglish as a Second Language Labの5つでした。授業開始当初は、予習復習のために毎日朝6時に起きて24時間開いているLate Night Study Roomや朝8時から深夜2時まで開いているComputer Labにおいて授業前、授業後に勉強やリサーチをしていたにもかかわらず、1日の目標が達成出来ないというような状況でした。授業内容が完全に分からないというわけでもありませんでしたが、自分の授業の理解度に全く満足出来ることはなく、毎日とにかく勉強しなくてはという思いに駆られていました。しかしそれも次第に要領を得てくるようになり、また同じクラスを取っているアメリカ人の友達やヨーロッパなどからの交換留学生の友達と意見を交換しながら勉強をするというような学習スタイルに変わっていきました。体力的にも精神的にも安定して勉強が出来るようになったのは、周りで支えてくれたたくさんの友達のおかげだと思っています。

World Politicsの授業ではRealismやLiberalismなどのWorld Viewの観点を始め、そのほかさまざまな各国の政治の在り方やグローバリズムについての学説、そしてそれについての批判などを学びました。この科目については渡米前から履修することを決めていたので、春休み期間中に勉強しておいたInternational Relationsの知識が大いに役立ちました。しかし、それでは十分とはいえず、授業内でのディスカッションを理解するのにとても苦労しました。また、Fall Semesterの期間中に3回ある30題の選択問題と7題のShort Answersの定期テストは毎回範囲も広く、テストの準備にとても時間が掛かりました。そしてテスト同様、成績の重要な決め手の1つとなる課題もこなさなくてはなりませんでした。この課題は、何か実際に起こった国際的な事件を設定し、World Viewの観点からその事件を分析して更に自己の意見を述べるというものでした。私は親友がアイルランド出身だったということもあり、彼の意見も聞きながら北アイルランド問題について分析しました。

International Studiesの授業は前記の授業に似ているところがありましたが、こちらの授業では発展途上国と先進国の状況比較に重きが置かれていました。受講生の人数も少なく、ゼミのような形態で授業が進められていたために、World Politicsの授業よりも受講生との議論を中心に授業が進められました。この授業では、教授のレクチャー以外に、学生個人によるプレゼンテーション、そして、Book Reviewの課題も重要な授業内容となっていました。私のプレゼンテーションのテーマは「世界における貧富の差は国際的な問題となるのか?なぜ問題となるのか?」というものでした。先生が参考資料として提示してくださったテキストを起点として、必要だと思われる情報を集めては要約し、説得力のあるプレゼンテーションになるように努めました。Book Reviewで設定されていた課題図書はTaming American Power という本で、ほかの国におけるアメリカのイメージとアメリカ人自身が抱くアメリカのイメージの相違から始まり、ほかの国がどのような政治的戦略をアメリカに対して採りえるか、またアメリカがこれからどのような政治的戦略を採るべきかを述べたものでした。課題はこの本の要約、著者の主張とその証拠、そして自己の意見でした。テストはFall Semesterの期間中に2回あり、3題中2題解答のエッセイ問題でした。毎回テキストの内容を事前に要約することでテストに備えました。

American Governmentの授業は当初履修する予定であったSouthern Politicsの授業の代わりに取ったものでした。後者の授業は当初の私にはレベルの高いものであったので、Fall Semesterの開始1週間後辺りで前者の方に切り替えました。この授業はアメリカの政治システムについてのレクチャーを始め、5回にわたるSupreme Court Simulationsや3本のビデオそして、数人の学生によるCampaign Simulationが授業内容となっていました。中でもSupreme Court Simulationsでは、先生が提示してくださった実際の裁判例について過去の判例をベースに自分の意見を述べることが求められました。これについては法学部で培った知識が大いに役立ち、5つのケースすべて良い評価を頂きました。レクチャーよりも、学生とのディスカッションを重視するこの授業では、学生の発言率がほかの授業に比べてとても高かったのを覚えています。テストは私がFall Semesterで取った授業の中では1番難しいレベルだったと思います。40題ほどの選択問題と5題のShort Essayを解くために、テキストの内容を把握するだけでは十分ではなく、授業で取り扱った判例やビデオの理解、そしてテキストのホームページに掲載されている問題を事前に解いておくことも求められました。ビデオについては1度で理解することが出来なかったため、インターネットでビデオのホームページを見てみたり、関連する事例についてリサーチするなどして内容把握が出来るように努めました。

English as a Second LanguageとEnglish as a Second Language labの授業については、レクチャーというよりもほかの交換留学生との英語による交流に重きが置かれていました。フランス人、ドイツ人、ロシア人そして中国人が同じく授業を履修しており、彼らと話す機会もふんだんにあったため、多くの友達を作ることが出来ました。

ETSUでの生活

アメリカに行く前からETSUで日本語教師として働いていらっしゃる手塚先生にはとてもお世話になりました。アメリカに到着した当初もスーツケースが1つ行方不明になってしまいましたが、迎えに来てくださった手塚先生にローカルの小さな空港ではよくあることだと言われ、慌てずに対処することが出来ました。スーツケースは翌日に届けられました。

ETSUでの最初の生活においては、手塚先生が日本語を教えていらっしゃる学生たちに度々手を貸してもらったり、パーティーに連れていってもらったりしました。双方お互いの文化に興味を持っているということから、すぐに仲良くなることが出来ました。彼らの運営しているJapanese Clubは毎週木曜に活動しており、折り紙や生け花などの日本文化そして日本で放映された映画を鑑賞するなどしています。

寮の生活については、慣れてしまえば何も不自由することはないと思います。私のルームメートはあまり話をしない子ですが、適度にかかわっていた方がルームメートとしてはちょうど良いのではないかと思います。共同風呂はみんなの入らないような時間帯を見計らって入るとゆったり入ることも出来ます。寮で自炊をしていた日本人の友達もいましたが、私は、Market PlaceというETSUの食堂でほかの学生と会話をし、仲を深めながら食事をしていた方がためになると思っています。もしスーパーに買い物に行きたいのであれば誰かの車で行くのが1番良いのですが、歩いても行ける距離に安いスーパーと少し高いですが品質の良いスーパーの2つがあるので、食べ物や日用品に関しての心配は要りません。

こちらでの生活が落ち着いてきた辺りからは、ヨーロッパやアフリカ、インドからの交換留学生やJapanese Club以外のアメリカ人の学生たちとよく話すようになり、毎晩夕飯を一緒に食べたり、勉強をしたり、映画を見に行ったりするなど、アメリカで生活をするに当たって欠かせない仲間を作ることが出来ました。国籍も全くばらばらの8人で、車を借りてテネシー州の州都であるナッシュビルやメンフィスへ旅行にも行きました。しかし日本人が私しかいないこのメンバーの中で英語で自分の言いたいことがうまく言えなかったり、相手が何を言っているのか分からない時なども度々ありました。コミュニケーションの取れなさについて深く落ち込んだ時もありましたが、私の1番の親友は私の話す内容ではなく、私の人間性に引かれて人が集まってきているのだから、私が誰も自分を理解してくれていないと考えるのは間違っていると言ってくれました。その言葉を聞いた時ようやく、人種という枠組みにとらわれていた自分に気付くことが出来ました。

10年来の趣味であるダンスについても、ETSUに来ても続けようと思っていました。案の定ストリートダンスクラブを見付けることが出来ましたが、トライアウトというオーディションを通過しなくては入部することは出来ないと言われました。トライアウトには30人ほどの候補者が集まっていて、次第に見物人も増え、最終的には50人以上のETSUの学生が会場を埋め尽くしていました。私はその中でたった1人のアジア人で、そのほかは大半が黒人でしたが、ありのままの自分を表現し、大喝采を浴びてトライアウトを終えることが出来ました。クラブには無事入部することが出来、その後ETSUで実施されたHome Coming Partyのステージで特別ゲストとして出演することが出来ました。また、観客としてステージを見ていた多くのETSUの学生にも、私の顔を覚えてもらうことが出来、とても良い経験になりました。来期にもさまざまなステージがあると聞いたので、とても楽しみにしています。

ETSUで得たもの

このFall Semesterの期間だけでも日本で思い描いていた以上の経験をすることが出来ました。まだ留学が決定していないころの私は自信もなく、それが他人の目から見ても明らかでした。しかし、ヘッセ先生を始めとする法学部の先生方、ETSUに同じ交換留学生として通っていた先輩方、家族、そして友達の力を借りて留学を実現し、「やる気応援奨学金」も頂けたという事実は私の中で大きな自信につながりました。この自信はETSUの授業や課題を完璧にこなし、人間関係を一から築くには決して十分なものとはいえませんでしたが、私を支えてくれた多くの友達の力がそれを可能にしてくれました。そしてこのこともまた新たな自信につながっています。

2009年12月29日現在、世界には67億9317万1978人もの人間が生活しています。毎日10人と新たに出会い、それぞれと友好を深められたとしても、私たちが一生に出会える人々の数は多くても30万人程度です-実際はそれよりはるかに少ないのですが。このような状況の下、たった9カ月程度の留学期間に出会える人々の存在はまさに掛け替えのないものです。彼らとの生活を通して、世界に対する自分の視野の狭さに気付くことも出来るでしょう。次のSpring Semesterで出会うだろう人々との出会いに期待し、Winter Breakも余すところなくアメリカという文化を楽しみたいと思います。

草のみどり 234号掲載(2010年3月号)