法学部

【活動レポート】谷村 景子 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(66) アメリカ留学で人生の転機(下) 春セメスター経て成長を実感

秋のセメスターを終えて

2009年12月14日に東テネシー州立大学(East Tennessee State University=ETSU)の前期最後のテストを終え、アメリカでの冬休みが始まりました。前期で帰国する留学生にお別れをし、別の留学生と共にまずはニューヨークへ旅行に行きました。その後は1人でマイアミ、シカゴ、ワシントンDC、ニューオーリンズへ行き、現地で友達と合流することもありました。どの旅行でも、アメリカのその地域独特の雰囲気や歴史を学ぶことが出来、アメリカを知るとても良い機会になりました。

約4週間にわたるこの旅行の計画は、前期のテスト勉強の合間を縫って立てたものでしたが、どのテストも好成績を収めることが出来、そして最終的にそれぞれの科目について高い評価をいただくことが出来ました。

春のセメスターの開始

正直なところ、後期初めは不安でいっぱいでした。なぜかというと、前期に仲良くしていた友達が皆帰国してしまったからです。それでも前期から交流していたセルビア人やインド人、そしてアメリカ人の友達との再会、後期から来る人たちとの新たな出会いを楽しみにしていました。

ですから、学食で見知らぬ外国人学生の姿に気が付いた時には、率先して話し掛けに行きました。聞けば彼らはオーストリア、メキシコ、アルゼンチン、そして韓国から来た学生たちで、前期の友達とは違い英語を第1言語として話す人が誰1人としていませんでした。

これは私にとって大きなチャンスとなりました。前期は私よりも英語が話せる人たちに囲まれていたので、聞き手になる場合がほとんどでした。しかし、後期には積極的に会話を盛り上げ、学食以外の学生生活の場でも交流を図るなど、前期の私1人ではうまくいかなかったことが、当たり前のように出来るようになりました。また、私が前期からいたということもあり、学校や町についていくらか教えてあげられることもありました。最終的には友達が友達を呼び、学食のテーブルを囲む輪をどんどん大きくしていくことが出来ました。

こうしてアメリカ留学最後のセメスターが始まりました。このころ日本では同学年の友達が就職活動真っ最中であったということもあり、勉強が忙しくなる前に自己分析を始めるなどしていました。しかし、周りにそれほど就活生がいないということもあり、なかなか就職活動がどうあるべきものなのか分かりませんでした。そしてこの留学と自分の将来をどうつなげていくべきなのかも分からなくなってしまいました。しばらくすると授業のペーパーワークに追われ、最終的にあまり就職活動や将来について考える時間がなくなってしまいました。

履修科目と勉強

後期でも引き続きPolitical Scienceを専攻とし、Introduction to Comparative PoliticsやPeace, Security and DevelopmentそしてInternational Political Economyの3つの授業と、Dance Improvisationというモダンダンスのクラスを受講しました。

Introduction to Comparative Politicsの授業では、多様な国々の政治体制について学びました。自由民主主義国からはアメリカと日本、(旧)共産主義国からはロシアと中国、新民主主義国としてメキシコ、発展途上国からはナイジェリア、そしてイスラム世界からはイランと、それぞれの政治体制について、日本、ナイジェリア以外の現地で暮らしていた教授の話を交え、学ぶことが出来ました。どの回も初めはビデオによって、その国のバックグラウンドを理解してから、各国の教授をお招きし、貴重な話を伺うことが出来ました。これは日本ではなかなか経験出来ないことではないかと思います。特に印象に残っているのは、イラン人の教授のお話でした。彼は、アメリカ人学生から出たイランの核兵器開発疑惑についての質問に、はっきりと「イランはやっていない」と主張していました。どのような立場にあっても、自分の国を信じる彼の心意気に強く心を打たれました。

また、自由民主主義国のカテゴリーの中にはアメリカ、日本のほかにイギリスもありましたが、あえて教授がアメリカと日本を選択したことには驚きました。日本の政治体制はアメリカで大きな論点の1つとして扱われていることに改めて気付かされました。日本の政治体制の項目では、日本国憲法の内容と自衛隊の存在意義が合致しているのか、という問題が扱われました。その中で教授は、日本国内における米軍基地についてどう思うかということも、クラス唯一の日本人である私に直接聞いてきました。ちょうどその時期は、鳩山前首相がオバマ大統領に普天間基地移転の話を出していたこともあり、そのような話も交えながら騒音被害や地域住民との問題について話をしました。

この科目ではリポート課題がなかったため、3回のテストを総合的に評価していただき、Bの評価を得ることが出来ました。

Peace, Security and Developmentの講義前半は、広島・長崎原爆のビデオから始まり、第2次世界大戦以降のアメリカ、ソ連の軍備拡張競争によって生み出された核世界、そして9・11以降のテロとの戦いについて、その問題性や今後の課題について議論を進めました。特に思い出に残っているのは、広島・長崎原爆のビデオを見た後の学生の反応でした。ある学生は「必要だった」と言い、またある学生は「当然の報いだ」とも言っていました。たった1人の日本人だった私は、彼らの発言すべてを完全に聞き取ることすら出来ず、しっかりとした反論をすることも出来ませんでした。それを見かねたアメリカ人の友達が、私に代わって日本側の主張を言ってくれたことは、涙が出るほどうれしかったです。原爆という大きな問題について、人々の考えはまだこれほどにもばらばらなのかと痛感した瞬間でした。

後半においては、世界人口の増加、改善されない貧困と飢え、そして環境問題について学びました。毎回その日のテーマに合ったビデオを見ましたが、ほとんど解説がなかったので、自分自身でビデオから聞き取った事柄を、インターネットなどを使い掘り下げておくことが必要とされました。また、2冊の共通するテーマの本を読んで要約したうえで、最終的に自分の主張を提示する課題も出されました。これらの本は特に指定がなかったので、各自で見付ける必要がありました。私はPaul CollierのThe Bottom Billion –Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About ItとStephen C. SmithのEnding Global Poverty –A Guide To What Worksという本を比較分析しました。どちらとも貧困解決について述べたものですが、その解決方法が大きく違っていました。前者は世界全体の制度を変えていくことを提案するトップダウンの方法について述べたもの。そして後者は逆に地域の健康管理、教育、資金繰り、そして交通などのシステムから変えていくことを提案するボトムアップの方法を述べたものでした。

この科目においては2回のエッセー形式のテストと、前記のペーパー課題を合わせた総合評価としてB+をいただくことが出来ました。

International Political Economyのクラスでは、グローバリゼーションを中心とし、それにかかわるリアリズム、リベラリズムなどの理論を切り口として、世界貿易機関や国際通貨基金、世界銀行がもたらしてきた第2次世界大戦以降の国際貿易体制、国際金融制度、そして多国籍企業の支配する国際的経済などについて、発展途上国の経済成長と対比しながら学習しました。過去に起こった数回の金融危機の分析も行いました。週に3回あるこのクラスは、アメリカ人学生ですら履修を中止してしまうほど、大変なクラスでした。というのも、後期3回のテストだけではなく、2つのリポート課題にプレゼンテーション、そしてディベートまであったことが大きな理由です。リポートについては、1つは教授がテーマを設定した「ルワンダの経済成長」について、そしてもう1つは自分でこの科目にかかわるテーマを設定し、リサーチ、分析するものでした。私は前期にちょっと学んだアメリカコットン助成金について深く掘り下げようと決め、最終的に「アメリカコットン助成金-その影響とブラジルとの対立」というリサーチペーパーを提出しました。ブラジルによるアメリカへの多額の経済制裁決行の有無が決定するのが2010年4月中旬で、リポートの提出も同時期

だったため、とてもタイムリーなリサーチペーパーを書き上げることが出来ました。教授から、読んでいて1番面白いペーパーだったと高い評価をいただくことも出来ました。これらリサーチペーパーやテストなどすべての評価としてA-をいただいたことは、この留学で大きく成長出来た証しであると自負しております。

ほかにもこのクラスで印象的だったのは、使用していたテキストに日本経済の例が度々出てきたということです。第2次世界大戦後の高度経済成長を日本はいかに成し遂げたのか、ということをドイツやアメリカの経済システムと比べつつ、例示していました。

このクラスを受講したことは私にとって大きな人生の転機になったと確信しています。今回のアメリカ留学では、いかに世界平和を構築するかということを自分のテーマとして学んでいました。しかし、この科目で戦後の日本の努力を学び、その努力が海外で評価されていたことを知りました。そして、かつては確立していた日本の経済も、グローバリズムの流れから欧米に合わせた経済活動をしていることも知りました。そのためリーマンショック以降、欧米経済の失速と急激な円高により、輸出分野に壊滅的なダメージを受けた日本経済は、今なお迷走を続けています。

このように日本経済の危機的状況を改めて海外で学んだことにより、最終的に私が思ったことは、世界のためにというよりも、世界を舞台として日本のために働きたい、ということでした。この考えが芽生えたことで、帰国後の就職活動は留学経験を大いに生かし、とてもスムーズに終えることが出来ました。

Be Positive!

前期にはほとんど聞き手に回っていた英語での会話も後期にはいつも話し手となり、おかげで新たな交換留学生や新たに出会った人々と交流を深めることも出来ました。どのような状況下においても、積極的に行動することによって、これほどまでに自分に自信をつけることが出来るとは思いもしませんでした。またそれだけではなく、仲間を増やし、行動範囲を広げ、より多くの人々に出会う機会さえ、自分の力で作り出すことが出来ました。そしてその偶然の出会いか

ら継続につなげる力も取得することが出来たのではないかと思います。

実際に帰国し就職活動を終えた後、ETSUで出会った友達を訪ねて1カ月ほどヨーロッパ旅行に行ってきました。留学で得た友情は、その時のみの関係ではなく、何度でも再会するためにあるべきだと私は思っています。

この留学では学問を通し、さまざまな知識を得ることが出来ました。しかしそれ以上に私がこの留学で学び、そしてこれからも大切にしていきたいと思うものは、愛国心そして社交性です。日本で愛国心というと戦時中の帝国主義に近い響きを感じますが、しかしそれでもこのグローバル社会において、愛国心は大切な要素の1つなのではないかと思います。これは排他的で偏狭な愛情などではなく、純粋に母国を愛し、より良い国にしていくという気持ちが、日本をグローバル社会の中で強くするのだと思うからです。そしてもう1つ重要だと思われるものは、お互いを理解し合うための社交性です。話せる、聞けるというだけで社交性は習得出来るものではありません。相手方それぞれの世界観を理解し、それに対し自分がどのような考えを持つかということを、時にはユーモアを交えて伝える力、そこまで必要になるのだと思います。これら愛国心と社交性は、留学前の私には欠けていたものだったと思います。

留学前まで、自信があるふりだけをしていた私。しかしこの1年弱の経験だけで、ここまで自分を変えることが出来ました。この場を借りて、この留学を応援してくださった先生方や国際交流センターの職員の方々、留学中つらいことがあれば励ましてくれたETSUの友達や日本の友達、そして初めは留学に反対しつつも最終的には温かい目で見守っていてくれた家族皆に、感謝の意を述べたいと思います。本当にどうもありがとうございました。これからは社会の一員として、この留学で培った経験を生かせるように、頑張っていきたいと思います。

草のみどり 240号掲載(2010年11月号)