法学部

【活動レポート】大橋 由希 (法律学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(69) 人種のサラダボウルアメリカ さまざまな英語に触れて学ぶ

私が「やる気応援奨学金」の応援をいただいて挑戦したロサンゼルスでの語学研修から、もう一年がたとうとしている。奨学金へのエントリーから活動報告まで、自分自身と向き合い続けた経験は今でも生きている。ここに私の活動の一部を紹介させていただきたい。

どたばたな始まり

私はよく「行動力がある」「積極的だ」と言われる。しかし出発当日、私の心の中には不安や寂しさの方が多かったように思う。今回が初めての一人旅であり、また実家暮らしの私は1カ月も家を空けることは今までなかったからだ。一人でやっていけるだろうか、友達が出来るだろうか、と私にしては珍しく考え込んでいた。そんな私を乗せて飛行機は成田空港を飛び立ち、約9時間のフライトを経て、私はロサンゼルスの青空の下にすがすがしい気分で立っていた。いざアメリカの土地を踏むと、私の中にあった不安はどこへ行ったのやら、これからの冒険が待ち遠しいばかりであった。

私が通った語学学校はロサンゼルス空港から車で約40分離れているウェストウッドにあった。それはカリフォルニア州の名門州立大学University of California, Los Angeles(UCLA)の付属学校である。UCLAはアメリカの大学ランキングでも常に上位にある有名校で、滞在中にUCLAの学生との交流や大学の講義に参加出来ることを期待して、その語学学校を選んだ。また滞在先にも大学付近にある寮を選んだ。語学学校だけではなく、日常生活でも現地の学生との交流を通して英語を使える環境を作りたいと思ったからだ。

空港から寮まで行く方法はシャトルバスを利用するなど何種類かあったが、私は一番安い方法を採った。市営バスでの移動である。事前に空港から寮付近のバス停まで市営バスが通っていることを確認しており、それを利用することにしていた。料金は何と75セントである。ちなみにシャトルバスを利用すると5000円は掛かる。さてバスに乗ろうと空港からバス乗り場へ移動したは良いが、乗るべきバスが分からない。何とかなるだろうとバスの番号まで調べてこなかったのが間違いであった。UCLA行きのバスは複数路線あり、更に一日に何本も出ている。また大学自体広いので降りる場所も何カ所かあり、行き先を間違うととんでもない所へ出てしまうのだ。もう聞くしかない、アメリカでの第一声は心穏やかなものではなかった。サングラスを掛けた女性のバスドライバーに、寮のある通りの名前を告げ、そこまで行くか聞いてみた。ところが発音が悪かったのか、何度聞いても首を振るばかり。しまいには「言っていることが分からない。UCLAまでは行く」とぶっきらぼうに言われてしまった(後で分かったことだが、通りの名前を間違えていた)。乗客の注目も浴び恥ずかしくなった私は、大きな荷物を抱えてとりあえずバスに乗った。バスのルートを確認し、そのバスが寮のある通りまで行くものであると分かった時は本当に安心した。それと同時に、少し自分に腹が立った。納得するまでなぜ対話しようとしなかったのか、周りの目を気にしてくじけてしまった自分が情けない。私はアメリカでの語学研修を自分自身への挑戦だと位置付けていた。語学力を磨くことはもちろん、自分の将来を見据えるためにも積極的にさまざまなことに取り組もう、そして必ず成長して帰ろうと心に決めていた。バスでの一件で「くじけない」という新たな目標が加わった。

1時間半バスに揺られ、寮には無事に着くことが出来た。しかしそこには私の想像とは全く違う環境があった。日本人が大勢いたのである。これは語学学校にも言えることだ。語学学校に問い合わせて得た事前情報では、日本人は20人クラスに3人程度の割合であった。しかし日本の大学が春休み中であったことやUCLAが有名大学であることなどから、どうやら日本の大学と旅行会社が提携しツアーが組まれていたようだ。四人部屋のルームメートも皆日本人で、これから冒険だ、と意気込んでいた私はどこか拍子抜けしてしまった。他大学の学生は旅行気分で日本語を堂々と話している。寮にもともと住んでいた学生よりも後から来た日本人の方が多いくらいである。「もう日本語の環境にいたんじゃしょうがないじゃないか」と初日からあきらめかけていた時、「やる気」の受給者であるという自覚がふつふつとわいてきた。せっかく応援していただいて来ることが出来た土地なのに、それを無駄にしてはもったいない。自分で環境を変えれば良いのだ、と思った。それからというもの滞在中は日本人同士で遊びに行かず必ず外国人留学生を交えて遊んだり、相手が日本人であっても英語で会話したり、自分で英語を使う機会を作る努力をした。

寮から語学学校まで徒歩15分、毎日歩いて通った。私が参加したのは午前中3時間、午後2時間、週5日のカリキュラムだ。1クラス20人ほどでレベル別に構成されている。そのクラス分けテストが到着2日目にあったのだが、初日から私はやってしまった。学校の正規のスケジュールでは第1週月曜日にテスト、翌日の午後にオリエンテーションがあった。私は飛行機の都合上、初日にテストを受けられなかったほかの生徒と共に、2日目の午前中にクラス分けテストを受けさせてもらうことになっていた。集合時間は9時50分、起きた時間も9時50分。寝坊だ。頭の中が真っ白になった後、やる気の先生方の姿が思い出されたことは言うまでもない。前日の夜に確かに目覚ましをかけたはずだったのに、と思い携帯電話を見ると、そこに表示されていたのは日本時間であった。私は慌てて語学学校に電話した、しかしなぜだか留守番電話。とりあえず顔を洗って歯を磨き、猛ダッシュで語学学校へ向かった。受付で寝坊した旨を告げ、申し訳ないとひたすら謝ると「ハハハ、そうかそうか、テスト頑張れよ」と言われた。遅刻をカバーしようと全力で筆記試験と面接試験をこなし、おかげで希望していたクラスに入ることが出来た。日本を離れて4日、ようやく落ち着いた生活が始まった。

語学学校で草の根運動

私は午前中にCultureとGrammarの授業を選択した。内容は4人ずつくらいで1つのトピックについて話し合う形式で、生徒同士や生徒と先生間のコミュニケーションを中心に授業は進められた。クラスメート同士でインタビューしたり、アメリカのテレビドラマを見てなまりや会話でよく使われる言葉の意味を推測したりした。クラスにはイタリア人、台湾人、韓国人を中心にアラブ語圏や南アメリカから来ている人がいて、出身国はもちろん年齢も幅広かった。私のほかに日本人も5人ほどいた。国籍別に見たら日本人が最も多いが、発言の回数から言えば日本人が最も少なかっただろう。先生からの問い掛けに、日本人以外は皆よくしゃべる。週末にあった出来事や、意見を問われた際真っ先に話し出すのはイタリア人やスイス人だった。私は負けないぞと勝手に闘志を燃やし、どんどん発言した。分からない時は分からないと言い、たとえ前の人と同じ意見であっても自分の言葉で説明しようと試みた。そんな私の闘志が伝染したのか、授業も3週間目辺りになると日本人の友達にも発言が増えてきた。もしかしたらこのような小さな意識が、日本のプレゼンスを高めることにつながっていくのかも知れないと思った。

午後の授業ではDiscovery L.A.という授業を取った。街へ出て地元の人々へインタビューをしたり美術館を見学したり、アメリカの生活や文化を学ぶというものだった。その中で恥ずかしい経験があった。リスニング力を鍛える狙いの下、「盗み聞き」というレッスンがあり、カフェにいる人や街の人々の会話を盗み聞いてメモを取って戻ってくることが課題だった。私は韓国人の女の子とペアを組んでカフェに入り、携帯電話で話しているビジネスマンの会話を聞き取ろうとしていた。しかし、その行為が本人にばれてしまったのである。開いていたテキストを男の人に見られてしまったのだろう。その男性が電話の相手に「学生に盗み聞きされているよ!」と話しているのを、私たちは真っ赤になりながらそばで聞いていた。男性は笑って許してくださり、私はLos Angelinoの大らかさに感謝した。

授業を通して私が学んだことは、伝えよう、聞こうという姿勢の大切さである。これは午前中の授業で起きた出来事だ。RとL、この発音の違いは日本人にとって区別が難しいものではないだろうか。ある日の授業の最初に、私は週末を利用して友達(もちろん外国籍)とサンフランシスコに出掛けた話をした。その中で「あの有名なくねくねの坂Lombard Streetに行ったよ」と何気なく告げると、発音の練習が始まった。全員の前で"Lombard ,Lombard"と何回か言わせられ、結局違いが分からぬまま、六回目辺りに言った"Lombard"で許してもらえた。この語学学校を選んで良かったと思ったことは多くの国々から学生が学びに来ていることである。英語はもはや全世界の言葉であり、多くの話者がいる。発音が奇麗なネイティブスピーカーの話が聞き取りやすいのは当たり前で、これからはなまりにも対応可能な耳を作らなければならないと思う。授業を通して母国語の発音が英語に混じることを直接体感することが出来た。とても聞き取りにくい英語もあったが、「日本人はRとLが同じだから聞き取りにくい」と言われたこともあるのでお互い様である。こちらがコミュニケーションを取ろうとすると相手も聞こうとしてくれる。要は相手を理解しようとしているか、大切なのはその一点に尽きるのではないだろうか。

学生から「やる気」をもらう

私の2番目の目的は現地の学生との交流である。課外活動を通して現地の人々とかかわる機会を持ちたいと思っていたので、UCLAの日本語サークルの活動に参加した。彼らは日本語がとても上手で、中には漢字練習までしている学生もいた。私は英語で話し、彼らは日本語で話す、という形ですしパーティーをしたり、ランチをしたり、遊びに出掛けた。その中の1人と仲良くなり、学生専用のジムに連れていってもらった時に驚いたことがある。テスト前だったということもあったのかも知れないが、勉強しながら運動している学生が大勢いるのだ。ランニングマシーンの前にノートが置いてあったり、エアロバイクをこぎながらテキストをめくっていたり、勉強と運動、器用に両立していた。

またUCLAの講義に参加することも出来た。彼女と一緒に、100人ほどの中教室で行われている日本史や法学の講義を

聴講した。UCLAの授業風景。講義は基本的に教授がプレゼンテーションを使って説明する形で進められた。私は完璧に聞き取ることは出来なかったが、プレゼンテーションで表示される映像や彼女が取るノートから内容を推測した。ほぼ日本の授業風景と同じであるが、異なっている点は学生からリアクションがあることだ。講義の途中でも質問があれば発言し、感想や意見を率直に述べる。例えば日本史の講義中、縄文土器をねつぞうした事件について教授が言及すると"Wow!"や"Oh my God!"という声が上がった。双方向の講義は面白いと感じた。

学生との交流を通して感じたのは、彼らが向上心に満ちていることだ。彼らは自分が好きな勉強をしているという実感を持っているため、どんな授業にも集中して積極的に取り組み、今出来ることに一生懸命になっている印象を受けた。皆どこにそんなに体力があるのかと疑うほど、勉強も遊びもスポーツもアルバイトも、どれにも全力で取り組む学生が多かった。彼らは生き生きと見えうらやましく感じたことを覚えている。私は先を見据えそのためには何を今やるべきかを考えるが、彼らは今をどう将来に生かすかという考え方をしていた。先のことを考えて不安に駆られ今がおろそかになってしまうよりも、今出来ることを頑張れば良いという考え方は合理的なようにも感じられる。目の前の課題をしっかりこなすこと、興味を持ったことは深く掘り下げてみること、彼らのおかげでこれからの大学生活に新たな目標が出来た。

感謝

1カ月という短い期間の中で私が得たものが2つある。1つ目は新たな「やる気」だ。語学力はもちろん、自分の知識のなさに悔しい思いをすることも何度もあった。微妙なニュアンスが伝えられなかったり、話の内容が政治や経済になると会話に付いていけなかったりした自分がいた。私が例えばイタリアやスイス、アメリカという国を友人との会話から垣間見るように、彼らもまた私を通して日本を見るのかも知れない。私の友人にとっては、私が1人の日本代表なのだ

と思う。日本の文化や魅力をしっかり伝えられるように、もっと自国を見ることも勉強することも必要だと感じた。2つ目は「仲間」だ。世界中にネットワークが出来たこともそうだが、リソースセンターを通じて多くの友人が出来た。皆一様に私に刺激を与えてくれるので、私も負けられない。この1年間「やる気応援奨学金」で磨きが掛かった行動力を生かして、さまざまな経験をした。次にはインターンシップに挑戦したいと思っている。高いモチベーションを維持し、残りの大学生活を最大限に充実させたいと思う。

最後に、私にチャンスを与えてくださった諸先生方と寄付をくださる方々、背中を押してくれたリソースセンターの方、応援してくれた家族には心から感謝している

草のみどり 243号掲載(2011年2月号)