法学部

【活動レポート】角元 健太 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(71) 米ヒューストンで留学生活(上) 国際関係とビジネス系を学ぶ

はじめに

私はこの度、「やる気応援奨学金(長期海外部門)」の御支援をいただき、2010年8月中旬より中央大学からの交換留学生として、アメリカ・テキサス州のヒューストンにあるセント・トーマス大学で留学生活を送っております。非常に充実した楽しい日々を送っておりますが、今回はその留学生活の前半を振り返ってみたいと思います。

留学までの経緯

私は大学3年生の夏から留学をし、4年生の夏前に帰国するという計画の下、現在留学生活を送っております。しかし実をいうと、本来は2年生の夏に行き、そして3年生の夏前に帰国するというのが大学に入学した当初の計画でした。そこで1年生の冬に、交換留学の選考のための面接を受けましたが、選ばれることが出来ませんでした。

日本の場合、留学を3年生の夏から行き4年生になって帰ってくるとなると、通常の就職活動に間に合わないということを十分に頭に入れておかなければならず、当初は非常に悩みました。しかし将来は国際的な舞台で活躍したいという思いは大学入学当初から強く持っており、就職活動を犠牲にしてでもこの大学生活で自分自身をステップアップさせるためには、この長期留学は非常に有益なものになるという思いは常に変わらず、また家族も常に自分を全力で後押ししてくれると言ってくれたので、その時点で迷いは消え、また頑張ろうという気になれました。

それからはとにかくやる気に満ちあふれた毎日で、TOEFLという英語圏に留学するために必要な試験に向けても毎日積み重ねて勉強し、大変苦労しましたが、無事に目標点数を突破することが出来ました。これから留学を考えている方々の中で、現在そのTOEFLの点数が伸び悩んでいる人もいるかも知れませんので、少しばかりアドバイスをさせていただきますと、単純ですがとにかく単語力がすべてだなと非常に強く実感しました。試験問題を攻略するコツなどは、ウェブ上で講義を受けられるようないわば通信講座的なものを活用しました。大変有益なものですので、ぜひとも活用すると良いと思います。

自己紹介でアピール

私が通っているセント・トーマス大学は、日本人が極めて少ない環境であるということは留学前から知っていましたし、それがこの大学を交換留学先の第1希望に選んだ1つの理由でした。とはいえども、まさか自分が大学唯一の日本人学生だとは思いませんでした。初めは日本語のサポートがない中で果たして自分は友人とうまくやっていけるのか、それ以前に生活自体していけるのかなど多少の不安はありましたが、現地の友人とは大学の寮に到着した日から仲良くすることが出来ました。とにかく最初は皆に名前を覚えてもらおうと非常に張り切り、「KENTA」という名前が後ろに書いてあるサッカーのユニフォームを着て、積極的に接していきました。

また自己紹介をする際には、「初めまして、名前はケンタです、ケンタッキーフライドチキンではありません」というのをあらかじめ考えておきました。笑ってくれるのか、もしくは流されてしまうのか非常に不安でしたが、想像をはるかに超えるくらい皆大笑いしてくれます。そんなこともあり、皆自分の名前を覚えてくれ、すぐにたくさんの友人が出来ました。

大学生活

セント・トーマス大学は、徹底的に少数規模を重視している大学です。寮の友人で、2日ほど会わない日が続けば、「久しぶりだねー」という会話になります。私自身、小学校は学年1クラス、中学校は2クラスという環境で育ってきたので、何だか懐かしい感じがしました。

今年度のセント・トーマス大学における交換留学生は私を含め八人いますが、私以外は全員寮ではなくアパート型の住まいに住んでいます。そういうこともあり、彼らとはあまり接することがなく、私が毎日接する友人はほぼ全員がアメリカ人です。初めのうちは、アメリカ人の輪にアジア人が1人いるという感じで、慣れない状況に少し戸惑いがありましたが、いつの間にかなじむことが出来ていました。生活のスタイルはアジア人であり日本人である自分と、アメリカ人とではまるで違います。そんな違いを見るのも非常に興味深いです。

英語に関しては、授業中に教授が話していることは予習と復習さえしっかりすれば何を言っているのか理解は出来ましたが、アメリカ人の友人との会話においては、最初は耳をじっくり澄ませて聞かないと早口過ぎて何を言っているのかさっぱりという感じでした。これではまずいと実感し、自分自身の英語力を高めるには、知らない単語やフレーズを1つずつ覚えていくしかないと思ったので、1日を通じ英語に関する疑問を発見する度にすぐにメモを取り、それらを毎晩寝る前にルームメートに教えてもらうという習慣をつけるようにしました。

すると不思議なことに、その覚えたことがどこかに出てきたり、自然に自分が使っていたりという具合に、少しずつではあると思いますが、アメリカ人との会話もスムーズになってきたと思います。今思えば、初めのころ早口で何を言っているのか全く分からなくて、この人とは一生まともに会話出来ないであろうと思っていた人とも、いつの間にかスムーズに会話が出来ているのかなと思います。また、毎日アメリカ人としか会話していないので、その話すスピードに耳が慣れているためか、英語を母国語としない人たちと会話をすると、不思議と非常に楽に会話が出来ます。

御紹介したルームメートですが、彼はテキサス州で生まれ育った非常にクールなアメリカ人です。落ち着きのある非常にアクティブな性格で、「おれがヒューストンの名スポットをすべて案内するぜ」と初めて会った瞬間に言われたことを今でも鮮明に覚えています。彼は暇さえあれば、色々な所に連れていってくれます。1日を通じて発見した自分の英語の疑問についても、彼は毎晩熱心に教えてくれます。彼の年齢は私より1歳年下ですが、彼は自分にとってのお兄さん的存在であり、そして1番の仲良しです。

1週間のスケジュールとしては、勉強が中心ですが、夜は毎日のように皆で大学のグラウンドでサッカーをします。現在は3月下旬に大学内で行われるサッカーの大会に向けて、本気で優勝を狙うためにみんなで真剣に練習し、ジムでも筋力トレーニングを行っています。また2日に1回くらいは、近くの語学学校に通う中南米系の人たちと練習試合もしています。彼らは裸足なのに何とも華麗なプレーを演出してくれます。自分は真ん中のポジションなので、試合中はみんなを指示しなければなりませんが、試合中のサッカーのコミュニケーションはなぜか非常に難しく、初めはどう表現すれば良いのか全く分かりませんでした。しかしほかの人の言っていることをまねして自分も言っていくうちに、ある程度のことは言えるようになり、今では「もっとああしろ、こうしろ」だの色々な指示も出来るようになりました。非常に楽しく気合を入れて毎日練習出来ているので、ぜひとも優勝したいと思います。

ほかにもスポーツ観戦などにしばしば出掛けます。私自身今ではすっかり、野球はヒューストンアストロズ、バスケットはヒューストンロケッツ、そしてアメリカンフットボールはヒューストンテキサンズのファンになりました。寮のロビーにあるテレビでも、試合がある度に皆で集まってピザを食べながらヒューストンのチームを応援するというのが定番です。ほかにも、私が毎週楽しみにしていることとしては、仲が良い友人らと行きつけのメキシコ料理店でタコスを食べることです。このタコスが安くて本当に絶品です。

秋学期の授業

秋学期では、国際関係とビジネス系の分野に触れたいと考えていたので、①国際学の入門的な科目であるIntroduction to International Studies②マーケティングの入門編であるPrinciples of Marketing③世界の地域について学ぶWorld Regional Studies④異文化の問題に焦点を合わせたIntercultural Issuesの四つの教科を履修しました。

この中で私が最も興味を持ったのは、マーケティングの授業でした。この授業は、教授の方が非常に気さくで、毎回私たちを笑わせてくれました。その教授は、秋学期が始まる少し前の夏に初めて日本に行ったらしく、その時に日本が大好きになり、何かの例を出す時も頻繁に日本の例を使ってくれ、毎回自分に日本の質問を振ってくれました。そのおかげでたくさん発言する機会があり、人前で発言する大いなる自信がつきました。

学期の終わり際に、「ギター会社ギブソンの有名商品であるレスポールが用いているマーケティング戦略について分析せよ」という課題について、それぞれのグループで論文にまとめそしてビジネスプレゼンテーションをするというものがありました。何回もグループで話し合いをしながらプロジェクトを進めていきました。私はギターについて全く知識がなく、何をどう調べたら良いのか分からず初めはチームの迷惑になるのではないかと不安に思うことがありました。しかしそんな不安に思っている暇があれば何か行動しようと思い、その商品について詳しい友人を見付け、ギターやその商品のことについて長時間かつ複数回にわたり教えてもらい、何とか色々な情報を集めることが出来ました。

そのおかげで、情報をチームでシェアすることが出来、それが結果的に論文とプレゼンテーションに大変役に立ちました。そして最終的には、クラス4チーム中、論文もプレゼンテーションも最高点を得ることが出来ました。最初はチームの迷惑にならないようにしようとだけ思っていましたが、自分も努力すればチームに貢献出来るし、周りの学生と同じように肩を並べて一つのプロジェクトの成功に貢献出来たということが非常にうれしかったです。

前期を終わってみて、ビジネス系の科目についてもっと広く学びたいということに加え、少しずつアメリカ人の前でも自信を持ってプレゼンテーションが出来るようになってきたので、後期はたくさんのビジネスプレゼンテーションが要求されるようなビジネス系のクラスを履修し、そのスキルを更に鍛えていきたいと思います。また、世界の地域について基礎的なことを学んだので、後期は世界の資源やエネルギーについて焦点を合わせた授業も履修したいと思います。

クリスマス休暇に感動の再会

一1カ月間のクリスマス休暇は、2週間をヒューストンでのホームステイ、そして残りの2週間をボストンで過ごしました。

このホームステイとは、Christmas International Houseというプログラムで、全米の教会団体が提供している事業です。登録料として1万円程度払うだけで、2週間で掛かる滞在費用や観光費用は受け入れ先の教会やホストファミリーの方々が負担してくださいます。

私は、ヒューストンのプログラムに参加しました。毎日のようにヒューストンの名スポットに連れていってもらい、ヒューストンの代名詞ともいえるNASAにも行きました。またホストファミリーには、自分の大好物であるタコスやシーフードのレストランに何回も連れていってもらいました。この2週間、本当にたくさんの人にお世話になり、素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。このプログラムに携わっていらっしゃる皆様方のボランティア精神には、感謝感激という言葉に尽きます。これから長期留学を考えていて、冬休みの居場所を探している方にはぜひともお勧めなプログラムです。先着順でどんどん各プログラムが満員になっていくようなので、早めの申し込みが極めて重要です。

その後は親友のいるボストンで二週間お世話になりました。実に10年ぶりの再会でした。彼とは小学校のころに同じサッカーチームで毎日のようにサッカーをしていた仲でした。彼は小学校を卒業すると同時にアメリカに行ってしまい、最初の1年間くらいはメールのやりとりをしていましたが、それからは連絡を取ることがなくなり、自分も何度か携帯電話を買い替えたりしたせいで、彼のメールアドレスが分からない状態になっていました。母にどうしても彼と連絡が取りたいからと言って、当時のサッカーチーム経由で誰か連絡先を知っている人がいないか聞いてもらいましたが、誰も知らないという状況でした。

せっかく自分がアメリカに来ているのだから、ぜひとも会いたいと思いましたが、そもそも連絡先が分からないということや、両親が中国の方なので、もしかすると中国の方に引っ越しているかも知れないなど、当初は無謀な願望かなと思って半分あきらめていました。しかし、私が八年くらい前に使っていた携帯電話がまだ自分の部屋にあることを家族が発見してくれ、最後の望みとして、それを急きょ私の寮の方に送ってもらいました。すると、幸運にも彼が10年前に使っていたパソコンのメールアドレスが残っており、最後の望みをかけてメールを送ってみたところ、何と奇跡的に連絡が取れたのです。彼もまさか私からメールが来るなんて思ってもいなかったらしく、お互いにとってのビッグサプライズでした。

そのような過程を経て彼との再会を果たしましたが、彼は10年間、日本語を全く話していないらしく、今ではアメリカ人なまりの片言の日本語になっていました。話すことに関してはかなり苦労していましたが、聞くことに関しては、私が言うことの大半は理解出来ていました。

彼にはボストンだけではなく、マサチューセッツ州の周りの州など色々な所を案内してもらいました。スノーボードにも2回行きました。彼との会話は、日本語と英語が交ざったような感じでしたが、ヒューストンで日本語を話せる相手は日本食レストランにいる従業員しかいないので、この2週間は非常に気が楽でした。それほど毎日英語漬けの毎日を送っているのだなとこの時実感しました。来年は彼が日本に来てくれるらしく、久しぶりの日本を今から楽しみにしているそうです。

留学生活後半に向けて

留学生活も早いもので半分が過ぎてしまいました。アメリカ人の輪に1人で入っていき、何が面白いのか分からないのに皆が笑っているから自分もとりあえず笑っていた最初の1カ月間に比べ、今では自分が話の中心にいて、常にその場を盛り上げなければ気が済まないという、日本にいた時の自分自身の性格のまま皆と接していけるようになれたかなと思います。生活にもだんだん慣れてきて、後期はもう少し余裕が持てると思うので、出来る限り色々なことに挑戦し、さまざまな失敗や挫折も一歩一歩乗り越えていけたら良いと思います。「日本に帰ってまいりました!」と元気よく胸を張って言えるよう、一日一日を大事に残りの留学生活を満喫したいと思います。

草のみどり 245号掲載(2011年5月号)