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小田ゼミ 見学調査報告

調査日:2016年12月18日
授業科目:ベーシック演習(1年)、課題演習(2年)
参加学生数:1年生4人、2年生10人
調査先:神奈川県横須賀市(ペリー記念館、浦賀港、横須賀港)

調査の趣旨(目的)

本ゼミは「現代アメリカ研究」をテーマとしている。今回の見学調査の目的は、幕末のペリー来航から現在の米軍海軍施設にいたるまで、日本とアメリカとの関係の要である神奈川県横須賀市を訪れることで日米関係の歩みについて考察することである。

調査報告

1853年に黒船が浦賀沖に来航したことは周知の事実であるが、最初の上陸地が現在の横須賀市浦賀であると誤解している学生もまた多い。実際には久里浜が上陸地であり、当地が今回の見学調査の最初の目的地である。太平洋を望む公園には、1901年に樹立されたペリー上陸記念碑が建つ。この碑は太平洋戦争中に倒され、終戦後に再建されたもので、日米関係の変遷の象徴的碑と言えよう。私たちは記念碑の側に建つ歴史資料館ペリー記念館を訪れ、職員の方による解説を拝聴しながら地図・模型・史料に接し、久里浜・浦賀湾・浦賀水道が江戸湾・東京湾に占める地理的重要性を理解することができた。
続いての訪問地は久里浜から丘を挟んだ浦賀湾である。砂浜が広がる久里浜とは対照的に、浦賀湾は山に挟まれた狭いながらも水深のある湾である。実際に現地を歩くことで浦賀湾が大型船の停泊に適した地であることを体感し、黒船入港の地となった理由、また幕末の浦賀造船所から2003年に閉鎖された住友重機浦賀造船所(浦賀ドック)まで数々の造船所がこの地に設けられた歴史に対する学びを深めた。
さらに浦賀湾から横須賀港へと北上し、軍港としての横須賀港に接した。最初の見学地は日露戦争時の旗艦であり現在は記念施設として保存されている「三笠」である。同艦は1923年ワシントン海軍軍縮条約によって廃艦されて以来、横須賀港に保存されてきたものである。そして三笠公園に隣接する形で北西に広がるのが、幕末には横須賀造船所、後に帝国海軍の諸施設、戦後は米軍横須賀基地が置かれてきた泊町、楠ケ浦町地区である。当日は原子力空母ロナルド・レーガンが入港しており、初めて軍艦を間近に見る学生も多い中、明治維新以来、戦前・戦中・戦後と軍と隣り合わせに歩んできた横須賀の歩みと日米関係について改めて考察する契機となる調査となった。