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野﨑俊一ゼミ 国内実態調査報告書

教参加人員:学生13名と教員1名
調査日:2016年9月13日~15日

訪問先名称:アオーレ長岡
ながおか・若者・しごと機構
岩塚製菓株式会社
学校法人北陸学園
朝日酒造株式会社
株式会社北越銀行
長岡の歴史を知る(山本五十六記念館、河合継之助記念館、如是蔵博物館)

新潟県長岡市並びに越後湯沢を訪問する。この間長岡市並びに長岡版総合戦略として機関、3企業、1学校法人、4文化施設等を訪問並びに、それぞれの訪問先にてブリーフィングと質疑応答等の機会を得る。加えて、中央大学学員会新潟県中越支部のOB、OGと長岡活性化をはじめ、多くの示唆を学生は学ぶ機会を得た。 新潟県長岡市を訪問するにあたり、それぞれの視点から代表的な3記念館を分担して、五感で体感することを目的とした。以下、山本五十六記念館、河井継之助記念館、如是蔵博物館を訪問したまとめである。

山本五十六記念館

 儒学者の家系に生まれた五十六は中学から外国人の下で猛勉強し広い視野を持っていた。石油や航空に早くから注目し、特に航空の重要性を力説し、太平洋戦争開戦時その先見性を世界に実証した。大戦時に連合艦隊司令長官として指揮を執りブーゲンビル島で戦死。激動の世紀にしなやかかつ強い心で生きた山本五十六の人間性を21世紀に語り伝えるため山本五十六記念館が建てられた。

河合継之助記念館

 河合継之助は文政10年(1827)元旦、長岡藩の中堅藩士・河井代右衛門秋紀の長男として城下に生まれる。江戸に出て佐久間象山に学び、備中松山を訪ねて山田方谷に師事。長崎を見学して西洋の事情を知り、攘夷論に反対した。後に継之助は異例の昇進を遂げると、長岡藩の上席家老となり、藩政改革を断行。藩の財力を養い、雄藩も目を見張る近代武装を成し遂げていった。戊辰の戦いには中立を唱えたが受け入れられず、遂に抗戦を決意。軍事総督となった継之助は、巧みな戦術で敵を惑わせ、一旦は敵の手に落ちた長岡城を、奇襲で奪還。雪深い越後の国の小藩・長岡藩の名に、新政府軍も恐れ慄いた。しかし、次第にふくれあがる敵の兵力には太刀打ちできず、再度の落城で長岡軍は会津へと向かう。傷を負った継之助も、再起をかけて会津をめざすが、途中、塩沢村(現在の福島県只見町)で悲運の最期を遂げた。

如是蔵博物館

如是蔵とは仏教で知恵の蔵という意味を持つ。この博物館には野本恭八郎をはじめとする長岡出身の偉人たちの遺品や資料が数多く展示されている。昭和9年野本恭八郎は「我人独尊皆互尊」の思想を広げようと自身の全財産を投じて、日本互尊社を設立した。如是蔵博物館は彼を記念して昭和11年に敷地内に建てられたものである。独尊互尊とはすべてのものは皆天から授かった尊い本性を持ちそれぞれに尊く自分の尊さを自覚するとともに、他人を尊び敬うことが大切であるという考え方である。彼はこの思想をもとに図書館設立および維持費用や学校設立費などの寄付、様々な請願書の提出を行った。 野本恭八郎の思想に影響を受けた人物の内の一人が山本五十六である。如是蔵博物館には彼の資料も多数展示されている。彼はアメリカとの大きな国力の差を理解していたため誰よりも戦争に反対しており、多くの人が隠していたその考えを堂々と表明していた。

1. アオーレ長岡

(1) 概況
 アオーレ長岡は老朽化した長岡市厚生会館にかわり、市民と行政、市民と市民、行政と経済界をつなぐ協働・交流の拠点として、また長岡の「顔」としての期待を受け誕生。
そして、協働・交流の拠点、長岡の顔、ハレの場、合併の象徴、まちなか溶け込む市役所という5つの理念を持ち、28万人の市民のよりどころであり、「長岡モデル」のまちづくりを支えている。アオーレ長岡は、全国初のまちなか型市役所を実現している。平成16年に発生した新潟県中越大震災での被災の経験、3度の市町村合併を受け本庁組織を7カ所に分散など、長岡市の旧本庁舎は様々な課題を抱えており、移転の必要性があった。そこで、これまでの市役所の本庁機能を、まちなかの数カ所に集約配置し、多くの市民が集まりやすく利用しやすい市役所を目指している。アオーレ長岡を核とした「ひとの和が広がる」新しい市役所、まちなかに溶け込む市役所が誕生しました。現在、旧本庁舎は、耐震補強工事を施し、教室と健康の拠点「さいわいプラザ」として利用されている。
(文責 杜 俊浩)

2.ながおか・若者・しごと機構

 ながおか・若者・しごと機構は、人口減少に対応するために、まちづくりの方向性を示す「長岡版総合戦略―長岡リベジュネーション(長岡若返り戦略)」を推し進めるために設立された機構である。この機構の特徴としては、市内の教育機関や金融機関、行政が参画している点、若者中心の組織運営、参画機関による全面的な若者支援が挙げられる。また同機構は、自らの役割として、「若者のアイデアを実現」、「若者同士の交流創出」、「若者が生き生きと働く場づくり」を掲げている。
 3つの役割を果たすために、「若者と企業の情報収集・発信事業」、「若者提案プロジェクト支援事業」、「若者の出会い・居場所づくり支援事業」、「長岡で学ぶ魅力づくり事業」、「長岡で働く魅力づくり事業」という5つの活動をしている。訪問の際に訪れた「プリン長岡」という施設は、市内の学生が制作した作品を展示するなど、同機構の拠点となっている。
(文責 渡辺 浩基)

3. 岩塚製菓株式会社(文責 鈴木 愛奈)

(1) 概況
 今回の訪問では、岩塚製菓の沿革や社会貢献活動の他、安心安全の強化をするべく品質保証体制の拡大に力を入れていること、2011年の東日本大震災の復興支援で学生と共同で新商品を作り上げたことなどを聞かせていただいた。その後、米菓の製造工程を見学した。
(文責 金澤 侑奈)

4.学校法人北陸学園

(1) 概況
 北陸学園は、福祉保育、栄養士などの食育に特化した専門学校である。北陸学園は、国、地域が輝いていくために必要なものとして「こども達の育ち」「女性の活躍」「地域が元気であること」が重要であると考え、「企業が支える新しい育児のカタチ」として、もはや地方だけの問題ではなくなっている待機児童問題を解決するため、小規模保育所「マンマのお部屋」を設立。待機児童の約89パーセントを占める0歳から2歳までの子どもを対象とした保育を行っている。経営理念は、「全ては、子育てママとこども達の笑顔のために」であり、働く女性や子供がアレルギーを持つ母親のサポートをすることを主なミッションとしている。「マンマのお部屋」では育児と仕事の両立を目指す母親の味方として「家庭的な心配り」を意識した保育を実践し、デリカフェも併設されている。

5.朝日酒造株式会社

創業するまで、お酒の作り方、朝日酒造の地域への取組などがまとまっているビデオを見たあと、質疑に営業推進部広報課の本間さんが応答してくださった。その後に実際に酒蔵を見学。写真は見学の際に着用した帽子、マスク、白衣です。酒蔵見学の後には創業者の母屋松籟閣を見学した。

6. 北越銀行

長岡は明治から平成にかけて戦火により二度焼け野原になり、地震による被災も経験している。北陸銀行は明治11年に日本で69番目に設立され、初代頭取は関矢孫左衛門であった。長岡の復興にあたり石油業が発展し、関連業として鉄工業が発展した。長岡は鉄工業のまちとなり、昭和27年当時六十九銀行という名だった北越銀行は長岡銀行と合併し、5年後に現行名に改称した。
不死鳥のように復活する長岡とともに、北越銀行は成長してきたという。銀行間の商品差別化が小さくなっている。こうした環境下、自分たちの特徴を出すためには地元の人とのつながり、信頼関係が大切であるという。北越銀行はセブン銀行ATMを利用する場合、手数料無料で24時間取引が可能である。これは新潟を出た地元の人もいままでとかわらず口座を使い続けるためのひとつの要因になるのではないだろうか。他にも現在の取り組みとしてアプリで口座開設、花火玉を担保物件として査定するなり独自の経営資料を導入している。
(文責 鈴木 愛奈)