法学部

【活動レポート】床次 千春 (法律学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(10) 国際金融でインターンシップ 上海・シンガポールを舞台に

教授からの1通のメールが、私を上海・シンガポールで過ごした7日間へと連れ戻した。そのメールは、去年国際金融インターンシップの授業の一環として訪れた上海・シンガポールでの体験リポート執筆の依頼だった。その依頼を受けて私の思いはまず、一昨年の12月にさかのぼった。そもそも、私が今回のインターンシップに参加することとなった切っ掛けは何だっただろう。

国際金融インターンへの道のり

まず、国際インターンシップという言葉の響きそのものが私にとって魅力的だったことにある。やはり高校生時代の3年間、多くの時間を語学の勉強に費やしたこと、さまざまな国から集まった教師や多くの帰国生たちに囲まれている生活が当たり前だったことなどが、私に海外への期待を与えたのだろう。
もちろんこれまでに何度かホームステイや観光旅行の形で海外を訪れたことはある。しかしインターンシップというのは個人の楽しみではなく学習を目的とした海外渡航であり、未知の分野である。苦労することも多いかも知れないが、自分の成長につながることを期待し、思い切って応募することにした。そして選んだのが「国際金融証券市場と法」インターンシップである。
国際インターンシップには外交関係と金融と2つの種類があったのだが、後者を選択したのは、高校時代から語学や国際関係の授業を得意としていた私が国際金融市場というもの、それ以前に株式や債券といった金融商品に全くの素人だったからだ。
新たな分野の学問に挑戦することによって自らを鍛錬し、将来の可能性を広げると共に、今後ますます活発になっていくであろう分野の知識を身につけることで、大学で専門的に学んでいる法律への理解も深まるのではないかと考えたのである。こうして書類審査と面接試験を無事通過し、インターンシップの1年が始まった。

海外インターンシップに備えて

このコースは、前期に金融に関する基礎理論を学び、夏休みを利用して国内と海外でインターンシップを行い、そこでの体験を基にリポートを作成するというものだった。
前期の講義を行ってくださったのは、大和総研に勤務する雁金利男兼任講師を始め大和証券で実際に働いておられる方々だったため、毎週の講義は何ともいえぬ緊張感の中で進められた。今から思うと少し緊張し過ぎだったような気もするのだが、慣れない用語に戸惑い、講義を理解するのに精いっぱいで予習や復習が徐々に追い付かなくなっていく状況に人1倍焦りを感じていたのかも知れない。
ほかの授業の勉強とインターンシップの予習復習でかなり大変な時期を過ごしたが、何より授業内容がほとんど身についていないと思われることがとても情けなかった。国際金融市場の仕組みは想像していたよりもはるかに難しく、前期の授業を受けている際に早くも国内・海外インターンシップそしてその後のリポート作成に対する不安が募っていった。
それでも、知らないことだらけの授業というのは新鮮で、自分の知識がどんどん増えていくのだと言い聞かせて、最後までやりきろうと決心していた。
夏休みに入って復習の時間が多く取れるようになり、同じことを何度も何度も繰り返し勉強したおかげで、国内インターンシップが始まるころには以前よりもだいぶ力がついてきたと感じることが出来た。
国内インターンシップでは大和証券の店頭見学のほか、証券取引所、ジャスダック、日本証券業協会を訪ね講義を受けると共に質疑応答の時間が与えられた。大和証券では特別にディーリングルームとトレーディングルームに案内していただき、非常に貴重な体験をすることが出来た。後半2日間では東証1部上場企業である東芝の青梅工場と、昨年六月にジャスダック店頭市場に上場したばかりだったフレンテを訪問した。
そして9月5日から約1週間、ついに上海・シンガポールでの海外インターンシップを行う時がやってきた。

上海・シンガポールで達成感

上海・シンガポールでのインターンシップでは、上海で証券取引所、証券店頭市場、宝山鋼鉄、上海広電を見学、シンガポールで大和証券SMBCシンガポールリミテッド訪問、シンガポール取引所(SGX)のデリバティブ市場見学、シンガポール金融管理局(MAS)でのエコノミスト会議への出席、主に造船業や石油採掘機などの開発に携わるKeppel FELSの見学、そして最後にハイテク企業の作業現場の見学をした。海外インターンシップにおいてはそれぞれの国の法律事務所を訪問する機会も与えられた。
前期の授業が終了した時点で自分の理解の遅さに気が付いていた私は、応募前に抱いていた大きな目標を必死で追い掛けるのではなく、インターンシップに参加するにあたって自分なりの小さな目標を幾つか立てることにした。例えば毎日最低1度は質問をすること、それぞれの研修先で受ける講義の中で自分が最も興味を持った話題について毎日ノートにまとめの記録を取ることなどである。
結果的にこれは非常に良かったと思う。短期間で達成可能な目標を立てることによって達成感を味わいつつ努力し続けることが出来たからである。
自分が立てた目標に従って記録ノートを作成していくと、自分が何に1番興味を抱いたか、何について更に知識を深めたいと思うのかがおのずと明らかになってくる。
最も興味を引かれた講義は、大和証券SMBCシンガポールリミテッドの寺島社長が扱ってくださった講義である。自社の株価や自身の報酬にとらわれ過ぎることの落とし穴をベアリングズ銀行倒産の事例を使って話してくださった。大きな成果が大きな報酬を生むという理念に基づく米国型の経営システムの問題点を指摘したものだったのだが、それは利益追求に走りがちな印象のあった金融の世界を倫理の面からとらえる機会となった。

現地の法律事務所で

法学部で法律を学ぶ者として、学生の強い希望と先生の御好意によって実現した法律事務所訪問は今回の研修で特に印象に残っている。
上海では小耘律師事務所を訪問し、日本の弁護士資格を持つ法律顧問の方から主に上海に進出する日本企業の問題点と米国企業との経営方針の違いについて熱のこもった講義を受けることが出来た。日本企業の1番の問題点は真のコミュニケーション不足であり、そのために実際に会社を動かす現地の従業員の気持ちを酌み取ることが出来ず、従業員を生かすというよりもむしろどのようにして解雇するかという方面に関心が集まってしまうということだった。
従業員の信頼を勝ち取ること、労働問題が起きた際の解決方法、中国語を早めに会得することなど、さまざまな分野で日本は後れを取っており欧米企業との差はますます広がるばかりである。
日本とさまざまな人種の人々が生活している欧米とでは問題に対処する際の柔軟性が異なるのは当然のことである。しかし日本企業がこれからも世界規模で事業を拡大させていくのであれば、決して仕方がないでは済まされない問題であるし、今一度謙虚になって取り組むべき問題であると思う。非常に興味深いレクチャーだった。
シンガポールで訪問したRaja&Tann法律事務所ではシンガポールの弁護士資格を持つ日本人弁護士と現地の弁護士、そして日本の公認会計士の方々から話を聞くことが出来た。この事務所には180人の弁護士が所属しており、10以上のプラクティスグループに分かれそれぞれが更に細分化されているという、専門性を特徴とする事務所だった。
日本企業に関連する事案を扱うにあたって会計分野は特に難解であり、日本の税法をよく知らないうえに間違えた時の影響が大きいため、日本の公認会計士に援助を依頼しているとのことだった。公認会計士が企業の決算やディスクロージャー、税務、アドバーサリー業務において果たす役割は予想以上に大きく、1つの企業の運営にさまざまな人々の働きが必要不可欠であることを改めて実感した。

思いもよらぬ弱点発見!

どこへ行くにも通訳の方と共に行動することが出来た上海とは異なり、シンガポールでは講義も質疑応答もすべて通訳なしの英語で行われた。英語にはある程度の自信を持っていたはずの私だったが、何ということだろう……話し手の英語が未知の言葉でもあるかのように過ぎ去っていくのだ。これは予想だにしなかったアクシデントだった。
よくよく思い返せば、英語漬けの日々を送っていた高校時代は既に1年半も前のことであり、大学に入ってからというもの英語の勉強時間がめっきり少なくなっていたのだから当然のことではあったのだ。
実際に、すべて英語で書かれた資料を参考にしながら聞き取れない英語のレクチャーを受けていっぺんに目が覚めたような気がした。英語学習の再開を胸に誓ったのはいうまでもない。幸い高校時代に身につけた文法などの基礎知識は頭から抜けていない。TOEFLでもTOEICでも何か現実的な目標を定めて勉強し直そうと思った。そして将来海外で、また日本での活動に生かしていきたいと思う。

自由時間のお楽しみ

初めて訪れる上海とシンガポールは都市全体の雰囲気がとても刺激的だった。もちろん今回の訪問の主体は勉強であるが、毎日の研修後の時間を利用して2つの都市の魅力を十分に味わうことが出来た。特にシンガポールでは最終土曜日が1日自由時間とされたこともあって、苦楽を共にしてきた仲間たちと楽しい一時を過ごすことが出来た。
言葉も通じず現地の習慣もほとんど分からない上海では、旅行会社が用意してくださった企画にお世話になった。

1日目の夜に上海雑技団のショーを見にいくことが出来たのはとても幸運だった。テレビで何度か見たことはあったものの、人間業とは思えないような信じられない雑技が次々と披露されるのを目の当たりにして、文字通り口をあんぐり開けて見入ってしまった。終了後一目散に出演者の所へ走っていき写真撮影をお願いしたのはいうまでもない。こんな時のために簡単な中国語でも覚えておくのだったと少し後悔した。
シンガポールでは、緑豊かな自然の中でのんびりとした気分を味わうことも出来た。赤道直下のシンガポールは年中夏である。日本が冬真っ盛りの1月現在も最高気温は優に30℃を超えている。南国らしくやしの木が風に揺れているのを見ると、自然と心も軽やかになってくる。
そして貿易国らしく、人工的に作られたリゾートアイランドがある。セントーサ島と呼ばれるその島は、幾つかのビーチに加えホテルや映画館、スパまでが備わっており、思い思いに楽しめる場所となっている。予習復習に忙しく海に行くことの出来なかったその夏の無念を存分に晴らすことが出来た。
シンガポールでの生活を送るうえで現地の友人たちの存在はとても大きなものであり、彼らなしではここまで楽しい思い出は出来なかったと確信出来るほどその親切には心から感謝している。正確にいうと、同じくインターンシップに参加していた仲間の学生がサークルの活動によって得たシンガポールの友人と現地で待ち合わせていたのをその輪に加えてもらったのであるが、初めて会う私にも気さくに接してくれてとてもうれしかった。
自分たちだけでは決して行くことはないようなお店(具体的には70円ほどで食べられる杏仁豆腐の店。しかも初体験の温かい杏仁豆腐)や観光スポットに色々と案内してもらい、1日と2晩で1週間分の観光が出来たと思えるほどだった。
シンガポールは中国系の人種が大半を占めており、そのため新しく出来た友人たちも皆同じような顔立ちをしているのだが、その性格や考え方はやはり異なっており、いい意味でのカルチャーショックを受けつつ会話を楽しむことが出来、忘れ難い一時となった。

終わりに

授業に付いていこうと必死だった日々を思い返すと、よくここまでやってくることが出来たなと自分のことながら感心してしまう。やめたくなったことが何度もあったが、結果的には参加して良かったと満足している。それは海外で貴重な体験をたくさんすることが出来たことのほかに、自分が努力したことに対して少なからず自信が生まれたからだと思う。
今回の体験を通して広い視野を持つことの重要性を再認識した。大学生活も2年が過ぎようとしているが、これからも専門分野の学習はもちろんのこと、自分の視野を広げることの出来るさまざまな機会を積極的に活用していきたいと思う。この体験を支えてくださった教授・講師陣の方々、そして国内や海外でお世話になった方々へ心から感謝しています。ありがとうございました。

草のみどり 184号掲載(2005年3月号)