法学部

【活動レポート】浅井 泰 (国際企業関係法学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(55) フランス短期留学で語学研修 仏独間の歴史認識調査も実施

はじめに

法学部の「やる気応援奨学金」の制度を利用して2009年2月2日から3月24日にかけて、フランスのストラスブールにて語学研修を行った。今回の短期留学を思い立ったきっかけは昨年夏に経験したスイスのジュネーブの国際労働機関(ILO)におけるインターンシップにさかのぼる。ジュネーブでのインターンシップは私にとって初めての海外経験で何もかもが新鮮であった。当時現地で使用した言語は主に英語であったが、買い物などでフランス語を使う機会があり、伝わらず悔しい思いをしたことも多々あったが、この時の悔しさと少しでも伝わった時の喜びが、私を今回の短期留学へと導いたと言える。
今回の短期留学の目的はフランス語能力を向上させることはもちろんであったが、そのほかにも2つの活動テーマを掲げて、現地で積極的に取り組んだ。すなわち、「フランス・ドイツ間の歴史認識調査」と「欧州統合の現状考察」である。私の専攻は国際政治学であるが、中でも現在世界中で進行している地域統合には注目している。最も有名なのが欧州連合

(EU)であるが、アジアでも「東アジア共同体」構想が今日では議論されており、EUはその先例としてもしばしば比較対象とされる。したがって、その統合のプロセスや現代直面している課題などについて学ぶことはアジアにおける地域統合を考える上でも非常に意味があると考え、今回現地で勉強しようと思うに至った。また以前から私はアジアの統合の障壁となっている要素の1つに「歴史認識問題」があるというふうに考えていた。これが今回フランス・ドイツ間の歴史認識調査を行ったきっかけである。
以下では、語学研修、フランス・ドイツ間の歴史認識調査、欧州統合の現状考察、に分けて今回の活動を振り返る。

語学研修

今回の留学の第1の目的はフランス語能力の強化であった。
初めに大学でフランス語を履修した理由をここで簡単に言及しておこう。当時(大学入学時)将来の進路として国連職員のような国際公務員を志望しており、その前提条件としてフランス語が求められるということからであった。現在志望進路は「外交官」にシフトしたものの、将来は外交官としてフランスで働きたいという思いもあり今回の留学へと至っている。
語学研修先として選んだのはフランス東部ドイツ国境に位置するストラスブール。ストラスブールを留学先に選んだのは今回掲げたテーマに最も沿った都市であると考えたからであった。具体的な理由としては、①パリなどに比べ日本人は少なくフランス語のトレーニングには向いている②ドイツと国境を接するということもあり、ドイツ人学生が多く彼らにドイツ人としてどうフランスを見ているかを聞くことが出来、またドイツにも容易に足を運べ、調査しやすい③EU関係の機関がたくさんある――などがある。現地での滞在には語学学校から紹介してもらったホームステイを利用した。また具体的な学校として選んだのは同市内に位置するCIEL(Pole Formation CCI)であった。同校は市の商工会議所が運営しており、授業料も比較的安く、授業は最大八人程度の少人数制というのが選んだ決め手であった。クラスのレベルは上級、中級、初級、入門の4つに分かれており、私は中級クラスに属していた。授業は午前中のみで、午後からは語学学校主催のエクスカーションに参加したり市内散策、また語学学校の課題やほかの活動テーマに取り組んだりした。
研修の内容に関しては、休憩を挟んで前半、後半(各々90分)に分かれており、前半が主にテーマを設定したディスカッション、後半が文法学習という形であった。ディスカッションのテーマとしては「週末何をしたか」や「母国の紹介」といった比較的簡単なものから、「労働問題」や「福祉制度の各国比較」など高度なものにまで及んだ。後半の文法学習では、毎週異なったテーマで演習問題や作文をこなし、実際に会話で用いるなどして、文法のブラッシュアップに多方面から取り組んだ。また週によってはインターネットなどから情報を集めて、プレゼンテーションを行うこともあった。
本研修を通じての成果はまずは何と言ってもフランス語を聞き取る力を(まだまだ十分とまでは言えないが)習得出来たことである。2年間フランス語を日本で学習したものの、初めのうちはあまり聞きとれず正直言ってショックだった。しかし2週間ほどで少しずつではあるが、聞き取れるようになっていくのを実感出来たように思う。

第2に簡単な日常会話を話すことが出来るようになったことである。フランス語がスムーズに出てくるようになるまでには、1か月ほど掛かったように思うが、毎日の生活の中で積極的に使うことで少しずつ話せるようになる自分を実感出来た。この点に関しては滞在先にホームステイを選んだのが大いに役立ったと言える。なぜならファミリーとの生活を通し、その中で日常生活で必要なフランス語を習得出来たのも1つであるが、ファミリーは皆話好きで食後も毎日のようにテレビのニュースを見ながら、議論した。日本人としての意見を求められるのもしばしばで、自分の意見をフランス語で表現するのに格好の練習となった。最後に(ある意味これが1番の成果かも知れないが)フランス語を話すことに抵抗がなくなったことである。

今回の研修を通してまず感じたのは言語とはいかに「感覚的」であるか、ということである。これは私が現地での生活の中で自然にフランス語を身につけていった経験からも言えるし、語学学校のほかの生徒たちを見ていても同様に感じた。すなわち当初私のクラスにいた生徒たちは私と違って話すことに関しては苦労していないようであった。彼らはフランスに出稼ぎに来ているような人々で普段から生活を通してフランス語を使い、身につけていたからであろう。しかし彼らのほとんどは文法に関しては全くの素人のようであった。日本式の学習をしてきた私にとって初めはそれが不思議でならなかった。しかししばらくして文法が分からなくても会話は出来るのだと考えるようになった。すなわち言葉とはコミュニケーションの「ツール」であり、コミュニケーションあっての「言語」であると考えた。これは実生活の中で苦しみながらも必死に伝えようとしたことで次第にフランス語が身についた私の経験からも十分証明出来る。
更に言語とは比較して学べることも多いと感じた。これはフランス語と英語でもそうであるし、語学学校の友人から教えてもらったイタリア語やドイツ語をフランス語や英語と比較しても同じように思った。語学力の伸びに悩みを感じた時にこそ、違う言語にアプローチする視点も重要ではないかと感じた。
最後にやはりフランス語は「美しい」ということを再認識した。発音しかり、明せきな文章しかり。出来るだけ生きたフランス語に触れようと現地では、フランス国内で人気の音楽を聞いたり、映画館にも頻繁に足を運んだ。帰国した現在もフランス語に触れられる場が恋しくてたまらない。

仏独間の歴史認識調査

EUの起源である欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)は当時のフランス外相ロベール・シューマンがいわゆる「シューマン・プラン」を発表し、アルザス・ロレーヌの共同管理を提案したことに始まる。この地域は長年フランス・ドイツ間の領土争いの場となっていた。今回滞在したストラスブールはそのアルザス地方の中心地であり、歴史的にドイツに帰属したこともある。その当時の様子はフランスの文豪ドーデの『最後の授業』にも記される。「明日からフランス語が話せなくなる……」。そんな状況に自分が直面したとしたら、どうであろうか。したがって私はEUの中でも特に長期にわたって戦争をしてきたにもかかわらず、第2次世界大戦後は手を取り合い、欧州統合を進めてきたフランス・ドイツの歴史認識に焦点を当てた。
本調査の手段として私は現地の人々へのインタビューという形を採った。具体的に調査に協力してもらったのは、ホームステイ先のファミリーを始め、語学学校で知り合ったドイツ人の友人たち、旅先で知り合った人々などである。その際私が発した問いは至ってシンプルで、「あなたはドイツ(フランス)に対して、その歴史も考慮してどのように考えますか」という趣旨のものであった。
渡航前は正直言って本テーマに関しきちんとした成果を得られるか、非常に不安であった。しかし実際に話を聞いてみると、現地の人々は皆快く質問に答えてくれた。まずはフランス人のドイツに対する認識であるが、回答者の話から要素を抽出すると大体以下のようなものである。①今のドイツとナチス・ドイツは全くの別物②歴史認識をいつまでも持ち出しても話が進まない③確かにヒトラーもフランスを侵略したが、歴史をひもとけばナポレオンも同じようなことをしている――というものであった。
一方のドイツ人の対フランス観は、今では共に平和に向けて協力する最良のパートナーである、という意見が多かった。また自国については、ドイツは戦後全く新しい国に生まれ変わった、当時の戦争犯罪者を今のドイツは許さないし今も当時の戦争犯罪人をドイツは追い続けている、という意見が聞かれた。
これらの意見からいかなる結論が導き出されるであろうか。第1に両国とも歴史問題には完全にふたをしたということである。そしてこれを可能にしたのがフランス人の意見の③に表れているような「お互い様の意識」ではないだろうか。第2に現在のドイツをナチス・ドイツとは完全に切り離していることである。
今回の調査を通して私は同じ歴史問題とは言え、フランス・ドイツの先例を日中間、あるいは日韓間に直接適用することは非常に難しいと強く感じた。

欧州統合の現状考察

本テーマに関し私は3つのアプローチを採った。すなわち、フィールドワーク、現地で入手した文献による研究、ヨーロッパの学生とのディスカッション、である。以下、順に報告する。
フィールドワークとしてベルギーのブリュッセルに本部を置く欧州理事会、欧州委員会、ストラスブールの欧州議会、欧州人権裁判所、欧州評議会各本部、またドイツのフランクフルトの欧州中央銀行を訪問した。このうちストラスブールの欧州議会、欧州評議会各本部では職員の方に直接お話を伺うことが出来た。お話の内容は、①欧州統合の歴史②EUの理念③欧州憲法④これからのEUに求められるもの――など多岐にわたった。また欧州議会ではこちらの質問にも答えていただき、欧州連合のシステムについてより理解が深まった。機関職員の方々の欧州統合にかける熱意はフランス語の理解が十分ではなかった私にもひしひしと伝わってきた。欧州評議会の方は欧州の言葉を7つも操るという猛勉強家であったし、欧州議会の職員も政治家さながらの熱弁ぶりであった。こうした職員の熱意が続く限り、欧州は進化し続けるであろうと強く感じた。

現地では機関訪問の際入手した資料や、現地書店で買い求めた書籍を通じてEU、欧州統合についてさまざまな観点から考察した。資料は前者が主に英語・フランス語、後者はフランス語文献であった。これらの文献はいずれも情報量が多く、日本語で書かれた文献では入手出来ないような情報も多々あった。本作業を通して、フランス語文献をある程度読みこなす体力とEU、欧州統合に関する包括的な知識を手に入れることが出来たように思う。
語学学校の生徒たちのほとんどが「ヨーロッパ人」であったことも幸いし、彼らとはEUや欧州統合について頻繁に議論することが出来た。このディスカッションを通して得たものが最も多いように感じる。ディスカッションを通してフランス語力が鍛えられたのはもちろんのこと、彼ら「欧州人」のEU、欧州統合に対する認識を知ることが出来た。ディスカッションの中で得られた情報をまとめると、EU内の人々、特に若者の間では、確実に「欧州人」としてのアイデンティティーが形成されつつあること、欧州統合は経済に始まり、政治レベル、文化レベルにも及びつつあるが、EUのシステムは複雑過ぎて一般市民にはあまり理解されていないことなどである。
本活動全体を通しての感想であるが、こちらもフランス・ドイツ間の歴史認識調査と同様に、EUの先例をそのまままねたとしても「東アジア共同体」がうまくいくとは限らないと考えるに至った。まず何と言っても欧州はアジアと違い陸続きである。そのことはダイレクトに言葉や文化、宗教にも影響してくる。すなわち欧州では言語はゲルマン系、ロマンシュ系、スラブ系の3系統に大きく分けられ、いずれも似通っており、欧州には外国語の2つや3つを難なく話す人も珍しくないし、文化的・宗教的にもキリスト教をバックボーンとした均質性がある。これに対しアジアでは言語・文化・宗教とも似ているものを見付けるのが難しいほど多様である。このことが「東アジア共同体」構想を難しくしている可能性は高い。しかしだからと言って、欧州の経験から学ぶことがないわけではもちろんない。前述したとおり、欧州統合はフランス・ドイツ間で長年争いの種となっていた資源の宝庫「アルザス・ロレーヌ」地方を共同管理下に置くことから始まった。フランス・ドイツは、それまで争いの地であった同地域を逆に両国の「公共財」ととらえ直し、「分野別統合」を進めることで欧州統合の道を切り開いたのである。このような「公共財」はアジアにもたくさん見付かる。日中間あるいは日韓間でしばしば問題となる「領土問題」や「資源問題」もそうであろうし、「黄砂」を始めとする「環境問題」も同様の切り口となろう。こうした視点はアジアも大いに参考とすべきではないだろうか。

終わりに

以上今回の活動をテーマ別に紹介したが、終わりに今回の活動を今後どのように生かしていくかについて述べたいと思う。前述したとおり私は現在「外交官」を志している。外交官となったらフランス語を使って仕事をしたいと考えており、欧州統合に関する知識ももっと深めて、欧州と日本をつなぐ懸け橋となりたいと考えている。そのために今後もフラ

ンス語をさび付かせることなく、更にブラッシュアップするつもりである。外務省入省後もぜひ研修はフランス語で行いたい。その際優秀な大学にアプライするためにも今のうちから更にフランス語に磨きを掛けておきたいと思う。また欧州統合に関する研究を応用して、「東アジア共同体」実現に向けてより具体的で斬新なアイデアを将来的には提案したいと考えている。
最後になりましたが、今回奨学金という形で私の活動を応援してくださった方々、御指導してくださった先生方にこの場を借りて心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。

草のみどり 229号掲載(2009年9月号)