法学部

【活動レポート】金井 優明 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(11) 英オックスフォード留学記(上) 共生国家支える労使関係学ぶ

昨年9月から始まったOxford Brookes大学での私の留学生活は、法学部やる気応援奨学金・長期海外部門の適用を受けて実現された。まだ始まったばかりの奨学金ということもありプレッシャーも大きいけれど、気が抜けてしまいそうになった時勉強に引き戻してくれる良い刺激にもなっている。何よりも、やる気応援への応募を通じて将来に対する意識、価値観が一変し、ずっと目標にしていた留学を最高の形で実現出来たことをうれしく思う。

留学したい

「大学在学中に1年間の留学をする」というのが大学生活1番の目標だった。初めてイギリスを訪れたのは高校2年生の夏。高校の語学研修プログラムに参加した時のこと。それまでも英語は得意で好きだったけれど、英語という言語を通じて世界中の人々とコミュニケーション出来るということを実感し、その言語の根差した社会の中で生活したことで「外国語」に接する姿勢が大きく変わった。
「もっと知りたい、もっと伝えたい……」。あまりにも衝撃的で、あまりにも楽しい1ヶ月だったので高校卒業の春休みに、こつこつためた貯金で1人またイギリスへ飛んだほどだ。
大学進学を考えた時も「留学に1番適した学部」を考えた。そんな私が法学部を選択したのは語学のほかにもう1つの柱を立てたいと考えたからだ。私はハーフでもないし帰国子女でもない。英語は好きだけれどずば抜けて出来るわけでもない。語学に加えもう1つ出来るといえるものが欲しいと感じた。そんな時、生活の授業で婚姻適齢の民法改正案とクーリングオフについて学び、法律が日々の生活にとって近いものであると気付き学びたいと思うようになった。
大学入学と同時に留学に向けて行動を開始した。しかしなかなか情報が見付からず右往左往し、留学したいと相談したHesse先生には「今の点数ではどこにも行けないよ」と言われ、目標は始めから暗礁に乗り上げた。けれど、こうして一年生の時Listening & SpeakingのHigh ClassでHesse先生と出会ったことが、私の留学を更に価値あるものに変えてくれた。

留学はしたいけれど就職活動も気になる……、きっと大学生ならだれでも考えることだろう。私も留学のチャンスは2年生から3年生にかけての1年間だと考えていた。今の点数ではどこにも行けないし、語学だけの留学ではだれも認めてくれない。Hesse先生に言われたこの言葉は、今になってこそ理解出来るものになった。

イギリスでの勉強

大学1年生の春休み、やる気応援奨学金英語分野の適用を受け、再びイギリスへやってきた。この時の活動目標は1年間の留学に向けた下調べと、イギリス社会を現地の人と同じ目線で見、生活に根差した文化を知ることだった。チャリティーショップでショップスタッフのボランティアをしながらOxford City CouncilのArea MeetingやOxford大学の授業を聴講し、週末には大学見学をするという生活を送った。
チャリティーショップでのボランティアはまさにカルチャーショックそのものだった。イギリスのチャリティーショップは研究機関や募金団体が日本でいうリサイクルショップを経営し活動資金などを調達するというもの。OxfamのようなNGOから動物愛護団体まで色々な団体が経営を行っている。
私が働いていたのはCancer Research UKというがん研究団体のお店。毎日多くの人々によって、いらなくなった物をいっぱいに詰めたごみ袋が幾つも幾つも寄付されてくることに驚いた。
日本のリサイクルショップといえばリサイクル古着が頭に浮かぶが、いくら着られなくなった、着なくなった衣類であっても「買い取り」し、「売る」というのが一般的なように思う。消費者も店側も利益を目的としてリサイクル活動が行われているといえるだろう。
一方でチャリティーショップはだれかが不要になった物を必要としているほかのだれかに譲り渡し、お客は「買う」という行為で社会に貢献するという相互補完的な関係が成り立っているように感じ、不用品に対する価値観が大きく変わることになった。チャリティーという日本では触れることのなかった文化に触れ、共生社会への新しいアプローチを知ることが出来た。これらのチャリティーショップは、ほとんどがボランティアスタッフによって経営されている。
City Councilの会議でも感じたことだが、イギリスでは市民活動によって社会が支えられている部分が大きい。また、市民の政治に対する意識も高い。社会の著しい多民族化、多国籍化に伴い難民支援、庇護希望者の救済が追い付かない面でもまた、市民活動による難民、移民の生活支援や法律支援が行われている点は、日本が外国人の不法滞在を考える時にも学ぶことが多いだろう。

この1度目のやる気応援奨学金応募を通して、計画と目標そして自分の勉強の関係付け、理由付けの仕方を学んだ。また、この奨学金では将来のキャリアプランと現在の勉強、活動の意義がどのように結び付いているかが問われるため、何のために留学したいのか、留学の先の目標は何なのかを考える切っ掛けとなった。
大学1年では具体的な職業まで絞ることは難しかったが、大学の先を見据えながら計画を立てようとする姿勢はこの時から身についてきたと思う。外国でさまざまな活動を行っていく中で、多くの人々の協力やアドバイスをもらい、自分もまた日本にいる外国人のサポートが出来るような仕事をしたいと考えるようになった。そして「外国人の人権」が大学生活を通し、大きな興味の1つとなった。

イギリスでの大学生活

1年間の留学の大きな目的はイギリス労使関係を学び、日本の雇用と労働、特に外国人の雇用を考えることだ。イギリスは産業革命をいち早く経験し、労使関係“industrial relations”を形成してきた。植民地支配の歴史的背景とEU内の自由な労働力移動の影響を受け、異なる宗教、文化、国籍の人々が共生するこの国で学ぶことが必要であると感じるようになり留学の具体的な目標が定まった。
前期の履修科目は“Legal Method”“ Contract Law”“ Nationality, Immigration and Asylum”“Structure of International Governance”の4科目。
私の大学では主に、それぞれの科目が2時間の講義と1時間のセミナーで構成されている。日本のゼミが各科目に設置されているような感じで、講義のフォローアップと疑問解消のための時間である。更に理解を深めるための時間でもあるので、講義とは別にゼミのための課題図書が毎週5、6冊指定される。ゼミの準備をするだけでも始めは精いっぱいだった。
イギリスでは特に判例法を使用しているため、1つの講義で扱う判例の数がばかにならない。もちろん六法のような法典もないため適切な成文法を見付け出すのも一苦労である。日本で英米法や英米不法行為法などを履修し、備えてはいたのだがあまりにも法体系が違い過ぎていてやはり戸惑った。
Legal Methodを前期に履修したことで基本的な法の使い方、読み方を学び、判例法と成文法による法的処理をしっかりと身につけることが出来た。
Nationality, Immigration and Asylumではイギリスにおけるイミグレーションコントロールについて、法律による移民、難民受け入れの変化を学んだ。
EU統合強化を受け、イギリスでも国民国家としての国家アイデンティティーに対する疑問が高まっている。イギリスでは国内だけでもイングランドやウェールズ、スコットランド、北アイルランドと異なるアイデンティティーが共存しているのに加え、移民や難民の受け入れ、国籍取得も日本に比べてはるかに柔軟であり、「イギリス人」の定義は難しい。半期の授業を通して、日本はまだまだ「鎖国」が続いているということを感じさせられた。
Structure of International Governanceの授業でグローバルガバナンスとは何かを考えた時にも、EUの学生が多いこともあってEUという多国間地域統合の強みと弱点を議論する場面が多く、とても興味深い経験となった。

イギリスっぽい暮らしがしたいと思い、寮の希望を出す時には一番古そうな所を選んだ。私の家はれんが造りで小人の家のような建物である。私が住んでいるのはAブロック。もちろん建設する時にはアルファベット順であるから古い寮の中でも1番古い建物ということになる。1つのフロアを6人でシェアし、バス、トイレ、キッチン共有の暮らしが始まった。
日本でアカペラサークルに所属していることもあり、こちらではゴスペルサークルに参加している。週1回の練習が良い気分転換にもなる。クリスマスには大学のキャロルサービスでコンサートを行い、本場のクリスマスを満喫した。

大西洋を横断し就職活動

留学に向け1つ1つ目標を立て達成してきたように、留学が現実のものとなり、次の卒業後の進路を価値あるものにしたいと思い、また新しく活動が始まった。進学、公務、民間など思い付く限りで何度も自分の興味、勉強を見据えながら将来の選択肢を考え始めた。
これまで国際関係が最も大きな関心だったため、国際機関やNGO団体にも興味を持ち、将来の選択肢の1つでもあった。更に、2年生の春休みに参加した文部科学省でのインターンシップを通して、視野が企業へと広がった。
インターンシップでは、国際統括官付に配属となりユネスコ国内委員会の仕事に携わった。国際機関の媒体、また国内におけるオーガナイザーとしての政府機関の役割を学び、政府とその外郭団体やNPO法人との関係をじかに見ることが出来たことは、とても貴重な経験になった。しかし、政府組織の柔軟性、NGO、NPO団体の財源の不安定さに疑問を抱くようにもなり、国際関係における企業の役割へと視野が広がる切っ掛けともなった。
インターンシップ直後の4月、何と脳腫瘍が見付かった。あまりにも突然のことでぼうぜんとしたが、やっと実現に近付いた留学をあきらめられず、2つ返事で手術を承諾した。
「留学もして、4年間で卒業する」というのが大学生活1番の目標だったので、3年の前期に履修しなければならない科目は多かった。そのため手術から2週間で大学に復帰、その後の授業にはほぼすべて出席した。とりわけ専門科目が始まるのも3年生からなのでこの半期の授業なくして専門を磨くための留学は考えられないだろう。今考えてみるとこんなに頑張れたのも臆せず手術を受けることが出来たのも、「留学したい」という目標があったからこそだと思う。
インフォームドコンセントで死ぬかも知れない、輸血で感染するかも知れないなど悪い可能性ばかりを告げられ、怖くならないはずがなかった。退院後、町の喧騒や電車の揺れ、雨の前の気圧の変化、すべてが苦しくてつらかった。ただ髪の毛をそるという普通では出来ない体験は大いに楽しんだが。
こうして最後の大きなハードルも乗り越え、イギリスへの出発が近付いた9月、少しでも将来の選択肢の幅を広く保ちたいと考え某企業説明会に参加した。留学生、特に3年での長期留学生の就職事情は厳しい。ほかの学生が就職活動している時期に日本にいられない分、少し早くから活動を始めた。
イギリスの授業にも慣れ始めた10月には、週末を利用してボストンで開かれた日本企業の就職フォーラムに参加した。2005年度採用がメーンのフォーラムだったが、説明を聞きにいったほとんどの会社が興味を持って話を聞いてくれた。1社については会場での最終面接まで特別に進めさせてくれたほど。私のように2006年度採用の学生は話さえさせてもらえなかった人が多かったようなので満足の行く活動となった。
これもやはり、やる気応援で身につけてきた「目標と活動、自分の興味と能力を論理立ててアピールする」ということが出来たからだと思っている。やる気応援の準備の中では、いつも自分の興味と能力を見詰め直しながら目標に向けた計画を立てる、という就活でよくいわれる「自己分析」のような力が当然のものとして身についていたのだと思う。
日本に帰り就職活動をするとしても企業を選ぶことが出来るという自信がわき、よりリラックスして勉強に専念出来るようになった。

大西洋を横断していかなければならないこともあって最後まで行くかどうか悩んだが、迷って何もしないより動いて何かを得た方が私には向いているようだ。
フォーラムには100社近い企業が参加していてこれまで漠然としていた就職が具体的なものとして考えられるようになった。留学しているから就職活動は何も出来ない、しなくてもいいというのは留学生の甘えだと思う。日本に帰るまでこうして集めた情報と経験を振り返りながら、帰った時には自分の本当に進みたい進路を選べるようにしておきたい。
色々なことを経験し、学び、考えやっと実現したこの留学。しかし前期はすべてが初めてのことだらけで慣れたころには終わってしまった。後期も自分のペースで多くのことを学び経験していきたい。

草のみどり 185号掲載(2005年5月号)

「やる気応援奨学金」リポート(16) 英オックスフォード留学記(下) 人権と医療の新たな接点発見

前回(185号)の執筆から半年がたち、1年間という長いようで短い留学を終え帰国した私は予定通り日本での就職活動を行った。昨年のボストンでの企業研究を含め、さまざまな企業を訪問したことで働きたいと心から思える企業に出合えたことを幸せに感じている。
今回は、英国留学後期の様子、そして帰国後の就職活動について記すことで、今ある自分を再確認し、就職という進路にみいだした目標と希望を見失うことのないように残しておきたい。私の活動リポートが留学を志す中大生の皆さんの参考に少しでもなれば幸いである。

留学後期

後期の履修科目は環境法、契約法、差別禁止法、労使関係論の4科目。後期は評価方法が筆記試験の科目ばかりだったので不安は前期よりも大きかった。評価方法としては学期末試験による方法、エッセーやプレゼンテーションなどの授業課題による方法とその2つの組み合わせによるものの3通りがある。
日本にいる時は評価方法など気にしたことはなかったが授業への参加が全く加味されない筆記試験は、日本人だけでなくほかの国からの留学生にとっても不利なもので履修を避ける学生が多かった。イギリスでは留学生だからといって試験時間の延長や特別な評価基準を設けることはしない。だからこそ結果として表れた評価は誇れるものであるけれど。
ごみの分別さえないイギリスでの環境法の履修は興味深いものだった。前期は国内法を中心に学んできたのでEU法と照らしながら学べるという点に魅力を感じ履修した。世界的にも評価の高いヨーロッパの厳しい環境規制の中、イギリスの環境法はEUの基準になかなか追い付くことが出来ず毎年のように政策、法律が作り変えられている。そのため予習や資料集めにはかなり苦戦させられた。
後期の履修科目の中で最も興味深かったのが差別禁止法の授業である。「平等」という価値観の発祥の地でもあるヨーロッパではさまざまな差別が認識され、個々人の平等を促進しようとする意識が高い。性別や人種、宗教による差別だけでなく、国籍や性的志向、年齢による差別まで法律によって規制されてきているのだ。授業では特に雇用における差別の禁止について学び、法規の現状と存在意義について検討した。
授業を通し改めて感じさせられたのは、日本が合法に差別をしている国であるということである。特に就労という点で、特別な職業を除いて日本国籍を有する国民だけに権利が保障されている日本では国籍によって差別されその基本的人権が侵害されることも違法にならないことが多いのだ。
授業への参加姿勢が評価され、試験直前の法学部教授のための研究会に招待されたことは何よりもうれしかった。テーマは「日本におけるセクシャルハラスメントと法律」で、オーストラリア人のゲストスピーカーによるプレゼンテーションの後、短いディスカッションがあった。
学部長や授業で教わった教授陣が顔をそろえる中、参加した学生は私とイギリス人の大学院生の2人だった。英国法におけるハラスメントについても授業で学んだとはいえ意見を求められた時にはかなり緊張した。また、研究会が終わりゲストスピーカーの方と話をしたところ、中央大学を知っていただけでなく講演に訪れたこともあるということで大変驚いたことはいうまでもない。
1年間を通して最も向上したという実感があるのが英文の論文である。授業で提出する学術論文は構成が論理的であることはもちろん、論理に必ず根拠が求められる。文献や報告書などからの引用がなければ論文としての価値はないに等しいのだ。しかも1つや2つの引用ではなく自分の構築した論理すべてに出来るだけ根拠として事実を挙げることが求められる。また、参考文献も最低10冊はないと良い評価は期待出来ない。
実際に参考文献、引用で評価の半分近くを失った前期の論文に比べ、後期はすべての論文の評価がB+で返ってきたことで成長が目に見えて実感出来てうれしかった。日本人は下手だといわれがちなプレゼンテーションについては、前期からその評価は高かった。日本で1年生の時から授業で何度も練習してきた成果だろう。私が留学のために養ってきた英語の能力は、大学の授業と自分の努力で培ったものである。金銭的余裕がないので駅前留学など出来なかったというのもあるけれど。
週に五回の語学の授業に加え、LL講座の受講など大学をフル活用することでお金を掛けずに勉強することは可能なのだ。ネイティブの先生の授業を積極的に活用し、ちょっとした参考書を利用すれば、留学出来ないような低いレベルから英語で法律を学べるレベルまで成長することは出来る。英語の論文の書き方も大学で初めて習ったのだから。

進路を考える

半期に20科目近い授業を履修する日本に比べ、平均して4科目程度の履修であるイギリスでは自分の時間を持つことも多かった。もちろん履修科目が少ないから楽という意味ではない。むしろ少ない科目を専門的に研究するという点では授業時間以外の個人研究が求められる分、要求される知識と理解は断然多い。
空いた時間を利用して就職用ウェブサイトや企業のホームページを使い企業研究とエントリーを始めた。日本でも留学する学生が増加し、企業の採用方法も柔軟になっているとはいえ帰国して就職活動を一から始めるのは遅過ぎるだろう。ボストンのキャリアフォーラムを通じ学んだことはインターネットでも就職活動出来るということ。そうやって日本では今学生がどんなふうに活動しているかを垣間見ながら過ごしたことが帰国後すぐに活動を開始出来た理由だ。

文部科学省のインターンシップ後見えてきた就職という新しい目標。専門である法律とこれまでの経験を最大限に生かした仕事がしたいと考えるようになった。ボストンのキャリアフォーラムには100社以上の企業が集まりさまざまな業界の説明会に参加することが出来た。その中で何よりも興味を引かれたのは医療だった。
私が企業を選ぶ時に大切にしていたのは企業がその社会的責任をどのようにとらえ、どのように実践しているかということ、また自分が企業で働くことでどのように社会に貢献していけるかということである。
留学直前に見付かった脳腫瘍。偶然にも日本に20人しかいないという専門医の先生に出会うことが出来、最新の医療技術を駆使した環境で即座に手術を受けることが出来たからこそ実現したこの留学。健康であることの幸せをだれよりも切実に感じ、患者さんの気持ちをより近くで感じてきたからこそ、仕事を通じ医療に貢献していきたいと考えるようになった。

ヨーロッパを見る

今こうして留学後半戦を振り返ってみると、私らしい慌ただしいものだった。英国の生活に慣れることで精いっぱいだった前期に比べ時間に余裕も出来、興味はヨーロッパ全体へと自然に広がっていったのだ。ほとんどのフラットメートが実家に帰ってしまう長期休暇を利用して10カ国近い西ヨーロッパの国々に足を伸ばしてみた。EUの統合が進み、ヨーロッパ内の移動は格安で便利なのだ。

英語圏以外の国を訪れたことがなかった私は「英語は世界語」という認識が間違っていたことを肌で感じ、英語以外の外国語に興味を持つ良い切っ掛けにもなった。勢力均衡を背景に平和を維持していた時代を経験したヨーロッパだからこそ、平等である、ありたいという国々の意識が強いようにも思われた。
クリスマス、新年と行事が続いた冬休みにはスイスのジュネーブを訪れた。国際関係、人権に興味を持ち、学んできた私にとってさまざまな国際機関の本部が立ち並ぶジュネーブはあこがれの場所でもあった。またここで医療と人権の新たなつながりを発見することにもなった。
ジュネーブで見学したのは国連欧州本部と国際赤十字本部である。赤十字、と聞くと戦争や紛争を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。戦闘地域の最前線で命を救う、そんな姿が印象的であるがそれまで特別に興味を持ったことはなかった。手術を経験し、キャリアフォーラムで医療に興味を持ち、もっと医療のことを知りたいという気持ちが大きくなった。
私が訪れた時の特別展は「人道主義」。興味は確信へと変わった。見学を進めるうちに国際人権法の説明があり、戦争負傷兵の人権を訴えたジュネーブ条約が赤十字の原点であり、国際人権法の原点であることを知った。それまで興味の中心だった人権と医療との新たな接点を発見し、進むべき道が見えた。
復活祭の春休みにはパリのユネスコ本部へ足を運んだ。文部科学省でのインターンシップで一緒にお仕事をした方が4月から本部で働いていたため案内してもらうことが出来た。数少ない日本人国際公務員の1人だ。「開発とは何か」について学生時代に戻ったつもりで日々頭をひねっているという。実際に国際公務に就き、一線で活躍している方と色々な議論を交わすことが出来貴重な経験になった。

日本へ帰る

スペインで2カ月間のベビーシッターという依頼も魅力的だったけれど、次の目標である就職のため6月下旬に帰国した。帰国翌日に大学へ、2日後には留学生のためのキャリアフォーラムに参加した。
インターネットを通じた活動をしていたといってもピークを過ぎた採用活動は狭き門である。特に、「留学生」といっても海外の大学で学位を取得してきた学生と私のような1年間の留学とでは評価も大きく変わってしまう。いくら最終学年で履修するような専門科目を履修してきてもなかなか評価してはもらえないのだ。
自信のあった自己アピールも、余計なことを言わず企業の興味を引く話し方を身につけるまでには何回かの実践が必要だった。知らず知らずのうちに企業のプライドを傷つけてしまったこともしばしば。何よりも頭を悩ませたのが、手術の経験が不利に働いているということを面接を重ねるごとに感じるようになっていったことである。海外での1年間の1人暮らし。勉強に関しては日本とは比べ物にならない量が要求されるため徹夜で論文を書き上げたこともよくあった。良い成績も残し、さまざまな国を訪れてきた。健康であることは明らかで、今では手術前よりもタフになったくらいだ。しかし、それをすべての採用担当の方に伝えることは難しい。
友人にはうそをつけば良い、他人の話にすれば良いと言われ、相談に行ったキャリアセンターでもほかの志望理由が挙げられるならその方が良いのではないかということだった。けれど、これまでの色々な経験があったからこそ、今の自分があり、目標がある。ありのままの私の「やる気」を認めてくれる企業で働きたいというのが私の出した結論。そして来春、英国医療メーカーの日本支社で新たな1歩をスタートする。今から楽しみで仕方がない。
最近の企業評価の主な基準となっているのが財務実績と企業の社会的責任(CSR)の2つの側面である。企業が株主や従業員に対する責任を果たすために、財務実績が求められることはもちろん、企業統治(コーポレートガバナンス)、従業員、社会、環境などに対する企業の取り組みがCSRという新しい企業の評価として注目されている。
昨年のNewsweek誌(2004/06/02号)を見ても高い財務実績を持つ米国企業に対し、財務では振るわない欧州企業が優良企業として数多く評価されている。CSRランキングの上位を独占する欧州企業の中でもその半分近くを占めるのは英国企業なのだ。こだわり続けた志望理由と、企業選びの柱となったCSR、両面において満足の行く結果を得ることが出来た。
留学している間、日本に帰りたいと思ったことは1度もなかった。本当の家族のように接してくれる現地の家族があったからかも知れない。「もうすぐ帰らなきゃいけないの」と言う私に「どうせすぐ戻ってくるんでしょ」と答える。高校生のころはとても遠くに感じたイギリスだけれど、アタッシュケース片手に舞い戻ることも夢ではない。

今回の留学は、本当に多くの人々に支えられて実現した。「やる気応援奨学金」の運営に携わる三枝先生、法学部ネイティブトリオのBarfield先生、Hesse先生、Nix先生には、入学当初から相談に乗っていただき、手術の後も体調の悪い中無理をして大学に通う私を信じて、留学実現のためにさまざまなアドバイスをしていただいたことを本当に感謝している。
また、1、3年生で山田先生の労働法ゼミ、2年生で横田先生の国際機構入門ゼミを履修していたからこそ、的を絞った専門分野を磨くための留学が実現出来たのだと思う。
「やる気応援奨学金・長期海外部門」の受給という大きなチャンスを得、実り多い留学生活を終えた今、残りの学生生活を法学部リソースセンターなどを通じ海外での活動に挑戦しようとする学生のお手伝いをすることで大学へのフィードバックに変えていきたい。どんなささいな挑戦や質問でも気軽に法学部リソースセンターを訪ねてほしい。

草のみどり 190号掲載(2005年10月号)