法学部

【活動レポート】宮寺 修也 (法律学科2年)

「やる気応援奨学金」リポート(19) 英語と企画力鍛えた語学留学 異文化に触れる機会も大切に

「やる気応援奨学金」出願の動機

私は、高校生の時から英語が好きだった。英語は、1番好きな科目で、1番得意な科目だった。そんな私が大学に入ってネイティブスピーカー担当のクラスを中心に英語の授業を履修していったことは、自然な流れであったといえる。そして受験英語しか知らなかった私が、「英会話力」養成の必要性を痛感するまでに多くの時間を要さなかったこともまた、自明であったといえる。
文法の知識を詰め込み黙々と英文を読むだけでは決して身につかない、コミュニケーションのための英語の力を上げるにはどうしたら良いのか。私が思い付く限りでその目標達成に対し最も効率的だと思われる答えは、留学することだった。

スコットランド留学までの流れ

今回の短期留学の計画を立てる際に念頭に置いていたのが何か人とは一味違った語学留学をしたいということだった。その理由としては、第1に教師がネイティブ、生徒がノンネイティブという点では、英語圏の語学学校の授業といえど、大学で自分が受けているネイティブスピーカー担当の英語の授業と変わりはないと思っていたし、第2に春のTOEICのスコアが悪くはなかったこともあり自分の英語力に対して少なからぬ自信を抱いていたことが挙げられる。
しかしこの理由の両方で、渡英後、自分の見解が甘過ぎたことが明らかにされる結果となる。このことについては後ほど詳しく述べたい。
インターネットで情報を集めたり、語学学校へ資料を請求したり、先生方から話を伺ったりと、さまざまな過程を経たうえで、法律を英語で学んでみたら面白いのではないかという結論に達し、法律英語を扱うコース探しをしてみることに決めた。まだ2年生だが学生として一応法律を専門としている立場であるわけなので、母国語とは違う言語で法律を学んでみることで、後期以降の自分の学習態度に良い刺激を与えられるのではないかと期待していたからである。
語学学校として選択したのはスコットランドの首都エディンバラに位置するInstitute for Applied Language Studies(IALS)という所である。
選択した理由は、エディンバラ大学というイギリスでも指折りの権威ある大学の付属語学学校ということで信頼に足る教育機関であろうと判断したことと、法律英語を学べるコースがあり、かつそのコースが実際に法律家として働いている者対象のコースではなく、学部生もしくは最近学部を卒業した者を対象とするコースだったことにあった。
更に、コース選択の過程で偶然にも、1昨年に「やる気応援奨学金」を用いて同じ語学学校、そして同じコースで学んだ先輩に出会い、IALSという学校について直接色々とお話を伺うことが出来たことも大きかった。これは、「やる気応援奨学金」という何年も続いている教育システムがあってこその幸運だったと思う。

自分の実力不足を知る

実際にエディンバラで法律英語コースが始まってみると、自分の英語能力の低さがどんどんあらわになっていった。授業が始まる前に寮でフラットメートと会話を交わした時点で既にある程度感じてはいたのだが、自分の会話能力のなさと周りの会話能力の高さにショックを受けたのである。確かに、文法力という点だけではクラスの中に1人か2人自分より下の者がいたようだが、コミュニケーション能力、つまり聞く力と話す力では彼らの方が数段上回っていた。
かつクラスメートは院生や卒業を控えた学部生といった、明らかに自分よりはるかに多くの法律知識を有した人たち。英語能力だけが下回っているならともかく、更に授業で扱う知識の面でも完全に負けているようでは授業に付いていくことすらままならないと思い、というか事実ままならなかったので、担当の先生に相談することにした。
自分にとって今1番必要なことは英語を話すことに慣れることだ、そのためにはあのクラスは適当ではないのではないか、というようなことを相談し、初日の授業で先生も私と周りの学生のスピーキング能力の格差に関しては承知していたこともあり、コース2日目午後より法律英語のクラスから一般英語のクラスに移動することになった。
この選択が正しかったかどうかは、正直分からない。法律英語を勉強しにいきますと面接で語り奨学金をもらっておきながら軽々とリタイアする自分が情けなくてしようがなかったし、また同時にクラスを変えることが自分の英語力アップのためには最善の選択であるという思いもあった。ただ、帰国してきてこれを書いている今現在、自分の選択に後悔をしていないことだけは確かではある。

移動先のクラス

だが実際のところ、移された一般英語のクラスもレベル別に分けられた6つのクラスのうち1番上のクラスだったため、周りのクラスメートのレベルが自分より総じて高いという環境は依然変わらなかった。
クラスメートの平均年齢は高めで、27歳のスペイン人ジャーナリストや既に子持ちで医者志望のサウジアラビア人の男性、年は私と近くてもエディンバラ大学で9月から修士課程進学を控えている中国人など、ただの学部2年生の私にとってはそうそうたるメンバーたちだった。
このクラスの最初の授業に出てみて1番面食らってしまったのは、語学留学初体験の日本人の意見としてありきたりではあろうが、生徒が授業中に極めて積極的に発言をすることだった。
日本以外の学生にとってこれはごく普通のことだと以前から聞いていたし、先生にあてられてから発言をするような日本の慣習はこちらでは通用しないという認識もなくはなかったので、予想しえたシチュエーションではあったが、それはしゃべり過ぎだろうというくらいにべらべらとしゃべりまくるほかの学生を見ていると圧倒されざるを得なかった。
そしてやはり発言回数が多いのはアジア系ではなくヨーロッパ系の学生であること。クラスのイタリア人などは先生が止めなければ永久に話し続けるのではないかと思うくらい、流ちょうな英語でまくし立てていた。
クラスの生徒数が13人と少し多めであったこともあって、文法はある程度知っていてもとっさの英文組み立て能力に劣る私が授業中発言回数を確保することは正直難しかった。このクラスも、文法力という面だけで見れば私より下の学生も若干いたかも知れないが、コミュニケーション能力という面では私がクラス中1番下だった。
つまり、私が出国前抱いていた自分の英語力への自負は完全な勘違いだったし、日本におけるネイティブスピーカー担当の授業とも全くその内容を異にする授業がそこにはあった。私は英語が少しだけ読めて少々の文法を知っているだけで、それ以外は大して話せない、聞けない、コミュニケーションスキルにおいて極めて無力な日本人だった。
教師はネイティブでも、生徒が全員日本人から多国籍グループになっただけでクラスはがらりとその様相を変える。生徒を入れ替えただけで、教師が促さないと発言が出にくいクラスが、全く沈黙の「瞬間」すらない、つまり常に先生か生徒のどちらかが何かを発言している、極めてアクティブな授業にその姿を変える。
そんなアクティブなクラスの中で、自分の典型的な日本人なまりの英語と、頭の中では分かっている文法が口頭で表そうとするとあまりにうまく表現出来ないことに少し嫌になってしまうことも時々あったが、分からない単語・表現、聞き取れなかった個所、自分が理解していたものと若干食い違っていた内容などは、出来るだけ質問するようにはしていた。

 

当たり前のことだが、周りの留学生も初めから英語を流ちょうに話せたわけではないようだった。やはりそれ相応のプロセスを経て彼らの今の英語があるようだった。フラットメートのイラン人はアメリカ人のプライベート講師を週に2回家に呼んで英語の勉強をしていたというし、寮で友達になった中国人も英会話習得のために少人数制のプライベートスクールに通いその期間に自分の英語は飛躍的に伸びたと語っていた。
とにかく、英語の「スピーキング」に慣れていない自分にとっては下手な英語でもとにかく発言しないよりはましだという意識は何とか持続させるようにし、日々の生活に臨んでいた。

大学寮での生活

また私はコース期間中寮で生活していたため、フラットメートとの会話もまた貴重な英会話練習の場、そして貴重な異文化交流の場となった。私のフラットメートたちの国籍はサウジアラビア、ポーランド、イタリア、イランと非常にインターナショナルな組み合わせで、彼らとは年も近かったため一緒に夕食を食べながら色々な話をしたり、パブに行ったり映画に行ったりと色々な行動を共にし、楽しい時間が過ごせた。
フラットメートたちとはさまざまなトピックについて話をしたが、1番印象に残っているのはアメリカという国に対するそれぞれの感情だった。
サウジアラビアとイランは同じイスラム教であるがスンナ派とシーア派で宗派が異なること、宗派によって強硬派と穏健派で態度が異なることを私は恥ずかしながらほとんど知らず、テレビなどで間接的にしか知らなかった中東事情について生の情報を得られたことに、私は海外で勉強することの1つのだいご味を見付けられたような気がしていた。
「僕らもそれが正しくないことは知っている。でも、ほかにやり方がないんだ」。サウジから来ていたとても明るいフラットメートが、パブからの帰り道でアメリカに対するイスラムの戦い方について言った言葉がひどく生々しかったことを今でも鮮明に覚えている。
アメリカという国がヨーロッパや中東の国からどのように見なされているのか。日本のメディアを通して、ある意味「加工された」情報からは決して知ることの出来ない、リアルな世界のほんの一面が垣間見えた瞬間だったように思う。

ゼロからのスタートの法廷傍聴

今回の短期留学の当初の目的が、法律を英語で学ぶことによって後期以降の自分の英語の学習はもちろん法律の学習にも良い影響を与えたい、というものだったため、コースを変えたにせよその目的の趣旨に沿うことであれば出来るだけのことはしようと思っていた。もちろん、当初の目的を達成したいという動機と共に、コース変更に対する後ろめたさが若干あったことは否めないのだが……。
とにかく、こちらにいる間に法廷傍聴は実現させ、日本以外での大学の法学部学生事情を簡単に調べようと思った。日本の法廷との違いを感じ、海外における法社会なるものを雰囲気だけでも体感出来ることは大きいと思っていたし、どのようなシステムの中で海外の法学部生は学んでいるのかを知ることは狭い日本で学んでいる1学生である私にとって視野を少しでも広げるチャンスであると同時に、勉学の動機付けのための良い刺激になると考えたからである。
法廷傍聴に関しては、とりあえずどこに裁判所があるかを調べるところからのスタートだった。まず語学学校のスタッフの方に伺ってみて刑事裁判を扱う裁判所を見付けることが出来たが、後に同じIALSでエディンバラ大学の法学修士のコースを取るための準備コースを取っている学生と友達になれたため、その友達から聞いて刑事裁判だけを扱う裁判所とは別のより広い範囲の訴訟を扱う裁判所の存在も知ることが出来た。
更に語学学校で法学を教える先生の助力も得たりして、それなりの過程を経て何とか法廷傍聴を実現することが出来た。
とりあえず裁判所に足を踏み入れ傍聴出来る裁判が幾つかあることを知ったところまでは良かったが、こちらの裁判所に関し何の知識も持たない自分が1人でそうすんなりと適当な裁判を傍聴するところまでもっていけるはずがなかった。しかし何とか親切な職員の方の協力を得ることが出来、詐欺訴訟の裁判を傍聴するところまで行き着くことが出来た。

まず裁判官と検事がかつらをかぶって裁判を行っているところに英国らしさを感じ感銘を受けたが、英語がほとんど聞き取れなかったため裁判の流れには率直にいって全く付いていけず、情けないかな被告を追い詰める検事のパフォーマンスぶりだけが印象的だった。
アメリカの映画でよく見るような、法廷内を所狭しと歩き回って熱弁を振るい、時に語気を荒げ被告を追い詰めるように早口でしゃべる検事。恐らく日本では見ることの難しいであろう、エンターテインメント性すらうっすら感じたといっても過言ではない裁判だった。形式的になりがちであるという批判も1部にはある、日本での裁判との違いが若干見えた経験であったかも知れない。

日中とイギリスの教育の違い

先ほど述べた、秋からエディンバラ大学で法学修士号獲得のための勉強をする中国人の友達と、自分のクラス担当の先生に頼んで紹介してもらった法律を教える別の先生とに、ごく簡単なインタビューに協力してもらい、日本の大学における法律教育と海外のそれとの違いを自分なりに探ってみた。入試制度や必修科目など細かいところを見ればもちろん色々な違いはあったが、リポートやテストで成績を判断するなど当たり前のようだが共通する部分も多かった。
私が興味深いと思った点は、ディスカッションやディベート教育における日本・中国とイギリスとの違いだった。
イギリスではそのたぐいのスキルは小学生の段階から学び始めるので、彼らにとって大学はディスカッションなどを学ぶ場ではない。しかし、たいがいの日本の学生にとってそれらのスキルは大学に入って初めて本格的に学べるたぐいのものではないかと私は思うし、中国もまたあまり対話スキルに関してはイギリスほど重視していないようだった。我々は、代わりに暗記作業に時間と労力を費やす。
それは、日中とイギリスの教育の根本的な違いであるように私には思われた。どちらが正しいかは決めかねる問題なのかも知れないが、私は日本が見習うべき1つの欧米教育の特徴であるという気がしてならなかった。また、イギリスの学部の中では、法学部と医学部が入学するのに最も困難な学部であるという話を聞いた時には、法律を学ぶということがいかに社会上重要なことであるのかを改めて身に染みて感じた気がした。

学んだこと、そして感謝の言葉

私が今回の経験で学んだことは数え切れないくらい多く、そして掛け替えのないものである。これは、「やる気応援奨学金」という教育システムが持つ特徴に起因しているように思う。
「やる気応援奨学金・短期海外部門」は、単に学生を海外へ送り出し外国語を勉強させて終わり、という単純なものではない。
まず、語学留学を実行するかなり前の時期から、インターネットなどを用いて情報を出来るだけ集め、自分の通いたい語学学校を選択し、滞在先を確定し、入学許可書を手に入れる段階までこぎつけなければならない(「やる気応援奨学金・短期海外部門」で語学留学を希望する場合、である)。ここまでの過程で結構な量の英文を読む必要と、英文でのメール交換をする必要がある。人によってはこの段階で1番英語力が伸びるという人もいるくらいである。

そして、この期間に自分の力だけで奨学金受給に値すると見なされるような学修活動プランを練って完成させなければいけないわけで、語学力はおろか企画力のようなものも鍛えられたと思う。
現地に飛び立った後は後で、頼れるのは自分の身1つである。ここに、集団で行く海外研修との決定的な違いがある。1人で異文化に飛び込みそこに溶け込む努力をする。そこから学べるものは多い。
準備段階から帰国した後の報告会、そして報告書作成も含めたら、本当に数カ月単位の活動になる。私は出国前はおろか報告書作成の際も多少先生方から御指導いただいたので、期間にして半年以上の教育を授かった、ということになる。
何か「やる気応援奨学金」の宣伝の感を呈してきてしまったが(笑)、これらが決して誇張でないことは、御理解いただきたいと思う。
事実、「やる気応援奨学金」の報告会における同期のメンバーの活動報告は、皆彼らの留学の充実感と彼らの人間性の豊かさがあふれるものだった。これが何より、「やる気応援奨学金」がどういうものであるかを明確に示していると思う。そして、既に書いた私自身の法廷傍聴やインタビューも、今回の経験で培った、自分でプランニングし実行するという基本的な姿勢がなかったのなら決して実現出来なかった事柄に違いない。
私は本当に多くの方々から御協力いただいて、今回の短期留学を実現出来た。両親は元より、小室先生、ニックス先生、三枝先生を始めとする先生方、法学部の先輩である熊倉さん、そのほか数え切れないくらいたくさんの方々に感謝の念を表しつつ、この報告の結びとさせていただきたい。

草のみどり 193号掲載(2006年2月号)