法学部

【活動レポート】西尾 隆弘 (国際企業関係法学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(13) トロントでビジネス英語習う ラッキーだったホームステイ

飛行機でハプニング

今回の法学部「やる気応援奨学金」による活動、最初のハプニングはトロントに着く前に起きた。航空機代は出来るだけ安く抑えるために直行便ではなく、1度アメリカ、ニューアークを経由する便に決めていた。安いチケットのため座席は当日空港に着いた順に選ぶようになっていた。ニューアークでの乗り換え時間は30分しかないため、絶対に乗り遅れるようなことがないように出口に近い座席を選んだ。
ところがいざ飛行機に乗り込むととても大きなミスを犯してしまった。自分の席に座ると、隣に座っていた外国人がいきなり話し掛けてきた。その人は夫婦でニューアークに帰るところなのだが席が離れ離れになってしまったので、もし良ければ替わってくれないかというのだ。突然外国人に話し掛けられて舞い上がってしまいにやにやしながらあっさり譲ってしまった。自分がなぜその席を選んだのかを完全に忘れてしまったのだ。
事の重大さに気付いたのは着陸した瞬間。出来るだけ急いで準備をし、立ち上がったがもうそのころには出遅れてしまっていた。税関には長蛇の列が出来ていて自分が抜けることが出来たのは乗り換えの便の出発10分前だった。泣きそうになりながら荷物を見付け、再度預けてからゲートを目指して必死で走った。
しかし、ゲートに着くと何か様子がおかしい。後2分で離陸時間だというのに待合室には大勢の人が余裕たっぷりに座っていた。聞けばまだ飛行機がスタンバイの位置についていないため待っているのだと言う。せっかく全力で走ったのにもかかわらず、結局その後2時間も待たされることになった。
ゆっくり乗れるのであれば安心するはずなのだが、こうなると新たな心配事が浮上した。トロントの空港に迎えに来てもらうように頼んでいたからだ。予定到着時間から1時間30分たっても生徒が現れない場合は迎えに来た人は帰るということを言われていたのだ。
心配しながらトロントの空港に着くとちゃんと私の名前を書いたプラカードを持った大きな鼻のやさしそうな男性と奇麗な女性が待っていてくれた。聞いてみると彼らの家は空港からとても近いためインターネットで到着時間が遅れたことを調べた後に、目で飛行機が着陸するのを確認してから空港に向かったというのだ。迷惑を掛け過ぎなかったことにほっとした。これが私のカナダでの活動の始まりだった。

充実した内容の語学学校

私は、カナダのトロントにある語学学校コネクトで1ヶ月英語を学習してきた。今回奨学金を頂いてカナダに行くにあたって1番の目的としていたのがビジネス英語の授業を受けること。将来、英語を使って仕事をしたいと考えているため、このクラスを選んだ。
ところが、日本をたつ前にビジネスクラスを受講するということを学校側に伝えていたにもかかわらず、登校初日1つのクラスを構成するのに人数が十分でないためビジネスクラスをやることは出来ないと言われてしまった。しかし、納得など出来るはずもなく、この授業を取るためにカナダに来たことや奨学金をもらってきたことなどを説明し特別にすべての授業が終わった後に無償で1対1のビジネスクラスの授業を30分間だけ受けさせてくれることになった。
1ヶ月間の授業の時間割りは1時間目がトフルクラス、2時間目がコミュニケーションクラス、3時間目がグラマークラスそして最後に30分間だけのマンツーマンのビジネスクラスがあった。
1時間目のトフルクラスで特に力をつけることが出来たと実感しているのは実際のテストの中でも重要な部分を占めるエッセイの書き方。今まで大学の授業の中でエッセイの基本的な組み立て方を習っていたが、私は1つのものを書き上げるのに長い時間を掛けるため30分で仕上げる練習はとても役立った。
授業の中では1つのエッセイを書き上げ、更に宿題として毎日エッセイを1つ書いてくるというのがあったため、少しきつかったが初めて書いた時のスコアは6点満点中4点しか取れなかったのが最後にはほとんど6点満点を取ることが出来るようになっていた。
2時間目のコミュニケーションクラスは毎日、内容が異なっていた。歌を聴いて歌詞を書き取ったり、事件のリポーターとなってニュースをすべてアドリブで伝えたりと取り組みやすい内容で構成されていた。コミュニケーションクラスということでクラスメートたちと話す機会が多かったため、この授業が切っ掛けで仲良くなることが出来たと思う。
3時間目のグラマークラスはビジネスクラスがないと言われたために急きょ選んだクラス。つまり、初めは受ける予定はなかったクラスだったのだが受けてみると自分が出来ていると思っているほど出来ていないことが分かり、この授業も楽しんで受けていた。

私は文法の勉強には反対していて、以前授業の中で英語の勉強の仕方として文法をやり過ぎることは間違いだと書いたことがある。ただ単に退屈だからではない。あまり文法に偏った勉強をし過ぎるといざ英語を使う時に頭の中でどうしても日本語で考えてしまうからである。だが英語で文法を学んでしまえばそんなこともない。文法の仕組みを初めて英語で習ってみて英語の面白さを再び知り更に英語が好きになった。
4時間目のビジネスクラスもまたとても楽しめた。新たな企業を考え出し、どのような戦略を立てればアメリカ、カナダで大手の企業ウォルマートを抜くことが出来るだろうかというようなことをやった。これはプレゼンも行い、授業が終わったほかのクラスメートたち(私以外は全員3時間目までで授業終了)に見られながら顔を真っ赤にしてプレゼンをした。

出会いに恵まれたホームステイ

今回の活動はホームステイ先のおばあちゃんを抜きには語れないだろう。1ヶ月、英語を話し続けていたいと思ったので、住む場所は迷わずホームステイを選んだ。ホストファミリーというくらいなのだから当然、家族の中で暮らすことになるだろうと思っていた。ところが私のホストファミリーは83歳のおばあちゃん1人だったのだ。がっかりしただろうと思うかも知れないが、とんでもない。本当にラッキーだった。
おばあちゃんの名前はオドナ・ブレイン。83歳といっても元気はあり過ぎるくらいだ。芸術家でありながら、音楽家でもあるオドナは少し変わっているが私のことを大変気に入ってくれ、色々な所へ連れていってくれた。
着いたその日にいきなり近所の家で開かれていたパーティーに連れていかれ、知らない人たちと一緒にバーベキューをすることから私のオドナとの1ヶ月は始まった。これからどうなるのだろうかと心配になったが、オドナは本当に良い人で常に私のことを気に掛けてくれた。
2日目には博物館に連れていってくれた。色々な種類の動物のはく製が置いてある部屋でオドナはそれぞれの動物の解説をしてくれるのだが、書いてある説明を見てみるとまるで違っている。こんなことをまじめにやってしまうから面白い。
1度こんなこともあった。学校でダンスパーティーが開かれた時のことだ。このパーティーにはジャケットを着ていかなければいけなかったのだが、あいにくそのような服は持っていってなかった。
どうしようかと悩んでいたところ、オドナはクローゼットの中から自分のジャケットを探し出してきてくれた。オドナは私よりも1回り体が大きいため、私が着るとジャケットはまるで浴衣のようになったのだがオドナは満足げによく似合っているといって褒めてくれた。しかしさすがに浴衣を着ていくわけにはいかないので断ると、近所中を歩き回って私に合うジャケットを探しにいってくれたのだ。
ところで、このオドナ宅には色々な人が常に出入りしていた。これはベッド&ブレークファーストを営んでいたためだ。ほかにもオドナにチェロを習いにくる生徒たちや仲の良い近所の住民などがよく来ていた。知らない人が来るたびにオドナは私を紹介してくれ、将来は弁護士になるのだと勝手に決め付けては自慢をしていた(恐らく最初に、日本では法律を学んでいると言ってしまったからだろう)。

オドナがベッド&ブレークファーストを営んでいたため、学校の外でも私は色々な人たちと知り合いになることが出来た。メキシコ人の会計士カーロスやケベックからテニスの大会のために来ていたジールとミシェルなどみんな良い人ばかりが来た。テニスの大会で来ていたジールとミシェルとは特に仲良くなり日曜日にはオドナと2人で応援にも行った。近所に住む男前のジョンとはしょっちゅう3人で食事に行った。
語学学校での勉強は非常に大きなものだった。しかし、同じくらいオドナとの生活も勉強になった。色々手伝いもした。ベッド&ブレークファーストを経営しているためいつも家は奇麗にしておかなければいけない。そのため掃除や洗濯を手伝った。庭の芝刈りもした。それまで芝刈りなどしたことがなかったためうまく刈ることが出来ず、どう見ても所々長さが違うのに、オドナは満足そうにそれを見て「上手だねえ。タカは何でも出来ちゃうね」と言って褒めてくれた。
オドナがチェロを生徒に教えている時や何か別のことをしていて忙しい時に電話が掛かってくれば毎回私が出ることになっていた。そんな時、隣の部屋でオドナが電話を掛けてきた相手がだれかを知ろうとして静かに聞き耳を立てていることにいつも笑いそうになった。スーパーにお使いにも行った。新しいお客さんが泊まりにやってくれば、まず荷物を部屋まで運ぶのを手伝い、駅への行き方を教えてあげたりもした。いい関係を築くことが出来ていたと思う。
日本に帰る1週間前くらいになるとオドナは何度も「お前がいなくなるととても寂しくなるよ」と言うようになった。そのように思われていることを私はとてもうれしく思った。 
ところがトロントをたつ当日、タクシーで空港まで行き(オドナは手が震えてしまうため運転は出来ない)、荷物を預けいよいよお別れだという時になると、1度ハグをしてくれただけで「元気でね」といってさっさといなくなってしまった。何だかあまりにあっさりしたお別れに驚いたが最後まで変わっていてオドナらしいと思い、少し笑ってしまった。

お別れ会の帰りには迷子に

語学学校最後の日、活動中最大のハプニングが起きた。日本に帰る私のためにクラスメートがお別れ会を開いてくれた。飲み屋で集まることになったのだが、途中から酔っ払ったギリシャの姉妹やブラジルの女の子がテーブルを移動し踊り始めてしまった。
こんな経験は今までにあるはずもなく、もともとシャイな私はダンスなどアルコールの力を借りないことには絶対に無理だと思い、とにかくビールを飲み続けた。しかしそうすると今度は酔っ払い過ぎて、とても踊っていられる状況ではなくなってしまった。とはいえ、たくさん騒ぎ、楽しむことが出来た。
しかし、夜も遅くなってくると家に帰れるのかどうか心配になってきた。自分のためにパーティーを開いてくれている手前、なかなか抜け出すと言い出せず、解散して駅に向かうころには1時近くになっていた。みんなで走るとどうにか最終電車にぎりぎり間に合った。急いでお別れを済ませると、電車に乗り込み座席に座り、一安心。しかし泥酔していた私はうっかり眠ってしまい、目が覚めた時には終点だった。
仕方がないので町を歩いている酔っ払いの何人かに道を尋ねることにしたのだが、それぞれ言うことが違っていてさっぱり当てにならない。結局、24時間走っているブルートレインというのを見付け、家までたどり着くことが出来たが、家に着いたのは3時過ぎだった。

寝室がある2階に上がると、オドナがちょうど自分の部屋から出てきて、ハンドバッグを持って私を探しにいくところだった。突然抱き締められて訳も分からずにどうしたのか聞くと心配して寝ずに待っていたのだという。悪いことをしたなと思い、何度も謝った。しかし、心配してくれていたことに感激しながらも、広いトロントの中でオドナはいったいどこを探そうと思っていたのかなあと一瞬だけ思った。

今回の活動についての感想

成田に向かう時、実は緊張で腹痛を起こした。1ヶ月も家族以外と暮らすことなど初めてだったし、学校でちゃんとやっていけるかどうかも不安だった。しかし1ヶ月後、日本に帰る時には帰りたくないと思っていた。それほど本当に楽しい1ヶ月だった。毎日無駄にすることなく1日1日を本当に有意義に使うことが出来たと思っている。
初めの授業でビジネスクラスがないと言われた時、これから1ヶ月通う学校で関係を悪くしたくないと思い、本当はあきらめようかとも思った。きっと日本にいる時の私であれば、そうしていたのだと思う。しかしやはりそれでは駄目だと思い交渉した結果、4種類の授業を受けることが出来た。このことを少しだけ誇りに思っている。自分を少し変えることが出来た瞬間だと思うからだ。
これまでの20年間、夏休みといえばただ、だらだらするだけの毎日だった。やることといえばアルバイトや部活。本当に自分がしたいことを去年の夏に初めて出来たと思っている。去年の夏、カナダに行ったことは一生忘れないだろう。
私は将来、海外で企業活動を展開している会社に就職し、英語を使って仕事をしたいと考えている。唯一自分が自信を持っていることであるし、英語を話している時が1番自分を出せているように思うからである。とはいえいまだ具体的に何をやりたいのかははっきりしていない。ただいつか就職をした時に英語圏で生活をしてもやっていけるという自信を今回得ることが出来た。この自信を胸に何をやりたいのかをこれから見付けたいと思う。

草のみどり 187号掲載(2005年7月号)