法学部

【活動レポート】多田 晃 (2001年入学・国際企業関係法学科)

活動データ

・英語圏の国へ行き、語学の勉強と異文化コミュニケーションに励む

・2003年8月16日~9月17日 アメリカ・ボストン

・2003年度前期選考(英語分野)

活動概要

2003年8月16日

17時50分アメリカン航空にて経由地のシカゴに出発。
 私の語学留学は計画を綿密に立てたにも関わらず、最初からその計画は崩れだしました。本来ニューヨーク経由になるはずが、北米大停電でケネディ国際空港が使えないということで、出発当日の朝にシカゴ経由に変更せざる負えなくなってしまいました。しかし、その時は動揺もなく、出発の時も特にトラブルもなく、出発することができました。
 機内では、アメリカン航空だったため、既にアメリカに来たような雰囲気があり、アメリカ人の客室乗務員の方が私たちのお世話をしてくれましたが、正直何を言っているのか聞き取れず、それに対して単語を並べるくらいしか話すこともできず、早速打ちのめされてしまいました。また、自分の席の隣は空席だったのですが、その隣の席のアジア系の女性は、自分の席ではないにも関わらず、2席分使って横になってそこで寝ていました。日本人ならばこんなことはしないだろうと思いました。英語が通じないというだけでなく、日本の常識も通じないということを機内で実感し、衝撃とこれからの不安を感じずにはいられませんでした。

 およそ11時間後に到着したシカゴは日本の今年の夏の気候とはまったく異なり、摂氏30度(華氏85度くらい)の暑さでした。日差しは日本とは比べ物にならないくらい強く眩しい程でした。またシカゴのオヘア空港はとにかく大きいという印象を得ました。空港内をモノレールが動いているくらいで、アメリカのスケールの大きさ?を感じました。
 ここで、また自分の計画が壊れだしました。というのはシカゴに着いたのはいいのですが、シカゴの空港内での学生の入国審査が、予想以上に厳しく、しかも学生ビザ取得者はデータ入力のようなものが必要な為か、別の待合所に通され、そこで1時間半近く待たされてしまいました。待っている中で台湾の学生と話す機会がありましたが、その人は3時間近く待たされているということで、自分だけじゃないということで、怒っても仕方のないことと割り切りました。しかし待った結果、当初予約していたシカゴ-ボストンの飛行機に間に合わせることができず、そこで私は航空会社のカウンターに行き、「乗り遅れたので、別の便を用意してくれ」といった内容を拙い英語で伝え(ここではとても緊張しました)、代替の飛行機を予約してもらいました。慣れていない英語でしたが、相手に自分の意図を伝えることができ、少し自信になり、そしてほっとしました。しかし、それも束の間で、今度はチケットに書いてあったゲートが間違っていて、結局また飛行機を逃してしまいました。今回は「自分の責任じゃない」と言って、それが通じたのかはわかりませんが、また別の予約をすることができました。
 このような経緯で、ようやく飛行機に乗ることができました。しかし、そこでもこれからのアメリカでの生活を不安にさせるようなことがありました。ようやく乗ることのできた飛行機では、非常口の横に座りましたが、安全の理由から、そこに座る人には非常時には非常ドアを開き、他の客を誘導しなければならないという義務があったようです。そのため私は口答で安全装置の説明を受けたのですが、何を言っているか理解できず、また質問を受けましたがそれも何を言っているのかさえわからず、その結果、義務を履行できないと判断され、席を移動させられました。その時は、小学生で1+1がわからず、先生にずっと立っていろ!!と言われた時と同じ気分で、自分の英語力の無さに本当に落ち込んでしまい、とてつもなく不安になりました。

8月16日

0時30分(アメリカ時刻)ボストン・ローガン国際空港に到着。
 ボストンに着いたのはいいのですが、深夜に着いてしまいました。そのため、私はホテルに泊まるか、ホストファミリーに電話をするか悩みましたが、周りを見回した時、空港で泊まるという人はかなりいるようで、お金がもったいないし、深夜に電話をするのは忍びないと感じ、空港に一晩泊まることにしました。正直不安もありましたが、むやみに外にでるほうが危ないのでは?と思ったので、一応より安全だと思った空港で泊まることがベストだと思いました。
 そして朝になって、自分で地下鉄を調べて、ホームステイ先の最寄りの駅の「MOLDEN CENTER」へ向かい、そこから電話をかけ、迎えにきてもらいました。電話のかけ方は知らなかったため、近くにいた人から教わりました。
 ホストファミリーは父、母、18歳の娘と17歳の息子の4人家族でした。父(ビル)は大学で物理の教授をしていて、母(クラウディア)は高校の先生でした。そのため、自分が語学を学ぶために来たということを理解してくれて、親戚や友達などいろいろな人に会わせてくれて、また、いろいろな場所へ連れて行ってくれてとても親切にしてくれました。特にビルとは、夕飯の時にアメリカの食文化、戦争についてなどいろいろなことでディスカッションのようにして意見をぶつけあいました。私はわからない事、興味のある事は何でも質問するようにして、アメリカを学ぼうと心がけました。ビルはそれに応えてくれて、いろいろな事を教わりました。これはヒヤリングとスピーキングの練習になり、最初は英語に慣れていなかったため、いい勉強にもなりました。息子のヘンリーとは、年齢が近いためか、仲良くなり、スケートボードを教えてもらったり、湖で泳いだりと、普段しないような経験をさせてもらいました。

8月18日

語学勉強先であるボストンアカデミーオブイングリッシュでオリエンテーションとクラス分けテストを実施。
 オリエンテーション当日は、学校までの道のりについては、通りの名前だけ覚えただけだったので、案の定わからなくなり、地図の見方もよくわからず、ボストンのダウンタウンで道がわからなくなり、30分の遅刻をしてしまいました。その時何度も道をきいたのですが、みんな私の言っていることを理解できなかったのか、見当違いの場所に連れて行かれたりしてしまいました。後で考えれば結局は、自分の語学力がなかっただけのことでした。
 クラス分けテストでは、文法は最もハイレベルなクラスになり、コミュニケーションクラスでは2番目のレベルのクラスになりました。同じ時期に入学した生徒は合計8人で、その中にはフランス、ブラジル、ベトナムなど異文化圏の人がほとんどで、年齢層もばらばらでした。そのため私は緊張していましたが、他の生徒達からいろいろと話しかけられて私としてはすんなり異文化の輪に入っていくことができて、少し安心しました。本来ならば自分から積極的にコミュニケーションをとって行かなければいけないと思っていましたが、自分の英語力に自信がないのと、どうしてもしっかりした文を頭の中で構築しようとしてしまい、言葉にするのに時間がかかりあまり話すことが出来ませんでした。そうした訳で不本意ながら、最初は無口な人と思われていたかもしれません。

8月19日~9月12日

語学の勉強(文法とコミュニケーションを2時間ずつ、9時から11時までと、11時半から13時半まで)
 文法のクラスは1番レベルの高いクラスだったため、先生は新人扱いをせず、最初からネイティブイングリッシュを普段通りのスピードで話していて、2,3日は何を言っているのかほとんどわからず、少し憂鬱で、クラスを変えてもらおうかと思った程でした。しかし慣れてくるとちょっとずつ理解できるようになり、授業は楽しいものになっていきました。全てが英語で、ネイティブであるため、同じ現在完了でも日本とは異なったアプローチをしていて、理解を深めることができ、有意義だったと思います。コミュニケーションクラスでは主にディスカッションとヒヤリングが1時間ずつあって、ヒヤリングでは「シンプソンズ」などのアメリカのアニメや、映画を見てどれだけ内容が理解できたかどうかを、プレゼンテーションしたりしました。これらの授業を通じて私が心がけてきたことは、「とにかく喋る」ことでした。私も含めて日本人は失敗を恐れるあまり、発言が少ないというのが日本の授業でも顕著だと思います。しかし、実際勉強になるのは発言をして、わからないことをわからないということです。英語もこれと同じで、とりあえず喋り、間違えていたら直していくということが、身につけるための近道だと思います。

ディスカッションの授業では印象深いことがいくつかありました。例えば、9月11日当日は戦争、特にイラク進攻と各国の対応について議題になり、日本人、アメリカ人、フランス人がお互いの主張を述べあうということになり、お互いの立場、そして思いなどを伝えることができ、ほんの少しの間でも、相互理解というものを達成できたと思い、とても有意義に感じました。また、ディスカッションの中でフランス人のクラスメートが言った「日本人と中国人の区別はつかないし、日本と中国の違いもわからない」ということは、とても重く感じました。確かに顔つきも似ているし、同じ黄色人種だから無理もないと思いますが、やはり日本人のプライドというか、日本人からしてみればかなり異なっていることは明らかです。私はそこで歴史的背景、文化の違いなどを述べて反論しましたが、納得してくれたかは微妙なところでした。日本人が自分達をしっかり理解できないというのは、少し情けない気分になりました。これはこれから生きていく中で、私の宿題となりました。
 文法のクラスでは日本ではあまり重視されていないように思える熟語についての勉強を多くする機会がありました。私は今までは単語を知らないので、英単語の勉強をしてきましたが、会話で重要なのは意外にも熟語であるということでした。実際に現地の人との会話の中でも熟語は使われていて、熟語を知らないと会話を理解するのがうまくいかなかったというのが私の印象でした。

授業以外でも、この期間を利用してメジャーリーグの試合を見にいったり、高級なレストランでマナーを学んだり、映画を見に行ったりして、英語やコミュニケーションの勉強をするように心がけました。もちろん楽しかったです。個人的には9月11日のテロの追悼式典に参加して、現地の人々ともっと触れ合う機会があればよかったですが、授業の関係で行くことができませんでした。そこは残念なところでした。

9月16日

11時30分発でアメリカ出発
 この時はさすがに英語にも慣れて、慌てることなく自分の言いたいことを言うことが出来、会話がなんとか成り立つようになり、トラブルなく無事に帰ることができました。やはり慣れるということだけでも語学の成長にはつながると思いました。せっかく慣れてきたのにもう帰るのかと残念な気持ちになりました。

9月17日

14時50分日本到着

活動の成果

今回の語学留学の位置づけは、語学の勉強と異文化を体験して広い視野を得て、自分がどの程度やれるのか試すということでした。英語の勉強に関していえば、ヒヤリングの能力が格段に上がったといえると思います。最初は意味のわからなかった電車の車内アナウンスや、他人の話していることなども断片的ではあるけれど聞き取れるようになり、英語を聞くことに対する苦手意識がなくなったと思います。英語を聞き取ろうという意識が生まれて、自分から積極的に耳を傾けるようになったと思います。スピーキングに関しては、日常会話のボキャブラリーの増加、そして文法なんかよりも大事なことはとにかく片言でも何でもいいから喋るということが何よりも重要だということを学びました。最初は頭の中ではわかっていても、なかなか言葉に出していくというのは難しく、どうしても無口になってしまいましたが、ディスカッションを重ねていくうちに、みんなが喋っているからではなく、自分の思いを口に出さないと絶対に言いたいことは伝わらないだろうという危機感が自分の中で生まれ、自然と主張をしていくようになりました。このように英会話に関してはやっと会話をするためのスタートラインに立つことができたと思います。そしてその中でもこれからも重視して行きたいのは発音です。俗に言う日本語英語が90%は伝わりませんでした。自分なりにアメリカで生活している間にそのギャップを埋めようとすることで、なんとか会話をしていましたが、RとLの発音の重要性などを身を持って理解しました。今まで軽視してきた分だけ、更なる努力が必要だと感じました。 異文化交流に関しては、ホストファミリーとも外国人の友達とも仲良くすることができ、授業中でも自国に関するプレゼンテーションなどをして、お互いに理解するということに励むことができました。目に見える国際交流というのは、いつも外国の友達といたのでわかりませんが、お互いを理解することができ、友達関係を私が日本に帰ってからも続けていられるというのも1つの国際交流なのだと思います。

今回の活動についての感想

正直言って今回の留学には面食らうところが多かったと思います。というのは8年間英語を続けてきて、しかも特に英語はしっかり勉強してきたつもりでしたが、経由地のシカゴに着いた時点で、自分は甘かったとはっきり悟りました。アメリカの本場の英語というのは、やはり日本で勉強してきたからなんとかなるというレベルではありませんでした。航空会社の人が何と言っているのかわからず、質問をしても通じない、通じても何を言っているのかわからないという悪循環の中で、無口になっていく自分がすごくよくわかりました。そして、本当に身の程を知って、1からもう一度しっかり勉強しようという気持ちになりました。
 また、この留学を通じて思ったことは、日本人だけではないかもしれないですが、日本人は他国の人に比べて自己表現が下手で、意思表示が少ないということでした。例えば、女性の友達から聞いた話ですが、ディスカッションの授業で台湾の女の子に発言がなくて怒られたそうです。性についての議題で、恥ずかしかったのかどうかはわかりませんが、発言をしないでいると、「性の問題は生きていく中で重要なことで、気をつけなければいけない問題。なぜ目を背けるの?意見はないの?」と言われたそうです。それは確かにそうだと私は思います。意見がないということは、授業に参加していないと同じことです。人の性格も関係してきますが、意見が同じなら頷く、そして意見が違うなら反論する、これがディスカッションです。私は、このような傾向が友達の女性だけでなく、日本人全体に及んでいると思います。昔からずっと言われている日本の外交下手にはこの理由が大きいのではないでしょうか。フランス人に言われた「日本と中国は同じ」というのにもやはり反論しなければいけないと思います。(私は彼が言った瞬間に反論しました)
 今回はいろいろな衝撃を受けましたが、これらは自分にとっては役に立つ経験ばかりで、本当に有意義な経験をすることができました。

将来にどう生かしていくか

 私は、将来は何をするのか、したいのかはまだわかりませんが、これからの人生も英語と関わっていくのは確かなことです。今は英会話をアルバイトのお金で始め、TOEICも積極的に取り組み、英語力の向上に努めています。
 そして、今回この留学では、全くのゼロの状態から語学学校を決め、ビザを取るなど、初めてのことに意欲的に取り組み、やり遂げることによって、達成感と自信、そして粘り強さを得たと本当に思います。これをやったから就職に有利とかではありませんが、自分を語る上でポジティブな面を自分で構築できたという点で、将来への財産となりました。
 また、世界にはいろいろな考え方を持った人がいることを学び、いろいろな考え方を吸収することで、自分の考え方の幅を広げることができました。将来は、海外で仕事をするチャンスもあると思うので、そのような中で、もっと自分の考え方の幅を広げ、自分を成長させて行きたいと思います。

後輩達へのアドバイス

 とにかくまずはいろいろな人に相談をしましょう。独りよがりでは達成可能なことも、達成できないこともあります。なによりもまず、アウトプットというものを大事にしていくことをお勧めします。そして自分のやりたいことと、なぜ海外なのかなどをしっかり整理することが大切です。自分で手続きをやるというのは想像以上に根気が必要で、メールが帰ってこないことや、書類をなかなか手に入れられないということはよくあります。しかし、そういう時に萎えそうになる自分の心を支える信念をしっかり持っていれば、クリアできます。
 海外でやりたいことは、皆様々だと思いますが、それに向かって失敗を恐れず、取り組んでいくことで、得るものは必ずあります。妥協しないで、まずはやってみてください。たとえ1ヵ月でも人は成長させることはできると思うので、100%でぶつかっていってください。

その他

留学したという事実だけでは自分を成長させることはできません。どんな意識で生活するのかがとても大事です。自分で言い聞かせていることなのですが、意欲的に、自分の理想を持って、理想に近づくための努力をすることが、社会で生きていく中で、どのような場合にも必要だと思います。そういった意識を持っていれば、常に自分を成長させることが出来ると思います。