法学部

【活動レポート】鎌田 貴子 (2001年入学・政治学科)

「やる気応援奨学金」リポート(1)

皆さん今日は。2003年の秋学期から、法学部やる気応援奨学金(長期海外部門)奨学生としてアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド市にあるLewis & Clark Collegeに認定留学中の鎌田貴子です。
Lewis & Clark Collegeは、全米で「最も住んでみたい街」ランキングの常に上位に入るポートランド市のダウンタウ

ンから車で約20分の所にある、学生数1700人ほどの小規模リベラルアーツ校です。通学時間4時間、学生数3万人の中大生活から飛び込んだ先は、予想以上にハードで充実の毎日が待っていました。
普段の生活サイクルは、平均5時間ほどの睡眠、食事・運動・シャワー以外は朝から晩まで勉強です。授業や課題に取り組むほかに、ゲストスピーカーの講演やワークショップへ行きます。週末は長めの睡眠+ほっと息抜き+課題の予復習、余裕のある時にはコミュニティーサービスや大きめのイベントに参加します。

授業

一クラス当たりの平均人数は18人。学生は一学期に4―5科目を履修するのが平均です。学生の一人一人に付くアカデミックアドバイザーの教授に履修計画を相談することが出来ます。私は秋学期に以下の科目を履修しました。

・International Affairs学部
North Pacific Rim Seminar(環北太平洋の国際関係)

・Political Science 学部
US government: National Politics(アメリカ政治)

・Communication学部
Intro to Communication(コミュニケーション)
Public Discourse(さまざまな種類のスピーチやディベート)
Legal Communication(リーガル・コミュニケーション)

どのクラスも、指導は厳しくとも面白い教授ばかりで、講義に加え、議論、グループワーク、プレゼンテーションなど内容は盛りだくさんです。学生は積極的に発言するので、私も“participation”と心で唱えながら何とか発言のチャンスをつかむようにしています。
リーディング課題は当然読み終えているという前提で授業は進みます。学期が始まったばかりのころは、一日分で100頁を超す課題にぼうぜんとしました。しかし、クラスメートとのスタディーグループで勉強したり、自分なりの勉強サイクルを工夫して試行錯誤を重ねているうちに慣れていきました。慣れとはすごいものです。
勉強の学内サポートも充実しています。学生は教授のオフィスアワーにいつでも教授を訪れて質問することが出来ます。学生が運営するチューターシステムは全科目に及びます。ライティングセンターでは、エッセイの構想段階から細かい言い回しに至るまでサポートを受けられます。
英語は、予想通りにもどかしい思いをたくさんしています。Public Discourseのクラスでは、教授や友達から「外国の大学で外国語のPublic Discourseを履修するなんてタカは勇敢だね」と言われましたが、勇敢さと無謀さは紙一重です。
アメリカ流に「適切なジェスチャー」を交えて、「豊かな表情」で「自然に移動しながら聞き手との距離を適宜調節」しながら「満遍ないアイコンタクト」を忘れず、「論理的に明快な構造の内容」を「はっきりした英語で」プレゼンする。そして、もちろん「ユーモア」を忘れずに。
当たり前のように見えますが、これが難しい。何とかトピック選びと原稿書きを終わらせ、そこから一人で鏡や寮生の前での練習、あるいはクラスメート同士でのチェックをしてからクラスで本番を迎えます。
たくさん練習しても失敗することやうまく行かないこともありますが、とにかく知らないことを勉強するためにここにいるんだ、の前向きモードでばりばり吸収しています。
何をするにも、アメリカ人の学生と比べると時間が掛かります。しかし、今まで知らなかったことや新しい物の見方を勉強するのがとても面白くて、勉強に追い掛けられている気はしません。周りの仲間たちがエネルギッシュに本を読み、よく議論をするので、ハードに勉強するぞ、という、その気概にうまく私も乗せてもらっています。

Wilderness First Responder

無事に期末試験を終えたら一カ月間の冬休みです。キャンパスでWilderness First Responderのトレーニングを受けました。Wilderness Medical Institute(WMI)のプログラムで、緊急医療サービスを受けられる地点から一時間以上離れた場所で起こったとする緊急事態に対応するための訓練です。基本のレスキューと応急処置に加えて、アウトドア特有の事態への対処法を主に学びました。
本来は10日間で80時間のプログラムなのですが、アメリカ北西部を襲った記録的な雪と氷のあらしで街がまひしてしまった影響で、内容を削らずWMIの最短記録、中休みなしの8日間にチャレンジすることになってしまいました。
授業は朝の8時から夕方5時まで、夜の訓練がある時は夜中の10時まで続きます。27人の受講生は数人のLC生のほかには、コーネル大学の神経生物学専攻の学生、大学院の教育学の教授、小学校の先生、カウンセラー、リフティングガイド、針灸師など、さまざまなバックグラウンドを持つ受講生が集まっているので、質問も多岐にわたります。
プログラム中を通して飛び交うのは、骨、臓器、筋肉、血管の名前、病気やけが、薬や毒の名前、傷病者の脈拍や呼吸数などのバイタル、痛みの表し方、治療器具の名前など、日常生活では使わない英語ばかりです。新しい単語や言い回しは、辞書やテキストで調べ、分からない時には何度もインストラクターに聞きに行って頭に入れました。
室内での科目は、二人のインストラクターが交互に授業をします。彼らの授業、話し方や進め方はとても素晴らしいものでした。朝から晩まで、こなさなければならない内容が大量にあるのに、受講生を退屈させません。授業を受けながら、知識だけではなく、彼らの人を引き付ける話し方、分かりやすい話し方を学べたのも大きな収穫でした。
テキストの第二章はMedical Legal Issueについてです。後に傷病者から訴えられるのを防ぐには、「……をすると訴えられます」「……をすれば訴えられません」という内容を、最初に学ぶのはさすがアメリカです。
基本的な解剖学を押さえ、症状と手当て、実際の訓練、と移っていき、シナリオ演習はより実際の状況に近い場面設定で行います。例えば、傷病者の移動方法を習って外に出ると、傷病者役の受講生が、文字通り木の真ん中に引っ掛かっていたり、車の真下にいるのです。
傷病者役の受講生は担当の傷病の演技をしながらキャンパスに散り、レスキューの処置に合わせて症状を変え、バイタルサインの変化を告げていきます。血のりや内出血の絵の具をじかに顔や体に塗り、木の枝に血の色をしたパテと泥を塗ったら折れた骨に見立てます。訓練後、血のりの流れる額や鼻血と内出血の絵の具が広がった鼻のまま、同じく血のりだらけの受講生とキャンパスを歩いて周囲の人を驚かせてしまうこともありました。
血圧計を使う時にも暖かい室内と、雪の残る雨の屋外で血圧を測るのでは難しさが違います。真冬のアウトドアシーンで、分厚いジャケット、手袋にセーター、長靴下にブーツ……と着込んでいる傷病者への、呼吸数の確認、背骨のけがの確認、けがをした部位の確認など、勉強したことを頭では分かっていても実際はうまくはかどりません。
ある日には、一通りの講義を終えた後、「これから実際に生理食塩水を使って注射の練習をします」と真顔でインストラクター。「……(えっ、今、実際に注射するって言った!?)」。英語を聞き間違えたかと思い、隣のパートナーに「私、英語を理解しているかな」と恐る恐る聞くと、「うん」と笑顔で返事が。本当に生理食塩水をパートナーとお互

いに注射し合う演習でした。
注射大嫌いの私は、注射器に触るだけで体が震えましたが、インストラクターとパートナーに励まされ、気合を入れ直して何とか乗り切りました。練習後、「あー怖かった」とへたり込む私に、パートナーいわく、「私もだよー。初めて注射するのも怖かったけど、何が怖かったって、初めての注射に挑戦する超緊張したタカに注射されるのは更に怖かった」とのこと。本当にこのプログラム、支えてくれた仲間たちなしには乗り切れません。

思い出深い夜間レスキュー訓練

こうして授業、演習シナリオを経験していくうちに、実際の現場でどうするのか、ということを常に想定して勉強する、活気に満ちた雰囲気がクラスに高まっていきます。
段階的に複雑なシナリオにチャレンジする中でチームレスキューのコンビネーションも交じり始めます。
一番思い出深いのは、LCキャンパスのすぐ隣にある州立公園での4時間の夜間チームレスキュー訓練です。山の中、夜は真っ暗で霧が立ち込め、ポートランド名物の雨が降り、ヘッドランプを使わなければお互いの顔も見えません。ほかのチームも互いの明かりが届かない距離まで離れました。これまで勉強したことを総動員して考え、実際に動き、チームと、傷病者とコミュニケーションし……と、全身でエネルギーを使っての演習でした。
無事にレスキューとミーティングを終えた後、「あれ、自分はこの訓練を全部英語ですべて乗り切ったのか」とふと気付いてすっかり驚いていたら、仲間たちに笑われてしまいました。
Wilderness First Responderプログラムの8日間を通して、毎日の宿題、復習と予習を終えてベッドに倒れ込むと、お休みまで3秒の日が続きました。筆記試験と実技試験を終え、晴れてWilderness First Responder(Heart Saver CPRの資格も同時取得)になった時には、本当にほっとすると同時に、知識と技術をさび付かせないようにしよう、と新たに気の引き締まる思いでした。
合格祝いということで、プログラム終了後に受講生と打ち上げに行きました。訓練で、みんな相変わらず泥だらけ草だらけのままです。この格好はお互いどんなものだろうという意見も出たのですが、「これだけ患者だ、レスキューだって転げ回り、お互い診察し合った仲だから、もうだれも気にしないよ」ということで、明らかに周囲とは雰囲気の異なるグループのまま、ピザ屋さんに向かいました。
「これだけWilderness First Responderがそろっていれば、きっとこの街で一番安全な店だね」と騒ぎながら、アメリカサイズのピザとアメリカビールで乾杯。たくさん食べて飲んでおしゃべりして、最後に仲間同士ハグし合って、解散となりました。
秋学期も冬休みも、振り返ってみればあっという間でしたが、毎日新しいことにチャレンジし続けられた大充実の5ヶ月間でした。
本当に貴重な経験に出合うチャンスを与えてくださった中央大学の先生方と、笑顔でアメリカに送り出してくれた家族に感謝しています。残り半分の春学期も、もっと色々なことにチャレンジしつつ、しっかり勉強して帰国したいと思います。

草のみどり 175号掲載 (2004年5月号)

「やる気応援奨学金」リポート(2)

アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドの春は、Lewis & Clark Collegeのキャンパス中に一斉に咲き始める花々と、大きく晴れ渡った青空と一緒にやってきました。あっという間の9ヶ月、帰国した今も、美しいキャンパスの景色と友達の笑顔が目に焼き付いて離れません。

授業

春学期では次の科目を履修しました。

・Theories of International Affairs(国際関係の理論)

・Japan in International Affairs(国際関係と日本)

・Communication and Conflict(コミュニケーションと紛争)

・Financial Analysis(ファイナンシャル・アナリシス)

・Self Defense for Women(女性のための護身術)

この春学期の5科目、秋学期の5科目、そして冬休み中のWilderness First Responderクラスと合わせて11科目、Lewis & Clark Collegeの単位数にして計36単位を取得しました。
一番難しかった科目は、国際関係の理論のクラスでした。アメリカ人学生も、量が多いとこぼすリーディングに加えて、毎回の授業で出る課題を終わらせるのに時間が掛かるのはもう気になりませんでしたが、大変だと実感したのは、論述式の試験、ペーパーを書くことでした。
この理論のクラスでは中間試験で8頁、期末試験の12頁に加え、International Affairs学部の卒論の準備段階として、理論のリサーチをする12頁のペーパーが出されました。
これらの試験は、taking-home examといって、試験により1週間から3週間などの期限付きで家(寮)へ持ち帰ってペーパーを書きます。
試験や課題の内容が込み入っている時に、とても役に立ったのが、秋学期から始めた、ペーパーのために「地図」をかく作戦でした。
地図といっても、畳一枚分ほどの紙に、ペーパーの論理構成、自分の思考回路を書き込み、その横にさまざまな理論の段階ごとの違いを表としてまとめたもののことです。
秋学期、この作戦を試行錯誤で始めたころは、ルームメートのアレズを含め寮生の友達に「いったい今度は何を始めたの!」と驚かれてしまいました。床に広げて置いた大きな紙の上で作業している私の姿は奇異なものと映っていたと思います。しかし、春学期には皆も慣れ、taking-home exam中に、私の「地図」を見ても「またタカにペーパーの課題が出たんだね」と驚かなくなりました。
この「地図」は、英語で考えを組み立てていく大きな助けになっただけではなく、教授に質問をする時にも役に立ちました。
自分が課題をどこまで理解しているのか、どのアイデアとどのアイデアがどうやってかみ合わなくて困っているのか、ということを具体的に説明するのに本当に便利でした。
この科目は自分の専攻なので、何が何でも真正面からやる、と決めていたので、このペーパーも、教授のオフィスアワーやライティングセンターに何度も通って書き上げました。
大学の図書館の中にはライティングセンターという、ライティングの専門スタッフが常駐する部屋があります。留学生だけでなくアメリカ人学生もよく利用し、アイデアの構成方法や、リサーチの相談だけでなく、英語が母国語でない学生は、英語のチェックも受けられます。
図書館は24時間開いていますが、頼みの綱のライティングセンターは夜9時ころには閉まります。締め切りぎりぎりになってしまった日には、英語のチェックを寮生の友達に何回か頼むこともありました。国際関係理論の中間試験の締め切り前夜に、英語の最終チェックを頼み、快諾してくれた友人も、数時間掛かってやっと終わるころには疲れ果てていました。
友達の真剣で丁寧なサポートなしには、ハードな勉強も決して乗り切れなかったと感謝しています。

LCロースクール

今学期からは寮から歩いて10分ほどの所にあるLCロースクールキャンパスの学校見学ツアーに参加しました。入試課のディレクターに色々な質問をし、授業聴講もしました。
また、学部生はロースクールの色々なイベントに参加することも出来るのです。私はロースクールの模擬裁判の陪審員ボランティアに参加することにしました。この模擬裁判ではポートランドのダウンタウンにあるMultnomah郡裁判所の実際の法廷を使い、本物の判事を迎えて行われます。
陪審員ボランティアは、評決を出すだけではなく、ロースクール生のプレゼンテーションの評価なども提出します。実際の陪審員室で、評決を出すための陪審員間での議論も行いました。模擬裁判を通じて色々疑問に思ったことを、裁判官の方に質問しにいったら、とても丁寧に答えてくれたことが印象に残りました。大学の授業では得られない、とても有意義な経験になりました。

終わってみればすべて良い経験

オレゴン滞在中には、色々なアクシデントも経験しました。1月にカナダのバンクーバー経由でオレゴンへ戻ろうとした私を待ち受けていたのは、アメリカ北西部を約20年ぶりに襲った大寒波でした。雪と氷でポートランドの街中は凍り付き、空港も閉鎖されました。
ポートランドへの飛行機がキャンセルになったことはバンクーバー空港で知らされました。空港のカウンターで、「ポートランドまで?この雪なので保証は出来ませんが、バスと鉄道で、9時間から12時間くらいで着けるかも知れません。今日中にポートランドに着く方法はそれだけですよ。乗り換え駅行きの最後のバスは3分で出ます」と、即断を迫られました。
遠隔地での応急処置資格を取るWilderness First Responderクラスを受講予定の私は、その日にどうしてもポートランドへたどり着かなければなりませんでした。3本のバスとアムトラック鉄道を乗り継いで、9時間以上、重い荷物を抱えて1人旅をすることになったのです。乗り換え駅では、「シアトルから鉄道?シアトル行きの最後のバスは1分で発車だよ!急いで!」「え、また!?」と、走る羽目になりました。
シアトルからポートランドへの列車内で隣り合わせた人は「私は孫に会いにニューヨークから来たのよ。飛行機とバスを乗り継いで、今度は鉄道だわ。新年早々、大した冒険ね」と言うので「ニューヨークからですか!随分遠くからですね」と応じると「そうよ。ところであなたはどこから来たの?」と聞かれました。「東京です」と答えたら「あなたの方が遠くから旅をしてきているじゃないの!」と笑われてしまいました。結局10時間近くバスと列車に乗り続け、午後11時近くになってやっとにポートランドへたどり着き、Wilderness First Responderクラスに参加、資格も無事取得することが出来ました。
そして冬休みも終わり、さてこれからという春学期開始早々、夜中に寮で激しい腹痛に襲われました。救急車でERに運ばれ、「ドラマER」の世界を経験する羽目になりました。結局原因不明でしたが、何日か前に試験に通ったばかりの応急処置の知識をまさか自分で復習することになるとは……。
激痛の中、救急隊員から聞かれる次の質問内容が頭の中に浮かんでいる自分にあきれました。病院での検査も、厳しい訓練で身につけた応急処置で使われる英語の知識と、付き添ってくれた寮の友達のおかげで何とか乗り切れました。その後、請求書の山や保険請求の複雑な手続きも体験することになりましたが、この時も大学の留学生サポート機関であるInternational Student Serviceのスタッフに温かく助けられました。
4月には、LCキャンパスを含め、アメリカ北西部の大学でウイルス性腸炎が流行しました。アメリカでは多くの学生

が寮で共同生活を送り、同じカフェテリアで一緒に食事をするのでウィルスが広がりやすかったのです。寮生の半分以上が倒れたこの腸炎に、私もかかりました。10分前まで普通だった寮生が、次の瞬間にはバスルームに駆け込む騒ぎに、多くの学生に不安が広がりました。しかし、カフェテリアを含め大学と州のきちんとした対応ですぐに落ち着きました。
勉強はもちろん、さまざまな出来事を想定して、大学から学生へのサポート体制が整っているということを実感しました。

Talofa!(タロファ!)

ハードな勉強以外にも、生涯忘れられないような出会いもありました。毎日を友達、特に寮の友達と一緒に乗り切ってきたことで、すべてが本当に思い出深いものになりました。中でも、ルームメートのアレズとは勉強、ボランティア、遊び、と多くの時間を一緒に過ごしました。彼女はハワイ出身のサモア系アメリカ人で、医学部に進学希望の一年生です。
昨年、「法学部やる気応援奨学金短期英語分野」でオレゴンに滞在した時に私がお世話になったホストファミリーの家に、アレズとサモア料理を作りにいったことがあります。サモアの「ラバラバ」という布を腰に巻き、貝のネックレスをして、サモアンミュージックを聞きながら料理をしました。タロ芋の葉とココナツミルクで作る「パルサミ」、同じくココナツミルクとお米、ココアで作る「ココアレサ」、「サモアンチョプスイ」、タロ芋など、初めて目にする料理ばかりでしたがとてもおいしく、思い出に残る体験でした。「ファフェタイモレメアアイ!(ごちそうさまでした!)」。
4月にはルアウという、太平洋文化の伝統的踊りとハワイアンローカル料理を楽しむイベントがLCキャンパスの体育館でありました。サモア、ハワイ、タヒチ、マオリなどの伝統的踊りは、大学のハワイアンクラブのメンバーから披露されます。当日は生バンドの演奏付き、800人以上の人が集まっての大イベントでした。私はこの日初めてハワイアンローカル料理と太平洋文化の伝統的踊りを体験し、迫力のパフォーマンスやとても美しいダンスにとても感動しました。
アレズから少しずつサモアの文化を知り、サモア語を習い、サモアの音楽を聞いているうちに、サモアや太平洋文化への興味がどんどんわいてきました。日本とサモアの関係はどうなっているんだろう、と自分で調べているうちに、Japan in International Affairs(国際関係と日本)のクラスでリサーチペーパーを書くチャンスが巡ってきたので、迷わず日本とサモアについてのペーパーを書きました。普段は、あーでもないこーでもないと七転八倒することも多いのですが、この時は「本当にもっと知りたい!」という強い気持ちに支えられて、9ヶ月間で、書くのが一番楽しかっ

たペーパーとなりました。
私がアレズから刺激を受けたように、彼女の方も日本のことをどんどん吸収していきました。3月のInternational Fair前夜準備では、私と一緒に、真夜中まで掛かった日本チームの150人分のカレーライス、焼きそば、おみそ汁、おにぎり作りに挑戦するまでになっていました。
育った場所も全く異なり、年齢も私より2歳下のアレズでしたが、大小さまざまのけんかも乗り越えて、何でも腹を割って話せる大親友になりました。

また会える日まで

寮生活は毎日が異文化交流の場であり、勉強は毎日が真剣勝負という夢にまで見た、〝アメリカの大学で学ぶ〟9ヶ月間は、何もかもが想像以上で本当にあっという間に過ぎていきました。
睡眠時間が短くなっても、もっと勉強したい、もっと皆と議論していたいと思う不思議なエネルギーがどんどんわいてきました。ここまで勉強するのが楽しいと思えたのは初めての経験でしたし、寮生活は、これまでの人生で一番楽しかったといえる思い出となりました。
また、色々な国から集まったエネルギッシュな学生たちをしっかりサポートしてくれる、教授を含めた大学のシステムが充実していることに驚きました。そして何よりも、ハードに学ぶことが当然というクラスメートに囲まれていたからこそ、厳しい課題も乗り越えられたと強く感じています。
地元地域の環境をもっと知りたいと思い、キャンパスを出ていった先のボランティアやコミュニティーサービスでも多くの魅力的な人々に出会うことが出来て、アメリカ的な地域社会の成り立ちの特徴なども知ることが出来ました。
LCロースクール卒業生の弁護士の先輩に、移民法ワークショップに案内されたり、ポートランドのホームレス問題に取り組んでいる院生の方にポートランドメトロ地域政府の公開勉強会に誘われたりと、実社会の場で具体的に学ぶ経験が出来たことはとても有意義でした。
ホストファミリーは、ハロウィーン、感謝祭、クリスマスとアメリカの大切な家族のイベントに私を迎えてくれ、家庭生活面からのアメリカ社会の一例を教えてくれました。
「アメリカの学生でもそんなに取らない」と言われるほどの科目を履修選択したのですが、困難な勉強を乗り越えることで、自分の将来に向かうための精神的な鍛錬が出来たことに充実感を覚えています。
「やる気応援奨学金長期海外部門」という形で、最高のチャンスを与えてくださった中央大学の先生方と応援してくれた家族に本当に感謝しています。
本当にありがとうございました。

草のみどり 176号掲載(2004年6月号)