法学部

【活動レポート】星野 公哉 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(21) ボストン大学で哲学を学ぶ(上) 意義がある法律学修への応用

大学入学時からの目標だったアメリカ留学。2年次の秋に留学計画を立て始めてから約1年、アメリカの大学への出願、そして「やる気応援奨学金」への応募を経て、昨年の秋からボストン大学への認定留学が実現しました。
留学が始まって早5カ月、新しい環境における新しい友達との交流、そして、新しい分野の学問への挑戦を通して、さまざまな経験をし、多くのことを学んできました。今回の報告では、こうした経験を基に、ボストン大学での留学生活をお伝えしようと思います。

ボストンという街

ボストンは、ニューヨークやロサンゼルスに比べればとても小さな都市ですが、天気の良い日にはふらっと散歩をしたくなるような、古いヨーロッパ調の街並みが特徴的な美しい街です。同時に街の中心部には高層ビルが林立するビジネス都市でもあり、また港とのアクセスが良いためか、国際都市として発展してきたことでも有名です。そして、何よりハーバード大学やマサチューセッツ工科大学といった名門大学が軒を連ねる学術都市でもあります。
ボストン大学は、こうしたボストンの特徴が非常によく反映されている大学です。
初めてボストン大学での授業を受けた時にとても印象的だったのが、国際的な雰囲気です。国外からの留学生がとても多く、多い時にはクラスの3分の1以上を占めます。しかし、私のように短期間のプログラムで留学している学生はほとんどいません。4年間通う学生がほとんどで、またアメリカの高校に通っていた学生が大変多いです。そういった意味では、「アメリカ人」との違いはあまりありません。
ボストン大学は、街の中心部からとても近いのですが、大学周辺にはヨーロッパ調の古いアパート(Brownstone)が林立しており、とても奇麗な街並みになっています。私のアパートもBrownstoneと呼ばれる建物で、建てられてから100年以上そのままの状態で保存されてきたそうです。

大学寮での生活

ボストンも東京と同じように地価がとても高いため、それぞれのアパートは密集して建てられており、また部屋も小さ目です。私の住んでいるアパートも例外ではありません。私はアメリカ人のルームメートと部屋を共有しているのですが、ベッド2つと机1つ置くだけでかなり狭くなってしまいます。
特に、ルームメートは大柄なので、心理的にことさら狭く感じられます。それでも、彼と何度も家具の配置を検討して住みやすい方法を模索した結果、今では狭いながらも快適な環境で生活が出来るようになりました。
私の住むアパートは2LKになっており、私は先のルームメートと、もう1つの部屋に住むスウィートメートの計3人で生活しています。キッチンがあるので、食事は寮のダイニングホールを使うのではなく、基本的に自分で料理をします。
私がよく利用するスーパーは、アパートから1kmほどの場所にあるオーガニック系の食材を扱うスーパーと、2kmほどの場所にあるアジア系の食材を売っているスーパーです。少し遠目ですが、健康的でしかも安い食材や、日本米やうどん・そば、めんつゆを始めとした日本の食材を手に入れることが出来ます。

アメリカの大学

大学寮での生活を始めてからわずか5日あまりで授業が始まります。大学生活の中心はもちろん大学の授業を含めた学問ですので、このわずかな期間に自分の生活環境を学問に集中することが出来るものにする必要があります。私の場合は、初年度の留学生としては比較的早く適応させることが出来たという気がします。
これには、約1年半前に2カ月間、「やる気応援奨学金」を利用してボストンに2カ月間語学留学をしていたことが大きく寄与しています。語学留学をしていた地区とボストン大学とは異なった場所にありますが、それでもボストンという街の雰囲気を事前に知っていたこと、その環境で2カ月間生活していたことが私にこちらで生活していくためのある種自信のようなものを与えたのは確かです。
前期は9月の初めから12月の中旬まで。私は哲学科から2教科、国際関係学科から2教科の計4教科を受講しました。日本の大学生よりも明らかに科目数が少ないので一見楽に思えますが、決してそんなことはありません。
まず、アメリカの大学はセメスター制を採用しているので、1週間に同じ科目の授業が2回から3回行われます。これに加え、授業によっては“Discussion Session”と呼ばれる補習的クラスへの参加をも求めてくるので、1日のスケジュールはさほど空いているわけではありません。更に、多くの課題を課されます。授業のない時間は基本的にこの課題をこなすための時間に当てられるので、基本的に忙しい日々を送ることになります。

アメリカで哲学を学ぶ

今回の留学では哲学を中心に勉強しています。哲学の基本的な作業は、当然のものとして理解されているものを疑い検討を加えることです。したがって、よく「原点に立ち返る」といった表現がされることがあります。こうした理由から、今まで法律を学んでいながら今回法律の勉強を中止し哲学を学ぶということは一見「後退」を意味しているように感じられるかも知れません。
しかし、私は哲学を学ぶことが今後の私の法律学修計画にとても重要な意味を持っていると考えています。
私が受講した哲学のクラスは、“Reasoning and Argumentation”(論法と主張)と“Philosophy of Human Nature”(人間性の哲学)です。以下、この2つのクラスの内容を紹介してみようと思います。

Reasoning and Argumentation(論法と主張)

まず「論法と主張」は受講生が100人を超える大規模のクラスです。ここでは、教授と学生との対話(参加型)ではなく、レクチャーが基本になります。

授業の内容は論法と主張に関する理論的な学修から、ロースクール適正試験(LSAT)の問題を実際に解くといったような実践練習まで幅広いものです。理論的な学修とは基本的には論理学です。「主張」は、幾つもの「前提」と「結論」から構成されています。この「前提」から「結論」を導き出す過程が「論理」と呼ばれます。
授業では、まず基礎として「論理」の法則を学び、これを基に実践していくという形式になっています。実践の場は“Problem Set”と呼ばれる課題です。約4週間から2週間に1度課され、提出義務があります。ここで重要になるのが、友人との協力です。
先ほど述べたように、「論法と主張」は理論と実践とからなり、理論の部分は論理学というとても複雑な学問体系が中心です。理論の理解が実践(課題を解く)の前提になるのですが、これはなかなか大変なことです。そこで、友人と一緒に課題の問題を解き、違う答えが出た際には何が違いを生んだのかを検討します。こうすることで、理論の理解が促されると同時に、課題の点数も良くなるという効果が望めます。
私は“School of Management”でビジネスを学ぶ友人と、哲学と数学を専攻する友人と一緒にこの作業を行いました。課題をこなすことは大変でしたが、それぞれ異なった興味を持つ3人との共同作業はとても刺激的であり、また有意義でした。
試験は基本的にこの課題と同じような問題が出題されますが、決定的な違いは、時間に制限があるということです。試験には膨大な数の問題が出題されます。これらの問題の中にはち密な作業が求められるものも含まれます。したがって、短い時間の中で正確さも求められます。
こうした問題の中でも、私にとって最も厳しかったのが“Argumentative Essay”と呼ばれる問題です。これはLSATに出題されている問題です。異なる2つの立場とその両方の立場の背景となる客観的情報が明記され、これをもとにどちらの立場が優れているかを主張するというもので、いうならば「論法と主張」の総括的かつ極めて実践的な問題です。
ほかの問題に多くの時間を割いてしまった私は、思うように解答出来ず、あまり芳しくない結果に終わってしまいました。しかし、試験を行っている最中、自分自身がとても良い興奮状態にいたことを思い出します。恐らく「限られた時間の中で正確に、なおかつ完璧な主張をすること」を求めるこの試験が、自分の実力を最大限試していると実感していたからだと思います。

Philosophy of Human Nature(人間性の哲学)

一方の「人間性の哲学」は20人程度と小規模です。このため学生には議論をする機会が与えられます。課題になっているテキストの範囲が議論の中心となります。教授がテキストを基に議論の主題を導き出し、これを基に学生が議論をします。このほか、教授はそのテキストの重要な部分や学問的に重要なことをうまく織り交ぜる形で議論がスムーズに進むように先導します。
このクラスを受けていて特に印象的だったのが、学生の反応の速さです。教授が質問を投げ掛けたその2、3秒後には数人が手を挙げています。更に驚いたのがその解答の内容です。どの人の解答も単なる「意見」ではなく「主張」になっていたこと、またその後に続く最初の「主張」への「批判」や「補足」もすべて「主張」の形で表現されていました。ロースクールの面接試験で、哲学科を卒業した学生の平均点が最も高いこともうなずけました。
この背景として、先ほどのクラスが主に1年生向けのクラスであったのに対し、このクラスは2、3年生向けであるため、参加者の多くが先の「論法と主張」を1度学んでいるということがいえます。しかし、1度学んだことを実際に自分のスキルとして定着させるのはとても難しいことです。これを平気でこなす参加者たちに感銘を受けると同時に、自分のモチベーションを高揚させられました。
この授業では筆記試験はなく、代わりにA4用紙5、6枚程度の論文が課されました。出題されるのは、テキストの筆者の考え(主張)を分析し、批判をすることです。したがって参考文献は一切求められません。当然ですが、筆者の主張の構造は目に見えるほど単純ではありません。主張の中身を細かく分解し、それぞれに対して検討する(分析)ことで、行間を読み、全体像を次第に明らかにしていかなければなりません。
こうした作業に慣れていなかった私にとってはとても大変な課題でした。

哲学と法律学との関連性

以上哲学の授業についてお伝えしてきました。前期の授業を終えて再認識したことは、自分自身が哲学を通して学んだことは法律の学修に応用することが可能である、ということです。主張をするという作業はどんな人でも日常的に行っているものですが、大学の学術的議論そのほかビジネスなど社会的活動ではその主張の中身は常に評価・批判の対象となります。

したがって主張をする技術(優れた主張をするスキル)は、どんな活動をする人にとっても基本になっていると考えられます。実際、「論法と主張」の授業は哲学科の授業ですが、学部・学科の枠を超えてあらゆる分野の学生が受講しており、ボストン大学では最も人気のある授業の1つ(同じ授業が4-5クラス用意され、総勢500人を超える学生が受講しています)となっています。
法律との関連では、例えば、法廷を単純化した形で表現するならば異なった「主張」の争いといえます。ここでは自分の主張を研ぎ澄ましていくと同時に、相手の主張を分析し、理解し、それに対して批判をしていくことが必要になります。法律を扱っているとはいえ、この基本的構造に変化はありません。こうした現実的側面から、哲学を学ぶことが、将来法律を学んでいくにあたりとても重要になると思っています。
この私の考えに大きなヒントを与えてくれたのが、2年次に受講した法学基礎演習でした。この授業の前期に、御担当の山内惟介教授が法律学修の基礎を教えてくださいました。「法律」という言葉を全く耳にすることのない授業に最初は戸惑いがあったのですが、次第にこの「基礎」が自分には決定的に欠けているということに気付き、これをもっと学んでみたいという強い思いを抱くようになりました。その思いが留学を決め、また現在留学を支える柱となっています。
また、今まで法律を学んできたことや「金融インターンシップ」を通して実務の場を実際に見てきたことが、哲学を通してどんな勉強をすることが法律を、特に専門的な分野を学んでいくうえで重要なのかに関する方向性を与えてくれています。

後期に向けて

前期の授業を通して、法律学修との関連の中で哲学を学ぶことの意義を再認識したと同時に、その面白さを見いだすようになりました。こうした背景から、後期には受講可能な4クラスすべて哲学の授業を選ぶことにしました。この選択が、私の留学生活をより忙しいものにしたことは事実ですが、その分とても充実した日々を送っています。
留学報告の後編では、後期の授業の内容や同じクラスを受講する学生間の交流、そしてこうした経験を通しての感想と今後の法律学修とのつながりについて報告させていただきたいと思います。また、春から夏にかけてがボストンの最も美しい時期なので、引き続き街の様子やそれを中心とした学生生活についても紹介したいと思います。

草のみどり 195号掲載(2006年5月号)