法学部

【活動レポート】白土 梨英子 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(27) 米で弁護士実務のインターン 法体系と訴訟大国の実情学ぶ

いざ、アメリカへ

私は今年の夏の1カ月間、「やる気応援奨学金」を受けて、アメリカのニュージャージー州にあるJFKメディカルセンター(以下、JFK)法務部の顧問弁護士の下、弁護士実務のインターンシップを行ってきた。そもそも私が法律に興味を持つきっかけとなったのが、アメリカでの小学時代の経験にあることから、将来は日本だけでなくアメリカでも法律を学んで法律家として働いてみたいと考えていた。そして、大学入学後も、アメリカで法律を学んだ弁護士の先生の講義やアメリカ法の講義などを受けることによって、より一層実際にアメリカに行って法律実務を自分自身の目で見て体験してみたいと思うようになった。そこで、大学の先生方や両親の助けを借りて、何とかインターンシップ先を決め、その上幸運にも「やる気応援奨学金」を頂くことが出来た。

そして、7月28日、私は日々暑さの増す東京を離れ、一路アメリカへ向かった。ニューヨークの空港が雷雨により閉鎖となり、給油のためにクリーブランド空港への緊急着陸というハプニングもあったが、何とか19時間後に私はアメリカの地に降り立つことが出来た。ニュージャージーには、小学校の2年生から4年生まで暮らしていたこともあり、空港からホームステイ先までの車中から見えた景色は非常に懐かしく、再度アメリカの土を踏んだ喜びをかみしめていた。到着した日は金曜日だったので、その後の2日間はホストファミリーと一緒に海に行ったり、映画を見たりとゆっくり過ごして時差ぼけを解消することが出来た。

恐怖のケースブック

月曜日になり、ついにインターンシップ初日を迎えることになった。法務部では朝は皆8時前には出勤しているということで、起床は6時半、そして家を出るのは7時半前という、日本での日常生活では考えられないような規則正しい生活を送ることになった。

法務部に到着した後、弁護士のマーフィー氏や秘書のジョーンさんを始めスタッフに一通りあいさつをした。その後、私はマーフィー氏から「早速見せたいものがある」と言われ、法務部内の図書室に向かった。図書室の本棚には、主に医療系の訴訟や会社法関係の判例集(ケースブック)が透き間なく収められており、マーフィー氏はその中から1つのケースブックを取り出して私の前に置いた。そして、彼は私にそのケースブックは現在法務部が扱っている訴訟に関するものであり、3日後にJFKの訴訟代理人である弁護士との打ち合わせがあるので、それを見学するためにも一通り事案を読んで理解してみてほしいと言った。ちなみにそのケースブックは厚さ7cmほどあり、広辞苑と変わらないくらいの貫禄があったが、アメリカのロースクール生はこの程度のケースブックであれば1日で予習しなければならないらしい。初日から難題に直面したわけだが、前2日のバカンス気分が若干残っていた私にとって、このケースブックの出現はその後のインターンのための良い起爆剤となった。

それまで、アメリカ法の授業や図書館で借りた英語の基本書などから英語の法律用語などに触れる機会は若干あったが、実際にケースブックを読んでみると辞書なしでは2行たりとも続けて読めないことに気付いた。そこで、分からない単語をノートに書き留めて覚えながら読み進めていくことにした。この作業は大変だったが、ケースブックには法律論だけでなく、本事案で以前に下級審で交わされた発言など(本ケースブックは州最高裁についてのもの)がドラマの台本のような形式で記載されているので、実際に法廷にいるような気分で読むことが出来た。このようにして、その後3日間は家に戻ってからもケースブックを読み続け、何とか一通り読み終えることが出来た。また、後日行われた訴訟代理人の弁護士との打ち合わせでは、理解出来なかった個所を質問したり、今後の裁判の戦略についての話し合いにも参加させてもらったりして、私にとって非常に実り多い経験となった。

訴訟大国アメリカ

第2週目には、アメリカの企業における法律構成を学ぶためにはさまざまな部署を見た方が良いというマーフィー氏の提案により、法務部を離れ、リスクマネージメント部においてインターンシップをすることになった。リスクマネージメント部は、顧問弁護士、パラリーガル(弁護士の実務補佐)、そして看護師の3者で構成されている。ここで興味深い点は、日本では看護師は医療系の仕事内でしか移動はないが、アメリカではこのように事務職も含めての移動があることである。私がお世話になった看護師のナンシーさんも2年前までは病棟の方で働いていた方であった。

ところで、リスクマネージメント部の業務はその名のとおり「リスク(危険)をマネージ(管理)」することである。これは、私がパラリーガルのオーランドさんに質問した時に返ってきた答えであり、最初はその意味が分からなかったが、実習の最終日にはそれを痛感することになった。この意味を理解するキーワードは「訴訟大国アメリカ」である。

周知の事実であるとおり、アメリカは文字どおり「訴訟大国」である。そして、病院もそれに関しては決して例外ではない。JFKでは、患者のカルテや従業員(医師・看護師など)の職歴だけではなく、訴訟ファイルもすべてコンピューターのデータベースで管理されている。このデータ管理担当のナンシーさんによれば、データベースによる管理方法が導入された2002年以前まではオフィスが書類であふれ返っていたということである。つまり、それだけ訴訟が多いのだ。また、訴訟の内容も医療過誤などの一般的なケースだけではなく、日本では笑ってしまうような信じられない内容のものも多々あった。例えば、病院の駐車場内にある郵便ポストに車がぶつかったことを理由に車の修理代を請求してきたケースや、肥満の人が病院の待合室のいすに勢いよく座ったところ転倒して骨折したために治療代を請求してきたケース、病院内の階段で自らつまずいたためにハイヒールが折れて軽い骨折したことを理由に損害賠償を請求してきたケースなど明らかに病院側に過失がないものも多数ある。しかし、実際に裁判をすれば明らかに勝つと考えられるこのようなケースでも、裁判のための高額な弁護士費用を考えて、相手方に見舞金を払って和解するケースがほとんどだということである。実際に前述の3例においても10万~50万円の見舞金が支払われたというから驚きである。

ところで、これらの病院側が出すお金は保険会社によってカバーされている。この点、アメリカでは前述のように訴訟件数のみならずその内容も幅広いため、病院はあらゆるケースに備えてさまざまな分野の保険会社と契約している。しかし、近年では、病院側が訴訟を回避するために支払う見舞金を目当てに、意図的に病院の敷地内でけがをする人が増加しており、大きな問題となっている。そこで、現在ではほとんどの保険会社が病院側の事前のチェックの重要性にかんがみ、リスクマネージメント部を設置している病院には、契約料のディスカウントをするという規定を置いている。このため、大規模な病院では通常リスクマネージメント部が置かれているということである。

したがって、リスクマネージメント部では保険会社の規定や州の法律を参考にして作られたさまざまな項目をチェックすることで、各ケースごとにリスクの度合いを判断することが重要な仕事なのである。よって、数10件という訴訟ファイルを見た後では、オーランドさんが小声で嘆くように言った“There are so many risks in this world.”という言葉を心から納得することが出来たのであった。

このほかにも、リスクマネージメント部では弁護士のジュディさんに法廷の傍聴に連れていっていただいたり、医療過誤裁判に必要な執刀医の証言録取書の作成の実習を行うことが出来、さまざまな弁護士実務を体験することが出来た1週間であった。

IF THERE IS NO WIND, ROW

これは私がホームステイでお世話になった、ストラックス先生の言葉である。ストラックス先生は生まれつき小児麻痺という障害を抱えている方である。彼が小学校に入学したのはちょうど第2次世界大戦が終結したころであり、当時のニューヨーク州には障害を抱えている子供は養護学校以外の学校には入学することが出来ないという教育委員会の規定があった。しかし、自身の努力や周りの人たちの助力で教育委員会の方針を変えることに成功し、彼は小・中・高校を一般の高校で過ごし、最終的にはニューヨーク大学(NYU)医学部を卒業したのである。現在は車いすを巧みに操り、JFKのリハビリテーション科の主任教授として、臨床と研究の両方の激務をこなしておられる。先に述べた言葉はこのように計り知れないほどの努力を積んできた彼の座右の銘である。私は博識なストラックス先生からアメリカの医療制度や保険制度だけではなく歴史や文学など数多くのことを教えていただくことが出来、ホームステイの1カ月間は私にとってかけがえのない思い出になった。

インターンシップの第3週目には、私はストラックス先生の案内の下、JFKの病棟内を見学した。広大な敷地内の病棟で、一般病室、リハビリテーションセンター、ER、ICU、ホスピス、実験室、デイケアセンター、外来、薬局、患者の家族のための宿泊施設などを見て回ったが、この中でも特に興味深く感じたのはリハビリテーションセンターである。JFKでは一般病棟とリハビリテーション科が隣接しているので各階に大きな体育館があり、入院している患者の方は一般病棟で治療を受けながら空いている時間に体育館でリハビリを行うことが出来る。また、長期間入院している患者の方は身体的なリハビリだけではなく、一般生活に戻るための勘を取り戻すことも重要である。そのため病棟内には疑似都市とでもいうべく、小さな町のような設備がある。ここではモニターを使っての自動車運転、スーパーでの買い物、さまざまな材質の道を歩く練習などのリハビリを行うことが出来、日本の病院とはけた違いの規模の大きさにはただ驚くばかりであった。

また、病院を見学している間にはストラックス先生だけではなく多くの病院スタッフや患者の方々にお話を聞く機会があり、さまざまな視点からアメリカの医療制度を理解することが出来た。

あっという間の1カ月間

最終週は再び法務部に戻り、取締役会議を見学したり、契約書の作成についての実習を行ったりした。これはすべての実習に関していえることであるが、アメリカではたとえどんなに小さな打ち合わせの際も、また、たった1枚の書類を読んだだけでも、必ず最後に質問事項と自分の意見を聞かれる。しかし、実際には会議や打ち合わせの内容を理解するだけでも一苦労であるのに、すぐさま質問を考え、自分なりの考えをコメントするという作業は予想以上に大変だった。そこで、私は質問事項の1番最後に必ず「この打ち合わせでは、……ということが分かったが、このほかに何か理解すべき点はあったか」と聞くことにした。このようにすることで、相手方から全く知らなかった情報を得ることが出来たし、あまり重要でないと考えていた事柄が実は大変重要であったという事実も知ることが出来、実習の最後の方では質問を通して新たな知識を得ることの楽しさを感じるようになった。

また、インターンシップの最終日は偶然にもJFKの39回目の創立記念日ということで、ランチタイムには病院を挙げてのバーベキューパーティーが行われた。どういうわけか法務部がバーべキュー係になったので、私たちは「マクドナルドの実習よりも厳しいかも知れないね」と話しながらも青空の下、1時間で300個近くのハンバーガーやホットドッグを作って職員の方々に配った。その後は病院内のバンドによる演奏を聴いたり、法務部の人たちとハンバーガーを食べながら笑い話をしたりなど素晴らしい思い出となった。また、法務部に戻ってからは最後にお礼のあいさつをして、1カ月間にわたる私のインターンシップは幕を閉じた。

終わりに

1カ月間という短い期間ではあったが、JFKではさまざまな部署でインターンシップを行い、その中で多くの人々と出会って話すことで、さまざまな視点から法律及び社会を見ることが出来た。最後にマーフィー氏が「法律家とはどれだけ社会のことを理解し、そこで生きている人々のことを理解出来るかが重要だ」と言っていたとおり、法律を学ぶことはまさに社会を学ぶことであると強く実感した。このように今回のインターンシップでは多くの人々にお世話になり、日々の生活では決して経験出来ないようなことを経験し、吸収することが出来たので、今度は自分自身が法律家として社会に貢献出来るようになって再びアメリカに行きたいと強く感じた。

また、インターンシップ以外では毎週末は海に行ったり、ニューヨークを観光したりとアメリカを満喫することが出来た。しかし、胃袋の方もかなりアメリカを満喫する結果となったので、減量についても今後の課題としたいと思う。

最後に、私がこのような素晴らしい経験をすることが出来たのは、アメリカに行く前に何度も相談に乗っていただき、適切なアドバイスをくださった大学の先生方、事務室の方々、知識も経験もない日本から来た一介の学生を温かく迎え入れてくださったJFKの方々、ストラックス夫妻、そしてあらゆる面から私を支えてくれた両親のおかげであり、個人的なことで大変恐縮ではあるが、この場を借りて心からお礼を申し上げたい。

草のみどり 201号掲載(2006年12月号)