法学部

【活動レポート】橋本 美緒 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(47) ニューヨークでビジネス学(下) 金融の中心地ウォール街でのインターンシップ体験

前回執筆してから半年が経ち怒涛の留学生活が終わりました。帰国してから1年間という留学期間を振り返ると、私は毎日200%くらいの力でただただ前だけを見て、挫けそうになる自分に負けないように闘っていたのだと思います。ニューヨークにいる時はそんな毎日が当たり前だったので、そのような自分にすら気付かなかったのですが、日本に帰国して思い返す、とそれだけ充実していた留学生活だったということを実感しました。そして帰国後、大分遅れた就職活動を始めた私ですが、去年のボストンでの就職活動、そして1年間の留学生活やインターンシップの経験を通して、自然と自分の中での軸が出来上がり、心から働きたいと思える企業と出会うことが出来ました。
今回は、まず最後のタームになる大学の授業の様子、そしてウォール街で3ヶ月間働いたインターンシップの体験、最後に帰国後の就職活動について述べようと思います。当初の予定では大学の授業が終了する6月に帰国する予定でしたが、予定を変更し、3ヶ月間延長しました。学生としてではなく社会人としてニューヨークに滞在したことによって、現実の社会が見えてきました。日本でこれまで過ごしたどの1年間より悩み、苦しみ、涙を流しましたが、それを乗り越えたことによって見えてきたものを皆さんにお伝えすることで何かを感じて頂ければ幸いです。

大学の授業 春学期(3月~6月)

この春学期は私が在籍する最後のタームになるためどれも応用編となるような授業を履修しました。ビジネスを学びたい私にとって1番興味があったInternational Business, 冬学期で履修した会計学の応用編であるManagerial Accounting,大学一評判が高い教授が教えているMicroeconomics,必修の語学授業であるEnglishを履修しました。

春学期の授業の中で特に思い出深かったのは、Microeconomics(ミクロ経済学)でした。この授業を履修した理由は、今まで私はこの大学で経済についての授業を履修していなかったので、経済分野の幅広い知識を身につけたいと思ったことと、この授業を教えている教授がとても評判が高く、絶対履修したほうが良いと友達に勧められたからです。そしてこの授業では殆どの学生がA評価を取っているということを聞き、ますます期待が膨らみました。一回目の授業に参加しただけでその理由が分かりました。教授は、教室に入った瞬間から情熱に満ち溢れており、学生1人1人に声をかけ、まるで友達であるかのように学生の輪の中に溶け込んでいきました。教授は、いつも「今日はみんな集まってくれて本当にありがとう。みんなは素晴らしい可能性の持ち主だ」という言葉で始まります。1回の授業は3時

間に亘りましたが、退屈だと思ったことは一度もありませんでした。まるで授業がエンタテイメントのお芝居を見ているかのように、時には笑い声が沸き起こりました。私はそんな授業に釘付けになっていました。そして誰よりも生き生きと楽しそうに授業をしている教授から自然と私もやる気をもらい、どんどん勉強が楽しくなりました。そう感じているのは決して私だけではなく、どの学生も教授に魅了されていました。結果的に私もA評価を取ることが出来、大半の学生がこのような評価になっていたようです。この教授との出会いにより、どんな仕事をしたとしても、情熱をもてば、私も多くの人にパワーやエネルギーを与えられるのだということを学びました。

安定してきた寮生活

留学生活を始めてから半年が経ち、春学期は生活面でも勉強面でもやっと安定してきたように思います。特に勉強面においては大きな変化を感じていました。私は、最初から特別英語が出来たわけではなかったので、ただ留学したいという気持ちだけで動いていました。そして留学生活が始まって、周りは全員アメリカ人の学生ばかりで、どれだけ勉強したら追いつけるのかも分からず、ただひたすらベストを尽くしていました。そうしているうちに春学期が始まってから急に英語がすんなりと聞こえてきたり、理解できたりし始めてきました。このような小さい変化が自信ともなりモチベーションを上げました。

以前は、3人のルームメイトがいたので1人になる時間が全くなく、精神的にも疲れる時がありましたが、春学期は1人で部屋を使うことが出来たので、安定した生活を手に入れることが出来ました。ただ普通に生活しているだけなのに毎日とても幸せに感じられたのは、それまでの苦労した生活があったからだと思います。とにかく周りとの協調性を保ちながら自分自身をコントロールするのが1番大変でした。

うまくいかない時ややる気がない時、ホームシックの時、どうやったら自分が楽になるかということを考えたり、どこまで自分の主張を通してどこまで相手に合わす必要があるのかということを悩んだりしました。自分で自分のことを守らなければ誰も守ってくれないし、守るためには自分の主張を伝え理解してもらわなければならないといけないのですが、その過程では途轍もないエネルギーが必要となることを身をもって経験しました。

客観的に見えてきたニューヨークの魅力

そのような寮生活を経て、ニューヨークで働いて1人で生活していくのは本当にたくましくないとやっていけないとつくづく感じました。そしてなぜニューヨーカーの顔がいつもシリアスなのか初めて分かりました。みんな色々な目的をもってニューヨークに来ています。その夢を叶えるために、毎日何かと戦いながら多民族国家のなかで生き抜くことは並大抵のことではないと思います。最初は、そんなニューヨーカーを見て、みんな冷たそうで神経質そうで怖いと思っていましたが、今ではそんなニューヨーカーをとても尊敬しています。そして私はだんだんとニューヨークを客観的に見ることが出来始め、どんどんニューヨークに魅了されていたことに気付きました。何故かニューヨークにいると何でも出来そうな気がしてくるのです。それこそがニューヨークの魅力だと思います。ここには数多くの成功者とその成功を手に入れるために何かに向かって頑張っている人たちがたくさんいて、そんな環境から離れるのが私は嫌でたまりませんでした。しかし、ただニューヨークの環境が好きだからという理由で目的もないのに滞在したくはありませんでした。私も多くの挑戦者のひとりになりたいと思い始めました。そして3ヶ月間インターンシップを経験することに決めました。

インターンシップを決意するまで

冒頭でも述べましが、帰国予定を延長してインターンシップを決意するまでには多くの試練や葛藤がありました。まずは、就職活動のタイミングを逃してまでインターンシップをする必要があるのかということを悩みました。一般的に大学3年生の秋から就職活動を始めるのですが、私はちょうどその時から留学したのでなるべく早く帰国して就職活動に向かったほうが良いのではないかなと思い、当初は春学期が終わる6月に帰国する予定でした。しかし春学期が終わりに近づくころ、やっと生活も安定して英語もすんなりと聞こえてくるようになって、ニューヨークのことも客観的に見えてきたところで「このまま本当に帰国していいのか?」ということを毎日自問自答していました。今までの大学生活で、私は何かに向かってずっと走ってきて、語学留学が終われば海外インターンシップ、それが終われば長期留学というように、常に自分の中に目標がありました。しかし日本に帰国して就職活動をするということに自分の気持ちがあまり向かっていないことも分かり、何かに向かいたいけど何を頑張ればいいのか分からない状態でした。そして挑戦する覚悟が決まりました。まさにその時、ここで挑戦しないと絶対後悔するという突き動かされる衝動にかられたのです。

自分の中での直感というのか人生におけるタイミングというのか、ちょうど長期留学を決意した時と同じ気持ちでピンと来ました。今までの学生としての視野を社会人としての視野へ広げてみたい、世界の中心地であるニューヨークのビジネスの現場を知りたい、という熱い思いになりました。決意するまでは、もちろん悩みに悩み、中大の教授やキャリアセンターの方々、多くの先輩方にも相談しました。しかし最後に決めるのは自分自身で、納得のいく道を選ぶしかないのだと思います。もちろん就職活動に対する不安はありましたが、初めから留学を選んでリスクを負ってきているのだから、最後までリスクを負って、選んだ道を正しかったと思えるように自分を信じて挑戦しようという覚悟を決めました。

初めて知った厳しい現実

しかし、覚悟を決めてインターンシップをしようと研修先を探し始めてから初めて現実を知りました。ニューヨークにいる中大のOBやゼミの先輩や今までの人脈を全て使って30社以上の会社に履歴書を送りました。現実はどこの企業も取り合ってくれないということです。アメリカでの学歴もなく学校のサポートもない私にとって、研修先を見つけることがどれだけ難しいことなのかということが分かりました。大学に相談しても、卒業する見込みがない学生にはサポートが出来ないと言われ、それがないと企業側も受け入れられないという厳しい現実を知り途方に暮れた時もありました。

6月には大学の授業が終了するので5月中に1つも研修先が見つからなければ、その現実を受け入れて日本に帰って就職活動をしようと思っていました。それでもまだインターンシップをすることを諦めきれず、過去にインターン生を募集していた企業にひたすら履歴書を送り続けました。その甲斐あって、3つの企業から面接をして頂けることになりました。その中の1つが私の志望していた金融関係の会社でで、面接を経てついに研修先を確保することが出来ました。

まさに言葉に出来ないほどの嬉しさが込み上げてききたのを今でも覚えています。1ヶ月前まではただ日本に帰りたくない、ニューヨークで働いてみたい、という漠然とした夢のような思いを抱いていただけでしたが、不安に襲われながらもとにかく挑戦したことによって、夢がまさに現実となったのです。インターンシップを経験するにあたって、色んなことを悩みましたが、「今ここで挑戦しないと絶対後悔する」という自分の直感を信じて、そして選んだ道が間違ってなかったと思えて、本当によかったと思いました。

ついに手に入れたインターンシップ生活

こうして私のインターンシップ生活は始まりました。本来は大学の授業が終了する6月末から働き始める予定だったのですが、学校がある時も是非来てほしいと言われ、授業とインターンシップを両立させることにしました。午前中は大学の授業に出て、その後マンハッタンに行き夕方まで働いて、また大学に戻り夜の授業を受けるというとてもハードな生活でしたが、そんな毎日が楽しくてたまりませんでした。いくら疲れていても忙しくても、これが私の手に入れたかった生活だと毎日感じることが出来ました。

研修先の会社は、米国の先物取引やオプション取引等のブローカー業務をしています。小規模な会社だったのですが、職務経験が全くない私にとってどんなことでもやらせてもらえれば勉強になるだろうし、丁寧に1から教えてくれる最適な場所だと思いました。そしてこの会社は金融の中心地ウォール街に位置しているのですが、私は、スーツを着てそのオフィス街を歩いているだけでたまらなくわくわくしていました。

私の仕事内容は、シカゴ商品取引所で取引されている商品先物(エネルギー・穀物・貴金属など)の市況について日本の投資家の方々へニュースレターとして毎日情報提供をおこなったり、お客様のニーズにあった海外オフショアファンドの情報を提供したりすることでした。直接お客様と会うというような営業はありませんでしたが、オンラインでの取引や電話による営業を行っていました。

目の当たりにした金融危機

このような職務体験をするのは、私にとってもちろんこれが初めての機会だったので、最初は分からないことだらけでした。しかし、お客様の前では私はインターン生ではなく1社員として対応してもらっているので、私の小さな言動によって会社の名に傷をつけてしまうかもしれないと思い、毎日緊張感に包まれていました。また何にも分からない私にもやりがいのある重要な仕事を任せてくれている会社の期待にも応えたいという気持ちでいっぱいでした。毎日朝から晩まで、たまには週末も接待に付き合うこともあり、体力的な疲れより精神的な緊張のほうが大きくて辛い時もありましたが、それでも朝になると毎日早く出社したくてたまりませんでした。

一方で、金融が与える国への影響力がどれだけ大きいのかということも実務を通して実感しました。私の働いていた時期は、昨年から続くサブプライムローンの影響、米大手証券会社の買収、倒産などが相次ぎ、まさに大混乱状態でした。そのような金融危機はウォール街の雰囲気すらすっかりと変えてしまい、その激変ぶりには目を疑いました。私が働き始めの頃は、そんなに目立たなかったホームレスが急に増えたり、年金額が大幅に減少することに対するデモの集団が増えたりしました。またニュースでは、日本の金融機関にも多額の損失を出しているということが報じられ、まさに金融危機が経済危機となり、そしてそれは国境を越えるほどの影響力があることを肌で感じました。このような時期に、実際、金融危機の現場を目の当たりにすることによって、安定した金融制度が世界にとってどれだけ重要なのかということを学びました。

インターンシップを通して見えてきたもの

インターンシップを通して、自分の稼いだお金で生活をしていくことがどれだけ大変かということがよく分かりました。特にニューヨークで仕事をして生活する為には本当にたくましくないとやっていけないと思います。つまり私はここで「現実」がみえてきたのです。そして学生としてではなく社会人としてニューヨークで生活したことによって現実が見えて、私の中での意識や自覚、物の考え方が大きく変わりました。

その結果、日本への帰国をすんなりと受け止められるようになりました。以前は、卒業後ニューヨークに戻ってきてどうしてもまたニューヨークで働きたいという気持ちが強かったのですが、今は現実を知り、それだけが道じゃないと思えました。もちろんニューヨークで働きたいという気持ちは私の中にありますが、アメリカでの学歴もなくて日本での職務経験もない私にとって、今すぐニューヨークで働くことは現実的に厳しいと思いました。

そして今、世界が金融危機に直面しているという現状を目の当たりにして、どういう方法で働くのかということを考えなければいけないなと思いました。やりたいこととやれることの違いを初めて感じました。今まではやる気さえあればどうにかなるという思いで留学も勉強もしていたけれど、これから会社で働くとなると、いくらやる気があっても、いつもやりたいことが出来るわけではないということを学びました。

完全燃焼した留学生活の終わり

以前は、ニューヨークを離れて日本で働くことがなんとなく遠回りに感じて嫌で仕方がなかったのですが、現実を知り、私がまずしなければならないことがよく分かりました。今はとにかく日本で最低でも五年間は必死で働いて職務経験をつけお金をためて、そしてそこから専門性を磨くなり、海外に出るなり、次のステップに進めばいいのだと考えました。だから今ニューヨークを離れたとしても自分の気持ちさえ揺るがなければ、自分のお金で、日本の職務経験を活かしてまたニューヨークに戻って来られるのだと思います。そのために私がしなければならないことは、就職活動と大学を卒業することで、それをするためには日本に帰らないといけないわけで、自ずと日本に帰国することを受け止められました。

ただニューヨークにいたいからという理由だけで居残りたくはないし、もしこのまま居残ったとしても、日本でやり残したことがあるので逆に不安になると思いました。だからニューヨークで働く基盤を日本でしっかり作って、そして何年後かにもう一度、挑戦したいと思います。そう思え始めたら、ニューヨークから離れることに対しても怖くなくなりました。6月の時点ではまだ何かやり残しているという気持ちが強かったのですが、3ヶ月間のうちにその気持ちはなくなり、留学生活における悔いややり残したことは何1つなく全てやり切ったという達成感を感じることが出来ました。

帰国後の就職活動について

そして9月の中旬に帰国したのですが、1年間の疲れが一気に出て精神的にも体力的にも疲労困憊状態でした。単位認定の申請や就職活動などやらなければならないことはたくさんあるのですが、一向にやる気が出ず、張りつめていた糸がきれたような状態でした。帰国して初めて、ニューヨークではそれほど気を引き締めて毎日生活していたのだということを感じました。だから日本に帰ってきてやっぱり安心しましたし、毎日限界まで頑張らなくても生活できる状態を心地よく思いました。しかしそんな何も手に付かない状態でも、しっかりと自分自身の気持ちとは向き合いました。

そこから見えてきたものは、愛国心や日本人としての自覚、こんなにも自分が日本を好きだと思っているということでした。そして私は日本人として出来ることを考えて、日本の社会に貢献したいという気持ちが自然に芽生えました。だから日本発のグローバルな企業で働いて、世界で日本企業がもっと活躍できるようにサポートしたいと思いました。

それらを軸に就職活動を始め、去年のボストンキャリアフォーラムで面接を受けた企業に問い合わせ、面接をしてもらい、短い期間で少ない選択肢でしたが、無事一番働きたいと思える会社から無事内定を頂くことが出来ました。実は、あまりにも速い展開で物事が進み、実感が湧きませんでしたが、結果的に留学したことが就職活動において不利にはならず、むしろその経験から見えてきたものが自分の軸になったのだと思います。

最後に

このような充実した留学生活を送れたのは、全て日本で支援して下さった方々、ニューヨークで出会えた方々のお陰だとつくづく感じています。結局環境が大切なのではなく、そこにいる人が環境を作るのだから、出会った人が大切なのだと思います。1年間の留学生活を通して何よりの収穫は人との出会いです。特にニューヨークは多民族国家なので本当にいろいろな国の人との出会い、男女や年齢を越えての出会いが私を成長させました。新しい環境で新しい人と出会うことによって見えてきた本当の自分の姿、時には、孤独を感じ不安に押しつぶされそうになったりする弱い一面も時には、やる気に満ち溢れてチャレンジ精神に充ち溢れている強い一面も、留学を通して知ることが出来、どんな自分も受け入れられるようになりました。最後になりますが、私にチャンスを与えて下さったやる気応援奨学金の先生方、そして奨学金を寄付してくださっている方々、その他相談にのって頂いた多くの方々に御礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。私は中央大学の学生であることを誇りに思い、今後も日本の社会の発展に貢献していきたいと思います。

草のみどり 221号掲載(2008年12月号)