法学部

【活動レポート】影山 凡子 (国際企業関係法学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(86)
 英国で多文化社会に触れる(下) 自分に向き合い価値観変わる

今回の留学で「一期一会」という言葉を何度も意識した。イギリスでの生活で、多くの尊敬出来る友人と出会い、今後の自分の進路や人生を考える上でたくさんの貴重なアドバイスをいただいた。また初めてヨーロッパに来たこともあり、長期休暇に出掛けた旅先で出会った人たちとの交流や現地の空気を自分の肌で感じることで新しい世界を垣間見ることが出来た。今回は後編として、前期が終了後の冬休みから帰国までの体験を報告したい。

前期終了

前期の授業に慣れてきたころには既に一二月で、町はクリスマスの雰囲気一色であった。マンチェスター市庁舎前の広場にはクリスマス直前までクリスマスマーケットと呼ばれる催し物がある。クリスマスならではの食べ物やツリーの装飾品が並びおいしい御飯やスイーツであふれている。

 学期末の一二月はエッセーの提出が立て込んでおり、図書館に籠もって朝から晩までパソコンの画面とにらめっこという状態であったが、マーケットのおいしいファストフードが私の疲れた心を幾度となく癒してくれた。

 国際政治の最後のゼミでは一一月の終わりに提出だったエッセーの評価が少し早目のクリスマスプレゼントとして返ってきた。びくびくしながら評価を見てみると六八点満点中六七点で、レファレンスミスで一点減点をもらっただけだった。今までの努力が若干報われた気がした。採点をしてもらったチューターには「この評価を誇りに思いなさい。よく書けているエッセーだよ」というコメントをもらうことが出来た。

冬休み

冬休みに入りドイツのケルン、ハンブルクを訪問した。世界遺産のケルン大聖堂は美しいゴシック建築で息をのむ迫力であった。何世紀も前から人々が同じ場所で教会の荘厳さに息をのみながら祈りをささげていたのだと思うと大変感慨深いものがあった。クリスマスマーケット発祥の地であるドイツで思う存分マーケットを楽しんだ後、ハンブルクに向かった。今回ハンブルクを訪れたのは中央大学で教鞭を執られていた柳井俊二国際海洋法裁判所所長の御厚意で国際海洋法裁判所(ITLOS)の内部を見学させていただけることになったからである。国際法を勉強する者としては願ってもない機会であり、今まで自分が教科書で勉強してきた場所を、所長自ら案内してくださるなんて自分の置かれている状況が信じられなかった(今でも信じられない)。大変お忙しいスケジュールの中、一学生のために時間を割いてくださった柳井先生にはいくら感謝してもしきれない。先生からは、ITLOSのお話だけでなく外交官時代の御経験も伺うことが出来て大変勉強になった。またハンブルク領事館の次席の方に実際に領事業務にかかわるお話も伺えて、実際に外交官がどのような仕事をしているのかを垣間見ることが出来た。帰国後の自分の将来の進路についても考える機会になった。

マンチェスターのクリスマスマーケット

一月の下旬にはロンドンで開かれた白門会に参加しロンドンで活躍されている中央大学OB・OGの方とお会いすることが出来た。わずか半年ではあったが異国の地で外国人として生活することの大変さを身をもって実感した私には、社会人として現地で生計を立てていらっしゃる先輩方は本当に格好良くて輝いていた。ざっくばらんなお話だけでなく、御自身の現在に至るまでのキャリアや、現在のお仕事についてもお話しいただいた。自分の今後の進路を考える上での多くのアドバイスを得ることが出来た。

 一月ともなると日本にいる同級生は既に本格的な就職活動の時期に差し掛かっている。自分でも就職活動に遅れが出ることは納得済みで、それでも留学することを選んでイギリスに来たわけだが、友人の近況を聞けば聞くほど訳もなく焦ってしまっていた。ただ私の焦りは、自分の行きたい業界や会社の選考に参加出来ないことに対してではなく、周りから取り残されていることにあった。自分の人生を通してやりたいことも、目標も決まってないのに周りに流されて意味もなく焦ることに何の意味があるのと先輩に言われてはっとした。自分の直感を信じて、楽しいとか好きだと思えることに全力注ぐべきじゃないのかと言われて、意味もなく焦っていた自分が馬鹿馬鹿しく思えたと同時に自分が本当にやりたいことは何なのかについて考えるようになった。

後期開始

二月から後期の授業が始まった。後期には中大では勉強したことのなかった政治哲学、中国現代史、開発経済の三つの授業を履修した。

 現代中国史の授業は大教室での講義とゼミを並行して行う。講義をするのはアメリカ人の先生で、中国語はもちろん日本語、フランス語、ロシア語も出来る先生であった。ゼミのチューターが台湾人で、一〇人前後のクラスの中で留学生は私と中国人の女の子、他が全員イギリス人という構成で毎週一時間、週替わりのトピックでディスカッションをする。勉強するのが中国の現代史なので日中間では敏感なトピックも扱う。特に日中戦争の回は「日本人」という立場で、言葉遣いに気を付けながら「私見」ということで簡単な発表をさせてもらった。中国からの留学生も南京大虐殺についてどういうふうに教えられたのかを発表していてとても興味をそそられた。授業中には日本では見たこともなかったような南京大虐殺の写真を見せられ授業に参加している唯一の日本人として少し肩身の狭い思いだったが、レクチャー、チューター双方とも見解は至ってフェアで一方的に日本を非難することはなかった。利害関係から一定の距離を置いたイギリスで勉強している利点であるとも思う。

ロンドン白門会のOB・OGの方々と

後期に入り、授業の要領も分かってきたと思っていたが、政治哲学の授業には最後まで四苦八苦であった。大教室の授業はさながらマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」で六〇〇人以上入るホールで学生が手を挙げて発言する。各トピックの終わりには、哲学科の教授が二人出てきて、学生の前でディベートを繰り広げ、その場で勝敗を決する。テンポ良く進む議論に置いて行かれないようにするのに必死であった。

 更につらかったのがゼミである。何もしゃべらない限り存在しないものと見なされる。アイコンタクトすらしてくれない。当たり前である。ゼミの序盤で採り上げられるトピックについては予習で何とかなるのだが、他の学生に主導権を握られているトピックについて学生同士で議論がどんどん進むと付いていけなくなる。君はどう思う?と聞かれて、何について問われているのかが分からなくて、聞き直した時に嫌な顔をされるのが本当に悔しかった。日本にいた時は議論に加わらないなんてありえないことだと思っていた。議論を引っ張り、周りが考えないような論点を提示して、発言の中でいかに存在感を示すかが重要であって、発言が出来ない自分なんて想像も出来なかった。日本にいた時の自分とのあまりのギャップに打ちのめされた。

イースター休暇

傷心を癒すため、イースター期間中にはスペイン南部とポルトガルを訪れた。スペインは南部の都市マラガ、コルドバ、セビリア、ポルトガルはファロ、リスボン、ポルトと南部から縦断旅行をした。ちょうど訪問した時期がイースターだったので、スペインとポルトガルでは"Semana Santa"(復活祭)の雰囲気を存分に楽しむことが出来た。スペイン南部やポルトガルはマリア信仰が厚い地域で、英とはまた違う雰囲気だった。特にKKKをほうふつとさせるような独特な衣装は復活祭の雰囲気を一段と引き立てていた。この独特の帽子で顔を隠す理由は一年間の自らの行いを恥じるため、またキリストの死への悲しみを表すためだそうだ。また、一㌧以上もあるおみこしを五〇人以上の男の人が担いで町中を練り歩く。スペインの人は優しくて陽気でスペイン語でどんどん話し掛けてきた。アジア人が珍しかったようで日本人だと言うと大変喜ばれた。ただ南部の町であったためか、少し寂れているという印象を受けた。ポルトガルは首都リスボンでさえも、一本路地を入るとシャッター街や廃虚だらけでとても先進国の首都とは思えなかった。とにかく物価が安いのは助かったが(食費は英仏の半分以下)ロンドンやパリとは全く違う世界であった。

国際海洋法裁判所の大法廷で

後期も課題の量は相変わらずであったが、友人と一緒に二四時間オープンの図書館に籠もって励まし合いながら何とかこなした。課題の内容をディスカッションしたり、現在ニュースになっている話題について自分はどう思うか話し合ったり、時には課題をそっちのけにして語り合った。そのおかげか、政治哲学のゼミでも少しずつ自分の存在感を示せるようになってきた。ネイティブの学生とやり合えるレベルではなくとも、次第に自分の考えをしっかりと周りに表現出来るようになれた。課題提出の直前や試験前は相変わらずストレスを感じたが、エッセーもテストも、前期よりも良い成績でパスすることが出来た。前期と比べて自分の成長を感じることが出来た。

留学中に学んだこと

マンチェスターを離れる最後の日に年上の韓国人の友人と食事をした。彼女は韓国の高校を卒業した後、中国のメディカルスクールに進学した。一年間日本に滞在して日本語を勉強した後に、マンチェスターのメディカルスクールで修士号を取るために勉強している。とても努力家で、信じられないような量の勉強を日々こなしていた。ちなみに学部生の私は、恥ずかしながら彼女の足元にも及ばないような宿題の量で悲鳴を上げていた。同じ留学生として、アジア人として、つらい時にはよく話を聞いてもらっていた。

 別れ際、彼女にこの一年間どうだった?振り返ってみて変わったところある?と聞かれた。すぐには答えられなかった。学んだことが多過ぎて、どれを口にすべきか分からなかった。私は自分の周りにいてくれる人の大切さとか、自分らしくいることの大切さを学んだと彼女に答えた。自分が思い描く、理想の自分とは程遠い現実に何度も直面した。日本だったらごまかせても、異国の地ではどうにもごまかすことが出来なくて、その度にどうしたら理想の自分に近付けるのか必死に考えた。頑張れば頑張るほどうまくいかずに空回りし、自信を失っていた時期もあった。でもその時に、幸運にもそのままの私ですてきだよと言ってくれる友人に出会うことが出来た。もっと自分に自信を持ちなさいと言ってもらえた。その言葉に私は救われたし、自信を取り戻すことが出来た。自然体の自分でいても友達になってくれる人はいて、そのままの私でいいと言ってくれる友人たちは本当に貴重な存在だということに気付けたことが今回の収穫だったと彼女に話した。

 今度は彼女に私が聞いた。この一年間どうだったのか。また中国、日本を経て今回が三回目の留学で以前と変わったところがあるか聞いてみた。彼女は今回の留学では "Independence"を学んだと答えてくれた。勉強ばかりで大変だったし、努力の量に対して結果が伴わないことにいら立ったこともたくさんあったけれど、自分のやりたいことのために自分のすべてを注ぎ込んで、自分のために頑張れたこの一年間は充実していたと笑顔だった。「留学すると自分の価値観がどんどん変わっていく。二〇代の初めのころと今の自分は全く違う。だから今も一〇年後の自分の姿を考えるともっとわくわくするし、今からは想像もつかないほどのすてきな変化がある気がする」と生き生きとした表情で語っていた彼女の横顔が忘れられない。一〇年後に彼女に再会したとして、私は彼女に変わったねと言ってもらえるだろうか。

友人の誕生会で

今回の留学の目的はイギリスで国際政治の勉強を通して、自分の英語をアカデミックな場面でも通用するようなレベルにまで磨くことであった。渡英前に比べて、英語の能力は飛躍的に伸びた。しかしながら、国際政治の知識よりも英語の能力よりも、自分の価値観が変わったことの方が大きな成長であった。二〇年以上住み慣れた土地を離れて、言葉も文化も習慣も全く異なる地に一人身を置いてみると日本にいた時には考えもしなかったようなことを深く考えさせられるのである。世界から切り離されてしまったような言いようのない寂しさが、自分に向き合うきっかけをくれるのかも知れない。短い一〇カ月の間に私の価値観が覆されるような出来事や出会いがたくさんあった。現地で尊敬出来る友人と出会うことが出来たので、今度彼らと会う時には自分が一生懸命取り組んでいるものを胸を張って語りたいと思う。

 今回私は「やる気応援奨学金」のおかげで、イギリスにおいて大変貴重な経験をすることが出来ました。御支援いただきました皆様、本当にありがとうございました。そして、留学を通じて自分勝手さに更に磨きの掛かった私をいつも助けてくれた家族と友人、渡英前からたくさんの貴重なアドバイスを与えてくださった先生方にこの場を借りて御礼申し上げます。