法学部

【活動レポート】松藤 朱香 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(83)
 フィリピンに留学し英語学ぶ ボランティアで途上国を理解

はじめに

 私は今年の春、「やる気応援奨学金(短期語学研修部門)」より支援をいただき、フィリピンのセブ島に約一カ月間滞在した。この奨学金は、自分でテーマを定め、集めた情報に基づいて活動の計画書を作成し、実際にその計画を実行することを一連の流れとしている。

 私は、「英語力を向上させたい」「途上国について学びたい」という思いから、途上国でありかつ英語を公用語としているフィリピンに行くことに決めた。これから、フィリピン語学留学と途上国で学んだことについて御紹介させていただきたい。

フィリピン・セブ島

皆さんは、フィリピンのセブ島に対してどのようなイメージをお持ちだろうか。発展途上の地を想像なさるだろうか。それとも、リゾート地を想像なさるだろうか。答えは、どちらも存在すると言える。日本にも貧富の格差は存在するが、フィリピンでは、日本よりもはるかに顕著に表れていた。語学学校の周辺では、多くの物乞いがいたり、環境や交通の整備が行われていなかったりと貧困の現状を目の当たりにした一方で、語学学校から一時間三〇分くらいの海岸沿いには、ホテルや大型のショッピングモールといった豪華な施設があり、途上国であるということを忘れさせるような光景だった。

語学学校(USP-ESL)

私は、英語力を向上させるべく、平日の朝から夕方までUSP-ESLという語学学校の授業に参加した。フィリピンが英語公用語国であるとは言え、フィリピン人が他国の人々に英語を教えるだけの十分な能力があるのか、発音になまりはないのかということを気にする方もいらっしゃるだろうが、その点は全く問題ない。私が通った語学学校の先生方は、陽気で生徒のモチベーションを上げるのが非常にうまかった。発音になまりはなく、奇麗なイギリス英語を教わった。一日に三つの授業に参加した。マンツーマンのビジネス英語クラス、マンツーマンの会話クラス、集団での会話クラスである。余裕がある日には、オプショナルのTOEICクラスやTOEFLクラスにも参加した。

 語学学校の授業を通して一番向上したと感じるスキルは、英会話のスキルである。なぜならば、フィリピン人の先生は、私が発言するほぼすべてのことについて"Why……?"という質問で私を問い詰めたため、自然に会話が膨らんだ。日本語ですら答えることが困難な込み入った問題に対して深く追及されたため、初めのうちは言葉を詰まらせたが、徐々に物事を自分の頭の中で整理して、知っている英単語を使って相手に伝えられるようになった。更に、慣れてくると自然と自分の方からも積極的に相手の発言を促すスキルが身についた。一カ月という短い期間なので、一気に英語が上達したとは言えない。しかし、英語を使って相手と会話をする際、どのようにすれば相手との会話を盛り上げられるのかをつかむことが出来た。

NGO Plumeria・日本語教室

日本語教室というのは、NGO Plumeriaの代表者である濱野さんが日本語を学びたいというフィリピン人学生のために開いているものである。NGO Plumeriaは、主に教育支援を行っている団体で、勉強する意欲があるにもかかわらずお金がなくて学校に行けない状況にある子供たちに奨学金を給付している。

 私がNGO Plumeriaの事務所を訪問した当日、奨学金を受ける子供たちの中から日本語の勉強がしたいという三人の子供たちが集まった。セブ島ではNGO Plumeriaのように教育支援を行っている団体は珍しいので、子供たちは、家から事務所まで片道三時間ほど掛けてやってきた。セブ島では、公用語として英語とタガログ語とセブワノ語が使われているので、子供たちとは英語を使ってコミュニケーションを取ることが出来た。日本語教室の対象は、日本語の勉強を始めたばかりの子供たちなので、教える内容は、挨拶や自己紹介の仕方といった基本的なことであったが、英語を通して日本語を教えるという作業は、容易ではなかった。しかし、子供たちの日本語の勉強に対する意欲が伝わってきたので、少しでも力になりたいと思った。優秀な成績を収めた子供たちには、NGO Plumeriaを通して日本の大学で勉強する機会も与えられるため、子供たちの熱意は、並大抵のものではなかった。非常にうれしいことに子供たちは、日本の文化にも強い関心を持っており日本の歌を知っていたので、一緒に歌を歌った。更に、英語で子供たちの日々の生活や将来の夢について話を聞くことは、英語の勉強やフィリピンについての理解を深めることになり、私自身にとっても非常に有意義な時間となった。

スクワッターの集落で

スクワッター(不法占拠者)の集落

NGO Plumeriaの濱野さんは、私以外にもフィリピンで活動したいという学生に積極的に協力してくださっている方で、濱野さんとFESTという途上国の自立を支援するプロジェクト活動を行う学生団体に同行してスクワッター(不法占拠者)の集落を訪問した。スクワッターとは、元は土地を持たない農村出身者で、仕事を求めて都市に進出するものの、仕事も住む場所も得ることが出来ずに他人の土地や国の所有地に勝手に家を建て住み込む人々のことを指す。スクワッターは、フィリピン政府に立ち退きを迫られており、一部の住居は取り壊されていた。そのぼろぼろな状態の住居の跡地でまるで何の問題も抱えていないかのように笑顔で私に話し掛けてくる子供たち、その光景は私を複雑な気持ちにさせた。

孤児院・教会でボランティア

セカンドチャンスという名の孤児院を訪問した。中央大学のフィリピンで活動する国際交流サークル(PocoPoco)の方が孤児院でボランティアをすることになっていたので、一緒に参加させていただいた。親子丼を作って子供たちに食べてもらった。

 更に、語学学校で募集していた教会で食事を配給するボランティアに語学学校の友人と共に参加した。現地で教師をしている方が子供たちにバイブルを読み聞かせた後、私たちは、教会の関係者が準備してくれた食事をお皿に盛って配給し、自分たちで購入したお菓子を配った。子供たちは、喜んで"Thank you! Thank you!"と繰り返し言ってくれたので、少しうれしい気持ちになったが、単純にうれしいという気持ちだけで完結することは出来なかった。

私にとってボランティアとは?

フィリピンの友人と孤児院について

ボランティア活動を通してボランティアとは何かについて考えた。今までのボランティアの経験(主にインドでの建築ボランティア)から「私にとってボランティアとはいったい何だろう?」という疑問を抱いていたものの、答えを見付け出せずにいた。「ボランティアとは、自発性、無償性、利他性、先駆性に基づく活動である。」という辞書に記載されている意味とは別に、自分にとって何かということである。私は、今回のボランティア活動を通して一つの答えを導き出すことが出来た。現時点において私にとって「ボランティアとは、気付きの場、学びの場である。」というのが結論である。私がボランティアをすることによって一時的に人々に喜びを与えることが出来るかも知れないが、最終的に人々のためになるとは限らないということを学んだ。私の行為は、無意識のうちにボランティアの背景にある宗教を応援していたかも知れない。フィリピン人には、カトリックの影響により「神様が何とかしてくれる」という考えがあるため、物事を慎重に考えて行動しない傾向があり、それが政治腐敗につながっていることを考えると、私の行為は最終的に人々のためになるとは言えない。よって、重要なことは、すべてのボランティアを「善」ととらえ、ただひたすらその行為に没頭することではなく、ボランティアを通して新たな視点を得たり、問題意識を高めたりすることであると考える。現時点の私のボランティアが生み出すことの出来るほんのささいな成果に満足することにとどまらず、ボランティアをきっかけとして将来、問題の根本的な解決に携わりたいと思った。

フェアトレード

以前からフェアトレードに興味があったので、セブ島にあるフェアトレードショップに行った。フェアトレードとは、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動である。最近は、日本のスーパーマーケットやコンビニエンスストアでも少しフェアトレード商品が取り扱われているので、目にしたことがある方もいらっしゃるかも知れない。

 フェアトレードショップの商品は、一般の店で売られている普通の商品より若干高いという印象を受けたが、質の良いものばかりであった。せっかくなので、バナナチップス、ドライマンゴー、チョコレート、コーヒー、ブレスレット等、ほとんどのお土産をフェアトレードショップで購入した。

 更に、フィリピン人スタッフの方と日本人スタッフの方(青年海外協力隊の方)にお話を伺った。フェアトレードが小さな農家の生活を支えているということ、フィリピン人のフェアトレードに対する認知度はまだ高くないということ、欧米や日本の協力に感謝しているということ、フェトレードの商品は質で勝負しているということ等、さまざまなことを話していただいた。

多くの人々と出会い視野広がる

今回の活動を通して非常に多くの方との出会いを果たした。語学学校の友人、先生方、スタッフの方、フィリピンの大学生、NGOのスタッフの方、孤児院の子供たち等、毎日新しい人に出会うことが出来、非常に刺激的な生活だった。寮を利用したため、授業以外の時間は、話したりスポーツをしたりと一日の大半の時間を寮の友人と過ごしたため、一カ月という短い期間にもかかわらず、かなり相手のことを知ることが出来た。更に、大学の付属の語学学校に通ったため、フィリピンの大学生とも交流をすることが出来た。日本の文化や芸能に関心のあるフィリピンの女子大生は、積極的に私に話し掛けてくれた。うれしかったのは、私が一方的にフィリピンに関心があるだけではなく、フィリピンの女子大生も日本に対する関心が高かったということだ。

 また、フィリピンでは、日本とは異なる街並み、生活環境、生活習慣を体感することが出来た。インターネットやテレビ等で情報を簡単に入手出来る現代において、他国の状況を全く想像することが出来ないということはないが、やはり現地に直接赴き、体感することによって生きた知識を得ることが出来たと思う。

 更に、語学学校ではフィリピン人の先生はもちろんのこと台湾人や韓国人の留学生等、異なる文化や環境の下で暮らし、異なる価値観を持った人々と交流することを通して自分自身の視野を広げることが出来た。

やる気から自信へ、そして今後

私は、「やる気応援奨学金」に応募し、実際にフィリピンに行ったことで自らの成長を感じることが出来た。留学の計画を立てる段階において、留学を通して何を得たいのか、留学の経験をどのように将来に生かしていきたいのかということを深く検討したので、留学のあっせん会社によって決められた計画に単純に従うよりも高い意識を持って自分に合った学びが出来たと思う。もちろん、英語力はまだまだ不十分であるし、途上国についても知らないことばかりだ。しかし、自分の目標に向けて一から計画を立て、それを実行したことにより、少しばかり将来につながる自信を持つことが出来た。

 今回の活動は、今後の人生を深く考える良い機会となった。今回の活動を通して強いグローバル志向を持つことが出来た。それは、単純に海外の人々と交流することの楽しさを実感することが出来たからということにとどまらず、日本と他国とのつながり、他国と協力することの重要性を改めて認識することが出来たからだ。

 フィリピン人の大学生が東日本大震災のことを心配してくれたことが強く印象に残っている。彼らの生活は、決して余裕のある生活ではないにもかかわらず、日本の被災地のことを気遣ってくれたことに感動した。ここで皆さんに思い出していただきたいことがある。日本が被災した後、多くの国々が支援の手を差し伸べてくれた。そして、その国々の中には自国の発展が不十分な国々も多く含まれている。自国がどんなに貧しくても可能な範囲で日本を応援したいという気持ちを表してくれる国々が数多く存在するのは、なぜだろうか。それは、日本が日頃から政府開発援助(ODA)を始めとする国際貢献に積極的に取り組んできたからだと言える。人は一人では生きていけないし、日本は日本一国では存続出来ない。よって、他国に関心を持ち、協力し合うことが大切であると考える。

 そこで、日本人である私が世界とどうかかわっていきたいか。掲げる理想は、日本と他の国々が協力することによりお互いに利益を生み出すことの出来る関係である。現時点で私は、日本による途上国の貧困層向けの支援ビジネスや法整備支援といった途上国(新興国)の自立を促す活動が日本と途上国の双方の経済発展につながると考える。途上国(新興国)の自立を促すという形で自分が社会に貢献出来る仕事を見付けたい。そのためにも語学力を向上させ、途上国に関する知識を身につけることに力を入れていきたいと思う。

おわりに

私が今回の「やる気応援奨学金」の一連の活動を成し得たのは、非常に多くの方々のサポートのおかげである。私の活動を支えてくださった先生方、OBの方、現地のスタッフの方、先輩や友人等には感謝の気持ちでいっぱいである。