法学部

【活動レポート】西村 志織 (政治学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(53) テキサスで政治学を学んで(上) 秋のセメスターとクリスマス

私はこの度、「やる気応援奨学金(長期海外研修部門)」の御支援を頂き、アメリカのヒューストンにあるUniversity of St.Thomas(UST)への交換留学が実現しました。今回はリポートの前編ということで、留学までのいきさつ、ヒューストンやUST、ハリケーンの様子などを中心に、私の留学生活の前半をお伝えしたいと思います。

留学までのいきさつ

留学には高校生のころから興味があったものの、大学入学以降は卒業後の進路を考え、1人で勝手にあきらめていました。これは中大生らしさかも知れませんが、まじめで純粋、でも狭い視野で思い込みが激しかったためです。それでも1年次の秋に「やる気応援奨学金(海外語学研修部門)」のことを知り、1カ月くらいなら良いだろうと、あまりそのことの影響を深く考えず応募し、幸運にも春休みにボストンで語学研修を行うことが出来ました。そこでさまざまな経験をし、色々な人との出会いを得て、案外英語でもうまくやれることで自信がついたのと、本当はもっとうまくやれるはずなのにと悔しかったのと両方で、在学中に1年留学しようと決意が固まりました。ある意味で、私が語学研修に出発する前に家族が懸念していたとおりの結果になったといえます。留学をしようと決めてからの流れは、第一志望の留学先が中央大学の協定校が多数あるアメリカだったこと、その協定校が私の学びたい分野の学部を持っていたこと、TOEFLでさほど苦しまずに必要なスコアが取れたことなどから、予想していたよりもスムーズでした。その点に関し、私が留学を実現するに当たり、中央大学のさまざまなサポートや制度が活用出来たことに感謝しています。

ヒューストン

ヒューストンは全米第4の都市であり、石油産業を中心とした経済の中心であると同時に、世界最大規模の医療研究センターやアメリカ航空宇宙局(NASA)を有する最先端の研究都市でもあります。ヒューストンの特徴は、その国際色の豊かさです。コンチネンタル航空のハブ空港であるジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港を持ち、日本を含む世界八六カ国が領事館を置いています。民族・人種的にも多様で、中南米や中国、ベトナムなどアジア圏からも移民を多く受け入れてきた歴史を持ち、中でもヒスパニック系移民は現時点で総人口の40%を占めます。ヒスパニック系移民の中には英語を話せない人も少なくはありませんが、英語を話せる人でもSPANGLISHと呼ばれる独特の発音となまりを持つことが多く、初めは本当に簡単なやりとりさえ出来ず、随分悩まされました。今ではたとえ全く会話にならなくても強気で相手のせいにします。

ヒューストンで残念な点といえば、犯罪率の高さと、公共交通機関の不備です。友人には「1人でキャンパスの外に出るな、夜は外を歩くな」と口うるさく言われていますが、それ以前に、歩いて行ける距離にあるのはスーパー・マーケットくらいなのが一番の問題で、車がなければ本当に一切何も出来ない土地柄です。ヒューストンはバスケットボールや野球など、プロ・スポーツ・チームのホームタウンであり、オペラ劇場やシアターなど多くの娯楽施設がありますが、大学内外に甘えさせてくれる人とのつながりが出来、気軽に外に連れ出してもらえるようになるまで、修道女か受刑者になったような生活でした。

University of St.Thomas

USTはカトリック系の小規模な私立大学で、ヒューストンの芸術・文化の中心であるミュージアム・ディストリクトに隣接しています。東京でいえば、上野公園の隣にあるようなものでしょうか。USTの学生証を提示すると、ほぼすべてのミュージアムや動物園などの公共施設に無料で入場出来ます。USTの建物は低層の温かみのある赤レンガ造りで、公園のようなこぢんまりとした小奇麗なキャンパスは、中央大学と随分雰囲気が違います。学部生は1500人ほどの小さな学校であるため、多くの人と顔見知りで、キャンパス内を歩いていて知り合いに出会わない日はありません。

USTの一般的な学生ということでいえば、ヒューストン市内の裕福なキリスト教徒の家庭に育った人が大半です。その印象が強いためかヒューストンの人でもNon-Hispanicの白人ばかりの学校と誤解されることが多いのですが、実際には中南米やアジア圏からの移民やその二世ばかりで、留学前に思い浮かべていたアメリカの大学生のイメージとは違いました。多くの学生は親元から車で通学していて、寮に住む学生でも毎週家族や親戚の家に帰り、週末をそこで過ごす人がほとんどです。また、血縁や同胞意識がとても重視されていて、民族や人種ごとのつながりが強く、それぞれグループを作っています。同胞だからとお互いに助け合い、日常の大半をそのグループ内で過ごしている様子を見ると、排他的に感じられることも多々ありました。そのことで随分思い詰めた時期もありますが、その一方で、私と一対一で対等な人間同士として向き合ってくれた人がいたのも確かで、意外なきっかけで人間的な相性の合う人たちと出会い、徐々にですが友人には恵まれました。

ハリケーン「アイク」

9月半ば、授業が始まって2週間たたないうちに、人生初めてのハリケーンに遭遇しました。大学は閉鎖となり、寮から追い出され、私は半月間ルームメートの家にお世話になりました。彼女の家族はインド系の一家で、海岸沿いに住む親戚が20人ほど避難してきていて、とてもにぎやかでした。「アメリカに来て1カ月もたたないうちにこんなハリケーンに出くわすなんて本当に運が良い」とよくからかわれましたが、確かにしたくて出来る経験でもないし、悪いことばかりでもなかったというのが正直な感想です。ハリケーン「アイク」は9月12日の夜中にヒューストンを襲い、幸いルームメートの家は何の被害も受けませんでしたが、翌朝外に出てみると、隣家の屋根が倒れてきた木につぶされて半壊していたり、通り向かいの家の塀が全部倒れていたり、近くにある並木道の木々の大半が無残に折れているのを目の当たりにしました。海岸沿いの被害に比べればまだそれでも軽い方だったのですが、ハリケーンが去った後10日ほどは電気も使えずろうそくが頼りで、夜9時から朝5時の外出が禁止され、パトカーがずっと住宅街の中を見回っていて落ち着かない日々でした。それでも毎日3食おいしいインド料理を食べさせてもらい、ルームメートのいとこと夜中まで話し込んだり、トランプをしたりしていて非日常的な楽しさもありました。災害時の電気も使えない、家族だけで過ごすのも大変な時に、行く当てのなかった私を招いてくれたルームメートの家族には本当に感謝しています

学習面

今回の留学は、アメリカ国内の政治システムと、アメリカの視点から見た国際関係について学ぶことが目的でした。USTは全米でトップ25に入る評価のInternational Studies(国際学)の学部を持ち、Political Science(政治学)の分野でもテイラー博士を筆頭に有名な教授が数人います。私は秋学期、①Comparative Political System ②Intercultural Issues ③Globalization and Gender Issues ④American & Texas GovernmentⅠを履修しました。クラスは原則20人以下で、最も学生数が少ないクラスでは6人でした。また、学部生と大学院生が同じクラスを取っていることも多く、クラスによっては学部生が2人しかいないこともありました。

Comparative Political Systemは、世界各国の政治システム、政治文化、組織関係などを概略的に学び、それらの背景が国際関係や国際政治に与える影響を説明するというクラスでした。教授の専門が東アジア地域で、日本の政治にも詳しく、講義中に唐突に日本の政治について尋ねられることがあり、意地の悪い質問をされた時はうまく答えられず悔しい思いをしました。

Intercultural IssuesとGlobalization and Gender Issuesは同じ教授が教えていて、ブラジル出身の人であったため、手書きの板書は全く読めませんでしたが、話す速度はほかの教授よりややゆっくりで、非常に助かりました。情け容赦なくリーディング課題を出す教授で、クラスごとに事前課題として30頁以上ある論文が2つか3つ指定され、毎日ニューヨーク・タイムズとヒューストン・クロニクルの2紙を読むように指示があり、初めは積み重なった課題を前にため息が出ました。それでも逆にいえば、課題をこなしさえすれば授業で何を話しているかどうにか理解が出来、質問にも行きやすかったので、ほかの教授のクラスよりも内容はよく理解出来ました。Intercultural Issues は、本当はもっとアカデミックな内容なのですが、簡単にいえば、グローバル化が進む職場で異なる文化を持つ人とうまく付き合うにはどうしたら良いか、というテーマの講義でした。UST自体がグローバル化現象の産物のような環境なので、この授業で学んだことは、色々と人間関係での葛藤やストレスが多かった時期に、かなり実生活で役に立ちました。一方、Globalization and Gender Issues は、女性の労働市場への参加という観点からグローバル化による経済開発を考察する、というテーマのセミナーでした。厳しい教授でしたが、英語で書かれた論文を読み、分析・批判する力は、この授業のおかげで鍛えられたと思います。American & Texas GovernmentⅠは政治学の1番重要な基礎の授業で、アメリカとテキサス州の政治システム、政治文化、憲法、マス・メディア、圧力団体などの概略について学びました。教授が非常に早口で、特に雑談をしている時は何を言っているのか全く聞き取れず、笑っているクラスメートの横でよく泣きたくなりました。それでも、Internationalの学生に優しい教授で、「アメリカに育った学生だって政治システムをちゃんと理解するのは大変なことなのだから」と言って、クラスの後に政治学以前の基礎的な質問にもよく答えてもらいました。

大統領選挙

アメリカでは2008年11月に大統領選挙があり、事前の大統領候補、副大統領候補のディベート、質疑応答、演説など、その一連の出来事すべてにおいて、だれもが候補者の一挙手一投足に注目していました。日本では総裁選だからといって国民が盛り上がることはあり得ませんが、大統領選挙はアメリカ市民にとって最大のお祭りです。ヒューストンはブッシュ前大統領の出身地ですが、若年でかつ民族的マイノリティーが大多数のUSTでは、オバマ氏のTシャツやステッカー、ポスターが至る所にあふれていました。投票の予備登録の係員や、民主党のキャンペーンのボランティアをしている学生も多く、選挙関連の行事に合わせて寮でイベントが行われました。私もディベートなどは友人と毎回見ていましたが、アメリカの大学生が何を考えているのか、忌憚のない意見をその場で聞けて面白かったです。2008年の世界的な不況はアメリカでも深刻で、予定していた進路を大幅に変更したり、胃の痛くなるような状況で将来の選択をしている友人が大勢いましたが、大抵の人は政治に対して前向きで、それが日本の大学生とは違いとても印象的でした。政治学専攻の学生として、この時期のアメリカに居合わせたのは良い勉強になったと思います。

Christmas International House

冬休みには約2週間、Christmas International Houseというキリスト教のホームステイ・プログラムに参加しました。このプログラムは全米50以上のコミュニティーが留学生や海外からの研究者のために提供している事業で、学生の滞在に掛かる費用の一切を受け入れ先の教会が負担します。これからアメリカに留学される人には冬休み中の滞在先としてお勧めします。

さて、私のホストファミリーは弁護士の御夫妻でした。ホストマザーは企業弁護士としてばりばりと稼いでいるキャリア女性で、ホストファザーは貧困層の刑事弁護を専門にしているボランティア活動に熱心な人で、同じ弁護士でも選んだキャリアが対照的な、お2人でした。性格も、ホストマザーの方は打てば響くような快活な人でしたが、ホストファザーの方は少しユニークで社会常識にとらわれない考えの持ち主でした。もう何年もクリスマスに留学生を受け入れているらしく、ホストをするのに慣れていて、アジア圏のことにも詳しいため、政治や経済などについてもよくお2人と話をしました。この家では、家事は外注、普段使う食器は使い捨て、食事は冷凍食品かテイクアウトという生活様式でしたが、日本食を作るととても喜ばれました。

クリスマスとお正月は終日ホストファミリーと過ごしますが、それ以外の日には同じプログラムに参加しているほかの留学生と一緒に、地元の高校生と交流したり、NASAに行ったり、NBAの試合を見たり、さまざまなアクティビティーがあります。この年のヒューストンのプログラムに集まったのは偶然東アジア出身の女の子ばかりで皆同年代だったため、移動中のバンの中でも会話が弾んでとてもにぎやかでした。留学の前半が終わってすぐのこの時期に、アメリカでの大学生活や留学後の悩みについて話し合える相手に会えたことは幸運だったと思います。USTには、高校卒業以降に単身でアメリカの大学に来たという留学生がほとんどいないため、この時の境遇の似た彼女たちとの会話によってずいぶん励まされました。

留学生としてヒューストンに来て以来、多くの人が示してくれる厚意や優しさに助けられ、笑顔で毎日を過ごせています。日本では出会えない多くの人に接し、さまざまな経験をし、自分の世界やキャパシティーが多少なりとも広がったのではないかと思います。留学の前半はとにかく毎日に付いていくことに必死でしたが、後半はこの1年間の経験を留学後の次のステップに確実につないでいけるよう、自覚的に過ごしていきたいと考えています。

草のみどり 227号掲載(2009年7月号)