法学部

【活動レポート】星野 敬太郎 (政治学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(77)
 イギリスで国際政治を学ぶ(下) 人のつながりが織り成す社会

はじめに

私は「やる気応援奨学金(長期海外研修部門)」の御支援をいただき、昨夏から今年の六月までイギリスのシェフィールド大学へ交換留学しました。リポート後半(前半は二四四号)では、授業、東日本大震災とイギリスの温かさ、本学学員会(OB・OG会)ロンドン支部、そして、掛け替えのない友人、合計四点について御報告したいと思います。

授業について

春セメスターでは、①Contemporary International Affairs②International Security Studies③War and Peace in East Asiaの三つを履修しました。

 ①は、前期で学習した国際関係理論を基礎として、それを現代社会が抱える課題に適用し、事例研究していく科目でした。そのため、扱うテーマは広範囲に及び、予習に多く時間を費やしましたが、最も楽しみにしていた科目でした。その中でも興味深かったテーマが、「新しい戦争」論と「エネルギー安全保障」でした。「新しい戦争」論とは、冷戦終結後、主にグローバリゼーションの進展を背景に、国家同士の衝突が減少した代わりに一国内において、これまでと異なる戦法を用いた民族間紛争が激化したというものです。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やダルフール紛争が例として挙げられ、今後も性格の似た紛争が生じてくる可能性があるとエッセーを書きながら感じました。

 本科目のエッセーは、前期での反省を生かして、ライティングの構成のチェックを早めにお願いした結果、六項目ある評価基準のうち、文章構成(Structure)と読解の幅(Range of Reading)でFirst、全体として二・一(日本でのB評価程度に相当)の評価をいただきました。担当チューターによると、交換留学生でこの成績を取った学生はまれとのことだったので、うれしかったことを覚えています。「エネルギー安全保障」は個人、国家、国際どのレベルにおいてもエネルギーはその根本を成していることから、その安定的な確保を主張するものです。予習課題として課されていたのは欧州諸国におけるエネルギー供給国ロシアとの関係に関するものでしたが、実際に授業で議論されたのは福島での原発事故とエネルギーの重要さでした。エネルギー問題に興味を持ちながらも、満足の行くような回答を伝えられなかった悔しさが忘れられず、日本のエネルギー問題に関する論文を卒業論文として執筆したいと考えています。

 ②は、幅広く安全保障について議論する科目でした。本科目の特徴は、安全保障の分野で伝統的に主に論じられてきた軍事に関する安全保障というよりも、そこから拡張された比較的新しい概念(環境安全保障、経済安全保障など)に焦点を合わせているということにありました。これまで安全保障の分野に興味を持ちつつも、集中して学習した経験がそれほどなかったので、履修しようか悩みました。しかし、国際政治学の中心に位置するともいえる安全保障に触れないのは後悔が残ると思い履修を決意しました。本科目における船出は想像以上に厳しいものとなりました。というのも、ほかの多くの学生は、これまで安全保障に関する学習を行っていたことがあり、それが前提とされたうえで授業が進められたのです。話されている英語は聞き取れるが、議論の内容に対する知識が足りないために理解が進まないという状態になっていました。そのため、出された課題をほかの科目よりも時間を掛けて丁寧に読み込みましたが、議論に付いていけるようになるのにしばらく時間を要しました。しかし、現代国際社会が抱える諸問題と安全保障には密接なつながりがあると理解した後は、非常にやりがいのある科目となり、今では履修して正解だったと感じています。

 ③は、前後期学習してきたことの総括科目として重宝しました。科目の中盤までは春期に学んでいた国際関係理論や同時進行で学ぶ安全保障の概念を扱い、後半では事例研究に取り組みました。事例研究の授業では、学生がプレゼンテーションを行い、そのテーマについて議論するという方式を採りました。また、指導教授は前期にも大変お世話になったProfessor Hugoでした。私の担当は環境安全保障で、先生から日本の福島原発事故を事例として扱ってみてはどうかとのアドバイスをいただきました。環境悪化によって生じる影響(ここでは放射線による被害)が個人、日本、アジア、国際社会という四つのレベルにおいておのおのの安全保障に甚大な影響を与えうることを主張しました。プレゼンテーションへの反応は好意的で、議論が盛り上がったと共に、敬太郎のプレゼンテーションで日本の置かれている状況が理解出来たと声を掛けてもらいうれしく感じたことは、自身の日本人としてのアイデンティティーを改めて認識する瞬間でもありました。

東日本大震災とイギリスの対応

二〇一一年三月一一日、最初は何が起こったのか把握出来ませんでした。そのため、まずは日本の新聞やイギリスの新聞などを用いて情報を収集することにしました。両国の新聞をしばらく読み進めるにつれて顕著となってきたのは、情報公開の方法と程度の違いにありました。大震災直後の地震や津波に対する報道や被害状況に関する報道では、イギリスのメディアの方がより衝撃的な画像を使っていることを除けばそれほど大きな違いはありませんでした。しかし、論点が原発問題に移ると両国のメディアの報道方法の違いが明らかになってきました。原発事故が起きてから、日本の新聞では、原発事故が起きたという事実を報告している印象がありましたが、イギリスのメディアは、事実報告は文章の最初の部分で要約した後、事故の状況を一分単位で更新しながら、その時点で考えうる原発事故の原因を幾つか示して分析を行っていました。海外から考察する方が冷静に状況を把握しやすいという傾向はありますが、両国のメディアの姿勢の違い、そして両国で行われている高等教育の仕組みに相違点があることを痛感しました。

情報収集するのと同時に、事故直後からシェフィールドに留学している日本人学生の中で、日本人として何か出来ることはないだろうかとの議論が始まりました。私は、以前日本赤十字社でNHK海外たすけあい募金の街頭募金の青年部の企画・運営に携わらせていただいた経験から、状況が安定しない中で海外から出来る最善策は募金活動をして、送金することであると感じていました。また、前期からユニセフ・ソサエティーにおいてシェフィールドで募金活動に参加していたこともあり、指揮を任されました。募金活動を行うために、活動管理を行う市庁舎に許可をもらい、一四日から市の中心部で募金活動を始めました。日本の国旗を描いた手作りの募金箱を持って、道行く人に声を掛けるという大変シンプルなものでしたが、多くの方が、"I am really sorry for the disaster and believe that Japan will overcome."と言ってくださり、財布やポケットを引っ繰り返してまで寄付してくれようとする様子に本当に心を打たれました。これほど多くの人が日本に対して良い印象を持ってくれていると思うと、日本の置かれた状況に対して悲観的な考えを持っていたことを反省し、日本の再生に向けて自身の力を尽くすべきと痛感しました。それから約一週間後、三月二〇日にはジャパンデイというイベントが行われました。これは年一回、ジャパンソサエティーが大学の所有するホールを一日借り切って、日本文化を紹介するというものです。規模が大きいこともあり、ロンドンや他都市から参加する方も少なからずいました。文化の紹介が主目的ですが、震災にも目を向けてほしいとの思いから、震災を扱うコーナーを設けました。震災の状況を日本地図に描き、写真と共に紹介し、更に、イギリス赤十字社とも連絡を取り、ポスターや器具を借りて当日に臨みました。当日は、予想以上の活況で、開始直後から多くの人が会場を訪れ、震災コーナーにも立ち寄ってくれました。街頭での募金活動やジャパンデイでの広報活動が功を奏し、約一〇〇万円の寄付金を日本赤十字社に送金することが出来ました。その後も街頭での募金活動を続けながら、現地の人の温かさやつながりを感じると共に、そのような評価を受ける国で生まれたことに感謝の気持ちを感じていました。

学員会ロンドン支部

中央大学のOB・OG会として学員会があり、探していくうちにロンドンに支部があることが分かりました。議論出来る水準の英語力の獲得を本留学の主眼としていたので、海外で活躍されている日本人の方が英語を通じてどのような仕事をされているか、非常に興味を持っていました。早速、学員会に問い合わせをし、代表者の方に連絡を取ったところ、イベントに招待いただけることになりました。そのイベントは、イギリスで活動する起業家のための講習会でしたが、本学OBで、イギリスで弁護士として活躍されている中田浩一郎先生のイギリスの移民政策に関する講演は非常に興味深いものでした。弁護士の方のお話というと硬いイメージがありますが、中田先生はユーモアを交えて、分かりやすく説明してくださったので、気が付いたら三時間経過していました。会の終了後、本学OBの方が食事に誘ってくださり、深夜二時くらいまで貴重なお話をいただいたと共に、近くOB会を開催してくださることになりました。

六月初旬に行われたOB会は後期の試験期間中に行われました。次の日に試験を控えていたので、ロンドンに向かうまでの電車と帰りの電車で重要事項を頭に入れるべく集中していました。ロンドンに到着してからは、本学からイギリスへ留学している学生と久しぶりに会いつつ、OB会の開始を待ちました。OB会には、起業家、公認会計士、金融、メーカー、食品とそれぞれ専門の異なる五人のOBの方が来てくださり、幅広く貴重なお話をいただきました。その後もイギリスで活躍される日本人の方を御紹介いただき、お話を伺う中で、海外で働くということのイメージをより具体的に描くことが出来ました。海外で活躍されている方の力があってこそ、現在の日本経済が成り立っているのだと強く感じ、私も近い将来、その一助になっていきたいと改めて思いました。

掛け替えのない友人

多くの人と出会い、交流を深めることは留学で得られる貴重な財産の一つであると感じています。貴重な経験をもたらしてくれた友人たちの中から、本稿ではイラン人の友人を紹介させていただきたいと思います。

ハミッドとの別れ

イラン人のハミッドと初めて顔を合わせたのは、冬季休暇中の図書館でした。年明けの試験を控え、試験勉強の気分転換に日本語の書籍を探している最中、突然「日本人ですか」と声を掛けられたのです。あまりに唐突だったので、少し前の私なら驚いて逃げてしまっていたかも知れません。しかし、彼の真剣な目を見てすぐに我に返りました。彼はイランで建築士の資格を有し、将来的に国際的に活躍出来る建築家になるべくイギリスで学んでいます。欧州の建築物は長い歴史を持つ物が多く、これから発展していくイランには必ずしも参考にならないかも知れない。そのため、関東大震災後に驚異的な復興を成し遂げた日本の建築と都市計画を学び、イランに採り入れられる点を探ってみたいと話してくれました。私は、日本の建築や都市計画には興味を持っていたものの、これまで注視したことはなかったため、これが良い機会と信じて次回の約束を取り付けました。戦後の東京の復興についての話を簡潔にした後、現在行われている街造りに話を移しました。彼は特に東京ミッドタウンのコンセプトに興味を持ち、衣食住から憩いや遊びまでが連関して機能する街造りを実現したい、ただ、もう少し環境に配慮してみることは出来ないだろうかと述べ、私も共感しました。彼が考える街造りの青写真が遠からず完成するということもあり、楽しみにしつつ多くのことを話しました。その中でも家族のことについての話は尽きず、時間を忘れて話していたことを覚えています。帰国が迫ってきた六月中旬、突然電話が掛かってきました。作品が出来たので、敬太郎が帰国する前にぜひ見せたいとのこと。すぐに彼の部屋に向かいました。彼の考える「スマートシティー」は環境に配慮しつつも衣食住を最優先している大変興味深い構想で、帰国直前の忘れられない大切なお土産になりました。

おわりに

一〇カ月間、山あり谷ありの日々でした。前期には授業に付いていけず、部屋にしばらくこもりふさぎ込みそうになったこともありました。後期には、東日本大震災が起こり、日本の今後を左右する決定的な局面をイギリスで迎えることになりました。休暇期間中での旅先では、電灯一つない道に迷い二〇㌔近く歩き続け、死が頭をよぎる瞬間もありました。これらすべてに共通したこと。それは人とのつながりでした。人は一人では生きていけない、だからこそ支え合うのである、ということを心に刻んだ貴重な日々でした。

ジョギングコースとして重宝した近くの植物園

東日本大震災後、一日でも早く社会に出て日本の復興に一つでも多く携わりたいとの思いから、卒業後は重工メーカーへ進むことを決意しました。

 最後になりましたが、短期留学の際から多大な御支援をいただいた三枝先生、山本先生、ヘッセ先生、バーフィールド先生、ゼミを通じて、留学することの意義や社会に出るに当たっての基礎を教えてくださった滝田先生、留学の手続きから留学先でのサポートまで対応してくださった国際交流センター、法学部事務室、法学部リソースセンターなど本留学の実現に力を貸してくださったすべての方々、そして留学を最後まで応援してくれた家族に感謝いたします。本当にありがとうございました。

草のみどり 251号掲載(2011年12月号)