法学部

【活動レポート】西村 志織 (政治学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(56) テキサスで政治学を学んで(下) ルームメート、食事、春学期

はじめに

2009年の新年は、ホストファミリーと庭でマシュマロをあぶりながら迎えました。しかし、どうしてなのか、ホストファミリーは東部時間で新年を祝うので、実際には12月31日の午後11時に“Happy New Year!”と抱き合いながら、何か腑に落ちないものがありました。1月1日はとうもろこしのパンと豆のスープという簡素なアメリカの新年の伝統食を食べましたが、クリスマスの昼食以来、ずっとその残り物ばかり食べ続けていた後の久しぶりの新鮮な料理で、本当にうれしかったのを覚えています。お節料理ばかり食べてうんざりした後、七草がゆを食べるのと似たような気分でしょうか。

それを食べた後、今度は2週間フランスに出掛けて、同年代の人たちと知り合い、一緒に遊んだり、観光して過ごしました。1人でもメトロに乗ってどこへでも行けることや、殺される心配をせずにふらふらと外を歩けることがうれしくて仕方ありませんでしたが、人に出会って、仲良くなって、別れる、ということを繰り返し過ぎて、何だかむなしくなったりもしたので、University of St.Thomas(UST)の寮に戻ってルームメートの顔を見た時は、すごくほっとしました。今回は留学生活後半の御報告ということで、その後始まった春学期の授業や、ルームメートのこと、カフェテリアなどについてお話ししたいと思います。

ルームメート

私のルームメートはインド系のアメリカ人で、小柄な、彫りの深い顔立ちのとても奇麗な子でした。終わってみて、彼女がルームメートだったことは、留学にまつわる一連の出来事の中で、1番の幸運だったと思います。留学前にアンケートがあり、性格や雰囲気が似た者同士を同室にしているようですが、そのかいがあったのか、彼女は一緒に暮らす相手としては理想的でした。お互い、相手の知られたくなさそうなことは、礼儀正しく見て見ぬふり、知らないふりで通し、部屋が多少散らかってもどちらも文句を言わず、その結果とても友好な人間関係を築けました。

また、私が泊まる場所や、移動手段などを切実に必要としていた時、いつも助けてくれたのが彼女の御家族です。何かあるとしょっちゅう彼女の家に転がり込んでいたため、私がいつも使うゲストルームの浴室にウォシュレットを設置してくれたり、私が好きなカレーを覚えていて、行くと必ず出してくれたり、本当に感謝しきれないくらい優しくしてもらいました。

カフェテリア

ヒューストンにいたころ、しばらく私はひどい栄養不足に悩まされていました。髪を洗うだけでつめが割れたり、貧血を起こして転んだり、どうしようもなく不健康な状態で、見かねたルームメートのお母さんが、寮で食べなさいと、カレーやナンを何種類もタッパーに入れて持たせてくれたこともありました。地獄に仏、とはあのことでしょう。思わず涙ぐんで、ルームメートをぎょっとさせました。

どうしてそうなったか、というとUSTでは寮生は皆、学期ごとに1500ドル分のミールプランを購入することが義務付けられ、大学のカフェテリアに行って好きなものを注文することになっていました。ここで中央大学の学食を想像したら大間違いで、キャンパス内のチャペルそのカフェテリアには大体において、ハンバーガー、ピザ、マカロニ、サンドイッチしかメーンの選択肢がなく、野菜はあってもうさぎの餌と見間違えるような代物です。アメリカの中でも、特に肥満人口の割合が全米一のテキサス州では、誰も栄養のことは気にしません。結局たまりかねて、仏教徒だからカフェテリアに食べられる物がないと主張し、春学期にはミールプランの購入を免除してくれるようにお願いしました。担当者が面倒だったのか、異教徒との共存を大学の理念に掲げているからかは知りませんが、あっさり認められ、その分春学期は外食ばかりしていました。

移民が多いだけあって、ヒューストンはエスニック料理がとても充実しています。ベトナム料理、中華料理、タイ料理、インド料理、韓国料理、大抵何でもあって、安くておいしくて、何より物珍しくて、日本に帰ってきてからひどく懐かしく思います。何より、気の合う友達と、好きな物を食べられるのはとても幸せなことでした。これから留学される方は、まず間違いなくミールプランは余るので、免除してもらえないかどうか聞くだけ聞いてみることをお勧めします。

春学期の授業

USTの教授は、大抵がとても仕事熱心で、英語の不自由な留学生に親切でした。私立の教育型大学なので、学生はお客様、という意識が一層強かったのかも知れません。A以外の評価をもらった場合、学生がそれを望むなら、教授は個別に面談し、なぜAではないかを説明する義務があったり、色々と学生本位の制度が整っていました。その辺はまるで日本と違い、何かあれば誰かしら助けてくれるので、安心して授業に臨めました。

American& Texas GovernmentⅡのクラスでは秋学期から引き続き、アメリカの政治システムの体系を学びました。Political Science のオフィスは、かわいらしいれんが造りの2階建ての家なのですが、オフィス・アワーにそこへ行くといつもクリスピー・クリームのドーナツとコーヒーを勧められ、お茶をしながら質問する、というのが習慣でした。

Federalism and Intergovernmental Relationsの授業は、アメリカは連邦制を採用した地方政府の強い分権型社会ですが、国と州、州とローカル、国とローカル、州同士、市同士の政府間関係について法や判例の観点から学ぶクラスでした。誰に聞いても明快な答えをもらえなかった日常的な小さな疑問が解けるのがとても面白く感じました。どうしてある州の住民はインターネットで他州のワイナリーからワインを買うことが出来ないのか、低所得者層の住む学区の小学校の必要経費はどの政府が負担しているのか、なぜ飲酒年齢が州の間でばらつきがないのか、などなど。とても優しく気さくな教授でしたが、笑顔で言い渡されるリポート課題はずっしり重く難解で、何時間も図書館にいて進んだのは3行だけ、ということもありました。

Region Study of East Asiaの授業は、20世紀の東アジア諸国の関係について、近代史を踏まえながら考察する、というクラスでした。色々目的はあったのですが、結局学んだことは、アジアで起こったこういう事件に対しアメリカ人は

こういう考えを持っている、ということに尽きます。中国語のクラスメート本が1冊書けるようなテーマについて、「日本人はどう思っているの?」とさらりと聞かれることがあり、うまく答えられず悔しい思いをしました。仕方ないので自分の意見を述べたわけですが、クラスにアジア人が私1人で、何を言っても反論されることがなかったのが幸いでしょうか。例えば植民地政策や東京裁判などに対し、日本人ならこういう見解を持つのが望ましい、という模範解答でも知っていれば、まだ授業の感じ方も違ったかも知れません。

Mandarin Chineseのクラスですが、国際政治を学んでいく中で、特にアジア地域に興味を持つようになったことと、友達に台湾人が多かったことから、中国語に興味を持ちました。外国語を使って別の外国語を学ぶことも、面倒ですが面白かったです。クラスメートは6人いましたが、宿題の漢字の書き取りを毎回やってくるのが私だけだったこと、自分の中国名をまともな漢字で書けるのがこれも私だけだったことから、先生にはとてもかわいがっていただきました。クラスメートとも仲が良く、いつも授業の後にチャイナ・タウンに夕食を食べにいったことや、スピーチ・コンテストで賞を頂いたことなど、色々と中国語のクラスには良い思い出があります。

Writing for Disciplinesのクラスでは論理的なエッセーの書き方を学びました。テーマは多様で、「異文化理解に必要な心構え」のように書きやすいものもあれば、「予知夢の有効性を体験から論ぜよ」とか、ひどい場合は「フリーダ・カーロの自画像に表れている彼女の内面の美について描写せよ」のように、日本語でもうまく書けそうにないものもありました。エッセーを書け、と言われて夜中まで掛かって書いたものを、「これはただのエッセーに過ぎない」と突き返され、4度書き直しを指示された時は、心底ふてくされました。授業の後、クラスメートとよく愚痴をこぼし合ったのですが、そのおかげで随分スラングを覚えました。

ホリデー

留学中、連休さえあれば旅行していました。ヒューストンにはコンチネンタル航空のハブ空港があり、大学から空港まで車で約20分、全米の主要都市及び、ヨーロッパと中南米のハブ空港に直行便が出ているので、旅行がしたい人には

お勧めの留学先です。旅行で行ったハワイ個人的には、サンフランシスコやボストンなど、交通の便が良く、夜1人でも出歩けて、シーフードがおいしい場所ばかり旅行していました。ヒューストンは面白い街ですが、その3つの要素は決定的に欠けているので、そこで暮らしていると気が変になりそうなほどそれらが恋しくなります。USTでは、最低でもMid-Term、Thanks-giving、冬季休暇、Mid-term、Easter、学年末の6回、多少ゆっくり旅行出来る機会があり、マイレージが物すごくたまります。その期間は食堂が閉鎖され、寮に残る学生はほぼいないので、友達の家に転がり込むか、そうでなければ旅行に行くかしないと、寮監から買い込むように指示された冷凍ピザで1週間耐えなければならないようなことになりかねません。

テキサス州内や、隣州であれば、日本人なら飛行機を使いたくなる距離ですが、車で旅行するのが普通です。私もダラス、ルイジアナ、サン・マルコスなどに行きました。アメリカ育ちの友人と一緒に旅行すると、旅程がのんびりしていて驚かされます。車で6時間掛けてダラスに行って、ほとんど観光もせず、ホテルでWiiをして遊んだり、DVDを見ただけで帰ってきたこともありました。逆に、サン・マルコスに行った時は、世界最大のアウトレット・モールがあり、1日掛けても見て回れない広さがあるため、珍しく活動的でした。

終わりに

9カ月間、色々なことがありました。不可抗力ですが、ハリケーンだったり、新型インフルエンザだったり、リーマン・ショック後の就職活動であったり、家族に心労を掛けることの多い留学生活になってしまいました。サクレ・クー

ル寺院(パリ)個人的にも、なるわけない、と思っていたのに、結構重たいホームシックにかかってみたり、逆に楽しくて仕方がないころもあったりで、ジェットコースターに乗っているように浮き沈みの激しい時期でもありました。それでも、数えきれないくらいの人に食事をごちそうしてもらったり、家に泊めてもらったり、困った時にはいつも思い掛けない誰かが手を貸してくれた、幸運な9カ月でした。それに助けられ、留学前に自分で立てた目標は、ほぼ達成出来たのではないかと思います。

留学生活を無事に終えることが出来たことについて、「やる気応援奨学金」を通じてさまざまな方から後押しを受けたことは、特に落ち込んでいる時には、大きな支えになりました。日本から、私のことをよく知っているだけにはらはらしながら見守ってくれた家族や、留学計画について御指導御鞭撻を頂いた三枝先生、山本先生、湯原先生、国際交流センターの渡辺さん、またさまざまな形で「やる気応援奨学金」に御支援を頂いたすべての方に、この場を借りて、心からの感謝をお伝えしたいと思います。

草のみどり 230号掲載(2009年11月号)