法学部

【活動レポート】小掠 瑞希 (国際企業関係法学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(73) 国際機関が見せてくれたもの 世界的基準作り平等な権利を

いざ国連へ

私は高校時代にアメリカに留学したのだが、その時、貧困・格差・差別を経験した。このような社会問題を解決したいという思いを漠然と胸に、私は「国際連合」に興味を持った。しかし、約200の主権国家が存在する現代、国際法や国際機関の限界が危ぶまれている。社会問題の数は増えるばかりで、解決されていないように見える。
果たして国連は本当に機能しているのだろうか。私たちの暮らすこの世界に、国連は本当に必要なのだろうか。これらの疑問を実際に見るチャンスを与えてくれるのが、国際インターンシップであった。私は迷わずジュネーブ派遣を希望した。学部生では入ることの出来ない国連の専門機関を訪れるチャンスだったからだ。
選考に通り、ジュネーブ行きが決まったのは、1年生の春休みが始まったころだった。私は大学2年生の1年間を、この国際労働機関(ILO)派遣にささげることを決めた。将来誰しも従事することになる労働について扱う国連機関。自分の将来に必ずかかわってくる労働と向き合う絶好の機会であると感じた。これは、私の大学2年生の夏の経験である。

国際インターンシップ

国際インターンシップとは、法学部2年生以上が履修可能な授業である。約25人の履修者はヨーロッパやアジアのさまざまな国を訪れ、国際外交を体験するというコンセプトで職業体験をする。ジュネーブへ行くのは毎年6人から8人程度であり、国連の専門機関であるILOで2週間の職業体験を行う。
ILOは研究機関である。国際労働基準を設定し、加盟国がその基準に沿っているかチェックしたり、児童労働や性的搾取など幅広い分野の労働に関する条約を作成したりしている。私たちがこの職業体験で行うのは、研究である。各自世界の労働問題を1つ選び、それについて職員の方々と議論を交えながら、自分たちなりの分析を行う。
インターンシップと聞くと、職員の方々のお手伝いというイメージが強いかも知れないが、ここでは違う。自分もILO職員の1人になったつもりで、研究、分析をし、最終的には研究成果を職員の方々の前で発表する。プロフェッショナルとして扱われる現場が、この国際インターンシップの職業体験なのである。

自分の小ささ、世界の大きさ

初めて8人のジュネーブ派遣メンバーが集った。「国連の裏を見たい」「国連の限界を見てみたい」「将来国連で働きたい」……。そんなモチベーションの高いメンバーばかりであった。この授業を通して彼らと出会えたことを誇りに思ったと同時に、彼らとジュネーブで過ごす夏は、今後の人生に大きな影響を与えるものになるだろう、と確信を持った。
授業と並行してすぐにILOの勉強が始まった。ペアを組み、ILOを歴史・役割・構成の面から分析し、プレゼンテーションを行った。各ペアが1つのトピックに集中することで、全員でその内容を共有し、ILOの概要を学ぶのが目的である。四週間という短い準備期間の中で、各ペアは自分が担当するトピックについて深く学べるプレゼンテーション内容を作ってくれた。
先に述べたように、ILOインターンでは最後に専門家である職員の方々に向けて30分ほどの研究成果発表を行う。授業開始と同時に、課外授業として私たちだけでプレゼンテーションを行ったのは、ジュネーブでの本番を見据え、良い発表を作るための練習であった。本番はもちろん英語。そのため、この機会も皆英語で発表を行った。
人前で自分の研究成果を、分かりやすく、論理的に、限られた時間で発表するのは難しいことだ。たとえどれだけ研究を行っても、その知識を全部そのまま発表に組み込むことは出来ない。自分の持つ知識を、限られた時間の中で分かりやすく相手に伝えることの難しさや、英語の専門知識を使いこなすことの難しさを、初めて実感した。
授業では、毎週各外交分野で働く実務家の方や、実務家出身の教授から講義を受けた。現代社会における政治も外交も、アクターは中央政府だけではなく、企業やNGOなどの民間セクターも含まれる。民間セクターのみではなく、私たち1人1人も立派な外交のアクターである。日本の代表として恥ずかしくないような行いをしなければ、と感じた。
発表の練習や授業を通して、世界がいかに壮大で、自分がいかに小さな存在かを感じ、気が遠くなることが多くなった。こんなちっぽけな自分に、何か1つのことでも達成出来るのだろうか、という疑問が頭を悩ませるようになった。ジュネーブに行くことに自信をなくしながらも時間は迫っており、悩み多き初夏を過ごした。

移民問題との出会い

梅雨になったころ、チーム8人は新しい4つのペアに分かれ、各自研究テーマを選定することになった。私たちが研究課題として興味を持ったのは性的搾取の問題であった。特に、被害者が社会復帰した後の精神面でのケアについて興味を持った。現時点でこのようなケアはあまり積極的に行われておらず、社会復帰に失敗してしまう被害者も多いそうだ。
私たちは、性的搾取や人身売買を扱ったシンポジウムに何度か足を運んだ。そこでもあまり精神面でのケアは取り上げられず、ただ問題視されているということしか分からなかった。人身売買と関連し、私たちが次に興味を持ったのは、日本における移民労働制度だった。
外国人研修生として日本に職業訓練に訪れる発展途上国の人々が低賃金、重労働で過疎地域の工場などで働かされており、それは日本の労働法や世界の労働基準から外れているものだった。時給300円で15時間労働、その後更に無賃で5時間労働。ニュースでよく耳にする海外研修生制度が、そのような実態を持っていることを知った。研修生という名の下に日本を訪れる彼らは、日本の労働法で保護される対象ではない。しかし、いま述べたような事態はあまりにも基準を下回り過ぎている。いくら研修生だからといって、彼らに労働者としての権利がないというのは、あまりにも不平等ではないか。労働組合に入ることは許されず、工場の外に出ることすら許されないのだ。
ジュネーブに行ってまで日本の問題をやりたいのか、と聞かれもしたが、私たちはこの制度についてILO職員の方々に知ってもらうことと、解決策を見いだすことを目標とした。この問題は「強制労働」「労働搾取」「移民労働者」という3つの大きな枠に入るものだ。しかし、ILOではまだあまり知られている問題ではない。
自分たちがこの問題を世界に示すことが出来れば、何か改善策が見付かるかも知れない。そのような希望を胸に、私たちの研究は始まった。ILOで知られていない問題であったため、情報は少ない。しかし、ほかの国での似たような労働搾取問題を調べ、それに対するILOの取り組みを研究し、日本に適用出来るかを考察することで研究を進めた。

ジュネーブ

メンバーは皆、9月5日の夕方6時にジュネーブ空港で顔を合わせた。私たちはフランスのFerney-Voltaireという街のウイークリーマンションのような施設に滞在した。その日の夜は皆で料理をし、これから二週間頑張ろう、と軽いパーティーを行った。こうしてジュネーブでのインターンが始まった。

Ferney-VoltaireからILOまでは、バスで20分程度。毎朝フランスからスイスに入り通勤する、という面白い経験をした。ジュネーブには大きな湖があり、天気が良い時は太陽の光が水に反射していた。朝の光に木々は輝き、その中にあるたくさんの国連機関の建物も輝いていた。なんて美しい街だろう、と初出勤の朝に感じたのを覚えている。
BIT(仏語でのILO)というバス停で下車すると、日本人職員の三宅氏が私たちを出迎えてくれた。ILOの中ではもちろん日本語は通じない。三宅氏に対しても英語を使った。ILOはさまざまな言語にあふれていた。職員の方々は英語だけではなくフランス語やスペイン語を自在に操って会話していた。英語しか分からないことが何となく恥ずかしかった。
私たちはNORMESという、主に労働基準の研究や設定をしている部署の一角にオフィスをいただいた。部署の長であるDoumbia-Henry氏を訪れ、彼女から温かい歓迎の言葉をいただいた。とても気さくな方で、メンバーは皆すぐに心を開いた。彼女からILOの成り立ちや取り組みについての説明をいただき、記念撮影を行った。彼女はすぐに仕事でトリノへとたった。
三宅氏がILOの建物内を案内してくださった。その後ILO内の食堂で昼食を取った。国際公務員の方々と同じ食堂で昼食を取るのはなかなか貴重な体験だと感じた。その後オフィスに戻り、私たちの研究は始まった。早速職員の方にインタビューをしにいくペアもいれば、オフィスで研究を続けるペアもいた。
私のペアは次の日に移民関係の研究者であるTaran氏と会ってお話をする約束があった。それまで、Taran氏から送られてきた事前資料に目を通したり、ほかの職員の方とのインタビュー・アポイントメントを取ったりした。Taran氏の部下であるAlsvic氏から直接お電話をいただき、ぜひ会いたいとおっしゃっていただいた。
次の日は、職員の方が強制労働条約の解釈に関するレクチャーをしてくださった。ある労働が、強制労働であると定義するための要件を丁寧に説明してくださり、日本の研修生制度の労働も強制労働であると定義するためにどのような当てはめをすれば良いかのヒントを出してくださった。
Taran氏とのインタビューで移民労働者の権利について学び、研究にも大きな進展があった。条約という一種の法律を扱うこともあり、その条文解釈から強制労働への当てはめを行うことは、日本で勉強している法律と同じ手順で行われて面白かった。それと同時に、法理論や法解釈の難しさも感じた。
このような毎日を過ごし、すぐに1週間が終わった。4日間の休日をいただいたので、研究を進めながらもメンバー全員でジュネーブ観光を楽しんだ。天候に恵まれ、少し肌寒くはあったが、美しいジュネーブを一望するべくレマン湖1周クルーズに参加したり、ローヌ川沿いを散歩し、セーヌ川との合流地点まで行ったりした。
滞在先がフランスであったこともまた面白く、フランスのマルシェ(朝市)を訪れる機会もあった。色とりどりの果物が並び、皆フランスパンのバゲットを手に持っている。まるで映画で見るフランスに自分がいるようで、パリジェンヌになった気分でバゲットを持ち、クロワッサンを食べながら歩いた。
楽しい休日が終わると、また多忙なILOでの日々が待っていた。2週目は、ILO以外の国際機関を訪問した。私は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国際移住機関(IOM)を訪れた。特にIOMは、国を越えて移住を行う人々の支援を行う機関であるため、日本の外国人研修生制度についても研究が進んでおり、さまざまな話を聞くことが出来た。IOMはILOが作る労働基準を、実際に運用し、より人々に近いところでアクションを起こしている国際機関であるため、より移民の人々の目線に立ち、彼らのニーズを理解しているという印象を受けた。

最終日に行われる研究成果発表の準備にメンバーは皆追われていた。これまで長い間掛けて研究してきた材料を、30分のプレゼンテーションに込めることは、想像以上に難しい作業だった。2週間の職業体験はあっという間に終わった。発表を終えた後は皆、やり遂げた、という顔をして、とても輝いていた。そんな仲間をまたいとおしく思った。
Dumbia-Henry氏が最後に私たちに向けてお話をしてくださった。「あなたたちが学部生としてここまでやり遂げたのは素晴らしいことであり、あなたたちは未来の財産です」。長く思われたこの2週間が終わると思うと涙が出た。毎朝出勤するのが憂うつで、大嫌いだったオフィスが、いつの間にか愛着のある「私たちのオフィス」になっていた。

日本の移民制度

今後、日本で少子高齢化がこのまま継続し、都市部への人口流入が更に増加すれば、地方では更に深刻な過疎化が進み、地方の工場などは存続の危機に陥ることも考えられる。これからは、より積極的に移民労働者を受け入れなければ、自国の産業を保護することは出来ない。移民に対して開放的な国になるためにも、日本は移民に対する労働基準を見直すべきである。
日本が基準を見直すと同時に、研修生への権利教育も行われるべきだと思う。自分の身を自分で守るために、自分が権利で守られているということを理解しなければならない。もし自分の労働環境に、自分の有する権利が適用されていないなら、自分は良い待遇を受ける権利があるのだ、と主張しなければいけない。そうしなければ、雇い主に言われたとおりに動き、搾取されていることも気付かずに、傷つくだけで終わる。労働者にそのようなことがあってはならないのだ。そしてそれは、もちろん移民だけではなく、私たち日本人も、自分の権利について知っておかなければいけないだろう。
日本で生活するための言語教育ももちろんである。それと同時に、NGOなどに協力を求め、移民労働者が出向きそうな教会などにライフラインを明記したちらしなどを置いておくことも、問題解決への第一歩である。彼らが雇い主の言いなりになるのではなく、助けを求めることが許されるということも示してあげなければいけない。そのような活動は、ILO単体で出来るものではないし、先で述べたIOMなどの国際機関やNGOなどの協力が必要である。

ジュネーブで学んだこと

この外国人研修生制度と向き合い、日本の現状を知ると共に、国際社会における法律の適用範囲の甘さなどを学んだ。また、やはり国際機関というのは、世界中の国に人々を守るための一定の基準を示しており、皆公平に権利を有するということを示すという大きな役割を果たしているのだと感じた。
国際法や国際機関の限界は確かにある。しかし、それは日本の国内法も同じである。完璧ではないが、それでも現時点で出来る最大の方法で人々の権利を守っている。その基準に従うか否かを決めるのは各主権国家であるが、人権というものを認容する国は増えてきており、これから更に基準に従うと表明する国は増えるだろう。これも国連が人権の大切さを世界中に示した成果なのである。私はそのような取り組みを行う国連に心から敬意を表したいと思った。
それと同時に、国連機関の果たす役割は、国連とその専門機関だけでは成り立たないということも学んだ。ILOは国際法的観点から基準を作り、それを使ってアクションを起こす国際機関やNGOなどの協力がなければ、国連の目指すものは達成出来ないのだ。国際政治のアクターは、第2次世界大戦後に一気に増え、主権国家だけではなく、国連を始めとする国際機関や民間セクター(多国籍企業やNGOなど)も立派なアクターである。これらのアクターが互いに関係し合い、協力し合うことで国際政治が行われている。このジュネーブインターンシップで、これを肌で感じることが出来た。
本でいくら読んでいても、やはり自分の目で見て体験するのとは違うのだ。このインターンシップを通して、世界的な基準を作ることですべての人が平等に権利を持つことがどれだけ大変なことであるか、そして、その基準を作り上げるために法的思考がどれだけ大切であるかを学んだ。

最後に

国際インターンシップの教授、ILOでお世話になった三宅氏を始めとするNORMESの職員の方々、「やる気応援奨学金」でお世話になったリソースセンターの職員の方々、サポートしてくれた両親、そして大切な八人の仲間たちに感謝の意を表明したい。1人でも欠けていたら、私はこのインターンシップを経験することは出来なかったでしょう。ありがとうございました。

草のみどり 247号掲載(2011年7月号)