法学部

【活動レポート】井手 健介 (政治学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(15) オーストラリアで留学生活(上) いきさつと勉強・寮について

はじめに

僕は、現在、法学部の「やる気応援奨学金(長期海外部門)」からの御支援を頂き、オーストラリアのパースにある西オーストラリア大学で留学生活を送っています。ここでは、今回と次回の2回に分けて、僕のオーストラリアでの留学生活の様子を皆さんにお伝えしたいと思います。今号では、現在の僕の留学生活の概要と留学をするまでに至った経緯、そして、ここでの勉強の様子や学生寮の話などを中心に書いていきたいと思います。

留学生活の概要

僕が通っている西オーストラリア大学では、日本よりもおよそ1ヶ月早い2月の下旬から新学期が始まり、3月下旬のイースター休暇を挟み、6月に行われる学期末試験で前期が終了します。そして、後期の日程は、前期終了後の約3週間の冬休みを挟んだ後の7月下旬から11月までとなっています。ちなみに、現在、僕は、来週から後期1週目の授業が始まる段階でこの原稿を執筆しています。
西オーストラリア大学は、西オーストラリア州にある大学の中では最古の大学であり、オーストラリア国内でも最も高い評価を受けている大学の1つです。

大学のキャンパスは、パースの中心部からバスで数分の所に位置し、また、そのすぐ隣にはパース全域にまたがるSwan Riverが流れています。キャンパス内には、自然との調和がうまく取れた建物が多く立ち並び、そこではさまざまな野生の動植物も見ることが出来ます。その中には、何と野生のくじゃくの家族も含まれており、それを初めて見た時は、さすがに僕も驚きを隠せませんでした。

西オーストラリア大学では、現地のオーストラリアからの学生のほかにも、シンガポールやマレーシアを中心としたアジアからの留学生、更にヨーロッパやアメリカ、カナダからの学生なども多数在籍しており、非常に国際色豊かな大学だといえます。ちなみに日本からの留学生は、自分を含めて10人程度です。
このような多くの自然と異文化に囲まれた環境の中、僕は現在、主にオーストラリアの政治及びアジア地域における国際関係論について勉強しています。実際に、僕がここで選択している科目は以下のようなものです。
Australian Democracy,Understanding Asia-Australia Issues,Environmental Issues in Asia,International Relations in East Asia,Global Governance,Beginners’ Chinese
留学中、僕は大学のすぐ隣にある学生寮で生活を送っています。僕が生活する寮には、現在、200人ほどの学生が暮らしており、その大多数が海外からの留学生で占められています。そんな彼らと共にする日常生活は、毎日が新たな発見の連続で、寮生活は僕の留学の中でも最も貴重な経験の出来る場の1つです。
また、そのほかにも、大学のキャンパスまで徒歩で数分という寮の立地は、日本で毎日、片道約2時間という通学生活を送っている自分にとっては非常にうれしいものでもあります。
なお、授業や寮生活の様子などについては、後で詳しく触れることにします。

留学及び留学先選択の理由

ここで僕がなぜ留学を志すようになったのか、そして、なぜ留学先にオーストラリアを選択したのかについて少し書かせてもらいたいと思います。
僕はもともと大学に入学した当初から、在学中に1度は長期間、海外で勉強してみたいという気持ちを持っていました。しかし、その気持ちはあくまでも漠然としたもので、その気持ちを裏付けるような特別な動機や目標が特にあったわけでもなく、今思うとそれは留学に対する単なるあこがれだけだったように思います。しかしながら、中央大学での学生生活を積み重ねていく中で、そのあこがれを明確な目標に変える経験をしてきました。
それは、大学入学と同時に入会した「アジア法学生協会」という学生サークルを通じて、アジア地域の学生と直接、交流する機会を早い段階から常時、持てたということです。このサークルでの経験は、僕に海外の学生たちの勉学に対するモチベーションの高さや能力の高さを教えてくれ、それは自分にとって非常に刺激的なものでした。
また、それと同時に、自分と同世代、しかも、同じアジア地域に暮らす学生たちとの出会いは、僕が「アジアの人間」であることを初めて自覚させてくれた場面でもあり、「日本人としてアジアで自分に何が出来るのか」ということを問い掛けさせる切っ掛けにもなったと思います。
そして、それらのことが動機となって、1度日本を飛び出し、日本やアジア、更には、自分自身までを改めて外から見詰めてみたいと思うようになりました。そして、その場所として僕が選択したのがオーストラリアでした。
オーストラリアはかつてイギリスの領土だったことから、オーストラリア社会の中では、今でも至る所でその当時の影響が見受けられます。
しかしながら、政治と経済の両面においてオーストラリアにとってアジアは現在、最も重要な地域の1つとして考えられており、そのため、オーストラリアではアジア学の分野が進んでいます。また、アジアからの移民も現在では多数受け入れており、そのような多文化社会を直接、自分の目で見てみることは、今後、更に国際化が進んでいくことが考えられる日本社会について考えていくうえでも参考になるのではないかと考えたのが1つ目の大きな理由です。
更に、この理由とは別に、オーストラリアの大学の修学期間は日本と非常に似ており、留学後に就職活動をすることを考えている自分にとっては帰国後もスムーズに就職活動へ移行出来るという点で都合が良いということ、そして、留学に掛かる経費がアメリカやイギリスなどと比べて安いという点もオーストラリアを留学先として選択したことの大きな理由の1つに挙げられます。
留学生活は、一見すると華やかそうに見えるかも知れませんが、実際の日々の生活は地味なことの繰り返しです。1日のうち、睡眠と食事以外の時間の多くは勉強に費やすことが多く、時には、それを大きな負担と感じることがあるのも事実です。
しかし、そのような時に自分を支えるのは、「自分の中での留学に対する動機や目的がどれだけ明確であるか」ということであり、そのことをきちんと自分の中で持つことが留学をするうえで1番、大切なことであると思います。

勉強の様子

こちらの大学の授業は、中央大学のそれとは幾つかの点において違いがあります。まず1つ目として、こちらではチュートリアル制度があるということが挙げられます。
チュートリアル制度というのは、少人数制のクラスによるゼミ形式の授業のことであり、ここでは受講するすべての科目において、講義を行う講師を交えながらの週1度のゼミが行われ、その週の講義で扱った内容を学生同士が議論し合うことにより、その週の講義の内容の理解を更に深めることを目的としています。そのため、1つ1つの科目ごとに毎週、ある程度の量のリーディングが課されており、初めのうちは、チュートリアルのための準備をこなすだけでも大変でした。
ただし、こちらでは1こま当たりの時間が45分と日本よりも短く、半期に履修する科目も4つと少ないため、授業以外に自分で勉強する時間は日本にいる時よりも多く持つことが出来ます。そして、どの学生も授業前にきちんと準備をしてきているという印象を受けます。
2つ目としては、大学全体においてIT化が進んでいるということです。
こちらの大学では、すべての講義が毎回、録音されており、その録音された講義を授業後に大学のウェブサイトから再度、聴くことが出来ます。また、授業中に使用されたレジュメやパワーポイントのファイルもそこから手に入れることが出来、これらは何らかの事情で授業に出席出来なかった時や試験前の復習をする時などに非常に役立ちます。
ほかにも、すべての科目でそれ専用のウェブサイトがあらかじめ大学によって設けられており、その場を利用して、講師からの連絡事項の伝達や講師と学生間の日常的なコミュニケーションを行ったりもします。
3つ目としては、授業の課題で提出したエッセイが担当の講師によって添削されるということです。
僕が前期に選択したほとんどの科目では、学期中にどれも2000-3000語程度のエッセイの課題が課されており、それは、それぞれの科目における全体の評価の中でも学期末試験と同じくらい重要なものでした。更に、このエッセイの作成は、これまでの講義やチュートリアルで取り扱ってきた内容を基に各々がそれぞれの考えや視点をまとめて文章化するという作業であるため、どの学生もこれには本気で取り組みます。
そして、このようなエッセイは提出後、数週間が経過すると、担当の講師から、どのような点が優れており、どのような点がまだ足りていないのか、といった内容の丁寧なアドバイスが付けられて、それぞれの学生に返却されます。このエッセイの添削のおかげで、僕は今の自分に何が足りていないのかということを客観的に認識することが出来、その後の自分の学習において大いに参考になりました。
また、留学体験者の方たちの話を聞くと、「留学中は授業の準備や課題をこなすのにそれ相応の時間や労力を費やす必要がある」という話をよく聞くことがありますが、それは多くの面において正しい見解であると思います。
僕もそうですが、多くの日本人の学生にとって英語で講義を聴くこと、文献を読むこと、議論をすること、更にエッセイを書くということは日本の大学ではあまり経験の出来ないことであり、それらのことに慣れるまでにはある程度の時間がやはり必要です。そして、このような英語面でのハンディを差し引いても、前記のチュートリアル制度からも分かるように、こちらの大学では日々の自主学習が日本にいる時より多く求められているように思います。

学生寮の様子

先にも書いたように現在、僕は大学付属の学生寮に住んでいます。僕の寮には世界各国からの留学生が一緒に生活を送っているため、そんな彼らと共に日常生活を送る中で新しいことを学べることも少なくありません。
特に、僕の寮では、毎日、決められた時間に食事を取ることになっているので、寮の中にある食堂では毎日、さまざまな国の人たちと色々な話をすることが出来ます。
その内容は、本の中でしか学んだことのないようなある国の社会や政治、文化の話であったり、時には、キリスト教徒やイスラム教徒の学生からそれぞれの宗教の話をしてもらったりと、今まで自分の知らなかった世界のことを知ることが出来るという点において、寮生活は自分にとって非常に良い経験になっていると思います。

また、時には反対に、僕の方からほかの国の留学生に日本の社会や文化、更に、日本語などを教えることもあるのですが、そのたびに、自分の日本についての知見の足りなさを痛感したり、逆にその中から、今まで自分の気が付かなかったような日本の良いところや悪いところなども知ることが出来たりと、日本人である僕にとっても、色々と日本について勉強出来る良い機会になっていると思います。
ほかにも、僕の寮には1通りのスポーツ施設が整っているため、そこでさまざまなスポーツに色々な国の人たちと一緒に興じたり、時には、学生寮対抗のスポーツ大会に参加して、同じ寮の仲間と共に、自分の寮の誇りをかけて戦ったりするということもスポーツ好きな僕にとっては非常に良い経験になっていると思います。
また、学習面においても、自分が書いたエッセイの英語面での校正を寮の友人にお願いしたり、僕がここに来てから新たに始めた中国語の分からないところなどを、中国語の話せる友人に教えてもらえたりすることも、学生寮ならではの良いところなのではないかと思います。

終わりに

今号では、僕がオーストラリアでどのような留学生活を送ってきているのかを、ごくごく簡単にですが書いてきました。
今の時点で、僕は、まだ留学生活の折り返し地点を回ったばかりでありますが、オーストラリアでの大学生活は日本で送るそれとはやはり違うところが多いです。そして、このような留学生活を重ねていく中で、新たに学んだことや感じたことが幾つかあります。次回では、それらのことについて、詳しく書いていきたいと思いますので、どうぞ御期待ください。

草のみどり 189号掲載(2005年9月号)

「やる気応援奨学金」リポート(19) オーストラリアで留学生活(下) 学んだこと・感じたことは…

はじめに

前回(189号)の執筆から早くも半年が経過しました。既にオーストラリアから帰国し、休む間もなく今は就職活動に勤しんでいます。帰国してから数週間が経過し、オーストラリアのそれとは全く異なる東京の喧騒にいざ自分の身を置いてみると、自分がオーストラリアにいたという事実すら希薄になりがちになりますが、このリポートを書くことによって、オーストラリアでの自分自身の行動や考えを思い起こし、しっかりとした総括が出来ればと思います。
そして、何よりも、ここに記す僕の経験がかつての僕と同じように近い将来の留学を志している方たちにとって少しでも参考になれば幸いです。

勉強面での苦労

まず始めに、僕の留学生活の中心を占めた大学での勉強のことについて簡単に書かせてもらいます。
前回の記事にも書いたように、オーストラリアの大学での勉強は日本の大学のそれよりも幾つかの面で大変だったことがあります。例えば、基本的にすべての授業でチュートリアル制度が採用されているので、日本にいる時よりも多くの時間をゼミの準備に費やす必要がありましたし、全体的にクラスの規模も日本のものよりも小規模なので1人1人の学生にはより積極的な態度が求められます。
そして、何よりもすべてのことを慣れない英語でこなさなくてはなりませんでしたし、日本からの留学生という理由で現地の学生よりも評価が甘くなるということもありませんでした。
このように勉強面での苦労話は1度挙げ出すと切りがありませんが、その中でも特に大変だったことの1つにエッセイの作成が挙げられます。日本でも授業の中の1つの課題としてリポートの提出を求められることがありますが、そこでのリポート作成に必要な文字数はせいぜい3000~4000字程度であり、しかも、参考文献こそは明記するものの引用までは特に書く必要はなく、また、書式に対する細かい要求もそこまで厳しいものではありません。
それに対して、オーストラリアの大学(恐らく海外の大学一般)では、1つのエッセイの中で書かなくてはならない文量は日本で書くものの少なくても2倍、また、リサーチをするために必要な読書の量はその数倍にもなります。
更に、エッセイの中で展開する1つ1つの自分自身の推論や意見に対してもそれを裏付けるための根拠が必ず明記されてなくてはならないので、エッセイ中にはきちんと細かい引用を付けなくてはなりませんし、また、きちんと書式のルールに従って自分のエッセイを奇麗に仕上げることが評価を受ける際の大きなポイントにもなります。このようなエッセイ1つの例から見てもよく分かるように、向こうの大学では何においてもより論理性が重視されているように感じました。例えば、ディスカッションが中心となるチュートリアルのクラスの中で何か意見を述べる時は、それがただの感情論だったり、ただの事実の羅列だったりしてはならず、仮にだれかがそのような意見を述べたりすると担当のチューターやほかの学生から鋭い指摘をもらうことになり、僕もそれで何度か痛い目に遭いました。
また、学期末の試験でも単純な暗記だけでは解答することがなかなか難しい、例えば、幾つかの異なる単元が1つの設問に融合されたようなものが多く出題されました。このように留学中の勉強面では色々と苦労することは多かったのですが、その多くは英語面からというよりもより本質的な中身の部分からだったと思います。
というのも、仮にエッセイの中で自分の書く英語がそれほど洗練されてなくても、また、ディスカッション中に自分が話す英語がそこまで流ちょうでなくても、そこにしっかりとした中身さえあればその場にいるだれしもが耳を傾けてくれますし、担任の教授からも高い評価をきちんともらえます。逆にそれがないと相手の注意を引き付けることが難しくなりますし、何よりも留学先での勉強がただの苦痛になりかねない恐れがあります。
これらのことを簡単にまとめると、まずは今自分が中央大学で勉強していることをしっかり頑張ること。そして、その中から自分の専門性を見付け出し、それを出来る限り深めていくことが1番大切になると思います。もちろん、英語の勉強を熱心にすることは必要です。しかし、それ以上に、まずは日本語で良いので、自分の意見をきちんと明確に相手に伝えられるようにすることが何よりも必要なことだと思います。

オーストラリアの豊かさ

続いて、僕がおよそ10カ月もの間、生活を送ったオーストラリアのことについて書かせてもらいます。「オーストラリアのイメージといったら何?」ともしも聞かれたら、青い海に白い砂浜、温暖な気候に陽気な人々、そして、カンガルーやコアラなどのユニークな野生動物といったことなどがすぐに思い浮かぶかと思います。そして、実際にそこで生活をしてみても、そこにはこれらのイメージと全く変わらない光景が幾つもありました。オーストラリアには数多くの素晴らしいビーチがあり、そこでは多くの人たちが日光浴から魚釣り、そして、数々のマリンスポーツを楽しんでいます。また、街の至る所にはさまざまな種類の野鳥が生息しており、動物園に行かなくとも日常生活の中でそれらが作り出す美しい彩りや音色を楽しむことが出来ます(中には、不意に人を襲ってくる凶暴な鳥などもいますが……)。

このようなオーストラリアの暮らしの中でも、僕はオーストラリアに住む人々がゆったりと、更に、余裕を持って生活を送っている点が特に気に入りました。例えば、オーストラリアでは、どこかの道でだれかと擦れ違うとお互いに簡単なあいさつが自然とすぐに出てきたりします。また、お店やレストランに入ればそこの店員の人たちとも簡単な会話がすぐに起こります。
そして、何よりも僕が驚かされたことは、バスを利用する乗客のだれもがバスから下車する時に、たとえそれが後方のドアから降りる時であっても、バスの運転手に向かって“Thank you!”と声を掛けることでした。
これらのことはすごく何気ないことのように思えますが、何気ないことだからこそ実は大切なことでもあるし、そして、何よりもお互いの気分を良くすることでもあります。また同時に、簡単なことだからこそ実際に行うことが難しいことでもあると思います。このことに関しては僕だけではなくほかのヨーロッパやアジアからの学生も同じように口をそろえて良い習慣だと言っており、日本でも同じように出来ないものかと考えさせられます。

また、もう1つオーストラリアの生活の中で特筆すべき点を挙げるとしたら何といってもすべての店が平日休日を問わずに午後5時には閉店するということが挙げられます(ただし金曜日は午後9時まで)。これには個人が経営するような小さな店だけではなく、市内のど真ん中にある大型のスーパーマーケットまでもが含まれており、大型チェーン店の24時間営業がもはや当たり前になってきている日本に住む僕にとってはとても衝撃的なものでした。
確かに、生活をする中で、店が早い時間に閉まることを不便に感じることは何度かありました。しかしながら、1年間休む間もなく年中無休に店がオープンしている日本よりも、しかるべき時に店を開き、しかるべき時に休んでいるオーストラリアの方がより自然な生活を送れているのはいうまでもなく、一概に便利だから良いとはいえないことを向こうでの生活の中でより強く実感しました。
このようにオーストラリアでの僕の生活は日本のものと比べると非常にリラックスしたものでした。もちろん、オーストラリアと日本とでは国土の面積も人口も全く異なりますし、人々の間における仕事や生活に対する価値観も異なるので2つの国を単純に比較することは出来ません。
しかしながら、オーストラリアの暮らしには日本の中にはんらんする物質的な豊かさとはまた違った精神的な豊かさのようなものがより多くあったように思います。そして、また、今の日本にはどうしてもそのような精神的な豊かさが足りてないように思えてなりません。

自分自身を知ること

最後に、この留学体験記のまとめとして、僕が今回の留学を通じて1番強く感じた「自分自身を知る」ということについて書かせてもらいたいと思います。
前回の記事にも書いたように、僕は今回の留学を通じて、実にさまざまな国の人たちと知り合うことが出来、それを通じて、違う国の社会や習慣、考え方などを学ぶことが出来ました。また、大学での勉強の中では今まで知ることのなかった専門分野の領域を学ぶことが出来たと思います。そして、それらのことを通じて、何よりも今ある「自分自身」についてよりよく知ることが出来ました。
例えば、海外の人たちと話す時、当たり前ですが僕は必ずまずは日本人として見られます。
そして、何かことあるごとに相手からは日本人としての意見を求められました。特に中国・韓国で反日デモが起こった際には、アジアの学生からだけでなく、オーストラリアやヨーロッパの学生からも日本人として僕がこのデモのことについてどのように考えるかをよく聞かれました。また、時には、質問を通り越してそれが日本に対する強い批判へと発展することもまれではなく、そのたびに激しい論戦を繰り返したりもしました。
このようなことを繰り返した結果、僕自身の中での「日本人」としての意識は以前と比べてとても高くなったように思います。ただし、それは日本人としてのナショナリズムが高揚したというよりも、より日本人としての責任を持って発言でも行動でもするようになったという意味においてですが。
多くの海外の人たちにとっては、僕が初めて出会う日本人になる可能性は十分にあります。その場合に、もしも仮に僕があまりにも無責任な発言や行動をしてしまい、それがそのまま日本全体に対する印象となってしまったらそれはとても残念なことですし、逆に、そこできちんとした信頼を築くことが出来ればその人たちの中における日本に対する印象は好意的なものになります。
特に現在の日本は近隣のアジアの国々との外交上の関係が余り良好ではないので、その意味でも、このような底辺の部分からお互いの理解をきちんと深めることは大切だと感じましたし、そのためには、「日本人」としての自分自身をよりよく知ることが必要だと思いました。
もう1つのこととしては、既に書いたこととは全く異なりますが、勉強にしても英語にしても自分の思うようになかなかうまくいかないという経験を通して自分自身をよりよく知ることが出来るということもあります。
ここで意味するなかなかうまくいかないということは、自分の英語が思うように通じないとか、ディスカッションで相手の言っていることがよく分からないといった、とてもささいなことが多いのですが、このような「出来ない」という状況に自分が置かれた時に自分がどのように対応をするのか、また、それをどのようにして克服していくのかといった

ことを知ることは留学後にも生きていくことだと思います。
このように、留学では勉強や英語以外の面でも色々なことを学ぶチャンスがあると思います。留学をするチャンスがもしもあるのなら、机の上だけでなく外にも目を向け、そして、色々な人に出会って自分の視野を広げてみることが大切だと思います。そうすれば、また新たな自分を知ることが出来ると思います。

終わりに

2回にわたって書かせてもらった留学体験記もこれで終わりです。文才の全くない僕が書いたこの文章がどこまで留学を志している皆さんのお役に立てるのかは定かではありませんが、ここに記した僕の体験が1人でも多くの中大生の方たちの参考になれば幸いです。
最後になりますが、今回の留学を通して、本当にさまざまな方々から御支援、励まし、アドバイスを頂くことが出来ました。
選考面接の場で厳しくも的確な御指摘を頂いた三枝先生を始めとする「やる気応援奨学金」の選考委員会の先生方。3年次の専門ゼミで大変お世話になり、また、入寮に必要な推薦状の作成に御協力を頂いた今村先生。日本を離れる際には、盛大に送り出してくれ、また、僕がオーストラリアにいる間には、さまざまな場面で温かいエールと励ましのメッセージを送ってくれた友人たち。
そして、今回の留学に対する理解を示してくれ、留学中にはいつも陰で僕を支えてくれた両親を始めとする家族。今はこれらの方々への感謝の気持ちでいっぱいです。
これから先、大学を卒業し社会へと出ていく中で、このおよそ10カ月の留学期間の中で学んだことが生かせるように、これからも自分自身を精進させていきたいと思います。

草のみどり 193号掲載(2006年2月号)