法学部

【活動レポート】中原 乾哲 (法律学科4年)

「やる気応援奨学金」リポート(75) ニューヨークへ短期語学留学 現地の会計事務所訪問も実現

はじめに

私は、2011年2月12日から3月28日までの約六週間を使い、ニューヨークへ語学留学してきました。留学計画の策定では「やる気応援奨学金」の教授方から多くのアドバイスをもらい、数多くの支援をしていただきました。『草のみどり』に自分の経験を執筆出来ることは大きな喜びです。多くの人に自分の経験を知ってもらいたいと思っています。

ニューヨークでの生活、勉強、会計事務所訪問までに至る活動は、「やる気応援奨学金」の制度がなければどれも達成しえなかったと思います。「やる気応援奨学金」は私にとって単なる奨学金制度ではなく、学生の心に火を付け、将来キャリアにつながる自己実現の場を提供してくれる制度なのだと感じました。

座学の限界を乗り越える

「やる気応援奨学金」に応募した時は、私は既に3年生でした。今までの3年間は公認会計士試験の勉強をしておりましたので、英語とは全く縁がない生活をしておりました。この時は、何か資格さえ取得すれば将来が安泰になるというような夢のようなことを考えていました。今思えば本当に考え方が小さかったと思います。ですから、友人が「やる気応援奨学金」を利用していることは聞いていましたが、私にとっては単なる他人事でした。

全く縁のないと思っていた英語だったのですが、公認会計士試験に合格し、働いている会計士の方々からお話を聞きますと、皆さん口をそろえて「専門的な英語」「対等なコミュニケーションが出来る英語力」が必要と言いました。まさか、この段階に来て英語が必要になるとは思いもよらず、とても衝撃的でした。3年間の受験勉強の試験科目には1つも英語という科目はなく、私は与えられた知識をひたすら学ぶ座学の限界というものを感じました。机に向かって受け身の勉強をするだけで成功する時代は終わったということを実感しました。むしろ、学生が自発的に学習していき、実務へ応用出来る柔軟なスキルを身につけることが必要だと考えた時、「やる気応援奨学金」で語学留学に行こうと決心しました。

学年にとらわれず果敢に挑戦

「やる気応援奨学金」の短期語学部門に応募しようと思い、直近の奨学金受給者名簿を見ると、後期募集で奨学金をもらっている学生のほとんどが1、2年生で3年生は皆無でした。3年生は1、2年生とは事情が異なり、それなりに自分の将来キャリアというものを見詰めているものと見なされるため、評価が多少厳しくなるようです。また、3年生という立場上、それなりの英語力を身につけていることが求められるとも言われました。そのような現実を目の当たりにして、自分が今から英語を勉強して奨学金を申請するのは難しいのではないかと思い始めました。そして、英語の勉強をして力をつけたとしても、直近の受給者で3年生がいないという現実は自分にとって非常に大きなハードルだと感じました。

そんな悩んでいる時に「やる気応援奨学金」の相談員の1人である三枝幸雄先生と出会いました。先生は「自分が本当にやりたいという気持ちがあって、結果的に自費で留学することになっても後悔しないという熱い思いを持って取り組むなら、可能性はあるかも知れない」とアドバイスしてくれました。

先生がアドバイスしてくださった一言で私の中での「やる気」に対するスタンスが大きく変わったのです。本当の「やる気」とはたとえ奨学金の申請条件が厳しく、奨学金が出なかったとしても絶対に留学に行ってやるという思いだということが分かりました。今まで受け身の勉強しかしていなかった自分が攻めの姿勢に転じた瞬間だったのではないかと思います。

その日を境に、私は週に3日は図書館に行き、英字新聞に目を通し必死に英語を勉強しました。人間の「やる気」は本当にすごいもので、「やる気」を持って根気よく英語に触れると自然と頭に英語がすいすいと入ってきました。語学学校の入学計画から宿泊先の手配を仲介業者を通さずにすべて自分で準備しなければならないため、英文メールをあちこちの海外の語学学校に送りました。また、「やる気応援奨学金」の申請用紙もすべて英語で書かなければならないため、留学の準備計画を進めているうちに見る見る自分の英語スキルが伸びていきました。奨学金申請前はTOEICの点数が400点台しかなかったのですが、申請を終えた時点でTOEICを受けた時には700点台にまでなり、「やる気応援奨学金」のすごさというものを実感しました。

そんな自分の頑張りが評価され、ついに私は唯一の3年生受給者になることが出来ました。学年にとらわれずに頑張って良かったと思います。

自分の足で踏むニューヨーク

ニューヨークに到着した日はついに来てしまったという興奮がある一方で、一刻も早く新しい環境に慣れなくてはと焦っていましたが、人間はすぐに変わるのが難しいもので、生活が落ち着いたのは2週間目に入ってからでした。

今でも印象に深く残っているのですが、ニューヨークに初めて足を踏み入れた時の感想は何もかもが「大きい」の一言でした。ジョン・F・ケネディー国際空港からの高速道路から見るとマンハッタンの高層ビルが連なり、マンハッタンに到着すると、更に建物の高さに圧倒されました。

ニューヨークは人種のサラダボウルという名称のとおり、街を歩くと白人、黒人、黄色人種とさまざまな人種がいて、誰が外国人で誰がニューヨークに住んでいるのか区別が付きませんでした。ですので、日本のように白人が歩いていると「あっ。外国人がいる」というような認識はなく、人種というものを意識せずに歩いているんだなと思いました。

非標準英語発音との闘い

語学学校に通い始めて1週間目、まず私がぶち当たった壁はリスニング能力です。高校の英語の授業やTOEICの受験参考書のリスニングを通じて英語の聞き取りは学習してはいたのですが、現地で耳にする英語は想像を絶するほど聞き取りづらいものでした。それには理由があります。まず、ニューヨークという土地柄(人種のサラダボウル)から多種多様な民族がいるため、なまりの多い英語に触れる機会が多かったからです。次に、語学学校の留学生との交流で使う言語は英語なのですが、留学生も英語を勉強する立場であるため、発音は完ぺきではなく非常に聞き取りづらいものでした。留学をする前によくある誤解はヨーロッパ人の英語が流ちょうということです。実はヨーロッパの人にも色々な人がいて、特に語学学校に英語を勉強しにくる方というのは英語が基本的に初級です。ですから、英語が出来ないからといって語学留学を避けるのではなく、逆に留学生と共に英語を磨くことで、海外の交友関係を築き、かつ英語の勉強が出来るチャンスととらえるべきだと思います。

1週間目で全くコミュニケーションを図ることが出来なかったという反省点を生かし、その日から猛烈にリスニングの勉強を始めました。非標準英語と闘い始めて3週間目から、徐々に相手の言っていることが分かるようになりました。英語のリスニング能力は毎日シャワーを浴びるように英語に触れることが大切といいますが、どうしても最初は慣れないもので、英語のリスニングばかり気にしていると苦痛に感じることが多かったです。けれども、毎日、非標準英語の発音に触れていたおかげで、標準英語の発音がどれほど聞き取りやすいものなのかと知り、リスニングの勉強が楽しくて仕方ありませんでした。非標準英語という冷水シャワーを毎日浴びせられたおかげで、標準英語の温水シャワーがどれほど幸せなものかということを知ったわけです。

恥じる気持ちを捨てる

今から振り返ると、3年間英語の勉強をしてこなかった私が留学に行くなど無茶だったなと思います。寮暮らしだったので食べ物を買うにしても、パソコンが故障したとしても、頼るべき他人は外国人であり、協力をしてもらうためには英語を使わざるをえませんでした。けれども、そのような窮地にまで追い込まれないと人は動くことが出来ません。そんな場面がニューヨークでの留学中では常にありました。それでも何とか英語を駆使して6週間の留学というものをやり抜くことが出来ました。

また、私がここまで粘ることが出来たのは、恥じる気持ちを捨てることが出来たからなのではないかと思います。日本の授業では誤った発言をすれば恥ずかしいという気持ちが起きるかも知れないが、語学学校のクラスでは、発言のうち8割は間違ったもので、むしろ正しいことの方が珍しかったです。海外の留学生たちには恥じらう気持ちなどはなく、疑問を解消するために活発に発言をしていました。私もそんな彼らを見習い、英語を学ぶ留学生として来ているわけですし、間違って当然というスタンスでコミュニケーションをしていました。そうやって、頻繁に英語を使うという機会を増やしてきたおかげで、英語スキルが伸びていき、最終的には辞書を引かずともスムーズなコミュニケーションを図ることが出来るレベルにまで英語力を鍛えることが出来ました。恥じる気持ちを捨てるところが、語学力を伸ばす第一歩なのだと思います。

海外から見た日本のイメージ

留学生との食事で各国のイメージについて議論することがありました。例えば、情熱的なスペイン人はパーティーが好きなあまり電車に乗っている見知らぬ人ですらパーティーに誘うという話や、おしゃれなイメージがあるフランス人は室内でも常にサングラスを掛けるといった話を聞くことが出来ました。

そこで、日本のイメージとは何かと聞いたところ意外なことに「技術力が高い、思いやりが強い、勤勉」といったポジティブな回答が返ってきました。日頃から日本のマスメディアで報道されているニュースを見ると日本は「高齢化社会、将来性に乏しい」という負のイメージがあるので、悪いコメントが来ると思っていましたが、その逆で海外から見ればGDP世界第3位の経済大国であり、その技術力と国民性は非常に評価が高いということを知りました。ニューヨークのタイムズスクエアの広告塔にもTOSHIBAが使われていたり、フランス人が愛用しているバイクのブランドはYAMAHAであったりと、日本メーカーのブランド名をよく目にしました。国内にいた時は当たり前だと思っていた日本製品も海外から見れば職人技が込められたハイテクな製品なのです。

海外留学で日本を深く理解

海外留学は海外を知ることが出来るきっかけだという意見もありますが、私はむしろその逆で、日本を深く理解することが海外留学の大きな意義なのではないかと思います。

留学に行くと日本にとどまっているだけでは見えない点が多く見えてきます。例えば、日本のトイレにはウォームシート機能やウォッシャー機能がありますが、一度日本に来たことがあるアメリカ人の女性はこれを非常に高く評価していました。海外のトイレではウォームシート機能やウォッシャー機能の普及率は低く、初めてそういうものがあると聞いた人もいました。そのアメリカ人の女性は、日本に行ったら真っ先にトイレに入った方が良いと言うほど日本の技術力の高さに関心を示していたのです。

トイレの話は少し笑い話のように聞こえてしまうかも知れませんが、自分がグローバルな人材として、日本という国でどのような強みを発信していくかということが、これからの社会が学生に求める課題になってくるかと思います。そんな中で海外へ行き日本に対する理解を深めることが出来れば、自然と将来自分がどのような役割を持って活躍する社会人でありたいのかという夢を描けると思います。

学部という枠に縛られない

留学の間、語学学校での英語学習のほか、会計事務所KPMG・USへの企業訪問を行いました。企業訪問は、商学部教授の間島進吾先生にニューヨーク事務所で働いていらっしゃるMr.Fujimaki Tomohiroさんを紹介していただいたおか

げで実現することが出来ました。なぜ、私が法学部生でありながら、会計事務所への企業訪問を実現することが出来たのかといいますと、それは学部という枠に縛られない考えを自分も含め支援してくださった教授の方々が持っていたからだと思います。学部にとらわれずに自分の将来キャリアを追っていく学生も「やる気応援奨学金」は支援してくれます。法学部といっても必ず法曹の道へ進むとは限りません。自分のさまざまな可能性というものを探し出し、その中から自分の「やる気」が出る活動に打ち込んでいくことが、最も充実した学生生活につながるのではないかと思います。

草のみどり 249号掲載(2011年9月号)