2021.12.24

学生記者が体験を綴る 「私の夏休み」

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コロナ禍の真っただ中にあった今年の夏は、部活やゼミ、サークルなど、さまざまな活動に何らかの制限があったことと思います。そんな夏の長期休暇中に、「HAKUMON Chuo」の学生記者は何を体験し、何を感じ、何を学び得たのか。3人の学生記者の夏休みを紹介します。

息、身、心を調えて得た「生の実感」
学生記者 鈴木人生(文3)

 

ぷ~ん。右耳の近くを蚊が飛んでいる。どこかに行ってくれと願った。だが、一向にモスキート音は鳴り止まない。

 

ギロリ。お坊さんの目がこちらに向いた。バシン、バシーン。人生で初めて警策で叩かれた。想像以上の痛みに、背筋がピンと伸びた。

 

夏休みに広島に帰省し、福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」を訪れた。広大な敷地には、伝統的な枯山水や、現代建築の展示施設などがあり、見どころは満載だ。だが、一番の魅力は、施設内にある国際禅道場で、坐禅体験ができるところだと思う。

お坊さんからマンツーマン指導

広島県福山市の神勝寺

どんな人たちが、集まっているのだろうか。ワクワクしながら、お昼過ぎに集合場所の入り口に向かった。しかし、誰もいない。すぐに、講師のお坊さんがいらっしゃった。まさかの、マンツーマンだ。「手厚い指導が受けられる」と前向きに捉え、坐禅堂まで一緒に歩いた。

 

「これは1500年ごろに鎌倉で建てられたものを移築したものなんですよ」。お坊さんは立派なお堂を指さした。修行僧はここに宿泊することもあるそうだ。座布団に布団の字が入っているのは、そういうわけかと納得した。実際に、坐禅堂にあったものを広げると男性の身長くらいになる。座ることも、寝ることもできる。日本式“2WAY”のルーツを見たような気になった。

 

足の組み方を教えてもらい、姿勢や目線を指導していただいた。「では、始めましょう」。お坊さんはち~んと、おりんを鳴らした。坐禅スタートだ。音が堂内に広がった後、今度は逆に静まり返った。

 

半目で、少し先を見つめ、余計な視覚情報を遮断する。そして、「息」「身」「心」の3つを調えていく。まずは、呼吸と身体。丹田(たんでん=へそ下)を意識して息を吐いて、吸う。基本的には、吐く方を長く、吸う方を短くする。息を吸ったとき、「今ここに生きていること」をより深く実感するためだ。背筋を伸ばし、姿勢を正す。こうして徐々に、心も調っていく。

 

90分という短い体験だったが、本当に一瞬で時間が経った。よほど集中していたらしい。お坊さんに礼を言い、禅堂を後にした。坐禅を通して、この感覚が大切なんだと気づいた。

 

坐禅で心を静める術を学ぶ

神勝寺の鐘を撞く学生記者の鈴木人生さん

お寺を訪ねる1週間前ほど前、地元を豪雨が襲った。緊急安全確保が発令され、近所の小学校体育館に避難所が開設された。避難すると、受付で薄いベージュの毛布を渡された。館内を見渡すと、20人ほどの避難者が壁沿いに横になっていた。仕切りや簡易ベッドなどはなく、プライバシーや居心地に十分な配慮があるとはいえない。

 

横になろうと、毛布を広げると、黒いものがパッと落ちた。虫の死骸だった。床には、白い埃が見えた。衛生的にも、あまり良い環境とはいえなかった。

 

夜が更けると、フローリングの床に毛布1枚で寝ているせいか、隣で眠るおじいさんは「痛い、痛い」と寝言を発した。あお向けになると、電灯の緑色の光で目が眩んだ。町内会の役員を務める知り合いのおじさんに「暗くしないんですか?」と尋ねたが、「うん、しない」と即答された。私は睡眠を諦めた。

 

自治体の避難所には、それぞれさまざまな事情があり、避難所生活はストレスと無縁ではない。だが、これからは坐禅の教えを思い出して、心を調えようと思った。ストレスを感じたときにこそ、坐禅が役に立つはずだ。心を静める術を学んだ夏になった。

制約がある中でも充実した時間を過ごす
学生記者 西沢美咲(総合政策2)

大学2年生の夏休みは、コロナ禍で制限されることも多くありましたが、昨年よりも充実したものになりました。8月末までに2回のワクチン接種を済ませて、感染症対策をしながら旅行に行ったり、制限の中でもサークル活動をしたり、SNSマーケティングの長期インターンに取り組んだりしました。

 

ワクチン接種は自分の安心にもなり、周囲の人のためにもなったと思います。接種の2週間後には、1年ぶりに祖母の家を訪ね、大学生活の話をしたり、祖母の手作りの料理を食べたりして、とても楽しく充実した時を過ごせました。ワクチン接種後も引き続き感染症対策は必要ですが、今まで会えなかった人にも会えるようになり、喜びを感じました。

「マガ杯」へ ミサンガづくり

私が所属している「中央大学サッカー同好会」は、感染症対策を続けながら夏休みも活動していました。暑い日が続きましたが、練習でプレイヤーがボールを追いかけ、グラウンドを走り回る姿が印象に残っています。私たちマネジャーも日傘をさし、日焼け止めを塗って参加しました。

 

特に印象に残っているのは、毎年9月に開催されるサッカーマガジンカップ(マガ杯)という大会です。今年は参加人数に制限があり、日帰りで行われるなど例年とは異なる形での開催でした。私はプレイヤーに渡すミサンガをマネジャー同士で教え合いながら一生懸命に編みました。ミサンガの受け渡しはサッカー同好会の伝統であり、長年受け継がれてきています。

 

大会前日に決起集会が行われ、皆が一つになって大会への気持ちを高めました。3年生にとっては最後のマガ杯となるため“熱量”を感じ、コロナ禍で参加人数は制限されましたが、皆で行う決起集会は感動的でした。来年は全員で参加できる環境になればいいなと思います。

企業でSNSマーケティングのインターン

今年4月から始めているSNSマーケティングの長期インターンでは、夏休みで長時間の勤務も可能となり、多くのことを学べました。SNSマーケティングとは、ツイッターやインスタグラムなどを使って企業やサービスに対する顧客のロイヤルティー(愛着や信頼)を高めるのが狙いのひとつです。

 

私の仕事は、運用に携わっている企業のアカウントに掲載する写真を選び、その評判がどうだったかを数値をもとに考察するというのが基本的な流れです。職場では、他大学の先輩の話を聞けたり、昼休憩で一緒にランチを食べたりと、仕事以外でも充実した時間を過ごしました。後期も学業と両立しながら頑張っていきたいです。

 

ほかにも、友達と一緒に美術館やカフェに行き、9月には京都に旅行をしました。コロナ禍の美術館はチケットが予約制で、入場も“密”を避けるため時間で区切られていました。旅行も感染症対策をしながら満喫できました。

 

ただ、コロナが収束して気兼ねなく旅行できるようになり、大学生のうちに海外旅行も経験できたらうれしいです。素敵な思い出を作るためにも、以前の生活に近づく日が来ることを改めて願っています。

「分ける」ことは「分かる」こと~自分の理解力不足を痛感した読書会~
森美樹(文2=哲学専攻)

「『分ける』ことは『分かる』こと」。そういった言葉をどこかで聞いたことがある。流れ込んできた情報を分別し、整理することによって人はそれを理解するという意味だが、私は夏休みの読書会を通じて、そのことを身をもって知った。

 

その読書会は哲学専攻の1年生が対象の「英語読解」を担当する文学部の太田稔兼任講師と大厩諒兼任講師が開催した。私も昨年に太田先生の授業を受け、古代哲学に関する英語のテキストを読解した。

 

この先生方による読書会は昨年に続き2回目で、開催のきっかけは、「コロナ禍においてオンライン一色になり、日々ひとりで授業や課題と向き合っている学生のために、もう少しいろいろな学びの場や交流の場を提供したい」という気持ちからであったと太田先生に伺った。

神崎繁先生の「魂への態度」を読む

私自身、ずっと家にいたため、Webexで読書会に参加し、先生方と議論できたことは楽しい思い出として心に残っていた。そして、今年も読書会があるならぜひ参加したいと太田先生に連絡したところ、大厩先生と開催してくださることになった。今年は週1度、2~3時間ほどで全8回、Zoomで行われた。

 

課題本は、神崎繁先生の「魂(アニマ)への態度」で、古代西洋哲学を専門とする哲学者である筆者が、魂をテーマに、ギリシャの叙事詩などがどう読まれていったかを追いながら、主に古代哲学とそれによる後代への影響を論じたものである。

 

また、ある一部分の訳し方の違いにより、文全体の解釈が正反対になったり、登場人物の人物像が大幅に変わってしまったりということも書かれていた。私はそういった翻訳や解釈の違いを考えることが好きなので、この本はとても興味深く、また、自分が翻訳や解釈をする際の姿勢についても振り返るきっかけとなり、身が引き締まる思いがした。

内容の理解に難航 「ひたすら分からない…」

太田先生にこの本を選んだ理由を尋ねると、神崎先生は古代哲学を志したものであれば誰もが尊敬する存在で、昔、この本を十分に読み切り理解することができなかった経験があり、心残りがあったためであると聞いた。

 

私はそれまで神崎先生のことは名前しか存じ上げなかったが、今回のように自分が普段手に取らないような本を読む機会が得られたのも読書会の良いところだと思った。

 

読書会は参加した学生が交替で作成したレジュメを元に進行したが、レジュメがなかった場合は、先生方がレジュメを作成しながら進行した。私もレジュメを作る機会をいただいたが、まず、本の内容を理解することに難航した。

 

日本語で書かれているのに意味が分からない。ひたすら分からない。何が分からないのかも分からない。深い霧に包まれた知らない土地で迷子になったような気分だった。

 

他の哲学書を読んでいるときも同じような感覚に囚われることがある。だが、今回はレジュメを作る必要があったため、内容がほとんど分からないながらも、とりあえずキーワードらしき単語を順にメモしていき、1章を内容ごとに節に区切って、それぞれに見出しをつけた。そして、最初から読み直しながら、それぞれの節の重要な箇所を抜き取り、要約して内容をまとめた。

「考えや思いを丁寧に汲み取る」

そうすると、ただ読んでいるときには分からなかった文章が、少しずつ分かるようになってきた。そしてレジュメをもとに読書会が進行する中で、先生や他の人の意見を聞いたり、議論したりすることで、新しい視点を知り、自分一人では見えなかった景色が見えてくるようになった。これこそが読書会の醍醐味だ、と思った。

 

この読書会を通じて「分ける」ことは「分かる」ことを実感した。哲学書の読解に限らず、理解するということは切れ目の分からないグラデーションを切り分けて、その一つずつに名前をつけていくようなことだ。しかし、切り分け方やラベリングを間違え、理解した気になっているだけで実はひどく誤解をしていることもあるかもしれない。

 

何かを正確に理解することはとても難しいし、そもそも無理なのかもしれないとも考える。でも、出会った本や出会った人々の考えや思いをできるだけ汲み取れるように、その一つずつ、その一人ずつと丁寧に向き合っていきたいと思う。

 

読書会を開催し、ご自身の体験を交えた興味深い話をたくさんしてくださった太田先生と大厩先生、読書会に参加してくださった方々、そして素晴らしい本を後世に遺してくださった神崎先生に感謝を述べたい。

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